第720話

 討伐軍の陣地が燃やし尽くされるのではないかと思える程の炎の竜巻。

 最初にそれを見たレイ直属の遊撃部隊の面々は、あれこそが自分達の隊長の力だと誇りに思う。

 だが同時に、あれだけの力を人の身で持っていてもいいのかという不安も湧き上がってくる。

 そんな兵士達だったが、陣地の中で暴れている火災旋風から逃れようと防護柵の出入り口から出てくる討伐軍の兵士達を見れば、自分達の役目を思い出す。

 矢筒から夜の闇に紛れるように黒く染めた矢を手に取り、弓へと番う。そうして、出入り口から出てきた兵士へと向かって矢を放つ。

 本来ならその色もあって、矢は目立たない。そういう狙いで矢を黒く染めたのだが、討伐軍の陣地で暴れている火災旋風が明るすぎた。

 ましてや、火災旋風だけではなくテントや馬車といった物にまで炎は燃え広がっており、その明るさは真昼の如く……とまではいかないものの、それでもとても夜とは呼べないものになっている。

 そんな状況の中ではあるが、遊撃部隊の面々は事前に指示された通りにそれぞれの出入り口へと散らばりながら脱出してきた者へと向かって矢を放つ。

 普通であれば、補給部隊の人数を入れて六千人を超える者達が――火災旋風でその多くが既に死亡しているが――脱出しようとしているのだが、その全てを逃がさずに射殺すというのは難しいだろう。

 だが、この遊撃部隊の人員は精鋭を集めて結成された部隊だ。当然その弓の腕前も一流以上のものがあり、次から次へと矢を放っては陣地の外へと逃れて安堵している者達の命を奪っていく。

 純粋に弓の腕だけで言えば、レイよりも下の者はこの場に存在しない者達だ。その戦果は非常に高い。

 ……もっとも、レイ自身が弓を使うということは殆どないのだが。

 弓を使うのであれば、寧ろ槍を投擲する方が早いというのがレイなのだから。

 陣地からそれなりに離れた位置で矢を放っていると、何十人、何百人もの断末魔の声が聞こえてくる。

 そんな状況で事態が進むこと、約三十分程。

 既に出入り口から出てくる者達の数も少なくなってきており、そろそろ夜襲の終わりも近いだろう。そんな風に皆が思い始めていた時……

 突然防護柵が激しく吹き飛ぶ。

 轟音と共に吹き飛ばされた防護柵は、地面に突き刺さった状態から一発で吹き飛ばされたのが分かる威力で空中へと吹き飛ばされ、地面へと落ちる。


「な、何だ!?」


 防護柵が吹き飛んだ場所の近くにあった出入り口を担当していた遊撃部隊の兵士が、思わす叫ぶ。


「落ち着けっ! このような事態は元々予想済みだった。元々防護柵は数人掛かりであれば破壊することも可能だというのは、前もって知っていた筈だ! とにかく今は敵を逃がさないことを最優先にし、あの突破口から出てくる者にも注意を払え! 幸い、他の出入り口から出てくる敵の数は減っている。増援を要請する伝令を出せ!」


 ペールニクスの命令に、必死に弓で矢を放っている兵士の一人が反射的に口を開く。


「ただでさえ俺達は人数が少ないんですよ!? この状況で伝令を走らせたら、ここの押さえそのものが!」


 そう、それは事実。

 精鋭の揃っている遊撃部隊だが、幾ら精鋭が揃っているとしても所詮三十人……実質的な指揮官でもあるペールニクスを入れても三十一人でしかない。

 数の差というのものは、どうしようもなく存在しているのだ。


「構わん。このままではあそこから抜け出した者達を逃がしてしまう。増援が来るまでは私が何とかする。……そうだな、お前が行ってこい」


 ペールニクスの視線の先にいるのは、たった今反論した兵士。

 その人物を選んだ理由は特にない。強いてあげるとすれば、現状の不利を理解した上で自分に対して進言をしてきたのだから、その不利を覆すためであれば全力を尽くすだろうという予想からだ。


「け、けどっ!」

「いいから行け! そうやってお前が躊躇っていれば、躊躇う程にこっちは不利になる!」


 破壊された防護柵の向こう側でも、当然こんな目立つ真似をすれば自分達が狙われるというのは理解しているのだろう。様子見をしているのか、迂闊に出てくる様子はない。

 そんな風にしている間にも出入り口の方から出てくる兵士の数は、少なくなりはしているものの、決していなくはならない。


「行けっ!」


 ペールニクスの叫びに、兵士は意を決したかのように走り去る。


「さて……後は援軍が来るか、それとも私達が突破されるかだな」

「……レイ隊長はどうしたんでしょう? 勿論あれ程の魔法を使ったのを考えると、余力の類はないのかもしれませんが」


 出入り口の方へと向かって矢を放つ別の兵士の言葉に、ペールニクスは破壊された防護柵へと牽制の為に矢を放ちつつ首を横に振る。


「レイ隊長は陣地の方で色々と動いている。このままだと陣地の中の補給物資がもやしつくされてしまうからな。それが燃やし尽くされる前に回収出来るのはレイ隊長しかいない」

