第722話

 夜空に存在する月が煌々と地上を月明かりで照らす中、その集団は脇目も振らずに全速力で走っていた。

 全員が馬に乗っており、死に物狂いで走る、走る、走る。

 これだけ全速力で走っていれば、本来なら馬の方も疲れて足を緩める筈なのだが、今は馬も疲れなど全く感じていないかのように走り続ける。

 馬にも分かっているのだ。つい先程まで自分達がいた場所は死が溢れており、そこから少しでも早く、遠くへと離れる必要があると。

 それ故、本来であれば既に疲れから休まなければならないと馬自身が分かっていても、背後から迫る恐怖から遠ざかるようにして突き進む。

 そんな中、ブラッタの横を走っていた騎兵隊の隊長が叫ぶ。


「ブラッタ殿! そろそろ休憩させないと馬が潰れます! 幸い、ここからそう離れていない場所に小さいですが川があったと思いますので、一旦そちらに向かいましょう!」

「……」


 隊長の言葉にブラッタは無言で頷き、先導するように街道から逸れていく騎兵隊の後を追う。

 いつもは騒がしいブラッタのその様子に、騎兵隊の者達は微妙に嫌なものを感じつつも目的としている川へと向かう。

 馬も自分達に乗っている者が緊張を解き始めているのが分かったのか、それに合わせるようにして速度を緩めていく。

 そのまま進むこと二十分程。やがて水の流れる音が聞こえてくる。

 そして現れたのは、川……と言うよりは小川と表現すべき程度の川だった。

 向こう岸までは二m程度しかないだろう。その深さにしても、大人の膝くらいまでしかない。

 それでもここまで全速力で走ってきた馬や、それに乗っていた騎士にしてみれば、これ以上はないだろう休憩場所だった。


「……ふぅ。一先ずここで休憩とする。馬もここまで全力疾走してきたんだ。相当に疲れが溜まっているだろう。代え馬がいれば良かったんだが、生き残れたことが不思議なくらいだ。贅沢は言えない」


 騎兵隊の隊長の言葉に、他の騎兵達も全員が頷く。

 この場にいるのはブラッタ以外全てが騎兵隊……正確にはシュルス直属の騎兵隊だ。

 本来であれば討伐軍は第1皇子派の者達で結成されており、ブラッタの前にいる騎兵達は小規模な例外である筈だった。

 だが……今ではその立場は完全に逆転しており、ブラッタの方がこの場にいる中で少数派になっている。


「……」


 しかし、ブラッタはそんな様子を全く気にした様子もなく、馬から下りるとそのまま川へと連れて行く。 

 馬にしてもここまでの全力疾走で余程に疲れていたのだろう。短く鳴いて川の水へと口を付ける。

 そのまま休まずに水を飲み続けている馬の背を、ブラッタはそっと撫でる。


「無茶させて悪かったな。けど、また無茶させることになると思うから、もう少し頑張ってくれ」


 その言葉に答えた訳ではないだろうが、川の水から顔を上げてブルル、と馬が鳴く。


「ブラッタ殿、これを。真夜中の戦闘からここまで動きっぱなしでしたし、少しでも体力を回復させておいて下さい」


 騎兵隊の隊長が手渡してきたのは、干した果実。

 天日干しにより十分に干されたその果実は、噛むと口一杯に甘みが広がる。

 それ程甘い物が得意ではないブラッタは、口の中に広がる味に微かに眉を顰めながら川の水を掬って飲む。

 そうして……初めて自分の喉が渇いていたことを理解し、何度となく水を掬っては口へと運ぶ。

 火災旋風が暴れ回る陣地内に、最後の最後までいたのだ。火災旋風から放射される熱は陣地内の温度を急速に上げ、秋の夜中だというのに真夏の日差しの下にいるかのような……下手をすればそれ以上の気温の中で行動していた。

 それも、涼しい秋の夜の温度から急に、だ。

 更に、火災旋風の動き次第ではあっさりと自分達の命が奪われるという、自分の技量は全く関係なく、運で全てが決まる状況の中を生き延びてきたのだ。その上、陣地からここまで一切の休みなく全力で走り通してきたのだから、思った以上に体力を消耗し、喉が渇いていたのだろう。

