第739話

「なるほど、ウィデーレの奴そんな騒ぎを起こしたことがあったのか」

「ええ。正直、あの子は腕は立つんですが、時々妙に突拍子もないことをするので、上司としても気が抜けません」


 フリツィオーネが用意した小屋の中に、レイとアンジェラ二人の声が響く。

 今日初めて会ったばかりだというのに、お互いの意見が合うのを二人共が不思議に思う。

 レイは十代半ばであり、アンジェラは二十代半ば。

 下手をすれば十歳近くも年齢が離れているというのに、だ。

 普通であれば、それ程に年齢が離れていればどこか遠慮のようなものが出てくる。

 だが、レイとアンジェラはそれぞれにそんな遠慮は感じていなかった。

 元々他人に対して遠慮するということが殆どないレイはともかく、伯爵令嬢として育ってきたアンジェラにしてみれば、それは不思議な感覚だ。

 レイの為にと用意してきたサンドイッチを、自分だけで食べてもつまらないからと勧められ、口に運びながらも内心で首を傾げるアンジェラ。

 脳裏を自らの主でもあるフリツィオーネが口にしていた馬鹿話が過ぎるが、すぐにそれを否定する。


(私がこんな年下相手に好意を抱くなんて……いえ、好意は抱いているけど、それは男女のそれではなくて友情的なものなんだから、問題はないでしょう)


 内心で微妙に困惑する。

 実際、これまでは男に対して嫌悪感……というのは言い過ぎだが、どこか近寄りがたいものを感じていた。 

 だからこそ、女だけで構成されている白薔薇騎士団へと入ったのだが。

 そんな自分が、何故かレイに対して身構えずに済むのだ。


(別に特にどこかが変わっているって訳じゃないんだけど……いえ、外見の問題かしら?)


 レイと言葉を交わしながら、アンジェラの視線はその顔へと向けられる。

 ローブのフードを下ろしているので、今はレイの顔がはっきりと見ることが出来た。

 女顔。そう表現しても不思議はないくらいに男としては整った顔立ちをしており、ローブを身に纏っている状態であっても、人によっては少女に見えることもあるだろう。

 それこそ、女装をしても違和感はない程に。


(ああ、けど駄目かしら。確かに外見は女の子っぽいけど、仕草はどう考えても男のものだもの)


 こういう顔に生まれたのだから、どうしても仕草を男っぽくする必要があったのだろうと、レイの過去を知らないが故にアンジェラの中ではレイの幼少時のストーリーが生み出されていった。

 そんなアンジェラの様子を疑問に思ったのだろう。茹でた豚肉に甘酸っぱい果実のソースが掛けられており、他にもシャキシャキの葉野菜が挟まったサンドイッチを食べながら、レイが口を開く。


「どうした、急に。何か考えごとでもあるのか?」

「……ええ、まぁ。それはもう色々と考えることはありますから。特にメルクリオ殿下からの提案とかもありますし」

「大変だな」


 自分には関係ありませんとでも言いたげな態度で答えるレイに、アンジェラは何故自分がレイと話していて自然体でいられるのかを理解する。


(そうか、レイ殿は貴族に対して何とも思ってないのね)


 アンジェラはルクシノワ伯爵の娘でありながら、実力で白薔薇騎士団の団長の座を勝ち取った。

 それでいながら、ヴィヘラのように人目を惹き付けて止まない程の美女という訳ではないが、間違いなく平均よりは上の顔立ちをしている。

 貴族としての結婚適齢期は既に過ぎているが、それが逆にしっとりとした女らしさを見ている者に与える。

 家柄にしても、伯爵というのはそれ程上位の貴族という訳でもないが、第1皇女派の中ではそれなりに大きな影響力を持っていた。

 それら全てを見ると、アンジェラという人物は貴族の男にとってかなり魅力的な存在だった。

 それだけに今まで多くの者がアンジェラに言い寄ってきており、つい先日もどこぞの男爵家次期当主から結婚を前提に付き合って欲しいと告白されたこともある。

 だが……


(私に告白してくる人達全員が目の奥には何らかの下心がある)


 その下心が伯爵家との繋がりを持ちたいというものだったり、白薔薇騎士団の団長という地位に関するものだったり、はたまたもっと直接的にアンジェラという女を自分のものにしたいという欲望だったり。

 勿論アンジェラにしても、貴族同士の婚姻で純粋な恋愛感情が重視されるとは思っていない。


(それでも……せめて下心を見透かされない程度に隠して欲しいと思うのはおかしくないわよね)


