第748話
レイが帝都にやって来て、城の中に……正確にはフリツィオーネの小屋に匿われてから三日程。
今日も今日とてやることがないレイだったが、小屋の中には多数の本が存在しており、それに目を通していた。
モンスター図鑑、魔法の属性についての本、精霊に関しての本、マジックアイテムに関しての本、中には剣術を記した本のように、レイにとっては専門外の代物もある。
勿論レイが座っているソファの周囲にあるのは、実用書のようなものばかりではない。各地の伝承を集めて物語風にしたものや、お伽話、中には貴族の子供が文字を習う時に使う絵本、料理のレシピが書かれている本といったものまで。
正に、多種多様な本がソファの周囲へ無造作に積み上げられている。
この本は、当然レイがミスティリングから出した物……ではない。
レイ自身が持っている本は、モンスター辞典のようなものを含めて数冊程度なのだから。
そもそも、この世界では本というのは非常に高価な代物であり、一介の冒険者がそう何冊も持てるような代物ではない。
いや、寧ろ魔法使いのような例外を除けば、冒険者ですら本を持っていない者の方が多い。
では何故この小屋の中にこれ程の本があるのかと言えば、フリツィオーネやアンジェラ、ウィデーレ、そしてレイに対して好意的な白薔薇騎士団の騎士達が暇潰しにと持ってきてくれた物だ。
白薔薇騎士団の中では、現在レイの評価は真っ二つに分かれている。
片方はレイの強さに憧れ、セトの愛らしさに惹かれ、主君であるフリツィオーネの客人で、自分達の味方として好意的に。
もう片方は、春の戦争で自分の知り合いが死んでしまったことや、フリツィオーネ、アンジェラといった者達に対しての態度が不遜であるということ、自分達の憧れでもあるヴィヘラに想いを抱かれておきながらそれに応える様子が全くないという態度から、悪意とまではいかないが、それでもとても好意的には接することが出来ないという者達。
白薔薇騎士団の中でも人数的には丁度半分ずつくらいに分かれている中で、前者の者達が持ってきてくれたのがソファの周囲に置かれている本だった。
勿論レイが暇を持てあましていると聞いて小屋の中に運び込まれたこの本の山は、あくまでもレイに対して貸し出されているだけであって貰った物ではない。
当然フリツィオーネが城から出る時には返すことになるだろう。
だがそれでも、レイにとっては本を読むという行為は非常に嬉しいものがある。
元々本を読むという行為は好きだったレイだが、この世界の本は基本的に非常に高価だ。
勿論今のレイが持っている、人が一生掛かっても使い切れないだろう財産を考えれば問題なく買い集めることが出来るだろうし、ミスティリングがある以上は本の置き場所に困ることもないだろう。
それでもレイが本を集めてこなかったのは、純粋にそんな余裕が殆どなかった為だ。
このエルジィンへとやって来てから、約一年半。後数ヶ月も経てば二年になる。
その間、幾つもの騒ぎに巻き込まれてきた為、モンスター辞典のような実用書以外の本は買う暇もなければ、読む暇もなかった。
何か必要な情報を欲した場合はギルムに図書館があったし、ギルドでレノラやケニーといった親しい受付嬢に話を聞けば解決することも多い。
「ま、どうせこんな騒動の連続ってのはいつまでも続く訳がないし……本を集めるのは、暇になってからでいいだろ。……騒動は続かない、よな?」
自分で言ってて、これまで経験してきた数々の騒動を思い出して不安に襲われるレイ。
実際、普通であれば一般人が一生に一度経験するかどうかといった騒動に幾つも巻き込まれ、そこで暴れ回り、何だかんだと解決してきてるのだ。
そこには実績というものがあり、その実績故に再びレイが他の騒動に巻き込まれる確率が上がっているのだが……本人がそれに気が付いた様子はない。
「それに……ベスティア帝国に来てからは、モンスターもろくに狩れてないしな」
モンスターの素材はともかく、魔獣術の使い手としては未知のモンスターの魔石というのはどうあっても欲しい。
出来れば今回の件が片付いたらベスティア帝国にある、ミレアーナ王国でいう辺境に出向いて未知のモンスターを倒して魔石を漁りたい。そんな風に考えつつ、ドライフルーツを口に入れようとして……手が空を切る。
「うん?」
