第691話

 夜、空にある月を幾つもの雲が覆い隠し、いつもであれば地上へと降り注ぐ月光を遮っているような天気。

 反乱軍の陣地では、いつ来るかも分からない帝国軍の姿を警戒して、今日も夜を徹しての見張りが置かれていた。

 前日の夜にやってきたレイとセトという存在がいる為か、今日の見張りは昨日までと違ってそれなりに緊張感を持って行われている。

 この様子を見たティユールは若干思うところはあれども、レイとセトの存在に感謝をしたらしい。

 ともあれ、前日までと違って緊張感を持って見張りをしている反乱軍の陣地内。その隅にあるテントの近くには、相変わらずセトが寝転がって目を瞑っていた。

 そんな状態であったとしても、セトは別に寝ている訳ではない。魔力や音、臭いといったものを鋭く感じる為に目を閉じているのだ。

 もしもそれを知らずにレイへ危害を加えようとした者が近づけば、その者は自分の過ちを命を以て償うことになるだろう。

 尚、セトの近くにあるテントは、テントはテントであっても普通の……それこそ前日にレイが使ったようなテントではない。

 場所こそ陣地の端であるが、昨日の予備のテントが幾つもある場所ではなく、そこからも離れた場所となる。

 周囲にはテント一つ以外には何もない場所。そこに、セトとレイのマジックテントは存在していた。

 予備のテントは緊急時に何かと使う必要が出てくる為、こうして周囲には何もない陣地の端へと移ったのだ。

 勿論陣地の端なのはセトという存在や、ベスティア帝国にとっては色々と因縁のあるレイという存在がいるという理由がある。

 もっとも、昼間の覇王の鎧の一件は瞬く間に反乱軍中へと広まっており、迂闊にレイに手を出してくるような者はほぼ存在していないのだが。

 それでも後日に合流してくる者達のことや、今は大人しくてもレイという存在に恐怖を抱いた者達が暴走するのを恐れて――正確には、そのとばっちりで反乱軍に被害が及ぶのを恐れて――レイとセトはこうして陣地の端を自分達の寝床とすることにした。

 レイとしても周囲の雑音に煩わされることがないというのは歓迎だったので、喜んでテオレームからされた提案を受けたのだが……


「どうしてこうなった」


 呟き、溜息を吐きながら果汁を水で薄めた飲み物を口へと運ぶ。

 そんなレイの視線の先には……


「あら、こんな美人が夜にこっそりと忍んでやって来ているのよ。少しは喜んでもいいんじゃない?」


 そう告げるレイの横には、夜のマジックテントの中という状況で娼婦や踊り子の如き薄衣を怪しげにひらめかせるヴィヘラの姿があった。

 時間が時間、場所が場所だけに、ヴィヘラのその態度は誘っている仕草としか思えないものがある。

 事実、もしこの場にいるのがレイ以外であれば、その色香に負けてヴィヘラへと手を伸ばしていただろう。

 レイにしても、別に聖人君子という訳ではない以上、ヴィヘラのような魅力的な相手に誘われれば心が揺れることもある。ただし……


『ヴィヘラ、レイを誘惑するのは止めて欲しいのだがな』


 レイやヴィヘラの座っているソファのすぐ近くにあるテーブルの上に対のオーブがなければだが。


「あら? 恋愛は個人の自由でしょう? それに好意を持っている相手を誘惑するのが、何かいけないことかしら?」


 対のオーブの向こう側にいるエレーナに向け、挑発するように告げるヴィヘラ。

 そんなヴィヘラの様子を見て、エレーナは眉をピクリと動かす。


『確かに恋愛関係に関しては自由だと言ってもいい。だが、それはあくまでも相手が一人であれば、だ』

「そうかしら? 貴族なら妾の一人や二人はいてもおかしくないと思うけど。……そうでしょう、妾さん?」


 チラリと流し目で告げるヴィヘラに、エレーナはこれ以上我慢は出来んとばかりに叫ぶ。


『誰が妾だ! もし妾がいるとしても、それはお前だろう。正妻は私に決まっている!』


 そう叫んだのは、殆ど反射的なものだったのだろう。だからこそ、そこには本音が……ヴィヘラを妾としてなら認めるという意思が入っていたことに、エレーナは気が付かない。

 レイはそんな2人のやり取りを困ったように眺めているだけで口を出さずにいるので、こちらもまた気が付かない。

 気が付いたのはそれを聞いていたヴィヘラのみだった。

 だがヴィヘラは特に何を言うでもなくそのまま聞き流し、抱きしめていたレイの腕を放す。

 肌も露わなヴィヘラの服装だけに、ちょっと残念な思いをレイが抱いたのは男としてしょうがないのだろう。

 ともあれ、レイから離れたヴィヘラは数秒前までの恋敵に対する表情ではなく、この第3皇子派と呼ばれる反乱軍の幹部としての顔へと変わる。


「まぁ、レイの取り合いについては、取りあえずこのくらいにしておきましょう。それより、こちらではいよいよ内乱が始まったのだけれど、そちらではどうかしら? 前もっての約束通りに動いて貰えている?」

