第737話
「ここで少し待っていて欲しい。部屋の中にある物は使ってもいいが、くれぐれも壊さないようにお願いする」
ウィデーレの言葉に、レイは部屋の中を見回す。
ベスティア帝国という強国の城にあるとは思えないような、素朴な小屋だ。
(いわゆるログハウスって奴か?)
丸太を使って作られている外見は、レイのイメージするログハウスそのものだ。
小屋の中もまた、レイが予想した通りいかにもそれらしい作りになっている。
「また、随分と城には似合わない建物だな」
「そうかもしれないな。そもそも、ここはフリツィオーネ殿下が疲れた時にゆっくりとする為に作らせた場所だ。折角ゆっくりするのだから、城と同じように豪華絢爛というのではあまり気が休まらないだろう?」
「……なるほど」
色々と思うところはあったレイだったが、今ここでそれを口にしても意味はない。それどころか、フリツィオーネを馬鹿にするのかということで、ウィデーレと険悪になることすらあるかもしれない。
それを思えば、迂闊なことを口に出せる筈もなかった。
「食料に関しては……一応保存の利く干した果物や木の実があるから、フリツィオーネ様を呼んでくるまではそれを食べていて欲しい。一応食事を持ってこさせるように手配はさせて貰うが……まぁ、レイ殿の場合はアイテムボックスがあるのだから、わざわざそっちを食べなくてもいいかもしれないな」
「そうか? 俺としては木の実とかも結構好きなんだけど。とにかく、俺はお前が戻ってくるまではここで大人しくしていればいいんだな?」
「うむ、よろしく頼む。くれぐれもこの小屋からは出ないで欲しい」
「小屋……ねぇ」
周囲を見回しつつ、了承の意味を込めて頷く。
「分かった。俺も少し疲れたからゆっくりしたいし」
「レイ殿が疲れる? また、随分と面白いことを言う」
「……一応言っておくが、俺は疲れ知らずって訳じゃないぞ? こう見えてそれなりに疲れているんだ」
部屋の中にあるソファの方へと視線を向けつつ告げるレイ。
今口にした通り、レイは軽い疲れを覚えていた。
ただし、その疲れの原因は肉体的なものではない。先程遭遇したカバジードに関してのものだ。
得体の知れない男。それがレイがカバジードに対して感じた印象だった。
レイの正体を見抜いているのか、いないのか。
(いや、恐らく見抜いている……と思うんだけどな)
でなければ、わざわざロドスについて話題に出したりはしないだろう。
(けどその割には、俺に対して何のちょっかいも出してこなかった。……何でだ?)
疑問に思うが、それに答える者はいない。
「そうか、ではゆっくりと休んでいてくれ。私はこれからフリツィオーネ殿下にメルクリオ殿下からの親書を渡し、色々と報告もしなければならない。恐らくここに来るのは夕方くらいになると思うが……」
分かっている、と頷くレイ。
親書や、ウィデーレが反乱軍の陣地で知った情報の報告だけではない。他にも知らせるべき内容は多々あると理解している為だ。
特に、メルクリオがフリツィオーネ合流に関して出した条件の一つでもある、自分の下に就くという扱いに関しては間違いなく揉めるだろうというのが、政治に詳しくないレイでも理解出来る。
当然ウィデーレもその辺は理解しているので、正直自分としてはレイと一緒にここでだらけていたいという思いもある。
もっとも、フリツィオーネに仕える身分であるからにはそんな真似が出来る筈もなく、大人しくその小屋から去って行ったのだが。
「さて、なら取りあえず……ちょっとゆっくりとするか」
呟きながらも、自分に向けられている視線に見せつけるようにしてソファへと横になる。
レイがこの視線に気が付いたのは、この小屋の中に入る前。この区域に入ってきた時からだ。
もっとも、特に敵意や殺気がある視線という訳でもなかったので、恐らくこの小屋を用意した人物……つまりフリツィオーネの手の者なのだろうと判断してからは、視線を気にした様子もなく寛いでいた。
反乱軍の者が……それも最大戦力と見なされている自分がベスティア帝国の帝都にある城の中にいるのだ。監視くらいは当然されるだろうと思っていたし……
(見方を変えれば護衛としての役目もあるんだろうから、余計なことをしない限りはこっちの利益になるだろ)
内心で呟きつつ、ソファの柔らかさを堪能する。
