第701話

「はあああああああっ!」


 雄叫びの声と共に振るわれる長剣。

 その兵士と向かい合っていた男は、手に持つ槍で自分に振るわれた長剣を弾き、その隙を突くかのように槍を叩きつけるかの如く振るう。


「貰った!」

「させるか!」


 自分の胴体目掛けて横薙ぎに振るわれたその槍の一撃を、兵士の方は弾かれた長剣の勢いをも利用して強引に身体を回転させて回避するが……

 次の瞬間、本来であれば自分の胴体を薙ぎ払えずに空を切る筈だった槍が一瞬にして空中で止まり、気が付けば穂先が自分の眼前へと突きつけられていることに気が付く。


『……』


 そのまま数秒、お互いが無言で視線を交え……


「だー、もう分かった分かった。俺の負けだよ負け!」

「へっへっへっ。よろしい。これで今夜の酒はお前の奢りだな」


 槍を構えていた方……兵士ではなく冒険者といった装いの男は、してやったりといった笑みを浮かべながら槍を引き戻す。

 兵士の方も、手に持っていた長剣を力なく下ろした。

 お互い持っているのは模擬戦用に刃を潰したものだが、それでも熟練の者が使えば容易に人を殺す。

 そんな武器を持っているにしても、兵士と冒険者の二人は特に気負った様子もないままに武器を手にし、お互いに言葉を交える。


「ちっくしょう……今回は結構良かったと思うんだけどな」

「まぁ、それは否定しない。実際、最後に振るわれた一撃は鋭い一撃だった。けど、その一撃を出すために力を込めすぎだ。だから渾身の一撃をああいう風にいなされてしまえば、大きな隙が出来る」


 そう告げる冒険者の言葉に、兵士は悔しげな表情を浮かべながらも頷きを返す。


「なるほど、今度はその辺に注意して戦うことにするよ」

「そうしろ。前回の討伐軍は殆ど雑魚と言ってもいい奴等だったから、こっちに大きな被害はなかったが、恐らく次はきちんとそれなりの奴等が出てくる筈だ。今のうちにきちんと腕を磨いておくんだな」

「ああ、そうさせて貰うよ。にしても、冒険者ってのはやっぱり腕利きが多いな。他の冒険者とも何度か訓練したけど、大抵こっちが負けたぞ」


 溜息を吐きながら呟く兵士。

 この兵士はヴィヘラの要請に従って反乱軍に味方をすると決めた貴族の部隊の兵士なのだが、訓練の為に訓練をしてきたような部隊の出身であり、それ故に実戦をする際には被害が大きくなると危ぶんだ貴族が反乱軍の冒険者を纏めている人物へと要請し、こうして冒険者と兵士の合同訓練が行われることになった。

 尚、冒険者達を纏めているのは当然レイ……ではない。ランク的にはレイと同じランクB冒険者でそれなりに腕は立つが、異名の類は持っていない、ごく普通の人物が冒険者達を率いている。

 ……もっとも、ランクB冒険者という時点でとても普通とは言えない存在になっているのだが。


「あー……こうして見ると、どこも結構終わってきてるな」


 冒険者の男が、模擬戦用の槍を手に持ちながら周囲を見回す。

 その視線の先では、いたるところで冒険者と兵士達が訓練を行っている。

 前回の戦いから既に五日程。反乱軍の者達は戦場跡で疫病の類が起きないように死体の後処理をしてから、本拠地とも言えるこの陣地に戻ってきたのは昨日のことだ。

 既に秋である以上、これからは夏のように暑くなる訳でもないし死体はそのままにしてもいいのではないかという声もあったのだが、メルクリオを始めとする反乱軍の首脳陣はそれを却下。

 念には念をということで、しっかりと死体の後処理をすることになった。

 そもそも、反乱軍と討伐軍がぶつかった戦場はオブリシン伯爵領からそれ程遠くない場所だ。

 もしも放っておいて疫病が発生でもすれば、それは反乱軍にも被害を与えかねない。

 また、それ以上に問題なのは、死体のアンデッド化だろう。疫病はこれからの季節を考えれば、もしかしたら起きないかもしれない。だが死んでいった兵士や騎士、貴族達の恨み辛みを考えれば、死体がアンデッド化する可能性は十分以上にある。

 ただでさえグルガストが反乱軍に与したということで、商人の足が途絶えがちだ。そこへアンデッドが彷徨い、オブリシン伯爵領へと向かう商人や商隊、旅人といった者達を襲いでもすれば……