何も掴めていない感触に疑問を覚え、テーブルの上に視線を向けるが……既にそこにあったドライフルーツは全てなくなっていた。
「……しまったな。フリツィオーネに怒られる」
レイがこの小屋で過ごし始めてから数回程小屋に顔を出しているフリツィオーネだったが、その度にドライフルーツがなくなっているのを見ては、拗ねるような視線や責めるような視線をレイへと向けていた。
尚、ドライフルーツと一緒にあった干し肉に関しては既に全てがレイの腹の中へと収まっている。
それを知った時のフリツィオーネは、皇女とは思えぬような表情を浮かべてレイへと視線を向けていた。
「干し肉に続いて、ドライフルーツもなくなったか。……あー、まぁ、しょうがないな」
溜息を吐き、ミスティリングから取り出したライオットへと手を伸ばす。
梨のような食感や味、水分を持っている果実だけに、本を読みながら食べるには向いていない果物だ。
高価な……しかも借りてるだけの本に汚れを付ける訳にもいかず、本は一旦横へと置いておく。
冷たい状態のまま保存しておいたので、薄い皮ごと囓ると、シャクッとした食感と共に冷たい果汁が口一杯に広がる。
「どう考えても梨だよな。美味いからいいんだけどさ」
シャク、シャク、シャク、と食べ進め、果汁で汚れた手は流水の短剣で作り出した水で洗って腹ごしらえが完了。
そのまま再び本へと手を伸ばし掛けたところで、ふとその動きを止める。
誰かが小屋に近づいてきていることに気が付いた為だ。
「……さて、誰が来たんだ? 殺気の類がないんだし、敵じゃないと思うけど」
呟き、小屋の外へと向かう。
やって来た人物は、案の定レイにとっても見覚えのある人物だった。
「ウィデーレ」
「こんにちは、レイ殿。色々と暇をしていると思って、話をしに来たのだが……構わぬか?」
「ああ。やることといったら訓練か、何かを食うか、本を読むか、寝るかしかないしな」
それだけやることがあれば、退屈せずに済むのでは? 一瞬そう思ったウィデーレだったが、自分がここに来たのは現状の第1皇女派の動きを知らせに来たのだから、脱線している暇はない。
「中に入っても?」
「ああ。遠慮するな。ここは元々お前達の主の小屋だし」
小さく肩を竦め、小屋の中へと招き入れるが……
「レイ殿、さすがにこれは散らかりすぎなのでは?」
視界に入ってきた光景に、思わず呟く。
小屋の中央にあるソファやテーブルの周辺には、大量の本が積み重なっていた。
塔……と読んでもおかしくないだろう光景に、少しは片付けた方がいいという意思を込めてレイへと視線を向ける。
「ああ、悪い。すぐに片付ける」
短く言葉を返すと、積まれている本を小屋の隅へと寄せていく。
片付けるというより、一時的に寄せているだけの行動ではあるが、それでも大量の本が一気に片付けられていく光景は、ウィデーレから見ていてもどこか気持ちのいいものがある。
もっとも、レイにしても無造作に片付けている訳ではない。
本を持ってきてくれた者達ごとに分別してある。
誰かに返す時は、積まれた本をそのまま手渡せるという形になっていた。
そうして一段落すると、ようやくスペースの空いたソファをウィデーレに座るように勧める。
「ま、座ってくれ」
「……ほんの数日で、完全にここがレイ殿の住処と化しているような感じが……」
呆れた表情で呟くウィデーレに、レイはその言葉通りに小屋の主人と見紛うような態度で口を開く。
「フリツィオーネはこの小屋に来ても一日とかじゃなくて数時間程度だろ? それに比べると、俺は一日中小屋にいるんだから、差が付くのは当然だ」
「……納得出来るような、出来ないような……」
「ま、そういうものだと思っておいてくれ。で、話をしに来たってことだったけど? ああ、取りあえずこれでも飲んでくれ」
流水の短剣から作り出した水をコップに入れて出す。
来客に水を出す。そう考えると色々と失礼なようにも感じるが、その水がレイの魔力によって生み出された至高の水とも言えるものであれば話は別だろう。下手な紅茶や酒より美味いのだから。
事実、ウィデーレもその水の美味さはレイと共に帝都まで旅をしてきて知っていた為に、文句を言うどころか寧ろ嬉しそうにコップへと手を伸ばす。
「……ふぅ。相変わらずレイ殿の作った水は美味い……」
