第751話

 深夜、突然起こった騒動に反乱軍の陣地は騒然としていた。

 それも当然だろう。これまでは多少の騒動はあっても、冒険者や傭兵、兵士といった者達の喧嘩が精々だったというのに、今起きているのはそんな騒ぎどころではなかったのだから。

 特に、その騒ぎの知らせを聞き動揺したのは反乱軍の幹部達。

 反乱軍の最大の敵と目されているカバジードが重用しているソブルが軟禁されているテントでの騒ぎだったからだ。

 一般の兵士達には、そこに何があるのかという情報は知らされていない。

 だからこそ幹部以外の者にしてみれば、その騒動は多少驚きはしたが、そこまで深刻なものとは思っていなかった。


「ええいっ、どうなっている! 捕らえたソブルはどうした! まだ暴れている者達の鎮圧は終わらないのか!」


 反乱軍の本部とも言えるマジックテントの中に、貴族の怒声が響く。

 それを浴びせられたのは、状況を報告しに来た兵士。

 半ば八つ当たり気味に怒鳴られた兵士にとっては、不運としか言いようがなかっただろう。


「落ち着け、ここで我等が取り乱してどうなる。今は兵士を怒鳴りつけるのではなく、もっと冷静になって事の真偽を確認すべきだ」

「分かっている! だが……あのソブルだぞ!? あの男が向こうに戻れば、これからの戦いでこちらの被害が増えるのは間違いない」

「……にしても、妙だな。あの場所は警戒を厳重にして、かなり腕の立つ兵士を警備に当てていた筈なんだが……その殆どが殺されて、それで更にまだ暴れている? テオレーム殿、どう思われますか?」


 貴族に視線を向けられたテオレームは、小さく首を横に振る。

 襲ってきた者達が、多少腕が立つという程度のものでないのは既にはっきりとしている。

 ソブルが軟禁されていたテントには、魔獣兵をも護衛としてつけていたのだ。

 その魔獣兵がまだ生きているのであれば、こうした騒ぎにはなっていない。

 つまり、魔獣兵は死んでいるのか気絶しているのか、それとも他の何かの理由かは不明だが、無力化されているのは間違いなかった。


(魔獣兵を相手に勝つことが出来るだけの技量を持つ敵がこの陣地に潜り込んでいた? 色々と面白くないが……それでも手を出したのはソブルの方だったのはまだ良かったか。もしこれがメルクリオ殿下や……待て)


 自らの主君の安全に安堵したテオレームは、ふと気が付くとつい先程までこのテントの中にいた筈のもう一人の重要人物、メルクリオの姉でもあるヴィヘラの姿がないことに気が付く。

 慌てて周囲を見回せば、姿が消えているのはヴィヘラだけではない。グルガストの姿すらも消えている。


「メ、メルクリオ殿下。ヴィヘラ様とオブリシン伯爵は一体?」

「うん? そう言えばいないね。まぁ、あの二人のことだ。どこに向かったのかは大体予想出来ているだろ?」


 小さく肩を竦めるメルクリオに、テオレームとしても頷くしか出来ない。

 そう、確かにどこに行ったのかはこれ以上ない程簡単に予想出来る。現状でまだ戦いが終わっていないということは、間違いなく戦いが長引いているということ。つまり、強敵がいる可能性が高かった。

 そしていなくなったのは、戦闘を好む二人。

 これが何を意味しているのかと聞かれれば、答えは決まっている。


「メルクリオ殿下、知っていたら出来れば止めて欲しかったのですが。あの二人は私達にとって掛け替えのない人物であるのは理解しておられるのでしょう?」

「確かに。けど、あの二人だよ? 止めて止まる訳もない。寧ろ止めた分だけ余計に暴走する可能性がある」

「そ、それは……」


 メルクリオの言葉に、否とは言えない。

 事実、テオレームもそう予想したのだから。

 だからといって、はいそうですかと頷ける訳もない。


「安心しなよ」


 テオレームが何かを言う前に、再びメルクリオが口を開き、そう告げる。


「あの二人は強い。それこそ、その辺にいる者達が何をどうしようとも勝てるとは思えない程にはね。例え今暴れている者がどれ程の強さであろうと、あの二人を相手にしてはどうにもならない程には」

「それは……確かにそうですが、万が一ということも」

「それに、今はレイがいない。それを心配しているというのもあるんだろうね」


 レイが姿を消してから十日も経っていないのにこの騒ぎだ。つまり反乱軍はレイがいなければどうとでもなる相手だと、そう思われたのが癪だっただろうとのメルクリオの言葉に、頷かざるを得ないのはテオレームとしても悔しいところだ。