 腹の中が水で一杯になるまで川の水を飲み続け、そこまでしてようやく一息つく。

 そうして夜空を見上げると、そこにあるのは大きく見える月と無数の星々。

 その星々に意識を奪われ……やがて、ソブルがあの冷静沈着な性格にも関わらず良く星空を見上げていたのを思い出す。

 同時に心の底から浮かび上がってくる憎悪。

 自らの友人であり、相棒であり、理解者であり、更には半ば保護者のような態度をも取っていた、そんな相手。

 そんな相手が矢で射られたのだ。あそこまで徹底的に自分達を殺しに来た以上、恐らくソブルも落馬した状態で命が助かってはいたが、その後の運命を予想するのはそう難しい話ではない。


「くそっ……ちくしょう、ちっくしょうっ!」


 自らの内から湧き上がってきた感情のまま、地面を殴りつけるブラッタ。

 その威力は凄まじく、地面が数cm程陥没する。

 だが……それだけの力があったとしても、自分は友人一人守り切ることは出来なかった。

 この時になって、初めてブラッタはロドスの気持ちを理解したような気がした。

 勿論、自分が感じている憎悪がロドスの抱いているものと大きく違うというのは理解している。

 それでも、マイナスの感情という意味では同じだろうと。

 地面に寝転び、草の匂いを嗅ぎながら夜空の星へと視線を向け、生きているのか死んでいるのかも分からない友人の名を呟く。


「ソブル……」

「苛立つ気持ちは分かりますが、今は何より帝都に戻ることを優先すべきかと」


 そんなブラッタに声を掛けてきたのは、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、騎兵隊の隊長だった。

 もっとも隊長以外の騎兵隊の者達は、ブラッタの放つ殺気にも近い怒気に当てられ、話し掛けるようなことが出来ずにいたのだから当然だろう。

 この隊長にしても、表面上はともかくとして掌や背筋には汗が滲んでいるし、内心では目の前の男から感じる殺気に怖じ気づいてもいた。

 カバジードの部下の中でも最高戦力の一人に数えられるブラッタと、シュルスの直属ではあっても所詮は騎兵隊の一部隊を任されているだけの男だ。その実力の差は歴然と言える。

 それでもシュルスに対しての忠誠心厚い隊長は、何とかブラッタを引っ張って帝都まで行かねばならなかった。

 その理由として、自分達だけで帝都に戻ればカバジードにより妙な風に情報操作をされかねないというのがある。

 自分達が反乱軍と手を組み、陣地の中に向こうの部隊を招き入れたとでも言われれば、それを覆す物証は何もないのだ。

 そのような真似でもしない限り、戦力と補給部隊やその護衛合わせて六千人近い者達が全滅や壊滅といった表現でも生温いような状況になるというのは、信じられないのだから。


(本当の意味での全滅ではないだろう。私達以外にも生き残っている者はいる筈だし、向こうで捕虜になっている者もいるかもしれない。だが……それでも、この男は絶対に必要だ)


 内心でそう覚悟を決めて口にした隊長だったが、それに戻ってきたのは予想外の反応だった。


「分かってる……分かってるよ。俺はあいつに託されたんだ。カバジード殿下に深紅が向こうについたという情報を知らせる義務が……いや、権利がある」


 ギリリ、と周囲に聞こえるのはブラッタが歯を食いしばる音。

 それがブラッタの中にある怒りを表していた。

 そんなブラッタの様子に、いつ噴火するかも分からない火山のようなイメージを見た隊長は、思わず数歩後退る。


「とにかく、一旦ここで馬を休ませてから……そうですね、一時間程したら出発します。その後は今回のように馬を限界まで走らせるのではなく、ある程度の余裕を持っての移動となります」

「……ああ。分かってる」


 そもそも陣地から数時間を掛けてここまで必死に走ってきたのは、反乱軍の追撃を振り切るという目的もあったが、絶望の象徴となっていた火災旋風と、それを生み出した深紅の存在があった。

 それから逃げ出す為に、馬が潰れてもおかしくない程の速度で長時間全力疾走をしてきたのだ。

 それでも潰れなかったのは、純粋にシュルス直属の騎兵部隊で使われている馬の能力が高かったからだろう。 

 だがその馬達にしても、これ以上無理をさせることは出来ない程に消耗している。

 隊長にしてみれば、出来れば馬はもっと……出来れば今晩一晩くらいは休ませてやりたいところだったが、先程起こった出来事……討伐軍の壊滅という事態を考えると、少しでも早く自らが仕える主にこの情報を知らせる必要があった。


