第692話

 帝都からオブリシン伯爵領へと続く街道。その街道を、兵士が歩いて進む。

 見渡す限り兵士のみ……とまではいかないが、それでもこの軍を構成している兵士の数はかなりの数に及んでいた。


「うわぁ……凄いわね。あれってもしかして?」


 街道から少し離れた場所にある畑で作業をしていた女が呟くと、その女の夫と思しき男が頷きを返す。


「ああ、討伐軍だろうな。どこで戦闘が行われるのかは知らないが、出来れば俺達の村には被害が出ないようにして欲しいところだ」

「あっちの方だと……オブリシン伯爵の領地の方じゃない?」

「……オブリシン伯爵か。戦好きって噂を聞くし、そう考えれば不思議じゃないかもな」

「ちょっと、オブリシン伯爵の領地って言ったらそう離れてないじゃない。うちの村、大丈夫かしら?」

「大丈夫だろ。反乱軍って言ったって結局帝国軍には敵わないさ。あの数を見てみろよ」

「……けど、兵士達の装備を見る限りだと帝国軍のものじゃないように見えるわよ?」

「ん? ……あー、なるほど。なら多分どこかの貴族が率いている部隊だな」

「それって本当に大丈夫なんでしょうね? 私達の村まで被害が来るのは嫌よ?」

「嫌って言ってもな。俺達にどうすることが出来る訳でもないんだから、討伐軍が勝つのを祈るしかないだろ」


 この夫婦以外にも、街道近くにある畑では同じような会話が行われていた。

 内乱というものに不安や不満を抱きはするものの、それでも帝国軍が出てくるのだからいずれ鎮圧されるだろうと。

 ベスティア帝国に住み、その強大さを知っているからこそこの程度の動揺で済んでいた。

 ……もっとも、本来であれば全幅の信頼を向けていた筈が不安混じりになっているのは、やはり春の戦争の敗戦が響いているのだろう。

 更に、率いられているのが帝国軍ではなく貴族の部隊だと気が付いた者達の中では、余計に不安が広まる。


「ええい、忌々しいっ!」


 農民達から向けられる視線に不安が混じっているのを感じた男が、馬車の中で呟く。


「デロータ男爵、どうされました? この道は我等の栄光へと続いているのですから、今は悠然と構えるべきでしょう」


 自分の向かいに座っている男にそう告げられ、デロータ男爵と呼ばれた男は怒りを押し殺すかのようにして口を開く。


「だが、アデノ子爵! あの農民達の目を見てみろ! どう見ても俺達を侮っているようにしか見えないぞ!」


 その言葉に、馬車に乗り込んでいたもう一人の男がしみじみと呟く。


「まぁ、帝国軍じゃなくて私達が部隊を率いているというのは事実なので、しょうがないんでしょうね」

「スコラ伯爵!」

「結局総指揮を誰が執るかすら決まってないんですよ? 軍事行動として、これは色々と不味いと思うのは当然では?」


 スコラ伯爵と呼ばれた男は見るからに痩せ細っており、どう見ても戦場に出るようなタイプでもない。事実、本人もそれを理解している為に、この討伐軍に対する疑問を口にすることが多かった。

 そもそもスコラ伯爵を初めとして、この討伐軍に参加しているのは全てが第2皇子派に所属する者達だ。

 それ以外にもスコラ伯爵は討伐軍に参加している者達に共通項があるのを理解していた。即ち……


(第2皇子派の中でも、能力が低く無能と見なされているだろう者達。つまり、この討伐軍の目的はメルクリオ殿下が率いる反乱軍がどの程度の実力を持っているのかを確認する為の捨て駒でしかない)


 内心で呟き、チラリと馬車の窓から外を見る。

 そこには、十騎の騎兵の姿。

 それも、ただの騎兵ではない。第2皇子直属の部下であり、精鋭と言ってもいい者達だ。

 そのような精鋭部隊が、一部とはいえ何故この討伐軍に参加しているのか。

 部隊として成立するだけの人数であれば、戦力として考えることも出来ただろう。だが、参加しているのは十騎のみ。

 ここまであからさまであれば、スコラ伯爵にも何の目的で騎兵が討伐軍に同行しているのかを想像するのは容易だった。


(私達がどうメルクリオ殿下に倒されるかの確認。少しでも向こうの手札を見届ける為、か)


