第740話

「……フリツィオーネ姉上が怪しい動き? それは具体的にはどのようなものだ?」


 執務室で書類に目を通していたシュルスは、腹心の部下にして副官でもあるアマーレの言葉にピクリと反応する。


「ここ最近、第1皇女派が急激に色々な動きを見せています。中には何故か自分の領地へと戻る者すらおり、他にも兵力を集めている者も多くいます」


 アマーレの口から出た言葉に、シュルスは苦笑を浮かべて視線を再び書類に戻しながら口を開く。


「その辺は前に連絡が来ていただろう? 今回俺とカバジード兄上が合同で討伐軍を編成するにあたって、帝都の治安が乱れないように厳しく治安維持をすると」


 シュルスにしてみれば姉のフリツィオーネが討伐軍として兵を派遣しないのは残念だったが、それでも自分達が出撃した後で帝都の治安が乱れないように行動して貰えるというのは非常に助かる話だった。

 反乱を起こしたメルクリオと対峙している時に、背後で……それも自分達の本拠地である帝都で騒動が起これば、補給に致命的な被害が出るのは間違いがないし、士気もこれ以上ない程に下がるのだから。

 戦闘が起こる地は帝都から遠く離れているという訳でもないが、だからと言って補給部隊がいなければ早々に退却しないといけなくなってしまう。

 そして、シュルスには今それよりも気になっていることがあった。それは……


「それよりも、だ。本当に俺の派閥にいる貴族の領地に護衛の兵を回さなくてもいいのか? 個人で一軍を殲滅する能力を持った深紅が、そっちに攻撃を仕掛ければ……最初に討伐軍に出した奴等が死んだのとは比べものにならないくらいの、洒落にならない被害が出る」


 そう。広範囲殲滅魔法を得意とするレイ。そして空を自由に飛び回り、竜騎士ですら容易に屠るグリフォン。この一人と一匹を自由にした場合、下手をすれば自分の派閥に所属している貴族の領地が焼き払われる可能性すらもあるのだ。

 幸い帝都は強力な結界が用意されており、上空からの侵入は不可能になっている。だが、その結界を作り出すマジックアイテムや魔法使いは、そう簡単に用意出来るものではない。

 公爵や侯爵のような大貴族なら話は別だろうが、それにしたって領地にある全ての都市や街、村といったところに設置出来る筈もなかった。

 それ以外の貴族にとっては何を言わんやだ。

 だが、そんなシュルスの言葉にアマーレが返してきたのは問題ないという言葉だった。


「そもそも、この内乱でそんな真似をすれば戦いが終わった後で民衆から強い恨みを買います。ここが帝国ではなく敵国であれば話は多少違ったかもしれませんが、帝国内である限りそんな真似はしないし、出来ないでしょう。それに元々民思いのヴィヘラ様がいる時点で、その心配はしなくてもいいかと」

「だが、深紅はどうだ? 奴は別にベスティア帝国の住民ではない。ならこっちに遠慮する必要はない」

「深紅がどのような意図を持って反乱軍に合流したのかは分かりません。ですが、それでもヴィヘラ様といる以上はその意向を無視出来ないかと思います。……正直、金で深紅を雇えるのであれば、こちらが雇いたいくらいなのですが」


 溜息を吐くアマーレ。

 軍部からの支持が高いシュルスだけに、もし一人で一軍に対抗出来るような戦力を得た場合はシュルスを支持する者達の反応が真っ二つに割れるというのは容易に想像出来た。

 春の戦争で自分達を散々な目に遭わせた深紅を味方に引き入れるようなことをしたら、軍部の全て……とまではいかなくても、多くの者がそれに反対するだろう。

 シュルスにとって軍部の支持は絶対の基盤だ。それをなくする程の危険を冒してまで深紅を味方に入れるというのは、アマーレにとって有り得ない選択肢だった。

 貴族にしてもそれは同様だ。春の戦争に家族、友人、知人といった者達を派遣した者は多く、敗戦となって帰ってこなかった者は多い。

 勿論軍部や貴族の中でも深紅を歓迎するという者はいるだろう。事実、それだけ巨大な戦力であれば内乱で受けるベスティア帝国の被害が減るのも事実なのだから。 


(確かに深紅は戦力として考えれば、個人で一軍に匹敵するかもしれない。けど、それはあくまでも戦力として考えた場合でしかない。実際に軍として動く時の戦力として考えれば、個人では絶対的に少なすぎる)