 これが、ルクシノワ伯爵家が金銭的に窮乏していたりすれば、家を助ける為にと政略結婚に否を言うつもりはない。

 だがルクシノワ伯爵の当主をしているアンジェラの父親や次期当主の兄はそれなり以上に有能であり、ルクシノワ伯爵が困っているということは全くない。

 いや、細々と困っていることはあるのだろうが、アンジェラが政略結婚を考えるまでのものではなかった。

 そんな自分に言い寄ってくる下心満載の男達に比べると、今アンジェラの前でサンドイッチを美味しそうに食べているレイは同じ男であると知ってはいても、全く違う存在に思える。

 貴族に対して何も思っていない。口で言うのは簡単だが、それを真実実行出来る者がどれ程いるのか。

 それを思えば、アンジェラの前にいるのは間違いなく稀少な存在だった。


(もっとも、フリツィオーネ殿下が言ってた通り既にヴィヘラ様がいるのを思うと、ちょっと残念だったわね)


 レイとの会話中に一瞬覚えた淡い好意……とても恋とは呼べないものだが、いずれそのまま大きくなれば変わったかもしれない想いを自覚しながらも、すぐに忘れることにする。


「それにしても、変装もしないでそのまま真っ直ぐに帝都まで向かうなんて無茶をしたと思わない?」


 レイの流水の短剣から出して貰った水へと手を伸ばしながら尋ねる。

 最初に飲んだ時には水とも思えないその美味さに驚いたものだったが、今では落ち着いてゆっくりとその水を味わう余裕すら出来ていた。


「このローブには隠蔽の効果があるからな。余程に鋭い魔法使いでもない限りは見つけることは出来ないだろうし」

「……まぁ、実際見つからずにここまで来たのだから、その辺は信頼出来るのでしょうけど」


 アンジェラの言葉に頷きつつ、レイの脳裏を過ぎったのは城に入る直前に出会ったカバジードの顔。

 もしかしたら自分の正体を知られたかもしれない。そうも思うが、今まで何も起きていないのも事実。


「レイ殿? どうかしたの?」

「いや、なんでもない。……それで、これからの予定に関してはどうなっているんだ? ウィデーレが渡した親書にメルクリオからの要望は書かれていたんだろ?」


 このまま話しているのも楽しいが、それではいつまでも話は進まない。

 そう思って問い掛けたレイの言葉だったが、戻ってきたのは曖昧な笑みを浮かべたアンジェラの顔。


「悪いのだけれど、その件に関して答える権限は貰っていないの。ただ、今日中にフリツィオーネ殿下がこの小屋にやって来ると思うから、その時に聞いて貰えるかしら?」

「……そこまで勿体ぶる必要もないと思うんだけどな。そもそも、こっちに合流したいって言ってきたのはそっちからだろ? そうである以上、あのくらいの条件は予想していたんじゃないか?」


 アンジェラがこうまで返事を渋っているのは、やはりメルクリオの配下になるというのが影響してるのだろうと判断したレイの言葉だったが、相変わらず返ってくるのは曖昧な笑み。

