第728話

「うおおおおおおおおおっ!」


 周囲に響く雄叫び。

 だが、その雄叫びは向かい合っている敵に対する威嚇というよりは、自分の中にある恐怖を拭い去る為という側面の方が強い。

 当然だろう。今男の前にいるのは、巨大な鎌を構えた人物。一週間程前に密かに行われた討伐軍との戦いで、六千人を殆ど一人で倒して見せた力を持つのだから。

 更に、雄叫びを上げている男はその場にいたのだから尚更だ。

 より正確には、陣地の外で防護柵の隙間から出てくる討伐軍の兵士達を弓で狙い、仕留めていた。

 それだけに、遊撃部隊の兵士である男は目の前にいる男の実力をこれ以上ないくらいに理解している。

 幸い今日はこれまでのように見ただけで動けなくなるような、身体の周囲を妙なもので覆うスキルは使用していない。

 だからこそ、こうして半ば自分の中にある畏怖や恐怖といった感情を押し殺す意味を含めて大きく叫んだ程度で、レイに向かって攻撃を仕掛けることが出来たのだ。

 振るわれる長剣の一撃。

 幾らレイに対して畏怖や恐怖を抱いているとしても、この男もまた遊撃部隊の兵士。反乱軍の中でも精鋭と呼べるだけの実力を持った者だ。

 それだけに、振るわれる剣筋は模擬戦用の長剣であっても、普通の相手であれば致命的な一撃を与えるに相応しい程の威力と鋭さを持っていた。

 だが……袈裟懸けに振り下ろされた長剣は、デスサイズの柄によりあっさりと弾かれる。

 男にしてもその展開は予想していたのだろう。寧ろ、デスサイズに弾かれた勢いを利用しながら回転し、レイの右脇腹へと横薙ぎの一撃を放つ。

 胴体に当たれば骨折は間違いないだろう一撃ではあったが、次の瞬間に男は手の中に握っていた筈の長剣がなくなっていることに気が付き、更には自分の首筋に突きつけられている巨大な刃に気が付く。


「そ、それまで!」


 審判役を任されていた兵士が大きく叫び、周囲にどよめきが起こる。


「え? あれ? 何だ、俺の長剣は……」


 何が起きたのか理解出来ていない兵士が呟き、次の瞬間にはグシャ、という音が周囲へと響く。

 兵士が慌てて音のした方へと視線を向けると、自分の位置から数m離れた位置で地面に突き刺さっている長剣があった。

 その長剣が自分の使っていた物だったというのを、殆ど本能的に理解する。

 理解はしたのだが、何故こんなことになっているのかは分からない。


「何だ、一体何が起こったんだ?」


 数秒前まで自分の手に握られていた筈の長剣と、自分の手を見比べて呟く兵士。

 そんな兵士の様子を見ていたレイだったが、チラリと近くにいる別の兵士へと視線を向ける。

 説明してやれ、と無言で示された兵士は、未だに呆然としている兵士へと向かって口を開く。


「お前がレイ隊長の大鎌に最初の一撃を弾かれた勢いを利用して、身体を回転させて横薙ぎの一撃を放った。これは覚えているな」

「あ、ああ。そりゃあ自分でやったんだから覚えてるさ。分からないのはそこからだ」


 当然とばかりに告げてくる言葉に、説明役をレイに命じられた兵士も確かにと頷く。

 一連のやり取りを説明出来るのは、離れた場所から見ていたからこそだ。もし自分が一連の行動を受けた側であれば、それこそ何が起きたのか理解出来なかっただろう。


「お前の横薙ぎの一撃を受けたのは、レイ隊長の大鎌の石突きの部分だ。正確には受けたというか……絡め取ったというのが正しいけど。で、そのまま絡め取った長剣を空中へと弾き……いや、この表現は違うな。放り投げ? それとも絡め上げ? ちょっと正確な表現は分からないが、その絡め取った長剣を上空に飛ばして、その動きを利用して刃を首に突きつけた」


 自分がどのようにしてやられたのか、説明を聞いてようやく理解したのだろう。兵士は刃がないというのに、上空から落ちてきた勢いと自身の重量だけで地面へと突き刺さっている長剣を眺めながら、改めてレイの方へと視線を向ける。