 だが、すぐにメルクリオは表情を変えて笑みを浮かべる。


「もっとも、一番期待しているのはやっぱり戦闘なんだろうけどね。暴れているのがどんな者達が分からないけど、今頃は既に鎮圧されているんじゃないかな?」






 自分目掛けて振るわれる長剣の一撃を、前に進みつつ身体を捻って回避する。

 そうして通り抜け様に顎を鋭く打ち抜くのだが……


「あら?」


 拳の感触に首を傾げるヴィヘラ。

 当然だろう。本来であれば一撃で相手の意識を絶つだけの威力を持った攻撃であったのだが、相手は全く効いた様子もなく平然としているのだから。


「浅かった? いえ、拳の感触はそんなに軽いものじゃなかった。……なら!」


 再び自分へと振り下ろされる長剣の一撃を回避し、相手の懐へと飛び込む。

 そのまま殴りつけるのではなく、そっと相手の胴体へと触れ……


「はっ!」


 短く吐き出された声と共に、相手の動きは止まり地面へと崩れ落ちる。

 浸魔掌。ヴィヘラの生み出した、相手に自らの魔力を流し込み、内部から破壊するという技。

 既に顎先を揺らした一撃程度では殆ど意味もないような身体にされてはいるが、それでも内臓の大半を破壊されてしまえばどうにも出来なかった。


「どうやら別に不死身とかそういうのじゃないみたいね。……その割りには目に全く理性の光を感じないけど」

「うむ、このような者共と戦っても全く面白くはない。この者共の強さは、身体を鍛えて手に入れたものではなく、偽りの強さ」


 不愉快そうに喋りつつ後ろへと下がってきたグルガストの言葉に、ヴィヘラも頷く。


「確かにそうね。こうして戦ってみても、相手の意思を感じないわ。何というか、本能に突き動かされてるだけ?」

「それを言ってはモンスターや野生の獣に失礼だろう」

「確かにそうかもしれないわね」


 ゆっくりと自分達の方へと近づいてくる相手に視線を向け言葉を交わす二人。

 確かに戦っていて面白い相手ではないのは事実だが、それでも目の前にいる不気味な相手がその辺の兵士の手に負えないのは事実なのだ。

 腕の立つ兵士や騎士、冒険者や傭兵といった者であれば対処は可能だろうが、それでも無傷でどうにか出来るような相手でもない。


「アンデッド? ……いえ、違うわ、ね!」


 突き出された槍の穂先を手甲に作り出した爪で切断し、懐へと潜り込む。

 普通であれば、こうして近づかれれば何らかの反応を示す筈だろうに、この相手は一切そんな様子を見せない。

 ヴィヘラにしてみれば、対処法さえ分かれば既に敵ではない。

 それはグルガストも同じであり、殆ど一方的な戦い方で敵を屠っていく。

 そこからは戦いが終わるまでは早かった。

 応援の兵士達がやって来たが、結局何をするでもないままに戦いは終わったのだから。


「……さて、問題はここにいたソブルがどこに消えたのか、かしらね」


 地面に倒れている敵……ムーラが残していった人形達を見ながら、ヴィヘラが呟く。

 軟禁されていたテントの中に既にソブルの姿がないのは確認済みであり、地面に倒れている中にもソブルの死体は存在しない。


「つまり逃げ出した、か」


 ヴィヘラはグルガストの言葉に頷く。


「それも、誰かが助けに来たのがこの結果なんでしょうね。……急いで陣地の中を見回って頂戴。上手くいけばまだ外に逃げ出してはいないかも」

「はい、すぐに手配します!」


 仲間の兵士の多くが殺された中で、ヴィヘラとグルガストの救援が間に合ったことにより生き延びることの出来た兵士が、素早く敬礼して去って行く。

 ヴィヘラはそんな兵士の後ろ姿を見送りながら口を開く。


「……まぁ、無駄でしょうけど」


 その言葉を聞いていたグルガストだったが、特に何かを口にすることはない。

 見つかる可能性は低くても、その辺を疎かにする訳にはいかないのは事実なのだから。

 あるいは、何らかのミスで向こうがまだ陣地の中にいるということも有り得る。


(無理だとは思うけどね)


