第746話
反乱軍の陣地の中。ムーラとシストイの二人は、救出対象であるソブルが捕らわれているテントからある程度離れた場所で様子を窺っていた。
お互いに兵士の振りをして、訓練をするように見せ掛けながらテントの方を観察していたのだが、ムーラの口から出てくるのは溜息だけ。
「全く、私が兵士の格好をするなんて似合わないことをしているのに、結局情報は特になしなんて……」
溜息を吐きながらも、ムーラは手に持っている長剣の様子を確認するかのように振るう。
言葉とは裏腹に、ムーラの振るう長剣の一撃は鋭い音を放っていた。
それも当然。ムーラにしても小さい頃からスラムで生き延びてきたのだ。前衛向きの人間ではなくても、ある程度の実力は備えている。
それに鎮魂の鐘のメンバーとして、数人の兵士くらいは片手であしらえる程度の力はある。
もっとも……
「そう言うな。まさか深紅がどこにいるのかも分からない現状で、派手に目立つ訳にはいかないからな。今はとにかく人目につかないように行動すべきだ」
「……なら、もう少し手を抜きなさいよ」
シストイの振るうハルバードは轟音を立て、空気を破壊するかのような勢いで振るわれる。
幾らムーラがある程度の実力があるとしても、純粋に前線で戦うシストイと比べれば明らかに劣っていた。
それこそ、今遠くから二人の戦いの様子を見ていた冒険者が目を見開く程には。
だが、二人はそんな冒険者の様子を気にした様子もなく言葉を交わす。
「けど、深紅がいないって噂もあるんでしょ? ならいっそ、今のうちにさっさと襲撃してソブルとかいう男を取り戻した方がいいんじゃないの?」
鎮魂の鐘の協力者の兵士から受けた情報によると、ここ何日か深紅の姿が陣地内で確認されていない。
いや、正確には深紅ではなく従魔のグリフォンが、だが。
地味なローブを着ており整った顔立ちはしているものの、フードでそれを隠している深紅は大人しくしていればその辺の人混みに紛れていても全く気が付かない。
だが、グリフォンは別だった。
明らかに目立つ存在であり、レイのように動いているのを隠し通すのは不可能だろう。
だからこそ、グリフォンがここ数日姿を見せないというのは、深紅がこの陣地に現在いないのではないかと思われる理由になっていた。
もっとも、ムーラにしてもシストイにしても、きちんと深紅が陣地の中にいないと確証を得るまでは派手に動くつもりはない。
幾ら警戒してもしたりない相手。それが深紅なのだというのは、一度刃を交えれば十分過ぎる程に理解出来るのだから。
もしも深紅の姿が陣地の中にないと油断して動き始めた時、ばったりと出会ってしまう。そんな風になったら最悪以外の何ものでもない。
「全く、いればいたで迷惑し、いなければいないで迷惑な相手よね」
苛立ちを込めて振るわれた長剣は、鋭い音を発しながら空気を斬り裂く。
近くを通りかかった騎士が、そんなムーラの剣筋を見て思わず足を止める。
それに気が付いたのだろう。ムーラ本人もやってしまったといった表情が一瞬だけだが浮かぶ。
「ほう、お前なかなかやるな。どうだ、うちの部隊に来ないか?」
「申し訳ありませんが、今の部隊から動くつもりはありませんので……」
「そうか? 今よりも好待遇で迎え入れるぞ?」
「申し訳ありません」
言葉通り、申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げるムーラ。
そのムーラの近くでは、シストイがハルバードの柄を握っている手に微かに力を入れる。
もし騎士が強引にことを運ぼうとすれば、その命を奪ってでも止めるつもりで。
勿論そんな真似をすれば、この陣地にはいられなくなるだろう。だが、相棒であるムーラを見捨てるような真似をするよりは絶対にマシだった。
「そうか、それ程の腕をしてるのに勿体ないな。気が変わったらすぐに連絡をしてくれ。俺はアウレナ。ヒュンドル男爵に仕える騎士だ」
しかし幸いなことに、アウレナと名乗った騎士はそれ以上強引に勧誘をするような真似をせずに去って行く。
寧ろ、驚きの表情を浮かべていたのは言葉を掛けられたムーラの方だろう。
てっきり強引に理由を付けて引っ張って行かれる。そんな可能性すらも考えていたのに、まさかここまであっさりとこちらの言うことを聞いて貰えるとは思わなかった。
「私達の知っている騎士とは随分と違うわね」
「……確かに」