 今回は行われてはいないが、街の占拠といった手段に出る場合、レイ個人ではどうにもならない。

 軍という存在がいてこそなのだ。


(それにしても……深紅に対して恨みを抱いている者が多いというのは反乱軍でも同じ。よく不満が出ないものね)


 内心で反乱軍を治めているメルクリオやテオレーム、ヴィヘラといった面々に感嘆の念を抱く。

 もっとも、それでも反乱軍の中でレイに対して不満を抱く者は少なからずいた。

 だが……一人で一軍を殲滅するという行為を行い、レイが行う訓練を見て、経験して、レイに対する反感は少しずつであるが減っていった。

 また、セトが陣地内で見せる愛らしさもレイに対する反感を減らしていったのは間違いない。

 特に女の兵士や騎士にその傾向が強かった。


「とにかく、深紅に関しては街を焼かれるという心配はないでしょう。基本的には戦場でのみ気をつければ。ああ、それと軍隊を狙うという意味では補給部隊も同様です」

「……その辺が厄介だ。ったく、闘技大会が終わったんだから大人しくミレアーナ王国に帰ればいいものを、何だってこっちに残ったのやら」


 シュルスの苛立ちを示すように指先で執務机をトントンと叩いていると、やがてアマーレが口を開く。


「申し訳ありませんが、更に不愉快な出来事をお知らせしなければなりません」

「何だ、まだ何かあるのか? もしかして深紅が帝都に潜んでいるのが発見されましたとか言わないよな?」


 冗談のように口にした内容が、まさかそれが真実であるとはシュルスも思わなかったのだろう。

 それはアマーレも同様であり、一瞬だけ苦笑を浮かべてから口を開く。


「先程近衛の方から苦情がありました。どうやら城の近くでデューンと白薔薇騎士団が険悪な雰囲気になっていたようです。それこそ、いつ武器を抜いてもおかしくなかったと」

「……またあいつか」


 苦々しげに呟くシュルスは指で机を叩く音を一際大きくする。

 デューン。正確にはデューン・コンラディ。コンラディ子爵家の次男で、これまでに幾度も問題を起こしてきた男だ。

 シュルスとしては、出来れば最初に自分が送った無能を集めた討伐軍の中に入れたかった男。

 だがそれが出来ない理由があった。

 シュルスの派閥の中でも、強い影響力を持つ人物の庇護を受けていたからだ。

 数十年前にミレアーナ王国と行われた戦いで、コンラディ子爵家の者に命を救われた人物。

 その人物が無能であればどうとでもなったのだが、第2皇子派の中で実力者として有名な人物である以上、シュルスとしても無茶は通せない。

 勿論皇子としての権力を使えば話は別なのだろうが、小物一人を排除する為に自分の派閥の重鎮との関係を悪化させるのであれば、寧ろ害の方が大きい。

 幸か不幸か、デューンは今まで色々と騒動を引き起こしてはきたが、それでもあまり大きいものではなかった。

 ……そう。なかった、だ。

 自分が好き放題にやっても厳しく処罰されることがないと理解したのだろう。ここ暫くは時々大きな騒動を引き起こすようになっていた。

 例えば、闘技大会が始まる前には帝都の近くの道を封鎖し、勝手に通行税と称して金を巻き上げようとするような騒ぎを起こしている。

 幸いその件はすぐにユニコーン騎士団の副長クラウディスの手で収められたが、後日ユニコーン騎士団の方から苦情を言われるという結果になった。

 そのデューンがまた騒動を……それも白薔薇騎士団と起こしたのか。

 そう考えると苛立ちが強まる。

 何故自分があのような者の後始末をしなければならないのか、と。


「それで、近衛の方からは何だって?」

「そんな騒動があった、とだけ。幸い、本格的な騒動になる前にカバジード殿下が姿を現してその場を収めてくれたらしいので」


 カバジードという名前を聞き、シュルスの眉がピクリと動く。


「カバジード兄上が? 何だってまた。騒ぎが起こったのは、城の中じゃなくて城の近くなんだろう? そうなると、わざわざカバジード兄上は城から外に出て行ったのか?」

「そのようです。聞いた話によると、多少興味を持ったので顔を出したということですが」


 アマーレの言葉に、微かに表情を歪めるシュルス。

 恐らく何かあったのだろうとは理解出来るが、何を狙ってカバジードが城の外に出たのか。それが全く分からない。

 一分程考えたが、結局何故カバジードがその場にいたのかを理解出来なかったシュルスは、アマーレへと視線を向ける。


