第719話

 陣地の中が混乱の坩堝となっている中、討伐軍を率いているブラッタとソブルの二人はカバジードから預かった地図や武器を手にして陣地内を走っていた。

 火災旋風が完成する直前に叫ばれた火事だという声に本能的に危険を察知して、ソブルと二人距離を取ることに成功したのだが、それでも武器と地図以外は手に持たず、半ば着の身着のままと言ってもいいような姿だった。

 視線の先では見上げる程に巨大な炎の竜巻が存在しており、陣地の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったりと、気の赴くままに移動を繰り返している。


「くそっ、適当に移動しているように見えて決して陣地から出ねえってのは、どうなってんだ!?」


 周囲から聞こえてくる討伐軍の兵士や騎士、冒険者、更には貴族といった者達の混乱するような声に、負けじと叫びを上げるブラッタ。

 苛立たしげな声で叫び、炎の竜巻を憎々しげに睨み付ける。

 今夜一晩で討伐軍が大きなダメージを受けるのは間違いがなかった。

 いや、正確には大きなダメージどころではない。全滅や壊滅と呼んでもいい程の被害だ。

 既に反乱軍と戦うことは出来ない。何も出来ないまま……それこそ、敵と一戦すら出来ないままに自分達の敗北は決まったのだ。


(くそっ、くそっ、くそっ! シュルス殿下の結成した役立たずの捨て駒達ですら反乱軍と戦うことが出来た。なのに俺達は……俺は一戦すらも出来ないのかよっ!)


 胸中に宿る苛立ちは、既に頂点に達している。

 だが直情傾向気味のブラッタがそれを態度に出さずにいるのは、やはり今は生き残ることを最優先に考えているからだろう。


「なっ!」


 そんなブラッタに聞こえてきたのは、自らの相棒であるソブルが発した驚愕の声。

 常に沈着冷静という言葉を体現しているような、そんなソブルが上げたとは思えない声だったが、ソブルと同じように足を止めてその視線を追ったブラッタはその理由を理解する。

 炎の竜巻が向かっているのは、この討伐軍でも数少ない竜騎士達の乗るワイバーンがいる場所だったからだ。

 当然ワイバーン達にしても、自分達に向かって炎の竜巻が向かってきているのは理解している。

 だが当然ながら、ワイバーンが自由に移動出来るようにはなっていない。

 万が一のことを考え、手綱を地面に結びつけてあるのだ。

 本来であればワイバーンが好き勝手に空を飛んだり、逃げ出したりするのを防ぐ為の措置。

 ワイバーンが逃げられないということは、誰かが何らかの危害を加えようとした時にも逃げ出せないことを意味している。

 その為、幾度かワイバーンの身の危険を理由として改めた方がいいのではないかという議論がされたこともあるのだが、そもそもワイバーン自体が強力なモンスターであり、生身の人間が手を出してもそう簡単に傷を負うようなことはない。

 遠距離から弓を使うにしても、炎弾という攻撃手段がある。

 それ故にワイバーンに関しては結局以前と変わらぬままになっていたのだが……今回は、それが致命的だった。


『ガアアアアアアァァァァァッ!』


 ワイバーンのいる方から聞こえてくる声。

 その声が怒りの声や戦いの時に放つ声ではなく、断末魔の悲鳴の類であるのはブラッタとソブルの二人にもすぐに分かった。

 つまりそれは、第1皇子派として持っている数少ない竜騎士のワイバーンが死んだことを意味していた。

 勿論この討伐軍に参加した竜騎士が第1皇子派の竜騎士全てではない。

 だがそれでも、第1皇子派としての竜騎士の中では半分以上を占めるのも事実。


「くそっ、カバジード殿下にどう顔向けしろってんだ! 折角集めた討伐軍は既に半壊状態、切り札の竜騎士も何もさせることすら出来ずにワイバーンを殺されてしまって……」


 ギリリ、と奥歯を噛み締めながら呟くブラッタ。

 そんなブラッタに対して先程の動揺は既に収まったのか、ソブルがその肩に手を置く。


「落ち着け。確かに討伐軍は致命的な被害を受けた。だが……その代わりに、俺達はとても大きな情報を手に入れることが出来た」


 何を言ってるんだ? そんな表情を浮かべつつソブルへと視線を向けるブラッタ。

 自分達が何の情報を得たというのか。まだ自分達の勢力圏内……それも帝都のすぐ近くだからということで油断し、これ程の被害を出した自分達に、と。

 だが、ソブルは再度同じ言葉を繰り返す。


「落ち着け」


 その言葉でブラッタが落ち着くことが出来たのは、ソブルと長い付き合いがあったからこそだろう。

 ブラッタの知る限り、ソブルが今の様な表情をしている時に必ず何らかの意味があったのだ。

 それを思い出したのか、ブラッタの意識はようやく落ち着いていく。

 相棒のそんな様子を見て、ソブルもようやくブラッタが落ち着いたと判断したのだろう。再び陣地の中をブラッタと共に走りながら口を開く。……今回の件で決して見逃すことが出来ない情報を。


