第727話

 第二次討伐軍、壊滅。

 その報告はシュルスが派遣した討伐軍の時とは違い、民衆に対しては厳重に隠匿された。

 前回の討伐軍とは違い、今回の討伐軍は見事なパレードまで行って出陣したのだ。それが、その日の内に六千人の中殆どが殺されてしまったなどと、誰が言えるだろう。

 この情報を知っているのは、貴族や城に勤める一般人でもほんの僅かであり、その者達にしてもくれぐれも他の者に話さないようにと言い含められている。

 だが……『ここだけの話だけど』という言葉は、余程に魅力的なのだろう。ほんの僅かずつではあるが、その情報は広がりだしていた。

 もっとも、事情を知っている者達にしても本当に討伐軍壊滅の情報を隠しきれるとは思ってもいない。

 だからこそ、今の事態を引き起こした者達はそれを何とかする必要があった。


「……で、カバジード兄上。今回のこの会議ってのは結局メルクリオを何とかする為の件ってことでいいのか?」


 椅子に座り、テーブルに置かれていた紅茶を口にしながらカバジードに尋ねるシュルス。

 紅茶を飲む仕草には、毒殺を恐れる様子は一切ない。

 この紅茶を淹れたのはシュルスの副官でもあるアマーレなのだから当然だろう。

 それに防毒のマジックアイテムを装備している以上、多少の毒ではシュルスに効果がある筈もない。


「そうだね。勿論それが最優先事項だけど……どちらかと言えば、こうして兄弟姉妹揃ってゆっくりとお茶を楽しむという目的もあるよ」


 まさに貴公子と表現するのが相応しい、気品に満ちた笑みを浮かべつつ告げるのはカバジード。

 自分の派遣した討伐軍が文字通りの意味で壊滅したというのに、一切気にした様子はない。

 笑みを浮かべているカバジードの後ろには、護衛兼副官としてだろう。女騎士であるペルフィールの姿もある。


「ですが、本当に兄弟姉妹が揃うのなら、私とシュルスだけでは足りないのではないかしら。メルクリオやヴィヘラがいてこそだと思うのだけれど」


 温和な笑みを浮かべつつ告げるのは、フリツィオーネ。こちらも後ろには白薔薇騎士団の団長でもある、アンジェラ・ルクシノワの姿もある。


「……フリツィオーネ姉上。メルクリオとヴィヘラの二人は帝国に反乱を起こした身だ。既にこの場にいることは許されない」

「そうかしら? その辺に関しては、色々と誤解があるように思うのだけど」

「フリツィオーネ姉上! 奴は敵なんだ! いつまでも甘っちょろいことを考えてないで、今はこの状況をどうにかする必要があるだろう!」


 叫ぶシュルスの声は、普通の者であれば……それこそ、騎士であっても一瞬驚くだけの迫力はあった。

 だが、フリツィオーネは笑みを浮かべながら口を開く。


「駄目よ、シュルス。姉として兄弟同士で争うことは認められません」

「フリツィオーネ姉上!」


 シュルスが叫ぶが、フリツィオーネは真面目な表情を浮かべつつ一切の妥協はないと言わんばかりにじっと見つめてくる。

 そんな視線を向けられたシュルスは、言葉を噤む。

 今でこそフリツィオーネに向かってこうやって強く言えるようになったが、元々シュルスは自分の姉であり、優しい性格のフリツィオーネに懐いていた。

 フリツィオーネにしても、自分に懐いてくるシュルスは可愛がっており、半ば本能に近い形でお互いの上下関係がすり込まれていると言ってもいい。

 だが、シュルスにしてもいつまでも子供ではない。今は皇帝の地位を目指すべく活動しており、そうである以上はここでメルクリオの反乱軍に好き勝手をさせる訳には絶対にいかなかった。

 特に敗北を承知の上で送り出したのだが、自分が派遣した討伐軍は反乱軍にあっさりと負けているのだから。


「カバジード兄上はどう思っているんだ?」


 その結果、自分だけではフリツィオーネを説得出来ないだろうと判断したシュルスは、面白そうに自分達のやり取りを見守っていたカバジードへと視線を向ける。


「おや、私かい? そうだね、こうして二人のやり取りを見ていると、やはり兄弟や姉妹というのはいいものだと感じるよ」

「なっ!?」


 驚きの声を上げるシュルス。

 それも当然だろう。自分と同じくメルクリオを倒すことに賛成するものだとばかり思っていたカバジードが、まさかフリツィオーネに同意するようなことを言うとは思ってもいなかったのだから。

