第736話

 自分達の方へと近づいてくる近衛騎士に、ウィデーレは内心で舌打ちしたくなる思いを表情に出さないのが精一杯だった。

 言うまでもなく、近衛騎士という存在は皇帝の身辺を守る為の最終的な盾とでも言うべき存在だ。

 つまり、城に怪しげなものが入るのを防ぐ為の権限を持っている。

 ……例えば、春の戦争でベスティア帝国軍が敗北する切っ掛けを作り、つい先日も討伐軍を丸ごと殲滅したような冒険者の姿は見過ごせないだろう。

 近衛騎士である以上は当然能力の高い者が選ばれており、白薔薇騎士団にしても迂闊にぶつかっていいような相手ではない。

 実力は元より、皇帝直属の者達であるという政治的な問題もある。

 だが……この場合、近寄ってくる近衛騎士に対して焦燥感を抱いたのはウィデーレよりもデューンの方が強かった。 

 それも当然だろう。デューンは以前にレイが見たように、これまでにも幾度となく悪事を働いている。

 特に闘技大会が始まる直前の通行税の徴収――という名の強盗――は、今回の内乱のおかげや、自分を庇ってくれる人物のおかげもあって何とか謹慎で済んだのだが……謹慎が終わってすぐに騒ぎを起こしたのを見咎められれば、色々と不味い事態となる。

 普通の警備兵辺りであれば、シュルスの部下という立場を利用して揉み消すことは難しくない。

 だが、近衛騎士となれば話が別だ。シュルスの部下であったとしても、容赦なく断罪するだけの権力と……何よりも実力がある。

 それだけに、デューンにしてみれば近衛騎士と揉めるというのは絶対に避けるべきことだった。

 下手をすれば取り調べを受け、自分がこれまで行ってきた悪事が全て明らかになってしまうという危険すらあるのだから。

 確かにデューンにしてみれば、正義感の強いウィデーレというのは非常に気にくわない相手だ。それこそ、機会があれば屈辱に泣く顔を見たいと思う程には。

 だが、近衛騎士と揉めてまでとは思わない。

 少なくても、今は。


(くそっ、面倒臭ぇ。大体、何だって普段は城の奥に引きこもっている近衛騎士がこんな場所まで出向いてくるんだよ)