しみじみとその水の味を堪能し、やがて一段落したのか口を開く。
「それで、話ってのは? 俺としては世間話をしに来てくれたってだけでも嬉しいけど」
ある程度の自由はあるが、それでもこの小屋の周辺に限られているレイは、言うなれば軟禁されているも同然だ。
もっとも、自分がここにいるというのが広まれば騒ぎになるのは分かりきっているのだから、レイ自身が望んでそんな状態になっているのであって、文句は一切ない。
それでも、自由に出歩けないというのはじっとしているのがそれ程好きではないレイに対し、知らず知らずのうちにストレスを与えていた。
だからこそ、話をする為に誰かがやって来てくれるというのはレイにとっても歓迎すべきことだった。
「うむ。フリツィオーネ殿下達が城から脱出する手筈を整えている。それに関しての進展情報をな」
「へぇ、面白そうだな。で、どうなんだ?」
話の先を促されたウィデーレは、レイの食いつき具合に多少疑問を覚えつつも口を開く。
「当初は私達と共に反乱軍に合流する兵士達を少しずつ帝都に向かわせて、帝都の外で合流という手筈で進めるつもりだった。しかしそれだと色々と混乱が広まるということで、全ての者が同時に城を出ることにした」
「……間違いなく騒ぎになるだろ?」
「それは間違いない。そこでレイ殿だ。あの大鎌……デスサイズとか言ったか? それを持っていれば、あの……第二次討伐軍を殲滅した深紅がいると皆が気が付く」
「ああ、それで俺が抑止力になる訳か」
それなら納得出来る、と頷くレイ。
火災旋風の威力をこの世界で一番知っているのが、直接喰らったベスティア帝国なのは間違いないだろう。
そんな攻撃を城の近くで行われるのは悪夢でしかないだろうし、城ではなくても帝都で使われればベスティア帝国の首都が受けうるダメージは計り知れない。
人命や建物の多くが失われ、結果的に税収も減り、住人達は盗賊と化す可能性が高い。
正に、ベスティア帝国の貴族にとっては悪夢以外のなにものでもないだろう。
勿論レイが一人で火災旋風を使えない以上、現実に起こりようのない話だ。
だがそれを知らない者達にしてみれば、レイがいる時点でちょっかいを出すのを避ける。
「なるほど、上手い具合に考えたな。けど……それは、諸刃の剣だぞ? 確かに俺がいる時点で城の近くや帝都では攻撃を仕掛けてはこないだろう。けど、逆に言えば帝都から出てある程度離れてしまえば攻撃するのは自由だ。その点はどうするんだ?」
「フリツィオーネ殿下の派閥で共に来る貴族達が率いる兵力、それに私達白薔薇騎士団と、義勇兵。それと……」
チラリ、とレイに視線を向けてからウィデーレは口を開く。
それが何を意味しているのかを理解しているレイは、小さく肩を竦めて口を開く。
「俺、か」
「うむ。正直、レイ殿が最大の戦力だというのは間違いのない事実。……正直、フリツィオーネ殿下に仕える私達としては、色々な意味で歯がゆい思いなのだが……」
歯がゆいのは、ウィデーレが心の底から感じている思いなのだろう。握りしめた手に力が入る。
だがそんなウィデーレに、レイは気にするなという意味を込めて小さくテーブルを指先で叩く。
「元々俺は護衛としてメルクリオから派遣されてきたんだ。その役割を期待されているんなら、それを全うするだけだよ」
「……済まない、私達の力不足で」
自らの力で第三部隊の部隊長まで出世してきたウィデーレにしてみれば、肝心な時に主君であるフリツィオーネの安全を完全に確保出来ない自分の力に歯噛みする。
同時に、白薔薇騎士団の中にいるレイに対して隔意を抱いている者達に対いて苛立ちと情けなさも抱く。
そこまでレイを嫌っているのであれば、レイに頼らず何とか出来るように考え、それをフリツィオーネや派閥の貴族達に納得させ、実行させてみろと。
レイに対して、自分より格上の武人であり、その圧倒的ともいえる強さに憧れを抱いているからこそ自分の仲間達に思わず失望の気持ちを抱かざるを得ない。
「気にするなって。護衛の仕事はそれなりに数をこなしてきているし、ある程度なら何とかなるから」
ウィデーレが何を心配しているのかに気が付かないまま、レイはそう告げるのだった。
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