 それはフリツィオーネにしても同様で、驚きの表情を浮かべる。

 だが、すぐにその驚きの表情は笑顔へと変わり、紅茶のカップを置いてから嬉しそうに口を開く。


「まぁ、まぁまぁまぁ。カバジード兄上のことですから、メルクリオのことを許さないと言うのかと……ではカバジード兄上としても、今回の件は……」


 早急に弟との関係をどうにかし、この無益な戦いを収めようと口を開こうとしたフリツィオーネだったが、それに対してカバジードはゆっくりを首を横に振る。


「確かに兄弟や姉妹同士で争うのは悲しいことだ。けどね、フリツィオーネ。私達はベスティア帝国の皇族なんだよ。己の感情と国の利益。そのどちらを重要視するのかというのは、言うまでもないだろう? 皇族である我々が、己の私欲のまま好き勝手に振る舞うということは、ベスティア帝国に暮らす者達に対しての冒涜に他ならないのだから」


 それはつまり、兄弟としての情はあっても決してメルクリオとの諍いを止めることはないという意思表明に他ならない。


「カバジード兄上……」


 フリツィオーネにしても、自分の立場を理解はしている。理解しているが、それでもやはり兄弟同士で争うのを止めて欲しいと思ってしまうのも事実なのだ。


(ここでカバジード兄上が決意したのは、やはりメルクリオ達に比べて戦力的に勝っているから……なのでしょうね)


 確かに第一次、第二次と討伐軍は負けた。それも圧倒的にだ。

 だがそれでもカバジードにはまだ自由に出来る戦力は多いし、派閥の貴族達の持つ戦力もある。

 シュルスにいたっては、寧ろ足を引っ張るような相手が多く死んだのだから、もしかしたら純粋な戦力という意味ではより高くなっている可能性すらある。

 もっとも、シュルスの場合は向こうの捕虜になった貴族達という足手纏いがいる。

 そちらとの交渉で迂闊に動けないというのは、現状のシュルスにとってはかなり痛いだろう。

 だが……それはあくまでも第2皇子派としての話。

 シュルスが自分直属の部隊を動かすことは不可能ではない。

 それは、先の討伐軍にシュルス直属の騎兵隊が入っていたことも証明している。


「カバジード兄上。前回は俺の軍が、そして今回はカバジード兄上の軍が負けた。このままお互い別々に討伐軍を派遣したとしても、意味がないと思うが?」

「ほう? ではどうしようというのかな? フリツィオーネに出て貰うかい?」


 シュルスからの提案に、フリツィオーネの方を見るカバジード。

 だが、フリツィオーネは即座に首を振る。


「先程も言った通り、私は兄弟同士が血で血を洗うような戦いになるのには賛成出来ません。そもそも、私の持っている戦力がカバジード兄上やシュルスよりも少ないのはよく理解していると思いますが?」


 その言葉は事実であり、カバジードはおろかシュルスもフリツィオーネがどれ程の戦力を有しているのかは知っていた。

 派閥の者を合わせたとしても、カバジードやシュルスには及ばない程度の戦力しか持っていないと。


「……カバジード兄上と俺、フリツィオーネ姉上で協力して討伐軍を編成すれば、メルクリオやヴィヘラを相手にしてもそうそう負けはしないと思うんだけどな」


 シュルスの言葉に、フリツィオーネは首を振る。

 そんな姉の頑固さに腹が立ちはするものの、いざという時の為に帝都に戦力を残しておきたいのも事実だ。

 何しろ……


「確かに私とシュルスの戦力を合わせれば、メルクリオにも対抗出来るだろう。幸い、これまでどこの派閥にも入っていなかった者達からも協力の申し出が来ているしね。だが、その場合は今回私が負けた相手である深紅に関してはどう対応する? あの者は巨大な炎の竜巻を生み出し、それを自由自在に操ることが出来る。奴を自由に動かしている時点で、こちらは不利となる」


 言葉だけでは、自分達が圧倒的に不利だと告げているカバジードだったが、そこに浮かんでいる笑みは決して自分達の不利を受け入れるようなものではない。


「カバジード兄上?」


 カバジードの様子が気になったのだろう。シュルスは訝しげに尋ねる。

 それはフリツィオーネも同様であり、戦力的には決して向こうに劣ってはいない筈なのに、自分達が不利だという状況。にも関わらず余裕の表情を見せるカバジードに、視線で言葉を促す。


「いや、確かに深紅へ対抗する手段はあるけど、確実なものじゃない。もしかしたら……といった程度のものだから、これに関してはあまり期待しない方がいい。それより討伐軍の方に話を戻そう。結局フリツィオーネは討伐軍には参加しないということでいいのかな?」

