第721話
周囲に広がるのは、あらゆる物が……そして者が燃やし尽くされた光景。
テントの残骸、馬車の残骸、武器や防具の残骸、そして……人の残骸。
残骸ではあっても、全てが炭と化しており、多少の衝撃でもあれば崩れてしまうだろうという光景。
そんな、数時間前までは六千人近い人数が過ごしていた陣地とはとても思えない光景の中にレイの姿はあった。
ただしその姿にはいつものような傲岸不遜とも表現出来るような態度はなく、どこか疲れたように自分の隣に立って頭を擦りつけているセトの頭を撫でている。
「グルルルゥ」
慰めるように喉を鳴らすセトに、レイは苦笑を浮かべながら口を開く。
「気にするな。まさかああなるとは俺も思ってなかった。それに……主目的は果たしたし、副次的な目的の方も果たした。結果だけを見れば万事成功だよ。……こんなに大変になるとは思ってもいなかったが」
呟きながら視線を向けるのは、自らの右腕に嵌められているミスティリング。
その中には、討伐軍の陣地にあった糧食や武器、防具、軍馬や馬車を引く馬の為の飼料、馬車、軍資金、更にはテントといった物が収納されている。
ミスティリングは生物を収納出来ない為、討伐軍が率いていた軍馬や馬といったものは何も入っていないが、それでも六千人の討伐軍を養う為の補給物資の多くを確保することには成功していた。
これが、周囲で遊撃部隊が必死に防護柵の出入り口から脱出しようとしている討伐軍の兵士達を攻撃している間に、レイが得た物だった。
結果としては最初から狙っていた通りのものになったのだが、レイがここまで疲弊している理由。それはレイ自身が作り出した火災旋風にある。
以前のベスティア帝国との戦争で作り出した火災旋風は、風の手のLvが2の時のものであり、確かに多少は動いたが基本的には誤差程度のものでしかない。
だが今回のレイが使った風の手はLv.3になっており、その結果以前作った物に比べると信じられない程に動き回るようになってしまったのだ。
それでも風の手を使って、何とかある程度ではあるがコントロールすることが出来ると知ったレイは、火災旋風を動かしながら物資の強奪を行う。
火災旋風をコントロール出来ると言っても、ある程度あっちに移動させる、こっちに移動させるという大まかなものだけであり、例えばこの陣地の中から出るなという命令が出来る訳ではない。
つまり、陣地の中を縦横無尽に蹂躙していた火災旋風は、何とかレイが陣地の外へと移動させないように動かしていた結果だった。
そんな状況でレイはセトと共に陣地の中を走り回り、各種補給物資にテントといったものを出来る限り奪ってきたのだ。
勿論中にはそんなレイの姿を見咎める討伐軍の者もいたのだが、それらの人物は火災旋風のコントロールと補給物資の奪取という仕事を邪魔させまいとしたセトにより排除されている。
敵討伐軍の殲滅と、補給物資の奪取。そのままではどうせ焼かれてしまうのだからとレイが打った手は、結果的にその全てが予想通りに……否、予想以上に成功したと言えるだろう。
もっとも、今回の補給物資の奪取に関しては遊撃部隊としての手柄にはなるが、レイ個人としての手柄という訳ではない。
内乱終了後の報酬に関しては期待して欲しい、という言質をテオレームから貰ってはいたが。
「レイ隊長!」
陣地の残骸を眺めつつ考えていたレイは、ふとそんな声で我に返る。
声の聞こえてきた方にいたのは、遊撃部隊の実質的な指揮官でもあるペールニクスの姿だった。
だがレイが不思議そうな表情を浮かべ、セトが喉を鳴らしながら首を傾げたのは、ペールニクスの後ろをついてくる遊撃部隊の兵士数人が引き連れている人物。
レイの目からは、ある程度鍛えてはいるようだがとても本職とは思えない。
だがその目。右肩に包帯が巻かれており、腰にはロープを縛り付けられて自由に身動き出来なくされ、更に左右に立つ遊撃部隊の兵士がその男を警戒している。
そんな状況にも関わらず、その男の視線は怜悧にレイとその隣に立つセトへと向けられていた。
その佇まいや身につけている装備の質から考えれば、間違いなく討伐軍の一兵士の類ではないことは明らかだ。
そんな風に自分達が観察されている間にレイもまた男を観察していると、ペールニクス達が近くまで到着する。