「……あの防護柵を壊した以上、恐らく向こうの重要人物か強力な戦力が出てくると思うんですが……こっちに来て貰うことは出来ないんですか?」


 兵士の不安そうな言葉に、ペールニクスは首を横に振る。


「いや、残念ながら隊長に連絡を取る手段が……」


 そこまで告げた、その時。とうとつに破壊された防護柵から数人の兵士が飛び出してくるのが見えた。


「来たか!」


 鋭く叫び、矢を放つペールニクス。

 その矢は、最初に出てきた兵士の額へと突き刺さり、即座に兵士の命を奪う。

 だが次々に破壊されたところから出てくる兵士達は、次第にペールニクスの放つ矢の限界を超えつつあった。






「……なるほど、やっぱりこうなるか」


 ソブルが呟くが、周囲には兵士達の怒声やざわめきで満ちている為にそれを聞く者は少ない。

 ブラッタにシュルス直属の騎兵隊隊長だけがその話を聞いていた。

 ソブルが何をやったのかといえば、話は簡単だ。ただ単純にここから陣地の外に出ることが出来ると叫んだだけだ。

 普通であればその都合の良さに怪しむ者も出ただろう。

 しかし今は違う。自分達の背後で、巻き込まれればどう足掻いても絶対の死を与える炎の竜巻が好き勝手に動いているのだ。

 今自分達が生きているのは、幸運にもその動きに巻き込まれなかったからに過ぎない。

 そして、その幸運がいつまで続くのかは誰にも分からないのだ。

 だからといって陣地の外に出ようにも、出入り口には多くの兵士や、更には騎士や貴族といった者達までもが集まっており、自分が助かる為に味方同士で戦いになっている場所すらもある。

 そんな中、陣地の中に響いたのが防護柵が破壊されて、そこから外に出られるという叫びだった。

 それをやったのは、当然ブラッタ。

 本来であれば兵士数人で設置する防護柵をただの一撃で破壊したその力は、確かに第1皇子派の中でも最高戦力の一人と言われるだけのものはあるのだろう。


「……で、これからどうするんだ?」


 不機嫌そうにソブルへと尋ねるブラッタ。

 ブラッタにしてみれば、この討伐軍に参加している殆どが第1皇子派である以上、全員が半ば身内のようなものだ。

 その粗暴な性格とは裏腹に面倒見のいいブラッタにしてみれば、その身内が次から次に防護柵の破壊された場所から出て行くのを見るのは辛い。

 より正確には、陣地の外に出たところで聞こえてくる悲鳴を聞きたくないというのが正しいのだろう。

 それでもソブルの言葉に大人しく従っているのは、単純に他に方法が思いつかなかったからだ。

 もっと時間があれば話は別だったのかもしれないが、今咄嗟に思いつけと言われて思いつける程に自分の頭が良くないことは自分自身が一番理解していたし、事実何の打開策も思いつかなかったのだから。

 ブラッタの視線を向けられたソブルは、視線を兵士達の集団が出て行っている場所から別の防護柵の方へと向ける。


「今この陣地を取り囲んでいるだろう相手の意識は、ブラッタが壊した場所から出て行っている者達に集中している。幸か不幸か、聞こえてくる悲鳴の頻度から考えるとこの近辺に展開している兵士の数はそれ程多くないと思われるが、そこから兵士が脱出しようとしているのを知れば、当然援軍を出してくるだろう。そうなるとますます反乱軍の意識は向こうに集中する」


 その言葉を、ブラッタと騎兵隊の隊長は大人しく聞く。

 実際、こうしている今も防護柵の壊れた場所からは兵士達が途切れることなく飛び出しているのだが、外に出る度に悲鳴が聞こえてくる。

 だがそれでも……少しでも生き延びられる可能性の高い方を選ぼうと、兵士達は外へと向かう動きを止めることはない。


「つまり、この動きは一種の陽動になっている訳だ。そして陽動である以上はそれを最大限に利用する」


 そこまで来れば、ブラッタにもソブルの言いたいことは理解出来た。

 ……理解せざるを得なかった。


「奴等を囮にするってことか?」

「そうだ。私達がこの陣地から脱出するのは、もう少しあそこから離れた場所の方が……出来れば帝都方面の方がいい。そして新たに防護柵を破壊したら、今度は他の者達を呼ばず一気に駆け抜ける。反乱軍の攻撃が一瞬でも動揺で遅れれば、それは即ちこちらにとっての絶好の好機となる筈だ」