 そう思いつつも、スコラ伯爵はこの討伐軍に同行している者達にそれを告げることは出来ない。

 いや、告げても聞き入れて貰えないと理解している為に黙っているといった方がいいのか。

 無能な者達を集めて捨て駒にするという意味では、確かにこの討伐軍に参加している者達はそれに相応しい能力を持っていた。

 自分達の能力を過剰に見積もり、敵を過小評価する。それが間違っているとは思わず。絶対に自分達の勝利でこの戦いが終わると判断し、更には反乱軍を倒した後でそれに参加した者達の領地をどのように分けるかという話すらしているのだから。

 スコラ伯爵にとっては、寧ろ農民達が討伐軍へと向ける視線に気が付くだけの能力があるというのが驚きだった。


(もっとも、私もそんな無能と認識されてたんだろうけどね)


 そう考えるのと同時に、思わず咳き込む。

 そう、これがスコラ伯爵が無能と判断された理由。

 病弱であり、貴族の当主としてはとてもではないがこれから向かえるだろう激しい時代を生き抜いてはいけないだろうという判断。

 当然スコラ伯爵が討伐軍に参加している以上、何かあった時にはすぐにでも自分の弟が次のスコラ伯爵として擁立されるようになっている。


(なら、今の私が出来ることは……せめてスコラ伯爵の名前を汚さないように戦って、出来るだけ反乱軍の手札を引き出すこと。そしてうちの兵力を出来るだけ損耗させないことなんだろうけど……)


 覚悟を決めるも、その最後では微妙に弱気になる。

 それも当然だろう。この討伐軍自体が寄せ集めの軍隊であり、先程スコラ伯爵が口にしたように指揮の統一も出来ていないのだ。

 一応帝都を出発する前にその辺を他の貴族達に告げたのだが、他の貴族の指揮下に入りたくない為に誰しもが聞き入れなかった。

 その時のことを思い出すと、ただでさえ身体の弱いスコラ伯爵が今にも倒れそうになるような思いすらする。


「スコラ伯爵? どうされたのか?」


 急に黙り込んだスコラ伯爵に、どこか嫌らしい笑みを浮かべながらアデノ子爵がそう声を掛けてくる。


「いえ、何でもないですよ。ただ、反乱軍との戦いをどう進めるべきかと考えていただけです」


 慌てて何でもないと首を横に振るスコラ伯爵。

 もしもここで自分の身体の調子が悪いということにでもなれば、スコラ伯爵が連れてきた部隊を取り上げられかねない。

 本来であれば子爵は伯爵の一つ下の爵位であり、そのような真似が出来る筈もない。

 だが、軍務である以上は何かあった時に指揮が混乱するという名目がある為、そのような無茶も通りかねなかった。

 特にスコラ伯爵の身体の弱さはそれなりに有名である為、その機会を狙っている者がいるのはこの討伐軍では当然と言えた。

 そのような者に自軍の指揮権を取られてしまえばどうなるか。それは考えるまでもなく明らかだろう。

 自分の部隊の戦力を消耗させない為の捨て駒にされる可能性は十分にあった。

 それを理解しているだけに、スコラ伯爵としては少しでも弱みを見せる訳にはいかない。


「そうですか? スコラ伯爵に何かあったら大変です。もしよろしければ私がスコラ伯爵の率いてきた部隊の指揮を執っても構いませんが……」


 心配そうな言葉を並べてはいるが、その目の奥にある欲望の光を隠すことはしない。……いや、出来ない。

 そのような人物だからこそ、こうして反乱軍の実力を見る為の捨て駒にされたのだろうから。

 味方同士で足の引っ張り合いをしているのは、やはり自分達の方が人数が多いと聞かされているからだろう。

 つまり勝敗の決まった戦いであるからこそ、自分の活躍をより華々しく飾りたいのだ。


(確かに勝敗は決まっているだろうけどね。相手の手札云々はやはり難しいだろう。そうなると、私に出来ることは出来るだけ被害を出さずに部隊を撤退させる方に集中した方がいいだろうね。……それすらも上手くいくかどうか)


 表面だけの薄っぺらい言葉を交えながら、スコラ伯爵は内心で溜息を吐く。

 自分の部隊だけで撤退するのはそう難しくない。だが、それはあくまでもこの場にいるのが自分達だけであれば、という注釈付きだ。

 もしも迂闊に撤退している光景を他の貴族に見られれば、それこそ利敵行為やら敵前逃亡やらと騒ぎ立てられかねない。更には、今回の戦いで反乱軍がどのような手を持っているのかを確認する為に来ている、シュルスの督戦隊ともいえる騎兵達に目を付けられる訳にもいかない。

 そのような難事を想像するだけで胃が痛くなってきて意識が遠のきかけるが、それでもこの場でそんな真似をする訳にはいかなかった。


「……あの馬車はギュルクス男爵のものか? ふんっ、諜報部隊を無駄に死なせた無能が、よくもまぁ、恥ずかしげもなくこの戦に参加出来るものだ。ベスティア帝国の貴族としての自覚や誇りというものがないのだろうな」