「ペールニクス、ご苦労だった。それでこの男は? 随分と名のある男に見えるけど」
「はい。この男はソブルという者で、カバジード殿下の派閥の中でも知略に秀でている者です。夜襲の時にこの陣地を脱出した一団から脱落したところを捕虜とすることに成功しました。残念ながら共に脱出した者は殆どを逃がしてしまいましたが……」
「気にするな。確かにここで完全に殲滅出来れば良かったんだろうが、そうこっちに都合のいいようには進まないだろ。恐らくそいつら以外にも生き延びた者はそれなりにいるだろうし。……にしても、ソブル? ああ、なるほど」
ペールニクスの口から出た名前に納得の表情を浮かべるレイ。
その名前は第1皇子派の中でも厄介な相手として聞かされていたし、何よりも白薔薇騎士団に対して襲撃を仕掛けた人物としても話を聞いている。
それだけに、そのような人物が自分の前にいるというのには少し驚く。
「捕虜にしたのか」
「はい。幸いこのソブルという男の顔は知っていましたし、戦いの趨勢も決定づけられてましたので」
本来であれば、矢に右肩を貫かれて落馬したソブルの命はなくなっていて当然だった。
事実、地面で倒れていたソブルに向かって遊撃隊の兵士達は再び矢を放とうとしたのだが、ペールニクスがそれを止めたのだ。
何故そこにペールニクスがいたかと言えば、援軍の兵士がやってきて一段落したところで新たに聞こえてきた破壊音が気になってやってきたのが、ちょうどその場面だった。
味方の多くを犠牲にした陽動であると悟り、つまりそれだけの被害を出しながらも脱出しようとしていた者達なのだから重要人物なのだろう。そんな風に思い念の為に顔を確認したところ、その人物はソブルだった。
「こいつを捕虜にするのか? 色々と企まれて、いらない騒動が起きそうなのを考えるとここで殺してしまった方がいいと思うんだけどな」
「いえ、この男の身はカバジード殿下にとっても重要な筈。である以上、こちらにとっては交渉材料になるでしょう」
「……だ、そうだが。お前自身としてはどう思う?」
ペールニクスとの会話を一旦止め、ソブルの方へと視線を向けるレイ。
ソブルはその視線を真っ向から受け止める。
自分の命がどうなるかを目の前で話されているというのに、本人は全く動揺をした様子がない。
(へぇ、度胸があるな)
そんなソブルの様子に感心しつつも、レイは表情を動かさない。
お互いに黙って視線を交わすこと、三十秒程。
やがてソブルが口を開く。
「深紅。まさか本当に反乱軍に与していたとは」
「そう言葉に出来るってことは、予想していたんだろう?」
「そうであるかもしれないという情報はあった。だが前回の戦いの時には姿を見せなかったのを考えると、合流している可能性は低い。そう思ってたんだが……これならロドスを連れてくるべきだった」
ロドス。その名前が出た瞬間にレイの眉がピクリと動く。
それは、普通なら気にする必要もない程度の動揺。
だが、この場合は相手が悪すぎた。
「ロドスを知っているのか?」
何かを確認するように尋ねてくるソブルに、レイは当然とばかりに頷きを返す。
「それは知ってるさ。そもそも俺とロドスはギルムにいた時からの付き合いだし、ベスティア帝国に来るまでの護衛の依頼も一緒だった。おまけに、闘技大会でも戦ったんだからな」
「……それだけ、か?」
「何か勘違いしているようだが……」
そこで言葉を切ると、次の瞬間にはミスティリングから取り出したデスサイズを振るい、ソブルの首筋に刃を突きつける。
一瞬……ソブルの目では、殆ど何が起きたのか分からないままにその刃はそこに存在していた。
いつでも自分の命を刈り取れると行動で告げているレイに対し、ソブルはそんなのは関係ないとばかりにレイへと視線を向ける。
『……』
再び無言で視線を交差する時間が現れるが、ペールニクスはそれに対して何を言うでもなく二人の行動を見守る。
ペールニクスにしても、レイという人物がどれ程の存在なのかを見極めたいという思いがあった為だ。
戦闘力に関しては、最早言うまでもない。
春に起きたセレムース平原の戦争然り、つい先程行われた討伐軍の陣地の蹂躙然り。
なら次は……ということで、ソブルをこの場に連れて来たという一面もあった。
そんな沈黙を最初に破ったのは、ソブルの首筋に突きつけていたデスサイズを手元へと戻したレイ。