ムーラの言葉に、シストイも同意するように頷きながら握っていたハルバードの柄から力を抜く。
「正直、こういうのを見てると、向こうよりもこっちに親しみを感じるんだけど」
「言うな。俺達のやるべきことは既に決まっている。その決意を鈍らせるぞ」
「分かってるわよ。ちょっと言ってみただけでしょ。別に手加減するとか、鎮魂の鐘を裏切るとか、そんなつもりは最初からないわよ」
「なら、いい。だが、どこに組織の者がいるのか分からないんだ。言動には注意をしろ」
「心配性ね」
シストイに言葉を返すムーラだったが、相棒の言うことは分かっている。
鎮魂の鐘という組織の大きさを考えれば、自分達にソブルの居場所を教えてくれた兵士以外にも協力者や組織の手の者が潜んでいるのは確実なのだ。
まさか反乱軍の中に協力者があの兵士一人だけということはないだろうと。
他の協力者に今の話を聞かれれば、組織に対する翻意ありとして不穏分子と見なされるかもしれない。
鎮魂の鐘の中ではムーラとシストイのコンビはトップクラスの腕利きだったが、他に同様の強さを持つ者がいない訳ではないのだから。
「とにかく、標的がいる場所は確認出来た。となると、次はいつ実行するかだな」
これ以上ムーラに言っても効果はないと判断し、シストイは本来の任務へと話題を変える。
「そうね。深紅がいないのなら、さっさと手を打ってしまいたいんだけど……そうするにしても、人形を用意する必要はあるわ」
「どのくらい掛かる?」
「数だけを揃えるのならそんなに掛からないわ。ただ、その場合は本当に数だけってことになるけど」
幸いここには数だけはいるしね、と言葉を続けるムーラに、シストイもまた頷く。
反乱軍に参加すべく集まってきている者の中には、その辺のチンピラと言ってもいいような者達まで存在している。
兵士や騎士といった者達を人形にするよりは、そのような者達を人形とした方が騒ぎにもなりにくいだろうと。
「なら、まずは場所を用意しないといけないか。それも、人の少ない場所が」
「出来れば密室の方がいいんだけど……」
一旦言葉を止め、周囲を見回すムーラ。
視界の中に入ってくるのは、殆どがテントだ。
一応小屋のような物もあるが、多くの者が使っているような場所である為、人形にする作業を行うのはまず無理だろう。
「そうなると、やっぱりテントしかないわね」
「けど、狭いぞ? まさか、騎士や貴族が使っているようなテントを奪う訳にもいかないだろう」
「出来ればそれがいいんだけど、そんな真似をすればあっという間に深紅に見つかるでしょうし。ま、いればだけどね」
溜息と共に愚痴を吐き出す。
結局、何があったとしても深紅の目の前に自分達がいるという状況になった時点でどうしようもないのだ。
その強さに関してはこれまでにも幾度となく戦闘を見たし、直接対決したこともあって身に染みて理解している。
特に闘技場の控え室で襲い掛かった時には、限界まで強化した人形とシストイの波状攻撃も無傷で潜り抜けたのだ。
……いや、潜り抜けたどころではない。武器を奪い取られて反撃され、危うくシストイは命を落とすところだった。
今こうして無事でいるのは、半ば奇跡に近い。
それを理解しているからこそ、ムーラは深紅と正面から向き合うという愚は絶対に行うつもりはなかった。
ベスティア帝国の帝都でも中央に存在する城の中で、ロドスはカバジードから受け取ったファイア・イーターを使いこなす訓練を行っていた。
訓練相手を務めているのは、第1皇子派に所属する貴族が抱える魔法使い。
その中でも炎の魔法を得意とする相手だ。
勿論訓練はこれだけではない。既に恒例となっているペルフィールとの訓練も行っているし、その上でこうしてファイア・イーターを使いこなす訓練をしているのだ。
「よいな、行くぞ!」
長めの杖を持った、五十代前後の男の声にロドスは右手首に嵌まっている腕輪へと意識を集中する。
これこそが、ファイア・イーター。炎の魔法限定だが、吸収して持ち主の魔力とすることが出来るという効果を持つマジックアイテム。
「いいぞ、やってくれ!」
ロドスの言葉に頷き、魔法使いは口の中で呪文を唱える。
すると次の瞬間には杖の周囲に三本の炎の矢が生み出された。
『ファイア・アロー!』
放たれる魔法。
三本の炎の矢は真っ直ぐにロドスへと向かう。
「くっ!」
炎の矢が自分に命中する直前にロドスは右手を掲げ、ファイア・イーターへと魔力を流して起動させる。