 何を言っても目の前の人物は今回の件で情報を漏らすことはないだろう。そう判断したレイは、小さく溜息を吐いて最後のサンドイッチを口に運ぶ。

 これ以上何を言っても無駄だと判断した為だ。

 そこからはまた普通の世間話へと戻っていき、お互いの言っても構わない範囲の話を口にする。

 例えばアンジェラが知りたがったのは、グリフォンの生態について。

 闘技大会で従魔の参加は禁止されており、セト自身も闘技大会が開かれている間は悠久の空亭の厩舎から出ることは少なかった。

 それでもレイがグリフォンを従魔としているというのは、深紅という異名と春の戦争から十分以上に広まっている。


「セトは……そうだな。人懐っこい犬みたいな感じだな」

「……グリフォンでしょう? それならどっちかと言えば猫じゃないの?」

「確かに下半身は獅子だから猫科の習性も持ってるけど、全体的に人懐っこいのは犬に近い。それも子犬だ」


 体長二mを超えるグリフォンを子犬と表現されたアンジェラとしては、その辺を容易に信じられない。

 当然だろう。グリフォンと言えば、ランクAモンスターの中でも大空の死神と言われている程の存在なのだから。

 どこか信じきれない目をしているアンジェラだったが、レイはそれを承知の上で何も言わない。

 今まで幾度か同じような目で見られたことがあるからだ。

 この件に関しては、幾らレイが口で説明したとしても容易に相手に信じさせることは出来ないと理解していた。

 百聞は一見にしかず。そして百見は一触にしかずなのだから。

 セトは伊達にギルム中から愛されている訳ではないし、行く先々で熱烈なファンを作っている訳ではない。

 反乱軍の中にも遊撃部隊に参加している兵士はセトに対して入れ込んでいる者はいるし、反乱軍そのもので見ても、セトを愛らしく思っている者は増えてきている。

 特に娼婦達からの人気が高く、陣地の中を移動している時はよく仕事をしていない娼婦から食べ物を貰ったりもしている。

 ……もっとも、レイ自身は全く気が付いていなかったが、娼婦達の狙いの中にはセトを通じてレイに近づこうと考えている者も多い。

 当然だろう。普段はフードを下ろしているせいで顔の全てを見ることは出来ないが、レイの顔立ちは女顔と言ってもいい程に整っているのは間違いない。

 そして十代半ばで異名を持ち、反乱軍の最大戦力と見なされているだけの実力を持つ。

 もし万が一、億が一にでもレイに贔屓にして貰えれば……そして身請けして貰えれば、それは人生の一発大逆転と言ってもいいのだから。

 だが不幸なことに、レイ自身はアピールされているというのを全く理解してはいなかった。

 レイが感じていたのは、セトが可愛がられていると自分も嬉しいという思い。

 勿論娼婦達が着ているような男の劣情を誘う衣装を見て目のやり場に困ることはあったが。


「セトは昼寝とかをするのも好きだな。春の日向、夏の日陰、秋の柔らかい日差しの下。そんな風な場所でよく寝ている。ついでに俺もセトの身体に寄りかかって寝てたりするし」


 本来であれば、セトはある程度の間は全く寝なくても平気な身体をしている。

 だがセト自身が昼寝を好んでおり、特にレイと一緒に昼寝をするというのはセトにとって至福の一時と言ってもよかった。


「セトの身体は柔らかくて、羽毛や毛もシルクのように滑らかな触り心地で、眠るのに最適なんだよな」

「へぇ。そこまで気持ちよく眠れるというのはちょっと興味あるわね」


 そんな風にセトに関して会話をしていると、やがて話題は移っていきレイがアンジェラに貴族の暮らしがどんなものなのかを尋ねる。

 レイが親しい貴族と言えば、エレーナにダスカー。それにアーラといったところか。

 全員が全員普通とは言いがたい貴族なので、普通の貴族というのはあまりレイには分からない。


(ヴィヘラの場合は王族だし……反乱軍の陣地にいる貴族は、非常時だから当てにならないし)


 脳裏を過ぎったヴィヘラを始めとする貴族の顔を思い出すレイに、アンジェラは小さく苦笑を浮かべる。


「残念だけど、私の場合は色々と一般的な貴族とは違うから……」


 白薔薇騎士団の団長をやっている人物を一般的な貴族というのは色々と無理があると告げるアンジェラに、レイもまた同意してしまう。


「ただ……そうね。私の兄なんかは一般的な貴族だと思うわよ?」

「兄?」

「ええ。ルクシノワ伯爵家の次期当主だから、レイの言っている貴族に近いと思うわ」


 いつの間にか、自分がレイ殿ではなくレイと呼び捨てにしていることにも気が付かないまま、そして口調がフランクなものになりつつアンジェラの説明は続く。


「決まった時間に起きて、予定通りに一日を終えて、決まった時間に寝る。言ってしまえばこれだけなんだけど、少しでも予定から外れると誰かが責任を取らないといけなくなる。……人によっては堅苦しいって言う人もいるけど、その代わりに餓えるということは心配しなくても済むわね」

「……うわぁ」


 レイの正直な気持ちとしては、正に言葉通りにうわぁ……というもの。

 元々縛られるのを好まないレイだ。もし自分が貴族になったらと思うと、とてもではないがやっていける自信がなかった。

 もっとも、これはあくまでもルクシノワ伯爵の場合だ。

 貴族の中にはもっと自由な家風の家も多いし、傍若無人で好き勝手に振る舞っている者もいる。


「ふふっ、やっぱりね。レイには貴族の暮らしは似合わないと思ったわ」


 嫌そうなレイの顔を見て、笑みと共に呟くアンジェラ。

 こうしてお互いに色々と話をしながら小屋に誰かが近づいてくるまでの時間を潰すのだった。

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