 内心の苛立ちを隠して馬から降り、デューンは笑みを浮かべて近づいてくる近衛騎士を迎える。

 それはデューンの部下やウィデーレを含む白薔薇騎士団、レイも同様、皆が馬から降りて近づいてくる騎士を待っていた。

 三十代半ば程の近衛騎士は、その場にいる者達へと視線を巡らせて口を開く。


「この騒ぎは何だ。城の近くで揉めごとでも起こすつもりか? もしそうであれば、私も近衛騎士として相応の処置をとる必要がある」

「いえ、何でもありませんよ。ただ顔見知りを見かけたので、ちょっと挨拶をしていただけです」


 だよな? とウィデーレに視線を向けてくるデューン。


「……ええ。その男の言う通りです」


 ウィデーレにしてもデューンの口車に乗るのは不本意だったが、今はレイが自分達と共にいる。それを近衛騎士に知られればどんな目に遭うのかは、想像するのも難しくはない。

 それよりは、と渋々ながらも話を合わせる。

 他の白薔薇騎士団の騎士も、自分達の隊長が何を考えているのかは理解しているので、特に何かを口に出したりはしない。

 寧ろそんなウィデーレの様子に驚きの表情を見せたのは、話を振ったデューンだった。

 デューンの知っているウィデーレであれば、自分に話を合わせるといった真似は絶対にしなかったのだから。

 だからこそ驚きに目を見開き、そこを近衛騎士に見咎められる。


「お前達、何かを隠していないか?」


 デューンとウィデーレへと声を掛けながら、その場にいる者達へと視線を向ける。

 近衛騎士の男は、ここでようやくこの場の異分子ともいえるレイの姿に気が付く。

 この時、レイの姿がデューン達の側にいれば、多少場に合わない格好をしてはいても特に気に掛けることはなかっただろう。

 事実、デューンの部下はそれぞれが好き勝手な格好をしており、統一された装備を身につけていないのだから。

 だが……レイのいた場所は、ウィデーレの後ろ。つまり、白薔薇騎士団の者達の中だった。

 白薔薇騎士団特有の、白く美しい金属鎧。その中にたった一人だけ存在する、ローブを身に纏った人物。

 不幸中の幸いだったのは、レイが小柄な体格で童顔、あるいは女顔だったことだろう。そのおかげで、近衛騎士はレイを男だとは思わずに女だと判断したのだから。

 それでも白薔薇騎士団の中に一人だけローブを纏った人物というのは怪しすぎた。

 近衛騎士はレイに向かって口を開く。


「そこのローブの者。ちょっとそのフードを下ろして顔を見せよ」

「……」


 近衛騎士の言葉にレイは無言で返しつつ、どうするべきか頭を悩ませる。


(ここで暴れる? それは問題外。そもそもここに来た意味がなくなる。なら大人しく顔を見せる? デューンとやらが今は俺の顔を思い出していないようだが、直接見れば思い出すかもしれないからこちらも微妙。逃げる? それこそ怪しいと言っているようなものだ)

 

 頭を悩ませながらウィデーレに視線を向けるレイだったが、視線を向けられたウィデーレにしてもこの場ではどうしようもない。

 そういう意味では、レイよりも余程に焦っていた。

 ここで自分達がレイと共にいたというのが知られれば、大問題になるのは間違いないのだから。

 いっそ自分の上司である白薔薇騎士団の団長でもあるアンジェラを呼んで貰うか? それともフリツィオーネ殿下を……

 そんな風に考えが纏まらないまま、とにかく近衛騎士に対して誤魔化さなければならないと思って口を開こうとした、その時。


「どうした? 何を騒いでいるのかな?」


 周囲にそんな声が響き渡る。

 先程近衛騎士が来た時と同じような形だったが、近衛騎士の威圧的な声とは裏腹に涼しげな声。

 声の聞こえてきた方向にその場にいた全員が視線を向け……思わず目を見開く。

 そこにいたのが、カバジードであったからだ。


「カバジード殿下!?」


 慌てて跪くウィデーレ。

 他の者達も同様に跪き、ここで目立つのを好まないレイもまた跪いた。


「いいよ。ここに来たのはお忍びのようなものなんだから、あまり仰々しくはしないで欲しいな」


 カバジードの言葉に、レイを含めて皆が立ち上がる。

 この時レイにとって幸いだったのは、カバジードの護衛として共にいたのがブラッタやロドスではなく女騎士のペルフィールであったことだろう。

 でなければ、ここで大きな騒ぎとなっていたのは間違いない。

 だが……ペルフィールにしても、レイの姿は闘技大会の時に遠くからではあるが見知っている。

 それでも気が付かなかったのは、ドラゴンローブの隠蔽の効果でどこにでもあるローブを身に纏っているように見えることや、まさか反乱軍に協力しているレイが帝都の……それも城の近くにいる筈がないという先入観の為だろう。


「それで? 何をしていたんだい? ここはベスティア帝国の中心。あまりいらない騒ぎが起きるのは好ましくないんだけどね」

「はっ! 実はそこの二人が今にも武器を抜きかねない程に険悪だったので」


 近衛騎士の言葉に、カバジードは頷きながらその二人……ウィデーレとデューンの方へと視線を向ける。

 その際に一瞬だけ白薔薇騎士団の中にいながら特徴的な白い鎧を身につけていないレイに視線を向けたが、特に気にした様子もなく口を開く。


「なるほど。確かにここでそんな騒ぎを起こされるのは私としても許容出来ないかな。……改めて聞くけど、君達は本当にそんな真似をしようとしたのかな? 違うよね? ただ話がちょっと熱中し過ぎただけだよね?」