すると、飛んできた炎の矢はロドスへと命中する直前にファイア・イーターへと吸い込まれていく。
後に残ったのは微かな熱気のみ。
秋の涼しい空気を多少なりとも熱したその熱気は、だが当然すぐに秋の空気に紛れてどこへともなく消えていった。
「……うむ。まぁ、よかろう」
ファイア・イーターに炎の矢が吸収されたのを見て、満足げに……それでいながら若干悔しそうに魔法使いが呟く。
魔法使いにしてみれば、自分の魔法がこうもあっさりと無効化されたのを見て気分がいい筈もない。
せめてもの救いは、そのマジックアイテムが非常に高価で稀少な物であるということか。
そうとでも思わなければ、魔法使いの矜持が許さない。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
荒い息を吐くロドス。
幾らファイア・イーターがその名の通りに魔力で生み出された炎を喰らうとしても、右手首にある腕輪を魔法に向けて出さなければならない。
つまり、魔法に対して無防備に身を晒すのだ。
当然自分に迫ってくる魔法には恐怖を覚えるし、身体もいつも通りの動きが出来る訳ではない。
もし失敗したら? 成功するにしても本当に成功するのか?
そんな恐怖や疑念と戦いながらの行為。
(今回は炎の矢が三本だった。けど……レイが放つ炎の魔法はこんなのとは比べものにならない程だ。俺に、出来るのか? あの魔法をどうにかすることが)
ロドスの脳裏を過ぎったのは、春の戦争で見た炎の竜巻。
凶悪としか言いようのない威力でベスティア帝国軍に多大な被害を与えた代物だ。
どこからどう見ても自分で何とか出来る気がしなかったが……
(いや、やる。やってみせる。絶対にだ!)
自分に言い聞かせるように内心で繰り返す。
そんなロドスの姿を見て、魔法使いは小さく笑みを浮かべる。
自分の放った炎の矢がそれ程恐ろしかったのだろうと。
全くの勘違いではあったのだが、それによって魔法使いの自尊心が満たされたのだから、お互いにとって悪くない勘違いであった。
「どうするかね? もう少し訓練するか、それとも休むか。儂としてはどちらでもいいが?」
「……もう一度、頼む。俺がやらないとレイの炎の竜巻には対処が出来ないんだ」
「よかろう。そこまで言うのなら……次は今よりも少し難易度を上げるぞ」
「おう!」
ロドスが頷くのを確認すると、再び魔法使いは呪文を唱え始めた。
持っている杖の周囲に浮かぶのは、拳程の大きさの炎球が十個。
ロドスの目から見る限りでは、それ程威力は高そうに見えない。……ただし、炎の矢よりも小さいだけに速度はこっちの方が上に思えた。
『ファイア・ブリッツ』
呪文通りのブリッツ……即ち小型の火球が放たれてロドスへと向かう。
その小さな炎球を見てロドスが驚いたのは、自分に向かってくる軌道がそれぞれ違うことか。
ある火球は大きく弧を描くようにロドスの右側から襲い掛かってくるのに、他の火球は真っ直ぐに、あるいは下から浮き上がるかのように飛んでくる。
「ちぃいいぃっ!」
一瞬混乱するロドス。
それぞれが別の軌道で自分に向かって飛んでくる以上、一気に纏めて全てを吸収することは出来ない。
自分がやるべきことは、順位を付けて炎球を吸収すること。
そう判断したものの……その判断は遅きに失していた。
「うわ、うわああああああっ!」
どの炎球から吸収すればいいのかを一瞬躊躇い、その一瞬が致命的な隙となる。
着弾、着弾、着弾。
幸いだったのは、これがファイア・イーターを使いこなす為の練習ということで炎球の威力が殆どなかったことだろう。
多少の衝撃と、ちょっと熱いという感触はあったが、致命的な怪我をするようなことはなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「甘い、甘いぞ。もっと優先順位をつけて、次の行動に移すまでを早くしろ」
「あ、ああ。分かってる」
ここで泣き言は言えない。このファイア・イーターを完全に使いこなせるようになるまでは、何としてでも頑張ってみせる。
そんな意地を込めた顔つきで、ロドスは再び口を開く。
「もう一度、もう一度だ!」
こうして、ロドスのマジックアイテムを使いこなす為の訓練は続く。
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