第747話

 ベスティア帝国の帝都にある城の一角。

 フリツィオーネは私室で自分の派閥の貴族達と会話を交わしていた。


「つまり……それは、フリツィオーネ殿下はメルクリオ殿下の下につくということになるのですかな?」


 まるでドワーフのような立派な髭をしている六十代程の初老の男、ログノス侯爵の言葉にフリツィオーネは頷く。


「ええ、そうなると思うわ」


 あっさりと告げたフリツィオーネの言葉は、その話を聞いていた貴族達に溜息を吐き出させる。

 元々皇女という立場であるフリツィオーネは、皇帝の地位を狙うには非常に低い。 

 そうである以上、この派閥に属している者達は純粋にフリツィオーネを慕っている者が多い。

 勿論全員がフリツィオーネを慕っているという訳ではないが、それでもフリツィオーネがメルクリオの下につくと言っても反対する者はそれ程多くはない。


「そんな……何だって急にそんなことに? 確か以前のお話だと、今回の内乱をどうにかする為にメルクリオ殿下のいる反乱軍に協力するという話だった筈です。それが、何故フリツィオーネ殿下がメルクリオ殿下の下につくという話になるのですか?」

「反乱軍に合流した際にメルクリオと私が同格ということになると、指揮系統が混乱したりするでしょう? 他にも、手柄を立てる為に抜け駆けするような人がいないとも限らない。だからこそ、私がメルクリオの下につくとはっきりさせておいた方がいいのよ」

「ですが!」


 尚も言い募ろうとする貴族。

 この貴族は、フリツィオーネの持つ優しさに惚れ込んで第1皇女派へと入ることを決めた。

 フリツィオーネが皇帝になれば、間違いなくこの国は今より良くなる。そう信じたからこその選択だったのだ。

 それが、メルクリオの下につくというのは、フリツィオーネが皇帝になるチャンスは消える……とまではいかないものの、限りなく低くなることを意味していた。


「落ち着きなさい。今は皇帝になるとかならないとかの問題ではなく、いかに早くこの内乱を終結させるか。そちらの方に意識を集中するべきだとは思わない?」

「それは……ですが……」


 フリツィオーネの言いたいことも分かる。分かるが、それでも貴族にとってフリツィオーネがメルクリオの下につくことを認められるかと聞かれれば、答えは否だ。


「フリツィオーネ殿下も言っているだろう。落ち着け」


 先程フリツィオーネと話していたログノス侯爵がそう声を掛ける。


「……すいません。取り乱しました」

「いいのよ。今回の件では色々といきなりだから。他の貴族の人達にも説明したけど、皆同じような反応だったわ」


 レイがこの城に来てからすぐに始めた貴族への根回しだが、当然そう簡単にいく筈はない。

 当初の予定通りであれば、お互いが同格という形で話を進める予定だったのだから当然だろう。


「今回の件で私と共に行けない。そう思ったのなら、遠慮する必要はないから自分の領地に戻っても……もしくは、私の派閥を抜けても構わないわ。この件は私の予想外だったのを思えば、責めるつもりはありません」


 そう告げるフリツィオーネだったが、先程文句を言っていた貴族も含めて特に何を言うでもなく黙り込む。

 色々と思うところはあれども、決して自分達は目の前にいる主君を見捨てようとは思わない。

 その思いだけは全員が一致していた。

 自分を見つめる全員の瞳に、その気持ちを理解したのだろう。フリツィオーネは小さく笑みを浮かべてから口を開く。


「……ありがとう」

「いえ、お気になさいますな。我等はフリツィオーネ殿下と共にいるのが好きでこうしてここにいるのです。……もっとも、中には他の思いを……いや、想いを抱いている者もいるようですが」


 チラリとログノス侯爵に視線を向けられた若い貴族は、羞恥で頬を赤く染める。

 以前からフリツィオーネに惹かれていた男の貴族。

 それを理解したうえで、フリツィオーネは穏やかな視線を男の方へと向けていた。

 自分がどのように想われているのか。それを知っていながらも、フリツィオーネとしては気持ちに応える訳にはいかない。

 身分の差もあるし、自分のやるべきこと、やりたいことといったものもある。


(それを思えば、ヴィヘラは色々と吹っ切っているんでしょうけど)