「いいか? この陣地を破壊したのはあの好き勝手に動いている炎の竜巻だ。……炎の竜巻。これを聞いて何か思い出すことはないか?」

「……は? 炎の竜巻? それが何か……待て。炎の竜巻……炎の竜巻? 炎の竜巻だとぉっ!?」


 話しているうちにブラッタもソブルと同じ結論に達したのか、厳しく表情を引き締める。

 炎の竜巻。それはベスティア帝国に所属する者にとって決して忘れることが出来ない、ある人物の象徴の一つなのだから。

 他にも身の丈よりも巨大な鎌を持ち、大空の死神とも呼ばれるランクAモンスターのグリフォンを従魔に持つという、その人物。

 深紅の異名を持つ、ランクB冒険者のレイ。


「馬鹿な……じゃあ、これは奴が、深紅がやったってことなのか!?」

「奴以外にこんな真似が出来る奴を知っているか? いや、やれそうな奴は異名持ちで何人かいるが、あの深紅がこの時期に偶然ベスティア帝国に来て闘技大会に参加し、偶然内乱が起きる前後に行方を眩まし、偶然深紅の象徴でもある炎の竜巻を使いこなせる他の奴がここにいた」


 炎の竜巻が陣地の中を縦横無尽に荒し回っている中を走り回りつつも、既にソブルの言葉には一切の動揺がない。


「一度や二度なら偶然で片付けてもいいかもしれないが、さすがに三度も続けばそれを偶然で片付けるのには無理がある。……違うか?」

「確かにな。くそっ、だが本当に深紅が反乱軍に協力してたとはな。今の今まで全く姿を見せなかったし、まさかここでその手札を切ってくるとは思わなかったぜ」

「いや、寧ろここだからこそだろう。まだこちらの勢力圏内ということもあって、討伐軍の者達は完全に油断していた。しかも周囲には防護柵があって抜け出ることが出来る出入り口は少ない。更には夜で殆どの者が寝ており、相手にはグリフォンという移動手段がある」

「普通なら個人が頑張っても受ける被害ってのはたかが知れてるんだがな」


 テントの焼けた布が自分の方に飛んできたのを見て、持っていた長剣で斬り払いながら忌々しそうに吐き捨てるブラッタ。

 その様子を見ながら、ソブルは小さく溜息を吐く。


「確かに普通ならブラッタの言う通りだ。だが、不幸なことに深紅は魔法戦士であり、使う魔法は広域殲滅に適した魔法が多い。……正直、深紅が自由に動き回っている時点で、軍隊が動いているのと同じようなものだ」


 従魔のグリフォンに乗って空を移動可能であり、しかも個人であるが故に人目につきにくい。

 それでいながら使う魔法の威力は高く、広域殲滅魔法を得意とする。

 正直、卑怯だと言いたくなる程の能力の高さだ。


「くそっ、ロドス辺りがいれば喜んだのかもしれないが、俺達にとっては疫病神以外の何ものでもないなっ!」


 火災旋風により焼き殺された兵士の死体が飛んでくるのを見て、ソブルを強引に引っ張るブラッタ。

 すると次の瞬間には、数秒前にソブルの身体があった場所を死体が通り過ぎていく。

 その速度はとても人が吹き飛ばされた時に出るものではなく、人の死体が飛んでくるというよりも火災旋風から肉の弾丸が放たれたと表現するのが正しい。

 それも、その肉の弾丸はレザーアーマーを始めとして防具を身につけている者も多く、より威力を増している。

 ソブルはブラッタのおかげで何とか回避することに成功したが、陣地の中では火災旋風に飲み込まれた兵士や、金属鎧を身につけた騎士の死体といったものが同様に放たれては、多くの被害を出している。

 以前セレムース平原で使われた火災旋風であれば、多少移動したものの、殆どその場に留まっていたのだからここまで被害は出なかっただろう。

 だが、今回の火災旋風は違う。陣地の中を右に左にと動き回っている為に、その被害は加速度的に増えている。

 せめてもの救いは、春の戦争の時に参加したベスティア帝国軍の人数に比べて討伐軍の人数が四千人……いや、補給部隊やその護衛も含めると六千人程度だった為に受けている被害そのものは以前よりも少ないということだが、ソブルやブラッタには何の慰めにもならないだろう。