「では、ブラッタ殿も出発までもう少しお休み下さい。見張りの方はこちらで引き受けますので」


 それだけを告げて去って行く隊長の後ろ姿に、ブラッタは特に何を答えるでもなく、ただ一瞥する。

 この場では自分は向こうの意見を聞いた方がいいと理解している為だ。

 ブラッタ本人としては、今すぐにでもここを飛び出して帝都まで向かいたいという気持ちで一杯だったのだが……そんな真似が出来る筈もない。

 結局は騎馬隊の隊長の言葉通り、時間が来るまで休むしかなかった。






「よし、じゃあ準備はいいな?」


 確認するようなレイの問い掛けに、ペールニクスは黙って頷く。

 既に出発する準備は完全に整っており、捕虜としたソブルにしても迂闊な真似が出来ないように縛り上げてレイが討伐軍から接収した馬車に乗っている。

 そんな馬車の御者台には遊撃部隊の者が座っており、一応見張りとして車体の中にもソブルの他に数人同乗させていた。

 尚、馬車を引く馬はそれらの者達が乗っていた馬だ。

 ソブルの本領はあくまでも頭脳。この状況では妙な真似は出来ないというのがレイやペールニクスに共通した考えだった。

 また、他の遊撃部隊の兵士達もそれぞれが馬に騎乗している。

 遊撃部隊という部隊の特性上、当然機動力が重視される以上乗馬の技術は必須のものだった。

 もっとも、そもそも遊撃部隊に選ばれたのは精鋭達だ。当然乗馬の技術については皆が相応のものを持っている。

 ……レイの場合は、馬ではなくグリフォンのセトだったが。


「これから拠点に戻るが、一応敵に見つからないように注意してくれ。本来なら朝になってから出発したいんだが、あの火災……いや、炎の竜巻を見た周辺の貴族や騎士団、冒険者、傭兵団といった者達が様子見のために偵察部隊を送ってこないとも限らない。夜の中で偵察を送ってくる者は少ないだろうが、朝になれば確実に多くなるだろう」


 そんなレイの言葉に、皆が分かっていると頷く。

 皆がそれを理解しているからこそ、戦闘が終わって数時間。まだ夜も明けていない時間だというのに、こうして撤退する準備を整え、文句の一つも言わずにいるのだから。

 ……もっとも、レイに対して文句を言えるような者がいるかと言われれば、この場にいる者の全員が……それこそペールニクスも含めて否と答える。

 それ程の強さをレイは皆に見せつけているし、何よりも目の前で見た火災旋風が大きい。

 もし死の象徴とも呼べるべき火災旋風を間近で見ておきながら、それでも尚レイに対して何かを言えるというのは相当の人物だろう。

 それに、遊撃部隊の兵士達はこの戦いに参加はしたものの、実際には離れた場所から防護柵の出入り口から出てくる敵を弓矢で狙っていただけだ。確かに戦闘をしたのだから疲れていないとは間違っても言えないが、それでも実際に斬り合いをした時に比べれば疲労は少ない。

 そのおかげで、こうして戦闘が終わってからそう時間が経っていないのに撤退の準備を整えて出発することが出来た。


「この時間なら一応安全だと思うが、ここまで来る時にやったように俺が上空から偵察して他の勢力の部隊とぶつからないようにする」


 レイのその言葉に安堵の息を吐く遊撃隊の面々。

 何しろ、夜である以上周囲はまだまだ闇に包まれている。

 勿論月明かりもあるが、それでも日中に比べれば酷く視界が制限されるのは当然だった。

 それを考えると、夜目の利くレイとセトが上空から近づいてくる相手がいないかどうかを確認してくれるというのは、夜間行軍の手間を考えればこれ以上ない程に助かる。

 当然レイやセトでも全てを完璧に見逃さないという訳ではないので、モンスターの活発に動く時間帯である夜に闇に紛れて近づいてくるゴブリンのような者達がいないとも限らない。

 だが遊撃部隊の移動は馬や馬車で行われる以上、ゴブリンが追いつける筈もなかった。

 近づいてきたのを見つけ、攻撃の準備を整えた時には既に攻撃範囲外に出ているのだから、相手にする必要もない。

 遊撃隊が受けた被害は皆無で、総勢六千人程の討伐軍は壊滅状態。

 これ以上ない程の大戦果をもって、レイ達は反乱軍の陣地へと戻っていく。

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