 皇族の身分を捨てたヴィヘラであれば、例え相手が貴族ですらない一介の冒険者であっても結ばれるのに障害はない。

 いや、正確には身分ではなくヴィヘラ自身を慕っている者もいるのだから、障害がない訳ではなかった。


(ティユールとか、ね)


 脳裏に、妹を崇拝しているといってもいい人物の姿が浮かぶ。

 芸術に深い造詣を持っているその貴族は、間違いなく今反乱軍にいるだろう。

 最初の戦いでその姿を見たという報告が入っていたが、それ以前にヴィヘラが反乱軍にいると聞いた時点で既にそこにティユールがいるのは確定事項だった。


(羨ましいと言えば羨ましいんだけど……私はそっちの方にはいけないのも事実)


 だからこそフリツィオーネは、視線の先にいる相手が自分に好意を抱いていると知りつつも知らない振りをする。


「とにかく、私と一緒に来てくれるのであれば一緒に連れて行く兵士を含めて準備は整えておいて頂戴。数日中に帝都を出て行くから、その間こちらの行動をシュルスやカバジード兄上に見つからないようにしてね」

「ですが、皆が一斉に城から出て行こうとすれば、どうしても見つかるのでは? 儂としては、少しずつでも城から兵士を出して帝都に潜んで貰い、決行の日に帝都の外に集合するという形にするのがいいと思いますが」

「そうね……アンジェラはどう思う?」


 背後に控えている自分の腹心へと向かって尋ねる主君に、アンジェラは数秒考えた後で頷きを返す。


「確かにログノス侯爵の仰る通り、全員で一気に城を出ると目立つかもしれません。ですが、寧ろ目立たせることにより手出しを躊躇わせるという手段もあります。特に私達の護衛にはレイが……深紅がいる以上、シュルス殿下やカバジード殿下のどちらも迂闊に攻撃は出来ないでしょう」

「……深紅、か」


 レイが護衛としてメルクリオから派遣されているというのは、既に説明を受けていた。

 だがそれでも、やはりベスティア帝国の貴族として深紅という相手に思うところがあるのは事実なのだ。

 当然第1皇女派の中にも、春の戦争で家族や友人、知人が死んだ者は大勢いる。

 それだけに、レイに対しては色々と思うところがあった。


「一応言っておくけど、あの戦いは戦争だったの。しかも、こちらから攻め寄せた。そうである以上、レイに対して妙な恨みを持つような真似はしないでちょうだい」


 悲しげな表情を浮かべつつ告げるフリツィオーネに、話を聞いていた貴族達は何とも言えない表情を浮かべる。

 元々フリツィオーネが春の戦争に関しては反対の立場を取っていたのを皆が知っていた。

 だが、フリツィオーネ以外の皇族は皇帝のトラジストを含めて皆が戦争に賛成した。

 海を手に入れる為に、と。

 その結果が、あの大敗。

 更には深紅という一人の英雄まで誕生させた。

 色々な意味でベスティア帝国にとっては最悪だったと言ってもいいだろう。

 そして、まだ国力が完全に回復しきっていないところに今回の内戦とくれば、今年は最悪の年だと言ってもいい。


「……分かりました。少なくても儂の目が届く限りでは、深紅に対して何もしないようにさせましょう」


 フリツィオーネの言葉に、ログノス侯爵が頷く。

 周囲の者達も、それがフリツィオーネの意思ならばとログノス侯爵に続いてそれぞれが頷きを返す。


「ありがとう。それで、結局どうするのが一番いいかしら。兵士達が帝都で各個に散っていると、確かに私達の動きは掴まれにくいだろうけど、集まるのに時間が掛かるし……かといって、全員が揃って城から出れば確実に見つかる」

「難しいところですね。ですが、結局はフリツィオーネ殿下がどちらを選びたいかで決めればいいかと。この派閥はフリツィオーネ殿下の派閥なのですから」


 アンジェラの言葉に、フリツィオーネは難しい表情をして考える。

 いつもは笑顔を浮かべていることの多いフリツィオーネだけに、その場にいる貴族達はどこか新鮮な思いを抱いていた。

 自分に向けられている視線に気が付いた訳でもないだろうが、やがてフリツィオーネは口を開く。


「ねぇ、アンジェラ。もしも私達が全員揃って城から出て行こうとすれば、当然目立って他の人達に見つかるわよね?」

「そうですね。討伐軍のパレード程とは言わなくても、間違いなく見つかります」

「その時、私達の側にレイがいればどうなると思う?」

「……向こうが気が付けば、という前提ですが、先程も言ったように攻撃を躊躇うのではないかと。向こうにしても帝都の中で戦って被害を大きくしたくはないでしょうし、何よりもレイが使う炎の竜巻に関しては嫌と言う程にその威力を知っている筈ですから。下手をすれば帝都どころか、城まで燃やし尽くされてしまいますし」


