第735話
暫くぶりに戻ってきた帝都は、闘技大会が行われていた時に比べると明らかに人の数が少なくなっていた。
レイの中にある帝都のイメージというのが闘技大会の時のものだった為に、どこか寂れているように感じてしまうのはしょうがないだろう。
もっとも、それでもベスティア帝国の帝都だ。ギルムとは比べものにならないくらいの人数が街中を行き交っており、大都会であるというのは変わりない事実なのだが。
だが……
「随分と人が減っているな」
呟いたのは、ウィデーレ。
小さい声だったので、ウィデーレの後に乗っているレイにしか聞こえなかっただろう。
レイもその言葉を聞いて大体の事情は理解する。
帝都の人数が減っている原因は、間違いなく自分達だと。
当然だろう。徐々にではあるが反乱軍が近づいてきているのだ。
正確にはまだ反乱軍が結成されたオブリシン伯爵領から少し出た場所に陣地を作っているのだが、そこからまだ進んではいない。
もっとも討伐軍を倒したという話がある以上、どうしても恐れを抱くのはしょうがない。
せめてもの救いは、反乱軍を率いているのが第3皇子のメルクリオであるということか。
帝国の皇子である以上、帝都には被害を出さないだろうという考えを持った者も多い。
もっとも、それは当たっていた。
メルクリオにしても、倒すべきはシュルスとカバジードの二人であって、帝都そのものをどうこうするつもりはなかったからだ。
皇帝になろうとしている者が、好き好んで民衆から敵意を抱かれるような行為をする筈がない。
(もっとも、帝都が戦場になってしまえばそんなのはどうしようもなくなるだろうけどな)
内心で呟いたレイは、馬に揺られながら視線を城の方へと向ける。
帝都程の広さがあっても、城の威容は十分であり、門から帝都に入った時点でその姿は見えていた。
城を眺めているレイに気が付いたのだろう。ウィデーレは馬を進ませながら口を開く。
「レイ殿、このまま真っ直ぐに城に向かうが構わないか?」
「ん? ああ、構わない。……というか、俺が堂々と一緒に行ってもいいのか? 城に入る前に身元の確認くらいはするだろ。帝都に入るときは白薔薇騎士団の威光で何とかなったが。そこで俺の正体が明らかになってしまえば、そっちの立場が不味くなるんじゃないか? 俺自身の身はどうとでも出来るけど」
兵士が何人集まったところで自分を止められるとは思っていない。
騎士にしても同様だ。
何かあれば炎の魔法を使い、デスサイズを手に暴れ、とレイが採るべき手段は決まっている。
ただ、レイにしてもそこまで帝都の中で暴れたい訳ではない。
ここ住んでいる者達には何か含むところが――ごく少数を除いて――ある訳ではないし、敵以外の者に対して無駄に被害を与えるのは好まない。
また、レイの奥の手ともいえる火災旋風についても、セトがいない状態では使うことが出来ない。
他にもメルクリオやヴィヘラに敵意が向かうのを避けたいという思いもある。
しかし、レイの疑問に対して返ってきたのはウィデーレの自信に満ちた笑み。
「その辺は任せて欲しい。私達はこう見えてもフリツィオーネ殿下直属の白薔薇騎士団の者だ。余程怪しい動きをしない限りは特に咎められることはない。色々と細かい貴族にしても、フリツィオーネ殿下に睨まれたいとは思えないだろうし。そもそも、私がこれからレイ殿を連れていくのは、城の中ではあっても重要区画ではない」
「……それはそうか」
幾らレイがメルクリオから派遣された援軍であったとしても……いや、だからこそいきなり重要区画に通される筈がない。
ウィデーレの言葉に納得したレイは、ならどこに連れて行く? と視線で尋ねる。
「城と言っても、中には人が殆ど来ないような区画がある。そのような場所は格好の隠れ家になると思わないか?」