 そう考えると、反乱軍としては死体を放置しておく訳にもいかなかった。


「実際に戦闘があって、それを見て……自分達の力のなさを実感したんだろう。俺みたいに」


 兵士が苦笑を浮かべつつ、討伐軍との戦いを思い出す。

 先鋒として真っ先に突撃し、敵の前衛部隊へと散々に被害を与えたグルガスト率いる部隊。それを援護するべく的確に弓矢や魔法を放って敵の行動を阻害したティユールの部隊。そして何よりも……


「ヴィヘラ殿下……凄かったな……」


 しみじみと呟く兵士の脳裏には、たった一人で敵騎兵部隊へと突っ込んで行き、真っ先に指揮官を討ち取ったヴィヘラの姿が強烈な印象となって残っていた。

 もっとも、それはヴィヘラが男を誘っているとしか思えないような薄衣の如き服装であり、そこから垣間見える男好きのする肉体があったからこそ、より強烈な印象となったのは……やはり二十代の健康な男としては当然なのだろう。

 そんな兵士の様子を見て何を考えているのか理解したのか、冒険者は意地の悪い笑顔を作って口を開く。


「全く、何が凄かったのやら」

「うっ!」


 図星を指された兵士が言葉に詰まり、それを見て冒険者の男が笑う。

 だがそれを笑っている冒険者にしても、艶やかとしか表現出来ないヴィヘラの姿は強く脳裏に残っている。


(あんな相手と一晩を共に出来たら、そりゃあ極楽だろうけど……まぁ、無理だろうしな)


 内心で呟く。

 ヴィヘラという人物が誰に想いを寄せているのかというのは、反乱軍の中では公然の秘密と化している。

 その相手がその辺の貴族であれば、もしかしたら騒動の一つや二つは起きていたかもしれない。

 だがその相手が深紅の異名を持つレイであるという時点で、迂闊なことを考える者はいなくなった。

 確かにヴィヘラという人物は非常に魅力的だが、下手に手を出せば自分の命が消えるとなれば、誰でも二の足を踏むだろう。

 反乱軍の人数が少なく、殆どの者が覇王の鎧を纏ったレイの前に立つという経験をさせられているのも大きい。


「ま、諦めろ。それよりもだ。今夜一緒にどうだ? いい娼婦達が来てるんだよ」

「あー、そうだな。確かに評判いいらしいな。分かった、俺も行くよ」


 反乱軍の中には女の兵士や騎士、冒険者といった者もいるが、やはりその中でも多くを占めるのは男だ。

 そして男がこうして多く集まっている以上は欲望の処理というのも必要となる。

 それを怠ると、下手をすれば近くの街や村にちょっと女を襲いに……という者が出てきてもおかしくないし、反乱軍の中にいる女を襲うという行動に出る者もいるかもしれない。

 そうなれば間違いなく血で血を洗う騒動に発展するのは確実であり、それを避ける為にも娼婦という存在は必要不可欠だった。

 本人が戦いを好むだけにグルガストは当然その辺に関してはきちんと気を回し、近くの街から娼婦達を呼び寄せている。

 また、これは娼婦達にとってもありがたい話といえた。

 何しろ、客が取れなくて困るという状況にはならないのだから。

 寧ろ、客が多すぎて体力の回復が追いつかないという者すらもいる。

 これが延々と続くのであれば地獄でしかないが、グルガストにしろ、娼婦を派遣している娼館の者達にしろ、その辺に関しては十分に考えているので、仕事をするのは一日おき、あるいは二日おきといった風になっていた。

 それでも娼婦が足りないということはないように、十分な数を集めておいたからこその手段だが。

 他にも、陣地の中には簡易的なものではあるが酒場が出来ていたり、商店が出来ていたりと、いつの間にか反乱軍の陣地はちょっとした村のような規模になっている。

 これを見たグルガストは、今回の反乱が無事に終わったらここに新しく村でも作ってみるかと考えていたのだが……それはまた別の話。

 外で反乱軍の者達が訓練をしている中、陣の中央にあるマジックテントの中ではこれからどう動くべきかの会議が行われていた。


「さて、これからどう動くべきかだけど……テオレーム」

「は!」


 メルクリオの言葉に、テオレームが答えて立ち上がる。

 この場にいるのは、メルクリオやテオレーム、ヴィヘラを始めとした反乱軍の首脳とも言うべき者達。

 そして反乱軍に協力している貴族といった者達の中には、何故かレイの姿もある。

 以前に言われた通り、反乱軍の中でのレイの立場は遊撃部隊という扱いだ。

 当然セトに乗っての移動を前提としている部隊だけに、遊撃部隊の人員はレイ一人のみ。それとセトが一匹か。

 そんな状態なだけにレイは遊撃部隊を率いているという扱いになり、この会議にも参加することが許されていた。……より正確には、参加を半ば強制された。


(何で俺が……と思うのは傲慢なんだろうな)