 確認するように告げてくるその言葉は、そうしておけというやんわりとしながら、半ば命令に近い内容。

 ウィデーレやデューンにしてもカバジードの言葉に逆らえる訳がなく、また逆らっても何の意味もない以上、大人しく従う。


「はい。カバジード殿下の仰る通りです」

「多少熱くなり過ぎました。申し訳ありません」


 頭を下げるデューンとウィデーレを満足そうに頷きながら見ると、次にカバジードの視線は近衛騎士の方へと向けられる。


「そういうことだけど、構わないね?」

「……ですが、その。白薔薇騎士団と共にいるローブの人物は怪しいままですが。一応その者の身分を確認した方がいいのでは?」

「いいんだよ。ウィデーレと共にいるということは、あの者はフリツィオーネの客人か何かだろう。であれば、そこまで細かいことを気にすることはないさ。……そうだろう?」

「は! この者はフリツィオーネ殿下のお客人なのは間違いありません」

「だろう? フリツィオーネ直属の騎士団の者がこう言っているんだ。そこまで神経質になることはないさ。……君も、まさか城で妙な真似はしないよね?」


 レイへと向けられた言葉。

 だがレイが何よりも驚きを覚えたのは、カバジードの目だ。

 深い、とてつもなく深い色。相手の全てを見通すかのようなその目は、もしかしたら自分が誰なのかも分かっているのではないかと思えた。

 自分の正体を知っている? いっそここで行動に移した方が……一瞬そうも思ったが、ここでそんな真似をしても寧ろフリツィオーネやメルクリオ、何よりヴィヘラの立場を悪化させるだけだと判断する。


「勿論です」


 故に、短く言葉を返す。

 レイの言葉に満足した訳ではないだろうが、カバジードは護衛のペルフィールに向かって話し掛ける。


「さて、こんなことで時間を取らせてしまって済まなかったね。次は……ロドスに関してだったかな?」

「はい。この短期間ではありますが、随分と強くなりました。元々素質としては一級品のものを持っていたので、当然でしょうが」

「なるほど。さすがに高ランク冒険者の息子だけはある。……そう思わないかな?」


 ペルフィールと話しながら、ウィデーレへと声を掛けるカバジード。

 ただし、その視線はウィデーレの背後にいるレイの方へと向けられていた。


(やっぱり気付かれている? けど、セトがいない状況でドラゴンローブの隠蔽効果があるのに気が付かれるのか? そもそも、気が付かれているのなら、こうして呑気に話をしているか? いや、それはないか。だとすると……やっぱり偶然?)


 内心で激しく混乱するレイだったが、実際カバジードが何か行動を起こすようには全く見えない。

 そうである以上、やはり自分の考えすぎか? そうも思ったのだが、ここでロドスの名前を出すのはどうにも不自然なのも事実だった。


(読めないな。何を考えているんだ?)


 レイの内心とは裏腹に、どう答えを返せばいいのか迷っていたウィデーレは結局同意するように頷く。


「ロドスという人物は闘技大会にも出場してそれなりの力を見せていました。だとすれば、当然相応の強さや素質は持っていても当然かと」

「そうだったね。あの深紅を相手にある程度は渡り合ったんだ。……ペルフィール、今のロドスであれば深紅とはどの程度やり合えるのかな?」

「私は深紅の本気というのを見たことがないので何とも……決勝での戦いも、結局はお互いに闘技場の舞台の上という限定的な場所での戦いでしたから」

「なるほど、そういうものか。……おっと、いけない。ここで話をしている場合じゃなかったね。こう見えて私も色々と忙しい身だ。悪いがこの辺で失礼させて貰うよ。……城の前で揉めごとを起こすような真似は、もうしないで欲しいな」


 そう告げると、返事も聞かずにカバジードはペルフィールを従えて去って行く。

 黙ってその後ろ姿を見送っていた一同だったが、やがて最初に我に返ったのは近衛騎士だった。

 白薔薇騎士団の中に混じっているレイを一睨みするが、カバジードの言葉を思い出したのだろう。口を開いた相手はレイではなくウィデーレとデューンに対してだった。


「いいか、城の中で騒ぎを起こすなよ。もし次に騒ぎを起こしている場面を見つけたら次は相応の対処を取らせて貰う」


 それだけを告げ、近衛騎士は去って行く。


「……けっ」


 次に去って行ったのは、デューン。

 ウィデーレに向かってこれ見よがしに舌打ちをして苛立たしげな視線を向けると、馬に乗って部下共々去って行く。

 結局最後までここに残ったのは、レイと白薔薇騎士団の一団のみ。


「何とかなりましたね、ウィデーレ隊長」

「うむ。まさかカバジード殿下が助け船を出してくれるとは思わなかった」

「だと、いいんだけどな」


 ウィデーレ達の会話を聞いていたレイは、カバジードの視線を思い出して呟く。

 

「ペルフィール、フリツィオーネの監視を少し厳しくしてくれるかい?」

「……は? 今よりも、ですか?」

「ああ。恐らく数日中には何らかの動きがある筈だからね」


 カバジードは、薄らとした笑みを浮かべつつ自分の護衛のペルフィールへと向かって告げるのだった。

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