 ヴィヘラは溜息を吐きつつ、地面に倒れている死体へと視線を向ける。

 人形だけではなく、ここを守っていた兵士達の姿もある。

 また、ヴィヘラがこの場に駆け付けた時には、少し離れた場所に魔獣兵の死体も見つかっていた。

 無論魔獣兵に関しては今でもそう人目に見せていい代物ではない。

 テントの方で起きている騒ぎに皆の意識が集中していた為に殆ど見ている者はいなかったが、それでも少なからず魔獣兵の死体を見た者はいるだろう。

 近くにいた騎士に誰にも見つからずに死体を運び出すように命令はしていたが、それがどれだけ守られたのかも怪しい。


(魔獣兵を殺すことが出来る相手、か。出来れば戦ってみたかったわね)


 まるでこの程度の騒ぎなど大したことはないとでも言いたげな程に雲一つない夜空。

 丸く、大きな月が夜空を照らす光景を目にしながらそう考える。

 陣地の出入り口を馬で強行突破した者達がいたという報告は、それから十分程経ってからヴィヘラの下に届けられるのだった。






「うおっ!」


 明かりがいらない程に明るい夜空の下、必死に帝都の方へと馬に乗って走っていたムーラ、シストイ、ソブルの三人。 

 その中でも先頭を走っていたシストイが、唐突に背筋にゾクリとするものを感じて声を上げる。

 隊列としては、先頭にシストイ、そのすぐ後ろをムーラとソブルの二人が並んで走っている状況だ。


「ちょっと、どうしたのよシストイ。何かあったの?」


 すぐ後ろを走っており、シストイと長い付き合いのムーラだからこそ相棒の異常に気が付いたのだろう、全速力で走っている馬の上から声を掛ける。


「いや、何でもない。ちょっと嫌な予感がしただけだ!」


 乗っている馬が全力疾走である以上、当然声を届かせるにはお互いに叫ぶしかない。

 ムーラの隣を走っているソブルにしてみれば、よくそんな真似をするなという思いがあった。

 勿論ソブルにしても全速力で走りながら叫ぶくらいは出来る。だが、そんな真似をすれば舌を噛む事になるのは恐らく間違いないし、現在の状況でそんな真似をしたくはない。

 もっとも、今の自分がこの二人に助けられている以上、異論を口にすることはないが。

 自分の救出を誰に頼まれたかは分からないと言われてはいたが、それでも生かして連れてこいと言われている以上は反乱軍に捕らえられているよりはいいだろうと判断していた。


「ムーラ、そろそろ馬の速度を一旦緩めるぞ」


 その言葉と共に、全速力で走っていた馬の速度が落ちていく。

 自然とシストイの後ろを走っているムーラとソブルも馬の速度を落としていくが、ムーラが不満そうに口を開く。


「ちょっと、いいの? 反乱軍の陣地から追っ手が掛かってるんじゃない? 追いつかれたら勝ち目がないわよ?」


 幾らシストイが強いとしても、無敵という訳ではない。自分にしても既に人形はおらず、ソブルは身体を動かす事そのものがそれ程得意ではない。


「分かっている。けど、馬が限界だ」


 シストイの言葉に、ムーラはチラリと馬を見る。

 確かに口からは泡を吐いており、このまま全力疾走を続けさせれば遠くないうちに潰れるだろう。

 それが分かっただけに、ムーラとしてもシストイの言葉に納得せざるをえない。


「けど、どこで休むの? 下手に街道で休んでいれば、確実に追撃部隊に捕捉されるわよ?」

「向こうだ。何となくだが、あの林の奥がいいと思う」

「そう、分かった。じゃあそうしましょう」

「待ってくれ」


 ムーラとシストイのやり取りに待ったを掛けたのは、当然の如くソブル。

 何となくという理由で身を潜める場所を決めたのもそうだが、ムーラの方も何の躊躇もなくそれに従うというのが信じられなかった為だ。


「何よ。何か異論でもあるの?」

「いや、そういう訳じゃないが……何となくで隠れる場所を決めるのか?」

「ええ。シストイの勘は信じられるわ。それに、このままだと馬が持たないってのは分かるでしょう? 結局休まなければならないのなら、林の中に身を隠した方が安全よ」

「それは……確かにそうだが」


 言っている理由は分かる。

 だがそれでも、やはり何の理由もなく勘で決めるというのはソブルにとっては驚きであり、信じたくもなかった。

 それでも現在のソブルは目の前の二人に保護……あるいは捕まっている立場である以上、その言葉に従うしかない。

 そうして、林の中に入ってから三十分程。街道を数騎の騎兵が走って行く音を聞きつけ、一同は追撃の部隊と思われる相手をやり過ごしたことに安堵するのだった。

 ……もっとも、ソブルだけは未だに納得のいかない表情を浮かべていたが。

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