 本来であれば、この場にいたいと願う者は多いだろう。それらを退けてこの場にいる以上は、と。

 そんなレイの前で、テオレームはテーブルの上にこの陣地周辺が描かれた地図を置く。

 尚、この地図は言うまでもなくこの地の領主でもあるグルガストが提供した物だ。


「私達は現状討伐軍を相手に圧勝して見せた。……まぁ、これは向こうにしても既定路線である以上、シュルス殿下はその辺特に気にしていないだろうが、それはあくまでもシュルス殿下やその狙いを知っていた者に限る」

「つまり、それ以外の者達にしてみれば討伐軍が緒戦で大敗した、という認識な訳だ」


 ティユールの言葉に頷いたテオレームは、更に言葉を続ける。


「そして、向こうとしてもこちらの手札を殆ど暴けなかったという点を考えると、この前の戦いは総合的に見ても私達の勝利だと考えてもいい」


 その言葉に貴族達の何人かが嬉しげな笑みを浮かべ、同時に何人かは悔しげな表情を浮かべる。

 そんな正反対の表情を浮かべた貴族達は、お互いがお互いの様子に気が付き……


「何故そこまで嬉しそうに出来るのですか?」

「それは勝ったのだから当然でしょう」

「……確かにあの戦いでは勝てました。しかし、お互いの勢力に関して考えれば私達が圧倒的な劣勢なのは変わりないんですよ? 向こうにしてみれば、確かに多少はダメージがあったでしょう。ですがそれは刃物で薄皮一枚を切った程度の痛みでしかありません。それに比べて、圧勝した筈の私達はタンスの角に思い切り足の小指をぶつけたような痛みを受けているのですから」


 貴族の男が口にした言葉に、それを聞いた者達が思わず眉を顰める。

 その痛みを想像したのだろう。


「……申し訳ないが、言っている意味がよく分からない。もう少し分かりやすく説明して欲しい」

「簡単に言えば、元々持っている体力の違いですね。こちらが向こうに大きなダメージを与えたとしても、そもそも持っている体力は向こうの方が圧倒的に大きいのだから、殆ど効果がない……どころか、こちらの方も戦闘で無傷とはいかない分、総合的に見るとこちらの方が大きいダメージを受けている訳です」

「それは……」


 説明を聞き、ようやく理解したのだろう。先程嬉しそうだった貴族が思わず息を呑み、それと同様に説明していた貴族もまた憂鬱そうに溜息を吐く。

 説明をしたことにより、余計に自分達の現状を理解してしまったのだろう。

 数秒程テントの中に沈黙が満ちるが、やがてそれを破ったのはグルガストだった。


「まぁ、反乱軍の現状については皆理解出来ただろう。問題なのはこれからどう動くかだ。俺としてはこのまま帝都まで向かって進軍といきたいところだが」

「グルガスト……さすがにそれは無理だよ。こっちの兵力が保たない。まぁ、レイを全面に出してもいいのならある程度は何とかなるかもしれないけど」


 同僚の言葉に、ティユールがレイを見ながらそう呟く。

 他の参加者達にしても、このまま帝都に向かって進軍し続けるというのは少なくても今の時点では無理だという意見は一致していた。

 グルガストにしても、半ば冗談で言っただけで自分の意見が採用されるとは思っていない。

 ……もっとも半ば冗談ということは、半ば本気でもあるのだが。

 純粋に戦いを好むグルガストにしてみれば、大勢の強敵と戦えるだろうその選択はありと言えばありだった。

 勿論その状況で討伐軍を相手に勝てるとは思っていないが、それでも激しい戦いは楽しめる筈。

 事実、グルガストの部隊は前回の戦いでは殆ど被害を受けていない。それこそ、真っ先に敵陣に攻め込んだにも関わらず、だ。

 数に劣っている反乱軍が一気呵成の攻勢に出てくるとは思えなかった為、討伐軍の先陣を任された貴族が致命的なまでに対応に遅れたというのもあるし、純粋にグルガストの率いる者達が強かったというのもある。

 その結果が、怪我をしたものは多く出たが死者はなしというものだった。

 もっとも、相手が弱すぎたからこその結果だったと言えばそれまでなのだが。

 グルガストにしても、有力な諸侯を相手に前回と同じような戦いが出来るとは思っていない。


「そうだね、現状だと幾つか取るべき道があるけど……テオレームはどう思う?」


 メルクリオがそう呟き、テオレームの方へと視線を向け、返答を促す。

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