第693話

 その報告が入ったのは、レイが反乱軍に合流してから数日程経ってからのことだった。

 今日もまた覇王の鎧を使って、反乱軍の部隊に対して強敵というのはどのようなものなのかというのを教えると共に、少しでも覇王の鎧を使いこなせるようになろうと苦戦していたレイの下へと伝令の兵士がやってきたのだ。


「ひぃっ!」


 その兵士は、覇王の鎧を見たのは初めてだったのだろう。レイの姿を見た瞬間に思わず悲鳴を上げる。

 それでも動けなくなるのではなく悲鳴を上げることが出来たということが、この兵士の能力の高さを示していた。

 悲鳴を上げた伝令の兵士を見たレイは、覇王の鎧を解除する。

 同時に、レイの近くでじっとその威圧に耐えていた兵士達が思わず安堵の息を漏らしながら地面へと座り込む。

 確かに何度か覇王の鎧を発動したレイと向かい合うということはしているのだが、それでもすぐに慣れるものではない。

 絶対の捕食者と相対した被捕食者。そのような状況である以上、すぐに慣れるということもないのだろう。

 そんな兵士達へと視線を向け、近くで寝転んでいるセトを眺めてからやって来た兵士の方へと視線を向ける。


「それで、一体どうしたんだ? 何か用件があって来たと思うんだが」


 悲鳴を上げて呆然としていた兵士が、レイの声で我に返る。

 自分がここに来た理由を思い出したのだ。


「テオレーム様から、至急本陣に来て欲しいとのことです」

「……へぇ?」


 訓練中にも関わらず……それこそ強敵と遭遇した時に生き延びる為の訓練をしているにも関わらず、自分を呼び出すのだ。何らかの緊急な用件が出来たのだろうというのは、レイにも想像が出来た。


「分かった、すぐに行く」


 その一言を聞いた兵士達が安堵の表情を浮かべたのは、ある意味で当然だった。

 覇王の鎧を使用したレイと向かい合っていたのは、ほんの十数秒。一分も経っていない程度の短い時間だったが、それでも体力気力共に激しく消耗していた為だ。

 もっとも、これでも初めて覇王の鎧を使ってカラザの部隊と訓練した時に比べれば、若干ではあるが与える威圧感は小さくなっている。ほんの小さな差ではあるが、それでも確実にここ数日で行われた訓練は間違いなくレイの魔力の操作技術を上昇させていた。

 それでもやはり兵士達にしてみれば、こうしてレイと向かい合うというのは厳しいものがあるのは事実だった。

 それ故に、一時的にではあるが休憩になるというのに喜んだのだが……

 レイは兵士に頷くと、近くで寝転がっていたセトへと向かって口を開く。


「セト、悪いが代わりを頼めるか?」

「グルゥ?」


 自分が? と首を傾げて喉を鳴らすセトを見て、兵士達の頬は引き攣る。

 確かにレイという存在の放つ威圧感は物凄く、何とか堪えるので精一杯だった。だが、それでもレイは人であるのは間違いがなく、だからこそ堪えられたという面があるのも事実。 