 至極当然とばかりに言いきるソブルの言葉に、ブラッタは確認の意味を込めて尋ねる。


「本当に……本当にそれしか方法はないのか?」

「ああ。私が今思いつく中ではこれがもっとも確実にカバジード殿下に深紅が反乱軍に与したという情報を伝えられる方法だ」

「……分かった。ソブルが言うんなら、それしかないんだろうしな」


 ブラッタの口から出た言葉に驚いたのは、シュルスの命により討伐軍に参加していた騎兵隊の隊長だった。

 シュルスの部下として、当然その対抗馬……どころか、目下最大のライバルでもあるカバジードの部下に関しては、それなり以上に情報を得ている。

 その中で、ブラッタは仲間思いの性格をしているという風に理解されていた為だ。

 だが、騎馬隊の隊長はその驚愕を表情には出さない。

 いずれ……将来的に確実に戦う相手になるだろう者達だ。向こうの情報は少しでも欲しいし、こちらの情報は少しでも渡したくないと思うのは当然だろう。

 そんな三者三様の思いを抱きながら、ブラッタ達の一団は火災旋風の進行方向を気にしながらも、陣地の中を騎兵隊から借りた予備の馬に乗りながら移動していく。

 既に陣地の中にいる者……正確には陣地の中にいながらにして生きている者は殆ど残っていない。

 好き勝手に動き回る火災旋風により燃やし尽くされるか、陣地の外に出ようとして味方同士で殺し合って死んだか、陣地の外に出て弓矢で射殺されるか。

 勿論そんな中でも生き残っている者はいるだろう。他の死体の下に潜り込んで死んだ振りをしたり、陣地の中で幸運を頼りに生き延びていたりと。

 そんな、生きている者の気配が殆どしない陣地の中をブラッタ達は突き進み……


「ここだ、な」


 陣地の中で、最も帝都に近い場所で歩みを止める。

 目の前の防護柵には、最悪と言ってもいい今夜の出来事の中で付いたのだろう血の染みがあり、それを見た者達を不安にさせる。

 だが、今ここで躊躇っている時間はない。そう判断したブラッタは、改めて背後を見る。

 自分と同様に馬に乗っているソブル。そしてシュルスの部下の騎兵隊が二十人程。

 合計三十人にも満たない数で、この地獄から抜け出さなければならない。


(いや、あの炎の竜巻を考えると、よくこれだけ残ったと考えるべきだろうな)


 つくづく今日は人生最悪の日だ。そんな風に考えつつ、口を開く。


「いいか、これからそこの防護柵を壊す。そうしたら全員が一目散にそこから脱出するんだ。恐らくすぐに追撃が掛かるだろうが、それで誰が死んだとしても決して振り返るな。ひたすらに帝都に戻って、討伐軍の壊滅を……そして深紅が反乱軍に協力しているという内容をカバジード殿下、そしてシュルス殿下に知らせるんだ」


 自分達の中で誰が生き残っても、その二人には知らせる。

 半ば暗黙の了解でそう言葉を交わすと、ブラッタは持っていた長剣を大きく振るう。

 軽く手を振ったようにしか見えない一撃だったが、その一撃は馬上からでも防護柵へと届き、更に破壊することに成功する。

 その瞬間……


「行くぞっ!」


 ブラッタのその叫びと共に、その場にいた者達は一気に破壊された防護柵へと突っ込んで行く。

 陣地の外へと出るが、周囲から攻撃される様子はない。

 行ける。

 その場にいた皆の思いが一つになった、その時……

 ヒュッという、空気を斬り裂く音が聞こえ、次の瞬間にはブラッタの後ろから痛みを堪える声と、何かが落ちる音が響く。

 それが何を意味しているのかは、当然覚悟の上だった。

 ブラッタにしても、最初から危険は承知の上での脱出だったのだから背後で脱落した者には意識を割かず、ただひたすら何も言わずに真っ直ぐに帝都へと向かって走る。……本来であれば。

 そう。本来であれば、だ。

 落馬した者のいた位置。そこにいたのがソブルではなくシュルスの騎兵隊の者であればそうしただろう。

 だが、違った。そこで落馬したのはソブル。自分の相棒なのだ。

 それ故、咄嗟に後ろを振り向いたのは当然のことだったのだろう。

 そして背後を見たブラッタは、地面を転がっているソブルと一瞬だけ視線が合う。

 強い意志の宿ったその視線は、自分に構わずに役目を果たせと。そう言っているように思えた。


「っ!? くそっ!」


 その視線を受けたブラッタは、吐き捨てるように叫びながらそのまま夜道を走る。

 帝都へと向かって……ソブルの命は恐らく諦めなければならないと理解しつつ。


「深紅ぅっ!」


 この状況を作り出しただろう相手の名前を叫びながら。

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