 その瞳に宿っているのはより強い畏怖。

 確かに話を聞けば、自分がどのような動きでやられたのかは理解出来る。

 だが……それよりも恐ろしかったのは、長剣を絡め取られた際に全くその感触が手に残っていなかったことだ。

 いつの間にか手の中から長剣が消えていた。

 相手に気が付かせず、その武器を絡め取る。どれ程の技量があればそんな真似が出来るのか。

 反乱軍の中でも精鋭と呼ばれ、またそれを示すかのように遊撃部隊に所属している兵士だったが、とてもではないが自分に今のような真似は出来ない。

 比べるのも烏滸がましい程の実力差。それを見せつけられたのだ。

 自信を失い掛けている兵士に、レイは特に気にした様子もなく口を開く。


「最初の一撃は鋭いし、なかなかの一撃だった。デスサイズと長剣がぶつかった衝撃を利用した一撃もいい。だが……その衝撃を利用する為ではあっても、一回転するというのはいただけないな。そんな真似をすれば一瞬ではあっても相手から視線を離すことになる。気配とかで相手の動きを把握しているのならまだいいが、それだけの技量がない以上はもう少し考えろ」

「はい……」


 褒められたことに喜びつつも、駄目出しをされた部分をどう直していくか。

 それを考えながら、兵士は他の兵士達のいる場所へと戻っていく。

 遊撃部隊の今日の訓練内容はレイとの模擬戦だったが、殆どの者が数合と持たずに負けてしまう。

 勿論何も出来ないままに負けてしまったのでは、模擬戦の意味がない。

 その為、レイは一言二言ではあるが良かったところ、駄目だったところを告げる。

 この辺、ルズィ達風竜の牙との訓練が役に立っていた。


「よし、次……の前に、どうやら客らしい」


 次は自分の番だとばかりに前へと出ようとしていた兵士が、意表を突かれたかのように足を止める。

 自分達が精鋭ではあってもそれはあくまで一般兵士の中でしかなく、上には上がいるということをこれまでのレイとの付き合いで知った兵士達だが、それでも腐ることなく貪欲に強さを求める。

 そういう意味では、遊撃部隊の者達にとってレイという存在はこれ以上ないものがあったのだろう。

 それだけに、自分達の訓練を邪魔する者が来たと聞かされ、不愉快そうに視線を向けると……そこにいたのは、白薔薇騎士団の部隊長でもあるウィデーレだった。

 この陣地にはウィデーレ以外にも白薔薇騎士団の者がいるのだが、レイや兵士達の視線の先にいるのはウィデーレ一人。

 白い金属鎧を身に纏い、腰には長剣の入った鞘が存在し、真面目な表情……というよりは、どこか思い詰めたような表情を浮かべている。

 兵士達もウィデーレの浮かべている表情に気が付いたのだろう。何を言うでもなく、黙って道を空ける。


「すまぬな」


 短く感謝の言葉を述べ、まっすぐに歩いてレイの前に到着したウィデーレは、小さく頭を下げる。


「訓練の邪魔をして済まない。だが……レイ殿、私と立ち合って貰えぬだろうか」

「何でまた急にそんなことを? 今のお前の様子を見る限り、模擬戦に参加したいって訳じゃないんだろ?」

「うむ。レイ殿の強さというのは私も知っている。実際に助けられたのだから、その強さは疑うべくもない。だが……フリツィオーネ殿下の件を考えると、私自身がその目で見ただけでは納得出来ないのだ。その強さをこの身で体験して初めて理解出来る」


 だから自分と立ち合って欲しいと。そう告げてくるウィデーレに、レイは少し考え……やがて頷く。


「分かった。戦いを見るというのも兵士達の訓練にはなるからな」


 自分の戦いを見世物……と言うよりは教材扱いされるのはウィデーレにしても面白くはなかったが、それでも実際にレイと戦って実力を感じることが出来る絶好の機会を見逃す筈もない。

 短く頷いて了承を示すと、腰の鞘から長剣を引き抜き構える。

 ウィデーレ本人が持ってきた以上は当然訓練用の長剣ではない。いや、それどころか目を惹き付けられるような不思議な吸引力のようなものを発しており、レイはその感覚に覚えがあった。

 マジックアイテムを見た時に感じるものと同じものだ。


(魔剣、か。……けど初めて会った時にも戦闘中だったが、あの時は何もない普通の長剣だったように思ったんだけどな)