 デロータ男爵が、馬車の窓から見えた他の馬車を見て忌々しげに呟く。

 スコラ伯爵にしても、それには全面的に同意したかった。

 自らが手柄を得る為に、シュルスの名前を出して虎の子の諜報部隊をオブリシン伯爵領へと向かわせ、全滅させたのだから。

 詳しい経緯は分からないが、それでも今回の出撃はその件が関係しているのはスコラ伯爵にも理解出来た。

 恐らくは派遣した諜報部隊が全滅した為、その代わりに精々相手の情報を引き出せと。そのついでにいざという時に足を引っ張りかねない無能な貴族を間引くと。


(つくづく面倒臭い真似を……)


 内心で溜息を吐くが、既に事態が進んでいる以上はどうしようもない。

 とにかく何とか無事に生き残ってみせる。そんな思いを込めて、スコラ伯爵は嫌味な程に秋晴れの空へと視線を向けるのだった。






「今日はここで野営とする!」


 そんな声が響き渡り、討伐軍の兵士達は早速野営の準備へと入る。

 本来であれば貴族の誰かが文句を言ってもいいのだが、皆が疲れている為に誰が文句を言うでもない。

 ただ馬車に乗っていた貴族達と、一日歩き続けだった兵士達。どちらが疲れているのかと考えればどう考えても後者なのだが、貴族達にしてみれば……正確には討伐軍に参加している殆どの貴族にしてみれば、兵士達の命はその辺の石ころと同じようなものでしかなかった。

 そんな貴族達に率いられているのだから、兵士達の士気も当然高いものではない。

 もしも反乱軍の数が自分達よりも少ないと知っていなければ、早速脱走した者も出ただろう。

 また、そのような貴族である以上……


「ふざけるな! この私にこんな不味い料理……いや、料理とも呼べないような生ゴミを食えというのか!」

「酒はどこだ酒は。今日の疲れを癒やすためには酒が必要だ。さっさと持って来い」

「儂にこのような粗末な寝床で寝ろと言うつもりか!? もっとしっかりとした寝床を用意しろ! 女もだ!」

「この、愚図が! もっと早く行動しろ! 他の部隊よりも準備が遅いぞ! 俺に恥を掻かせるつもりか!?」


 そんな風な怒声が陣を敷いた各地で上がる。

 当然兵士達にしても精一杯動いてはいるのだが、貴族達にしてみれば一々反応が鈍く感じていた。

 一日中歩き通しである以上それは当然と言えたのだが、所詮は平民と見下している貴族達にしてみれば貴族である自分達を蔑ろにしているようにすら感じる。

 自分の命令に素早く対応しない兵士に、いよいよ貴族の中の一人は苛立ちと共に腰の長剣へと手を伸ばす。

 それでも鞘から抜かずに振り下ろしたのは、この場で殺してしまっては意味がないと判断していた為か。


「もっときっちりと働け!」

「ぐぅっ!」


 その言葉と共に振るわれた鞘は、兵士の肩へと叩きつけられる。

 レザーアーマーを装備している兵士だけに、多少の痛みはあれども、致命的な傷ではなかった。

 そんな兵士の様子に満足した貴族は、満足そうな笑みを浮かべたまま去って行く。

 兵士達の働きがどうこうというよりも、憂さ晴らしに近かったのだろう。

 そんな貴族の横暴に慣れきっている兵士は、周囲の兵士達から向けられる同情の視線に小さく肩を竦めてから野営する為の陣地構築へと戻っていく。

 この討伐軍に参加している兵士達にしてみれば、このようなことは日常茶飯事だった。

 数少ない例外がスコラ伯爵なのだが、所詮は討伐軍の一部隊の長でしかない。更には身体の弱さもあって他の貴族に侮られている以上、どうこう出来る筈もなかった。

 そんな貴族達の様子を、シュルスから派遣されてきた騎兵達は呆れた視線で眺める。

 数日中には戦いになるだろう兵士達を酷使して疲れさせ、自分達は貴族用の豪華なテントを用意し、美酒美食を楽しむ。

 本来はオブリシン伯爵の領地までは二日程度だというのに、この進軍速度では倍、あるいはそれ以上かかるだろう。

 そんな討伐軍がこの先どのような結果になるのか。

 それを理解出来るだけに、自分達は自分達の役割を果たすだけだと判断し……数日後にはその判断はどうしようもなく甘かったのだと後悔することになる。

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