「なるほど。確かにこれだけ巨大な城だと、色々と人の眼が届かない場所とかはありそうだよな。その辺は理解出来る」
「そういうことだ。さて、話が決まったところでそろそろ行こうか」
自分の部下の騎士達へも視線を向け、そのまま一行は帝都中を城へと向かって進んでいく。
(やっぱり闘技大会をやってた時よりは店も少なくなっているな)
馬の上から通りの様子を眺めつつ内心で呟くレイ。
闘技大会でベスティア帝国中、更には周辺諸国からも観光客が来るからこそ、稼ぎ時として多くの商人が屋台や露店を出した。
当然目当ての観光客がいなくなれば、商人もそれぞれ別の商売を求めて去って行く。
それは当然のことだったが、レイにとっての帝都というのはやはり闘技大会の時の印象が強く、人混みで歩くのすら難しくなるような光景なのだ。
他にも、屋台が少なくなったおかげで食料の調達が多少不便になるかもしれないという不安もある。
溜息を吐きながら周囲を見回していると、不意にレイの前にいるウィデーレが後へと視線を向けてきた。
苦笑を浮かべた表情をしているウィデーレは、申し訳なさそうに口を開く。
「レイ殿、済まないがあまり馬の上で動かないでくれ。この馬が少し落ち着かないらしい」
「うん? ああ、悪い」
ウィデーレに謝り、顔ではなく視線を動かすだけで街の様子を確認していく。
尚、馬がレイに対して極度に緊張しているのは、セトの臭いがレイに強く残っているというのもある。
犬程ではなくても、馬の嗅覚は非常に高い能力を持っており、匂いで仲間を判別したりといったことも行う。
そんな嗅覚を持つだけに、当然自分の背に乗っているのがレイだと……そして自分とは文字通りの意味で別次元の存在であるセトの臭いが染みついているのは理解出来た。
それだけに白薔薇騎士団が乗っている馬はレイに対してどこか怯えており、当然ウィデーレが乗っている馬もまた同様に怯え、それこそかなり緊張していた。
更には緊張の原因でもあるレイが自分の背の上で好き勝手に動いているのだ。馬が落ち着かなくなっても当然だろう。
もっとも、レイ自身はそんな馬の気持ちなど理解出来る筈もなく、周囲の様子を眺めていたのだが。
それでもウィデーレの注意のおかげで身体を動かさなくなったのは、馬にとってはありがたい出来事だった。
そんな風に城へと向かって進んで行く一行。
やがて、周囲の様子が雑多な街並みからきちんと整理された街並みへと変わっていく。
城が近づいてきたのだろう。
(へぇ……こういう風になってるのか)
以前にも一度ダスカーと共に城にやってきた経験があるレイだったが、その時は馬車に乗っての移動だった。
今回は馬での移動ということもあり、周囲の様子をよく眺めることが出来る。
城へと続く道を進む途中、何台かの馬車とすれ違うことも珍しくはない。
「……ちっ!」
周囲の様子を眺めていると、不意に聞こえてきた舌打ち。
ウィデーレから聞こえてきた舌打ちに、思わず驚くレイ。
基本的には礼儀正しい武人としての性格を知っているだけに、そんな真似をするとは思わなかったからだ。
だが、すぐに舌打ちの理由は判明する。
数騎の騎兵がウィデーレの道を塞いだのだ。
「デューン……」
舌打ちの後に続いてウィデーレの口から出たその名前に、ふと首を傾げるレイ。
どこかで聞き覚えのある名前だったからだ。
どこだったか……と考えながらウィデーレの背後から顔を出して相手の顔を確かめると、すぐに思い出す。
ダスカー一行として帝都へと向かっている途中、旅人から勝手に通行料を巻き上げていた男だと。
以前遭遇してレイと揉めた時は、ユニコーン騎士団の副団長という人物がやって来て場を収めたのだが……
(まさか、こんな所で会うとはな。そもそも、宰相の話とは大分違うが……今回の内乱の影響か?)