「……カバジード兄上。どうしてもメルクリオと戦わなければならないのですか」


 最後の質問、という意味を込めて尋ねてくるカバジードの問い掛けに、フリツィオーネは苦しそうに尋ねる。

 私的なことであれば、しょうがないと苦笑を浮かべつつフリツィオーネの我が儘を許容するカバジードだが、それはあくまでも私的なことに過ぎない。

 今の様に国の行く末にすらも関係してくることに関しては、柔らかい表情を浮かべつつも決して譲ることはなかった。


(ロドス……か。あの者がこちらの予想通りに動いてくれるのであれば、もしかすれば……それに、運が関係してくるけど、他の手もないことはない)


 カバジードの脳裏を過ぎったのは、自分の派閥に所属することになった者の顔。

 今回最大の問題となっている人物である深紅の性格や能力を聞き取った書類を部下から受け取っていたが、自由としか……本当に自由であるとしか表現出来ないような人物だった。

 自分が気に入らなければ、貴族であっても、大商会であっても敵に回すのを躊躇わない。

 勿論それを行えるだけの実力を持っているからこそではあるのだが、カバジードにして興味深いと表現すべき相手だった。


(出来ればこのままベスティア帝国に所属して欲しいところだけど……難しいだろうね)


 余程のことがない限り、深紅という人物が国に仕えるという選択をすることはないだろう。


(けど……それだけの、それこそ一軍の戦力に匹敵する力を持つ者が自由に出歩いている。それも、ランクSやAではなくランクBで。君は、それがどれ程危険なことなのか分かっているのかな?)


 ランクが低いからこそ制御出来る、自分の命令に従わせられると考える者が出てきてもおかしくはない。

 当然レイがそれに従う筈もなく、下手をすればレイに迫ってきた者達は多大な被害を受けるだろう。そうした者達は自分の非を認めるような真似は一切しない以上、自分達に与えられた被害の恨みはレイに向けられる。

 以前はダスカーという庇護者がいた為にそこまで露骨ではなかったが、今のレイは表向きではあってもダスカーとの縁は既に切られている。そうなれば……


(反乱軍の方にも、当然その辺を考えている者はいるだろう。特に最初の討伐軍との戦いが終わってから合流してきた者達は即物的な者が多いしね)


 情報として入っている何人かの顔を思いだし、呟くカバジード。

 そんなカバジードの様子を不審に思ったのだろう。フリツィオーネが再び口を開く。


「カバジード兄上、答えて下さい。どうしてもメルクリオと戦わないといけないのですか?」

「そうだね。先程も言ったけど、これは逃れられない戦いだ。……シュルス、そちらで用意出来る戦力はどのくらいかな?」

『カバジード兄上!』


 カバジードの言葉に、シュルスとフリツィオーネが揃って口を開く。

 ただし、そこから発された言葉は同じであっても込められている感情は正反対のものだ。

 フリツィオーネは悲しみ、シュルスは喜びといったように。

 しかし、フリツィオーネもそれ以上は口にしない。

 これ以上何かを言っても無意味だと、カバジードが自分の言葉を訂正するつもりがないことを理解している為だ。

 悲しげに俯いた姉に一瞬視線を向けたシュルスだったが、やがてカバジードに向けて口を開く。


「知っての通り、向こうに捕らえられた貴族の身代金の交渉を行っている。向こうに捕虜を取られている貴族は参加出来ないが、それ以外の貴族は十分参加が可能だ。……もっとも、捕虜を取られている貴族が色々と妨害してくる可能性を考えると、ある程度の人数に絞らなければいけないが」


 自分の家の者が反乱軍に捕らわれている以上、シュルスが再び討伐軍に協力すれば、その者達の身の安全が保証出来ないかもしれない。

 そう考える貴族が出てきてもおかしくはなかった。


「ふむ、ならシュルスの方から出して貰うのは、直属の兵士達と絶対に裏切らないと保証出来る貴族達からの戦力にして欲しい。残りはこちらの方で何とかしよう」


 第1皇子派と第2皇子派が協力して派遣する討伐軍。

 形の上ではレイに全滅させられた前回の討伐軍と同様だが、今回は大きく違っている点がある。

 カバジードにしろ、シュルスにしろ、様子見や偵察の類ではなく本気で反乱軍を倒そうと思っているところだ。


「……カバジード兄上、シュルス……」


 それを悲しげに見つめるフリツィオーネは、悲しげに呟きながら内心の覚悟を決めるのだった。

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