 だが次に自分達に訓練をしようとしているのはランクAモンスターのグリフォン。

 人であればまだ何とか耐えることが出来るだろうが、人ではなくモンスターが……と考えると、どうしても腰の引けるものがあった。


「その、レイ殿。出来れば、その……」


 二十代半ば程の兵士が恐る恐るといった様子でレイへと向かってそう声を掛けてくるが、レイはそれを最後まで聞かずに口を開く。


「言っておくが、敵がどんな手段を使ってくるかは分からないんだ。なら、それに対応出来るように最大限の用意をしておくのは当然だろう?」


 それでもランクAモンスターを出してきたりはしないだろうというのが兵士達の一致した思いだったが、レイはそれに耳を貸さずにセトへと声を掛ける。


「ってことでセト、頼む。物理的な被害は出さないようにな」


 精神的な被害はいいのか!? そう叫びたい兵士達だったが、まさかそれを実行できる筈もない。

 結局はセトが兵士と共に去って行くレイとの間に立ち塞がると、それ以上は追いかけることも出来なかった。

 そして……


「グルルルルルルルルルゥッ!」


 王の威圧を使って高く鳴いたセトの声に、その場にいた兵士達はその場で立ち尽くし、あるいは腰が抜けて地面へとへたり込む。

 中には恐怖と衝撃の余りに漏らしてしまった者もいたのだが……それはまた別の話。






「レ、レイ殿。何だか今後ろから物凄い声が聞こえてきたのですが」


 背後から聞こえてきた雄叫びのような声に、思わずといった様子で兵士が隣を歩くレイへと視線を向ける。

 だがその視線を向けられた本人はといえば、全く気にした様子もなく肩を竦める。


「ま、気にするな。セトもここのところ暇だったからな。やる気に満ちてるんだろ」

「……やる気、ですか?」


 あれ程の大きな声を聞くのであれば、少なくても味方を相手にする時にはやる気を出して欲しくない。

 敵と向き合った時にだけやる気を出して欲しい。

 心の底からそう思う兵士だった。

 陣地の中でも今のセトの雄叫びに何があったのかと若干の混乱があったが、結局続くような何かがある訳でもなかった為か、すぐに騒ぎは収まっていく。

 兵士達にもレイが……グリフォンを従魔にした深紅の異名を持つレイが自分達の仲間にいるというのは既に広まっているし、そのレイが兵士達に対して訓練をしているというのは体験した者も多く、理解している為だ。

 案内の兵士にその辺のことを喋りながら陣地内を進み続けると、やがて以前にも顔を出したマジックテントへと到着する。

 入り口に護衛の騎士がいるのも同様だったが、違うのはレイが来たのを確認すると何も言わずに道を空けたことだ。


(前もって言われていたにしても……余程のことがあったのか?)


 騎士の様子にそんな疑問を抱きつつ、案内の兵士と共にマジックテントの中へと入る。

 マジックテントの中には以前にレイのことを紹介した時にいた者達が揃っていたが、それ以外にも見たことがない者達もいる。

 この者達は、ここ数日のうちに反乱軍に合流してきた者達であり、レイと直接会うのは初めての者達だ。

 それでもレイに対して侮りの視線を向けてくる者がいないのは、ここにきてからの数日でレイが訓練をしているところを見たり、部下からの報告で聞いたり、この場にいる他の者達から話を聞いている為か。

 もっとも、元々反乱軍に合流してくる者達は自分達が不利であると知っている。

 そんな状況である以上はレイという文句なしに強力な戦力との関係を悪化させるような真似は絶対に避けたいというのが、正直なところだったのだろう。

 他にもこの反乱軍の旗頭でもあるメルクリオが頭の上がらないヴィヘラの想い人であるという点も大きい。

 ……ただし、そのヴィヘラに想いを寄せている者もいる以上は複雑な気持ちを抱いている者も多いのだが。


「失礼します、レイ殿をお連れしました」


 案内の兵士がそう告げると、テオレームは頷いて口を開く。


「ご苦労だった。下がってくれ」

「は!」


 そうしてマジックテントから出て行く兵士へと、レイは視線を向ける。

 今のやり取りが、つまりはこれからここで行われる会話をこの兵士に聞かれたくなかったからだと理解したからだ。


(本気で何かあったらしいな)


 そんな風に考えていたレイは、改めてテオレームへと視線を向ける。

 話を促す為の視線を理解したのだろう。テオレームが口を開く。


「実は帝都に残してきた者達から情報が入ってな。……ちなみに、この情報に関しては第1皇子派に潜入しているロドス以外にも複数の情報筋から入って来ているし、何より実物を見た上での報告なので間違いのない事実となる」


 妙に慎重なその言葉に何となくその報告の理由を察したレイは、小さく笑みを浮かべて口を開く。


「敵が来たか」

「そうだ。討伐軍の人数は補給部隊の類を抜いて約三千人。こちらよりも千人程多い」

「……たった千人、か?」


 テオレームの言葉に、思わず首を傾げるレイ。

 実際、帝国軍であれば万単位の兵力を繰り出すこともそう難しくはない筈なのだ。

 だというのに自分達反乱軍よりも多いと言っても、その勝っている人数はたった千人程度。

 どう考えても本気で掛かってきているとは思えない戦力だった。


「兵力を集めるのには時間が掛かるという問題もあるが……」

「そもそも、今回の討伐軍の役目は偵察らしいからね。討伐軍に組み入れられているのも、全てが第2皇子派の中でも無能とされている連中らしい。まさしく捨て駒だね」


 テオレームの言葉を遮るようにして、メルクリオが告げる。

 捨て駒。その言葉を聞き、ようやくレイは納得した表情を浮かべる。

 確かにそういう意味では無能な者を集めて討伐軍を編成するのは丁度いいだろうと。自分達の戦力を確認し、更には仲間の中にいる無能を処分出来る。まさに一石二鳥の策。

 ただ、それにも疑問は残る。


「効果的なのは分かるが、第2皇子派なのか? 俺達が敵対しているのは第1皇子派だったんじゃ?」

「別にカバジード兄上以外とは仲がいいという訳じゃないよ。そもそも、私を軟禁していたのはカバジード兄上、シュルス兄上、フリツィオーネ姉上の三人が共謀してのことだという話だし。……まぁ、シュルス兄上が真っ先に出陣してくるとは思わなかったけど。いや、武闘派のシュルス兄上の性格を思えば、寧ろ納得出来るのかな?」