「ちくしょうっ! せめて正々堂々と戦えばまだ何とかなるかもしれないってのに……」


 苛立たしげに叫んだブラッタの肩を、ソブルは再び落ち着かせるように強く掴む。


「違う。いいか、ブラッタ。今お前がすべきことは何だ? それは何としてもここから脱出して、深紅が反乱軍に参加したという情報をカバジード殿下に知らせることだ。ここで俺達が全滅してみろ。そうなるとカバジード殿下は深紅が向こうに付いているという確証を得られないままに、再び対峙することになる。それがどれ程危険なのかは、既に言うまでもないな?」


 その言葉は事実だった。

 実際、自分達の勢力圏内であるという油断があったのは事実だが、反乱軍にレイがいるという確証を得られていなかったというのも、この現状になった大きな原因の一つなのだから。

 だからこそ、ここで自分達が全滅するようなことがあってはならない。

 何としても、今回の件を自分達の主君に伝えなければならないという、そんな思いを込めた視線をソブルはブラッタへと向け……


「ブラッタ殿! ご無事でしたか! ソブル殿も!」


 ブラッタが何かを言う前に聞こえてきたそんな声に、二人ともが視線をそちらへと向ける。

 そこにいたのは、火災旋風が動き回っている中でよくも無事だったと思いたくなるような馬に乗った者達。

 第2皇子のシュルスが強引に今回の討伐軍に押し込んできた騎兵達だった。


「ああ、どうにかな。そっちも無事だったようで何よりだ」


 そう言葉を返し、一同は火災旋風が自分達からは遠くへと――それでも同じ陣地内だが――移動しているのを確認し、一旦足を止めて向かい合う。

 今更所属派閥の違いで争っているような余裕はない。今は何としてもここから脱出する必要があり、そして帝都へと帰って自らの主君に今回の件を知らせなければならない。

 殆ど視線を交わしただけで、お互いにその意思を確認する。


「こちらから馬を出しましょう。その代わり、私達がこの地獄から脱出するのに協力して貰いたい」

「分かった。こっちもそれで構わない」


 悠長に交渉している時間はない為、お互いに要点だけを告げ、素早く準備を整える。

 相手の言葉に即断したブラッタだったが、当然討伐軍の他の者達に何も感じていない訳ではない。

 だが、それでも……ここで無駄に時間を浪費すれば、それは討伐軍だけではなくカバジードにとっても致命的な出来事になるかもしれない。そう思えば躊躇する必要はなかった。


「それで、ブラッタ殿。どこから脱出を? こちらで集めた情報によれば、防護柵の出入り口付近にはそれぞれ反乱軍の者達が潜んでおり、弓で狙い撃ちにしているとか」


 騎兵隊の隊長の言葉にブラッタは舌打ちをし、ソブルは不愉快そうに眉を顰める。

 攻撃されている方としては非常に面白くない配置だが、それだけに向こうの手際を認めざるを得ない。

 この時に不運だったのは、弓で狙撃している部隊の人数が全員で三十人程度しかいないということをブラッタ達が理解していなかったことか。

 もしもそれを知っていれば、多少の被害は構わず一気に出入り口へと突き進んだだろうから。

 だが、これだけ大掛かりな奇襲を仕掛けてきた以上、そちらにも相応の人数を配置していると考えるのは当然だった。

 ブラッタの相棒であるソブルにしても、自分達の勢力圏内の奥深くでの夜襲ということで多少疑問を感じたが、それを告げる前にブラッタが口を開く。


「敵の攻撃が集中しているのは出入り口なんだな?」

「え? はい。それは勿論」


 何を当然のことを言っているのだろう。騎兵隊の隊長はブラッタの言葉にそう疑問を抱きつつも、答える。

 だがそれを聞いたブラッタは、獰猛な笑みを浮かべつつ視線を出入り口……ではなく、防護柵へと向ける。


「なら話は簡単だ。わざわざ敵が待ち受けている場所から脱出しなくても、その意表を突いてやればいい」

「……なるほど。確かにブラッタならそれが可能だろうな」


 ブラッタが何を言いたいのかを理解したソブルは納得したように呟き、二人が何を言っているのかを理解出来ない騎兵隊の隊長はただ首を傾げることしか出来なかった。

 惨劇の夜は、ようやく終わりへと向かいつつある……

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