 内心で首を傾げつつ、チラリと少し離れた場所で寝転がりながら自分の方へと視線を向けているセトに向かって小さく首を横に振る。

 この場は自分に任せて欲しいという意思表示だ。

 セトもそれだけでレイの意思を汲み取ったのか、再び目を閉じて眠る態勢へと戻っていく。


「これは模擬戦だ。それは理解しているな?」

「……殺すな、ということですな。承知。こちらとしても、メルクリオ殿下の切り札といえるレイ殿をこの場で殺してしまっては申し訳ないと思っていたので」


 ざわり、と。ウィデーレの言葉を聞いた遊撃部隊の兵士達がそれぞれに驚きの言葉を発する。

 当然だろう。この場にいる者達は、討伐軍の陣地を中にいた者達諸共に焼き滅ぼした光景を見ているのだ。

 レイに対する感情が、半ば信仰にすら達している者もいる。

 そんなレイを相手に殺してしまっては申し訳ないと言えるというのは、とても正気とは思えなかった。


「ふんっ、あの程度の人数に殺されそうになっていた程度の力で俺を殺す? もう少し謙虚さってものを知った方がいい」


 レイの口から出るのは、ウィデーレに勝るとも劣らぬ挑発の言葉。

 挑発の言葉でありながらも、それは揺るぎない事実でもあった。

 実際にレイに一掃されるような相手にウィデーレ率いる白薔薇騎士団の者達は防戦一方になっていたのだから。


「ふふっ、これ以上の戯れ言は無用か。今は……深紅と呼ばれるその力を見せてくれ!」


 その言葉と共に地面を蹴り、真っ直ぐにレイとの間合いを詰めてくるウィデーレ。

 魔剣の機能を発動させたのか、刀身には幾条かの雷を纏っている。


「ちっ、雷の魔剣か。また厄介な」


 忌々しげに吐き捨てたレイは、真っ直ぐ自分に向かって放たれた突きを身を翻して回避し、その動きのままデスサイズの石突きでウィデーレの足を払う。

 足下を掬われたウィデーレは、魔剣を持っていない方の手を地面に突いて転倒するのを避け、レイの足下を狙って再び魔剣を振るう。


「っと」


 足下には足下とばかりに振るわれた魔剣を防いだのは、石突きを地面に突き刺したデスサイズ。

 魔剣とデスサイズの柄がぶつかった瞬間、ウィデーレの口元には笑みが浮かぶが……次の瞬間、頭の上から聞こえてきた声に、驚愕する。


「どうした? 何か嬉しいことでもあったのか?」


 ウィデーレの視線の先にいたのは、全くダメージを受けた様子のないレイの姿。

 本来であれば、ウィデーレの持つ魔剣の一撃を金属製の武器や防具で受け止めた場合、電撃が流れて数秒ではあるが麻痺する筈なのだ。

 数秒とはいえ、戦いの中では大きすぎる隙。

 そこに一撃を与えるのがウィデーレの必勝パターンだったのだが……


「何故動ける!?」


 驚愕の声を上げつつ、それでも動きを止めないまましゃがんだ状態から後方へと跳躍するのは、白薔薇騎士団の一部隊を任されているだけのことはあるのだろう。


「さて、何でだろうな」


 言葉を返しつつ、腰に付けているネブラの瞳を使い鏃を生成。手首の動きだけで飛ばして追撃を行う。

 模擬戦ということもあり、鏃で狙ったのはウィデーレの顔面のように致命的な一撃を与えられる場所ではなく、白い金属鎧の、それも肩の部分。

 キンッ、という金属音が周囲に響く。

 当然金属の鎧の上からの一撃であり、それ程大きなダメージをウィデーレに与えることは出来ない。

 だが、体勢を立て直そうとしたウィデーレの動きを妨害するのには十分な威力を持った一撃。

 普通の鏃を投擲しただけではただ肩の部分に当たるだけで多少気になったかもしれないが、その程度の効果で終わっただろう。

 しかし、今放たれた一撃はある程度手加減してはいてもレイの放った一撃だ。到底普通の人間に出せる威力ではなく、ウィデーレはバランスを崩す。

 一瞬……そう、体勢を立て直すのに掛かったのはほんの一瞬でしかなかったが、その一瞬があればレイにとっては十分以上の時間だった。

 ウィデーレへと鏃を投擲した次の瞬間には、鏃を追うようにして地を蹴る。


「な!?」


 一瞬バランスを崩したウィデーレが気が付いた時、既にその首筋にはデスサイズの巨大な刃が突きつけられており、レイがその気になって腕を少しでも動かせばウィデーレの首は切断され、頭部と胴体は泣き別れることになるだろう。……首から大量に噴き出す血と共に。

 ここまで明確に刃を突きつけられれば、ウィデーレにしても負けを認めるしかなく……


「参った。私の負けだ」


 こうまであっさりと負けた自分に呆然としつつも、自らの負けを宣言するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る