 討伐軍が迫っているというのに、全く取り乱すことなく笑みを浮かべるメルクリオ。

 それを見た周囲の貴族達は、自分達がいかに慌てていたのかを理解し、落ち着きを取り戻していく。


(へぇ)


 本人が意図してやった行動かどうかは分からない。だがそれでも、少なからず混乱していた貴族達を落ち着かせたというのは事実であり、テオレームが心酔するメルクリオの能力の一端を見た気がしたレイは、内心で感嘆の声を上げる。


「レイに来て貰ったのは、これからどうするかで君の意見も聞きたいと思ってね」

「……俺の?」

「そう。姉上を入れてもこの反乱軍の中で最強の人物は君だ。グリフォンという従魔もいて、個人で遊軍として動くということも決まっている。つまり一人であったとしても、君は一部隊の長と言ってもいい存在な訳だ」


 その言葉に関しては、他の者達も異論を唱えない。

 勿論言いたいことがある者はいるのだが、殆どの者はレイの実力がどれ程のものなのかを以前の模擬戦で見ており、更には兵士達の訓練でその身を以て体験しているのだから。

 合流したばかりの者達にしても、先に集まっていた者達からレイに関しては聞いている為に沈黙を守っている。

 そんな中、メルクリオの視線を受けたレイは特に気負った様子もなく口を開く。


「そっちが希望するのなら、俺だけで正面から叩き潰してもいいが?」


 レイの口から漏れた言葉に、一瞬貴族達は正気を疑うような目を向ける。

 例外なのは、レイという存在をよく知っているヴィヘラやテオレーム、ヴィヘラに心酔しているが故にそのヴィヘラが言うのならと納得しているティユールに、レイと刃を交えたグルガストくらいだった。

 メルクリオにしても、レイの口から出た言葉は予想外だったのか小さく驚きの表情を浮かべている。

 グルガストは、もしそれをやるのなら自分も混ぜろと必死でレイに向かって目で合図を送っていたのだが、レイ本人は全く気にした様子もなく受け流す。

 そもそも、今回の敵はメルクリオ曰く無能の集団だ。そんな相手に大勢の兵力が必要かと言われれば、答えは否だった。

 寧ろレイにしてみれば、覇王の鎧を使う訓練として考えると手頃な相手と言ってもいい。


(もっとも、覇王の鎧は広範囲に攻撃が可能な魔法と違って、基本的には少数を相手にする時に有効なスキルだ。そして相手は無能の集団。その辺を考えれば、恐らく戦っている途中ですぐに逃げ出すだろうけどな)


 そんな風に考えていたレイへと視線を向けて何かを考えていたメルクリオだったが、やがて考えが纏まったのだろう。若干申し訳なさそうな顔をして口を開く。


「レイ、こうしてわざわざ呼んで来て貰ってから言うのもなんだけど、今回の討伐軍に関してはこちらに任せて貰えないかな?」

「……俺に戦うな、と?」

「そうだよ。君の力に関しては姉上から聞いているし、他にもこの陣地にやって来てからのやり取りで理解している。強力無比であるということもね。確かに君が敵を一掃すれば、私達の士気は大いに高まるだろう。けど、同時に寄せ集めの軍である私達としては、少しでも戦闘を経験して連携の訓練を行う必要がある。特に敵が弱いのであれば、経験を積むのに格好の好機と言えるだろ?」


 そこまで告げると、メルクリオの視線は自分の隣にいるテオレームへと向けられる。

 その視線で自らの主君が何を言いたいのか分かったのだろう。テオレームが口を開く。


「それに、レイの存在はまだ向こうに知られていないだろう。怪しまれはしても、確証はない筈だ。である以上、こちらに向かっている捨て駒の討伐軍を相手に、こちらの切り札を見せる必要はない」


 その言葉に一瞬迷ったレイだったが、確かに覇王の鎧を使いこなす練習をするのであれば、弱い敵を相手にするよりは強い敵を相手にした方がいいのは事実と判断し、不承不承ではあるが頷きを返すのだった。

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