「しょうがない。本当はあまり会いたくなかったが、デューンを呼べ。この場合は直接本人から話を聞いた方が早いだろう」

「何もそこまでしなくても良いのでは? ただの偶然でカバジード殿下がそこにいたという可能性もありますし」

「いや、それは有り得ない」


 一瞬の躊躇もなく、即座に断言するシュルス。


「あのカバジード兄上が、何の意味もなく城の外に出るとは思えん。きっと何かあった筈だ」


 今は協力態勢にあるシュルスとカバジードだが、この内乱が終われば当然再び敵対関係に戻る。

 である以上、カバジードが何かを企んだ……あるいは見つけたというのであれば、情報を集めておくに越したことはない。

 シュルスの思いを理解したのだろう。アマーレは小さく頭を下げてデューンを呼び出す為に執務室を出て行く。


「カバジード兄上。何を掴んだ? 相変わらず目敏いが……」


 胸の中に存在する微かな違和感に眉を顰めつつ、シュルスはデューンが来るまでの間、気持ちを落ち着かせつつ書類へと目を通す。






「なるほど。フリツィオーネ様はやはり……」

「ええ。恐らくは……いえ、間違いなく」


 城に幾つも存在する庭の片隅。そこで二人の男が人目につかないようにしながら言葉を交わしていた。

 片方の男は第1皇女派。もう片方は第1皇子派。

 もっとも、立場としては第1皇子派の方が見るからに上だが。


「分かった。その情報はカバジード殿下に無事届ける。お主の助力には大いに助けられたというのも伝えておこう」

「すみません、ありがとうございます」

「いいか、お主はくれぐれもフリツィオーネ殿下から目を離すな。そして本当にいよいよ裏切ろうとした、その時に初めて行動を起こせ」

「はい。分かっています」


 秋の涼しげな風を感じつつ、二人の密談は今暫く続く。

 ……それを見ている者の目に気が付かないまま。






「し、失礼します。デューン・コンラディ。お召しにより参上しました」

「ああ、入れ。……さて、何でお前が呼ばれたのかは分かっているか?」


 デューンといえども、皇子の前に出るとなれば普段の乱暴な言葉遣いは出来ないらしい。

 アマーレと共に入って来たデューンのどこか畏まった言葉遣いに、普段からこんな態度なら問題は起こらないだろうにと微妙な苛立ちを胸に抱きながら、シュルスは問い掛ける。


「私が呼ばれた理由でしょうか? いえ、残念ながら……」

「お前が城の近くで白薔薇騎士団と揉めた件についてだ」

「っ!?」


 シュルスの口から出た言葉に、デューンが一瞬息を呑む。

 まさか、既に知られているとは思ってもいなかったのだろう。

 素早く頭の中で計算し、口を開く。


「実はその件に関しては、白薔薇騎士団が怪しげな人物を城の中に連れ込もうとしているのを見て、その人物が誰なのかを確認しようと思ったのですが……ウィデーレがその人物を庇った為にああいう結果に……申し訳ありません、シュルス殿下」


 不審な人物。その言葉にシュルスの表情がピクリと動く。


「その者は男か? 女か?」

「いえ、詳しくは……ただ、見た感じだと背も小さかったですし、何の変哲もないローブを身につけていたので、特にこれといった人物ではなかったと思います」

「……背が小さく普通のローブか。特徴に乏しすぎるな」

「申し訳ありません」

「いや、元々ローブを着ている者というのはそれなりに多い。魔法使い以外にもこの季節だと防寒具として着ている者もいるからな。だが……その者がいる場所にカバジード兄上が姿を現したというのが気になる」

「何故ですか? カバジード殿下が散歩して偶然……と私は思っていたのですが」


 デューンの言葉に一瞬呆れたような表情を浮かべつつも、そもそもカバジードと親しくない以上はその凄みを実感しろというのが難しいと思い直す。


「カバジード兄上がそこにいた以上、恐らく何かがあったのは間違いない。白薔薇騎士団やお前達におかしなところがなかったとすると、怪しいのはやはりそのローブの人物か。……さて、誰だろうな」


 呟かれたシュルスの疑問の答えは、数秒後に解決することになる。

 少し急いで叩かれた扉のノックの音。

 シュルスが許可を出すと、執務室に入ってきたのは自分の派閥の貴族の一人。

 その貴族が、顔を強張らせながら口を開く。


「シュルス殿下。私の部下の魔法使いが、深紅の魔力を感じたと」


 その言葉と共に。

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