「自分の立場をよく考えてから物を言うんだな。質問するのはこっちであって、お前が出来るのはそれに答えずに何らかの責めを受けるか、はたまた大人しく答えて身の安全を買うかだ。……まぁ、こっちの軍の中にはメルクリオを軟禁して命を奪おうとしたお前達に対して憎んでいる奴も多いが」
メルクリオ、と敬称を付けなかったことにソブルは驚く。
もしかしたら、目の前にいる人物は目下カバジード最大のライバルにして、倒すことが出来れば一気に他の皇帝の地位を狙っている者達に差を付けることが出来るメルクリオと関係はよくないのか? と。
もっとも、レイと違ってそれを微かにでも表情に出すような真似はしなかったが。
「私が主君の情報をそう簡単に売ると?」
「その辺に関しては、自分で判断すればいい。お前の尋問なり拷問なりをするのは、反乱軍の者であって俺じゃない」
連れて行け。
そう短く命じられると、ペールニクスはレイの雰囲気に圧倒されていた二人の部下達へと声を掛けてソブルを連れて行く。
その後ろ姿を見送り、レイは頭を擦りつけてくるセトを撫でながら先程の自分の行為を考える。
(ロドスの件……大丈夫だったか? 俺と知り合いだからこそああいう態度になった。そんな風に勘違いしてくれればいいんだが)
自らが腹芸の類が苦手だというのは理解していたが、それでもあそこで微かに表情に出てしまったのは手痛い失敗だった。
「次から気をつけるしかないな」
気分を切り替えるように呟き、改めて周囲へと視線を向ける。
少し前までは討伐軍の陣地と呼ばれていたこの場所は、既に戦場跡としか呼べないような景色になっていた。
それも、一方的に襲撃された結果の戦場だ。
少なくても、この光景を見て平和な光景だと思える者はいないだろう。
「とにかく、これで帝国から放たれた第一の矢、第二の矢は共にへし折った。第三の矢はこっちと合流するつもりらしいし……暫くは睨み合いになるか? いや、フリツィオーネが反乱軍に合流しようと行動を起こせば、こっちも手を出さざるを得ないか」
そう考えつつも、シュルスもカバジードもまだ余力はかなり残っているというのはレイにも理解出来ている。
最初の討伐軍を編成したのは、第2皇子派の中でも使えない存在であるとシュルスが認識している者達であり、有能な者達はまだ多く残っている筈だからだ。
そして今回の第1皇子派で結成された討伐軍。
最初の討伐軍のように使えない人材という訳ではなく、寧ろ有能な人材で構成されていた。
それが殆ど生き残ることが出来ず、全滅に近い状態になったのは確かにカバジードにとっても痛手だろう。
だが有能な人材が数多く集まっている第1皇子派にしてみれば、確かに痛手ではあるが取り返しの付かない痛手という訳ではない。
つまり、未だにメルクリオ率いる反乱軍が敵対している第1皇子派、第2皇子派はどちらもが十分な戦力を残していることになる。
(前回の戦いと今回の戦いはこっちの圧勝という結果になった。だが……次からもこう簡単に戦いを進められるというのは考えない方がいい。こっちに俺がいるというのを向こうが知らなければ、もう一度くらいは同じような攻撃方法が出来たのかもしれないが)
内心で呟きつつ、レイの脳裏には先程顔を合わせたソブルの姿が思い浮かぶ。
そのソブルと共にいた者達は陣地からの脱出に成功している。そうなれば、今回の戦いがどのような経緯で進んだのかは向こうに知られるだろうと。
(せめて、カバジードの方だけで情報を抱え込んでくれればいいんだが……難しいか)
壊滅した討伐軍にシュルスの手の者が混ざっていたという情報を得ていなかったレイは、そう考える。
今回の戦いは、あくまでも自分という存在が反乱軍にいるというのを知らず、更には帝都から一日程度の距離にあるこの場所で野営をしていたという油断を突いたものだ。
同じ手が通用するとは絶対に思えなかった。
そうなると、次に行われるのはまともにぶつかりあうことになり……
(やっぱり次からの戦い、かなり厳しいことになりそうだな)
地上で起きた戦いなど興味がないとでも言いたげに夜空で煌々と輝く月を見上げ、火災旋風の影響か聞こえてこなくなった虫の音を多少残念に思い、内心で呟く。
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