「にしても、すごい柔らかさだな。身体が沈むというか、こっちの体重を受け止めてくれるというか……皇族が使うだけのことはある、か」
ソファに身を委ね、このまま昼寝をしたくなる程の気持ちよさ。
だが、ここが敵地のど真ん中である以上はそんな真似を出来る筈もない。
目が閉じそうになるのを我慢し、このままソファで横になっていれば間違いなく寝てしまうだろうと判断して、慌ててソファから降りる。
それでも一度襲ってきた眠気はそう容易く消えてくれる筈もない。
更に、この小屋はフリツィオーネが一人でゆっくりしたい時に使う小屋であり、当然出来る限りリラックス出来るような作りになっていた。
そんな小屋である以上、当然気分を楽にして過ごせるようになっているのは間違いない。
このままでは眠ってしまうと確信し、少しでも襲ってきた眠気をどうにかしようと小屋の窓を開ける。
すると入って来たのは、秋らしい涼しげな風。
春の暖かな風と違い、眠気をもたらすというよりは眠気を取り去ってくれる風に目を細め、周囲に視線を巡らせる。
秋らしく色の変わっている木々を眺めつつ、その中に紛れるようにして存在している庭師……の振りをした自分の見張りへと視線を向ける。
(いや、振りって訳じゃないか。恐らく庭師ってのも本物ではあるんだろうな。庭師兼見張りみたいな感じで)
庭師であれば、城の周辺を自由に歩き回れる。同時に刃物を持っていたとしてもおかしくはない。
そんなうろ覚えの知識と共に、御庭番という言葉が思い浮かぶ。
テレビ番組か何かで見た程度の記憶だったが、恐らく似たようなものなのだろうと。
(こいつらがさっきからの視線の主なんだろうな)
自分に向かって頭を下げてくる庭師に軽く手を挙げつつ考える。
もっとも、さっきも考えたように迂闊な真似をしない限りは寧ろ自分の護衛に近い形なのだと思えば、悪い気もしない。
特にカバジードが自分のことを見破ったかもしれないとなれば尚更だ。
「……にしても、やることがないな」
まさかここで何か訓練をする訳にもいかないし、かといって眠るのも危険だ。
武器や防具の整備をするというのも、デスサイズやドラゴンローブを着ている以上は必要がない。
「遊ぶにしても俺一人だしな」
こういう時にセトがいればと考えるレイだったが、セトの好むような遊び……木の棒を遠くへ投げてそれを拾ってくるといったような遊びが出来る筈もない。
出来るとすれば何かを食べるくらいだと判断し、そう言えば昼食を食べてなかったと思い出す。
「確かこの小屋にあるものは食べてもいいって話だったな。……皇女が使う小屋である以上、それなりのものがある筈だよな?」
誰にともなく呟き、早速とばかりに小屋の中を探す。
もっとも、一部屋だけの小屋だ。台所のようなものがある訳でもなく、家捜しをするのにそれ程時間を必要とする訳でもない。
案の定、部屋の隅にある箱の中から干した果物、いわゆるドライフルーツを見つける。
だがレイがドライフルーツを見つけた時よりも驚いたのは、一緒に入っていた干し肉だろう。
干し肉自体があるのはおかしな話ではない。
しかし、ここがフリツィオーネの隠れ家的な場所であるというのを考えると、今レイが手にしている干し肉もフリツィオーネが食べる為のものということになる。
「……第1皇女が干し肉を食べるのか?」
冷静に考えれば、人間である以上は干し肉を食べたくなっても不思議ではないかもしれない。
そうは思うが、それでもやはり皇女と干し肉というのはどうにもミスマッチだった。
「いや、ヴィヘラの姉さんなんだし、意外と庶民的な味覚をしているって可能性もあるか」
ヴィヘラと共に行動し、食事を共にしたことは幾度もある。
その時、ヴィヘラが干し肉の類を普通に食べていたのを思い出せば、第1皇女が干し肉好きであったとしても違和感はないかもしれない。
どこか自分を誤魔化すように考えつつ、ソファへと戻って干し肉を箱に入っていたナイフを使って一口大に切り、口へと放り込んでいく。
「……これは……」
口に出せたのは、ただそれだけの言葉。
レイがこれまで食べてきた中で一番美味いと思ったのは、悠久の空亭で作られている干し肉だった。
たっぷりの香辛料や無数の果実を使った漬け汁をふんだんに使い、干し肉に合う高ランクモンスターの肉を使って、マジックアイテムを使って作り出す干し肉。