 なるほど、と頷いたフリツィオーネだったが、ふと今のアンジェラの言葉に気になる部分があり口を開く。


「気が付けば?」

「ええ。こう言ってはなんですが、レイは傍から見れば新人魔法使いくらいにしか見えません。グリフォンの……セトとかいいましたか? そのセトがいればすぐにレイがいると向こうにも分かると思いますが」

「ああ、なるほど。……なら、そのグリフォンを何とか帝都の中に入れないと駄目かしら。確か帝都の外にいるのよね?」

「そう聞いています。後は……ああ、レイの象徴と言えばもう一つありましたね。あの大鎌があれば、すぐにレイが深紅であると誰の目にも明らかでしょう」


 大鎌という、普通であれば非常に使いにくい武器を使っている者は数少ない。

 そんな数少ない一人がレイであり、グリフォンと共にその大鎌……デスサイズがレイの象徴ともなっている。

 今この時期に、帝都で大鎌を持ってローブを身に纏っているような者がいれば、間違いなくその人物はレイだと……深紅だと判断されるだろう。


「なるほど。確かにあの大鎌を持っていてローブを着ているような人物を見れば深紅だと判断するか。そうなると、儂もアンジェラと同じ意見に変えさせて貰いますかな」


 ログノス侯爵が同意の声を漏らすと、それに続くかのように他の貴族達も頷く。


「なら、レイが私達の中にいれば攻撃はしてこない。そう思っていいのよね?」

「はい。余程の何かがなければ……少なくても攻撃をするのは帝都の外に出てからになるでしょう」

「なら、全員で纏まって城を出た方がいいみたいね。……その辺、もう少し詳しく話し合いましょう。後は、これまで話した人達に対してもこの件を伝えておく必要があるわね。……アンジェラ、悪いけど白薔薇騎士団の子の誰かに行かせて貰える?」

「は!」


 フリツィオーネの命令に素早く頷き、早速とばかりに部屋の外で待機している白薔薇騎士団の騎士へと用事を告げる。


「後は……そうそう、連れて行く兵力は多くないけど、移動にはどうしても時間が掛かると思うわ。それぞれ野営の準備と食料は忘れないようにしてね」

「フリツィオーネ殿下、補給物資に関しては持ち込むのはそれぞれであっても、運ぶのは補給部隊として一つに纏めた方がよいかと。でなければ、移動時に色々と支障が出てきますし、糧食を配る時にも余計に手間が掛かります」

「一ヶ所に纏まっていれば、そこを攻撃されると被害も大きいのでは?」


 貴族の一人がそう尋ねるが、それに否を唱えたのはアンジェラだった。


「補給部隊を個々に用意した場合、補給部隊を狙って攻撃をしてきた者達から補給部隊を守るのに手薄となります。ただでさえ私達はそれ程人数が多い訳でもないのですから、戦力は集中して運用すべきかと」

「けど、防御だけに集中していてもどうしようもないと思うが? こっちからも攻撃を仕掛けないと、一方的に攻撃されるだけになってしまう」

「私達は防御に徹して、攻撃はレイに任せればいいかと。彼がどれ程の力を持っているのか。それを一番知っているのは私達ベスティア帝国の人間なのですから」

「……随分と深紅と仲良くなったようで」


 どこか嫌味ったらしく告げる貴族だったが、アンジェラは特に気にした様子もなく言葉を返す。


「それは当然でしょう。レイは私達の護衛なのですよ? その護衛と敵対してわざわざ関係を悪くするような愚かな真似は正直どうかと思いますが?」

「……」


 アンジェラの口から出た言葉は、確かに正論だった。

 自分達の護衛をしに来た相手との関係を悪くすれば、お互いにとって不利益しかない。

 いや、レイの場合は自分で自分の身を守れるのだと考えれば、第1皇女派の方が一方的に不利益を受ける立場となる。

 それを理解したのだろう。レイに思うところのある貴族はアンジェラと話していた以外にも何人かいたが、以後はその気持ちを胸に秘めたまま帝都脱出の方策について話し合うのだった。

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