微かに眉を顰めるものの、そもそも以前にデューンと呼ばれた男と遭遇したのも帝都からそれ程離れていない場所だ。
それを考えれば、帝都の中で遭遇したとしても不思議はない。
だが……それよりも大きな問題がある。
即ち、デューンと呼ばれていた男が以前にレイと直接顔を合わせていることだ。
勿論、あの時とは色々と事情が違う。レイをレイであると認識させている最大の理由でもあるグリフォンのセトは今はいないし、そもそもレイが着ているドラゴンローブには隠蔽の効果が付与もされている上に、顔を隠すフードを被っている。
つまり、デューンが今のレイを見たとしても、よくいる初心者魔法使いにしか見えない。
それでも一度は直接会っているというのは、レイに嫌な予感を抱かせるには十分だった。
ウィデーレの背後に姿を隠そうとした姿が、逆にデューンの注意を惹いたのだろう。同じく馬に乗っているというのもあって視線が向きやすかったというのもあるのだろう。
デューンはレイの方へと視線を向けると、じっと見つめる。
「……ウィデーレ殿。その魔法使いは? ローブを着ているせいで男か女かはちょっと分かりにくいが……いや、白薔薇騎士団と共にいるのを考えれば、女か?」
「さて、お前にそれを教える必要はないと思うが? それよりも私達の前に立ち塞がるとは、何のつもりだ? ただの部隊長風情が私に何かあるのか? それと、わざとらしい言葉遣いは止めてくれ」
ただの部隊長という言葉に、デューンの表情が不愉快そうに歪む。
ウィデーレにしてみれば、変にレイへと注意が向けられるよりは元々この男を嫌い、嫌われている自分が矢面に立った方がいいという判断だったのだが、予想以上にデューンを苛立たせたらしい。
「はっ、お前だって俺と同じ部隊長だってのに、随分と偉そうに」
数秒前の慇懃無礼な言葉遣いとは一変した粗野な言葉でウィデーレを睨み付けるデューン。
(そう言えば以前もこんな言葉遣いだったな)
以前のやり取りを思い出しているレイの前で、ウィデーレとデューンのやり取りは続く。
「同じ部隊長? フリツィオーネ殿下直属の白薔薇騎士団の部隊長である私と、小悪党の如き者達を率いる部隊長のお前。同じにして欲しくはない」
視線や言葉にこれでもかと嫌悪感を乗せて告げるウィデーレに、レイも内心で頷く。
事実、以前にレイが見た限りではそれを否定出来る要素がなかったからだ。
(第2皇子の庇護を受けてるとか何とか言ってたが……シュルスとやらも、何だってこんな男を好きにさせてるんだ? 最初の討伐軍では無能を揃えたとかいう話だったのにこいつがいなかったのを考えると、何か性格や能力とは別に重要視する理由があるのか?)
首を傾げるレイだったが、まさか何故無能を始末する為の討伐軍に参加させられなかったのかと聞く訳にもいかずに、二人の話を聞きながら近くにいる白薔薇騎士団の騎士達へと視線を向ける。
騎士達の表情は、こちらもウィデーレと同じく嫌悪。
中には、いつ戦闘になっても構わないように武器へと手を伸ばしている者もいる。
それはデューンの部下達もまた同様だった。
浮かべている表情こそ馬鹿にしたような笑みだったり、挑発的な笑みだったりするが、何かがあればすぐにでも武器を抜いて相手へと襲い掛かる準備が整っている。
まさに一触即発の険悪な状態であり、どれ程にお互いがお互いを嫌悪しているのかというのは、現状を見れば誰にでも分かっただろう。
事実、レイもまたこの二つの集団には少なからぬ因縁があるのだろうというのは容易に想像出来たのだから。
「……それで、デューン。何を思ってわざわざ私達の道を塞ぐような真似をした? それとも、これはシュルス殿下からの命令か?」
「まさか。ただ俺は久しぶりに会った顔見知りに挨拶をしようと思っただけだ。ここ暫く顔を見なかったけど、どこに行ってたんだ?」
「何故それをわざわざお前に告げる必要がある? そんな下らない寝言を口にするのなら、大人しく自分達の仕事をしていろ。くれぐれも他人に迷惑を掛けないようにな」
「はっ、まさかお前にそれを言われるとはな」
嘲るような言葉がデューンの口から発せられ、再びお互いが相手を睨み付ける空気が周囲に流れ……
「何をしている!」
そんな声が聞こえてきたのは、いつお互いが武器を抜いてもおかしくないという緊張が極限にまで達しそうな時だ。
声の主は豪華な金属鎧を身につけており、その辺の門番や兵士といった者達ではないことは明らかだった。
「近衛騎士? よりにもよって……」
レイの、より正確にはウィデーレの後ろにいる白薔薇騎士団の騎士が呟く声が、レイの耳に入る。
(近衛騎士? なるほど、確かにそれらしいな)
近寄ってくる相手の姿を見て、思わず納得の表情を浮かべるレイ。
レイが近衛騎士の姿を見るのは、これが初めてだった。
以前に城へとやって来た時や、闘技大会でも見ることがなかった為だ。
近衛騎士というのは皇族を……より正確には皇帝を守る為の直属の存在だが、幸か不幸かレイが皇帝のトラジストを見た時にはその周辺に近衛騎士の姿はなかった。
それ故に、これが近衛騎士とレイの初遭遇だったのか……
「不味いな」
小さく、口の中だけで呟くウィデーレの声が、レイの耳に入ってくるのだった。
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