当然相応の値段がする代物なのだが、金には困っていないレイとしては値段以上の価値があると判断していた。
だが……今レイが口に運んだ干し肉は、悠久の空亭で作られている物よりも明らかに上。
肉の風味と共に各種香辛料や果実の味が口に広がり、それでいて濃厚な肉の味を殺していない。いや、それどころか口の中でお互いの美味さをより増しているようにすら感じられる。
干し肉……そう、ただの干し肉である筈が、まるで高級レストランのメイン料理にも匹敵する程の美味さを口の中に広げていたのだ。
続けてドライフルーツの方へと手を伸ばしてみるが、こちらもまた極上の美味さだった。
甘いには甘いのだが、口の中にしつこく残る甘みではない。濃厚な甘みが口の中に広がると、次の瞬間には甘みが甘酸っぱさに、そして微かな酸味へと順番に変わっていく。
一つの果実なのだが、その味は噛むごとに変わる。
こちらもまた、レイがこれまで食べたことがない程に美味いドライフルーツだ。
「見た目はともかく、味は常識外れなまでに美味いか。さすがに皇族の食う物だけはあるな」
そこまで呟き、持っていた干し肉を名残惜しそうにソファの近くに置かれていたテーブルの上へと置き……
「なぁ、そうは思わないか?」
小屋の扉の方へと向かって声を掛ける。
数秒程の沈黙の後、無言のままに扉が開く。
扉の向こう側にいたのは、レイよりも背が高く、女としては比較的長身の人物。
その手には布が掛かった皿を持っている。
「どうやら刺客とか、そういうのじゃなさそうだな。気配の消し方がお粗末だし」
「そうですか、要修行ですね。……改めて挨拶を。白薔薇騎士団の団長を務めているアンジェラ・ルクシノワと申します。レイ殿にはウィデーレを始めとした部下達が色々とお世話になったとか……ありがとうございます」
「いや、気にしなくてもいいさ。こっちとしても色々と利益があったのは事実なんだし。それにウィデーレがいたおかげで、こうして帝都に来ることが出来たんだしな」
「ふふっ、確かにウィデーレに聞いたような性格をしているようですね。これでも一応私は貴族なのですが」
言葉では貴族ですと告げているアンジェラだったが、浮かべている表情は自分に対して見たことがないような態度を取るレイに興味を引かれている様子だった。
(ウィデーレの報告によると、ヴィヘラ殿下がレイ殿に対して想いを抱いているとか。なるほど、このような性格だからこそヴィヘラ殿下と馬が合ったのかもしれませんね)
ヴィヘラの性格を思えば、確かに目の前にいるレイとの相性はよさそうだとアンジェラは納得の表情を浮かべる。
小さな笑みと共に頷いているアンジェラに、レイは何を一人で納得しているのかと疑問に思いつつも首を傾げつつ口を開く。
「それで、白薔薇騎士団の団長がわざわざ何をしに? いや、俺としては一人で退屈してたから大歓迎なんだけど。まさか暇潰しの相手をしにきたって訳じゃないだろ?」
「ええ。さすがにそこまで暇ではありませんから。レイ殿の食事を持ってきたのですけど……どうやら自分でどうにかしたようですね。……もっとも、それは一応フリツィオーネ殿下の取って置きなので、出来ればあまり食べて欲しくなかったんですが」
「……やっぱり色々と貴重な物だったのか。確かにこれだけ美味いならそれも理解出来る。……その割にはこうして無造作に置かれていたんだけどな」
テーブルの上に置かれている干し肉やドライフルーツへと視線を向けながらそう言うと、アンジェラは口元に浮かべていた笑みを苦笑へと変えて小屋の中へと入ってくる。
「それはしょうがないでしょう。元々この小屋はフリツィオーネ殿下のみが使う場所として用意されたのですから。……さ、出来ればその干し肉とかじゃなくてこっちを食べて下さいね」
テーブルの上に置かれた皿の上には、たっぷりのサンドイッチ。
もっとも、三人分程あるだろうそのサンドイッチも、レイにとってはおやつ感覚程度でしかない。
「フリツィオーネ殿下は現在ウィデーレから聞かされた話の件を検討中です。今日中には一旦ここに来ることが出来るとは思いますが……」
「少し時間が掛かる、か」
自分の言葉に頷くアンジェラを眺めつつ、レイはサンドイッチへと手を伸ばす。
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