『……お前は……』


 突然変わった話題に一瞬驚くも、やがてこれがヴィヘラなのだろうと溜息を吐くと、エレーナもまた表情を恋敵に対するものから、ミレアーナ王国三大派閥の一つ、貴族派の象徴でもある姫将軍としてのものへと変えて頷く。


『ああ。その辺に関しては問題ない。もしもお前達が負けた時には、ミレアーナ王国に亡命してくるという風に形式を整えておくと、父様が陛下に掛け合って話を纏めてくれた』


 エレーナの口から出た言葉に、ヴィヘラは小さく目を見開く。

 確かに自分達がエグジルで今回の計画を立てた時に、そのようにするとは言っていた。だが、あれからまだそれ程に時間が経っている訳ではない。

 だというのにケレベル公爵は王都へと赴き、いざという時に自分達の逃げ込める先を作ってくれたのだ。

 言葉にすれば単純だが、それを貴族派であるケレベル公爵が国王派の国王へと認めさせるのには相応の労力が必要だった筈。

 それを思うと、エレーナに……より正確にはケレベル公爵家に大きな借りが出来てしまったと判断せざるを得ない。


「この件に関しては、後であの子に報告しておくわ。色々と手間を取らせてしまったわね」

『別にそこまで恐縮する必要はない。父様にしても、相応の利があると判断したからこそ素早く動いたのだから』

「それでもよ。そちらに利益があるとしても、私が感謝しているというのに変わりはないわ」


 今回の件が成功すれば、ベスティア帝国内に親ミレアーナ王国派とでも呼ぶべき勢力を作ることが出来る。

 失敗したとしても、内乱でベスティア帝国の国力が消耗されるのは事実であり、更に亡命してきた者達は相応の力を持つ者だ。それをミレアーナ王国に取り込むことが出来れば決して損はない。そういう判断なのだろうと知っていても、ここまで手間を掛けて貰って感謝できない程にヴィヘラが屈折している訳でもなかった。

 ただ……それでも素直に礼だけを言えないのは、ヴィヘラがヴィヘラたる由縁か。


「けど、そうね。どうせなら感謝の言葉だけじゃなくて態度で表した方がいいわよね」

『態度?』


 ヴィヘラの口調から何か不吉なものを嗅ぎ取ったのか、何かを言おうとエレーナが口を開けようとしたのだが……


「ええ。……はい、これはお礼ね」


 その言葉と共に、隣に座っているレイの頬へとそっと唇を触れさせる。


『なっ! ヴィ、ヴィヘラ! 一体何をしている!?』

「え? だからお礼よ、お礼」

『だから、何故そのお礼でレイに対してキスをする! そもそも、礼を言われるのであれば私だろう!?』


 対のオーブの向こう側から、がーっと叫んでくるエレーナ。

 だが対のオーブで繋がっているとしても、向こうから出来るのは声を聞き、送り、あるいは映像を見て、見せるだけ。

 そうである以上、エレーナに出来るのはただ叫ぶことだけだった。

 それを分かっているのだろう。ヴィヘラは艶然とした笑みを浮かべて口を開く。


「あら、残念ね。もしエレーナがここにいたら、一緒にレイにお礼が出来たのに」

『……ほう? それは何か? 私にベスティア帝国まで来いと。そう言っているのか? いいだろう、今すぐに行って……』

『キュ?』


 そんなエレーナを落ち着かせるかのように、小さな竜が対のオーブへと姿を見せる。

 エレーナの使い魔のイエロだ。

 そのまま対のオーブに映し出されているレイへと向かって、キュウキュウと鳴き声を漏らす。

 セトと違って何を言っているのかが感じ取れる訳ではないが、それでもレイにはイエロが何となく何を言いたいのかを理解出来た。

 前回対のオーブでエレーナと連絡をとった時、次に対のオーブを使う時にはイエロが懐いているセトと話させてやると言ったのを思い出したのだ。


『キュ!』


 イエロのその要望に、レイは小さく手を上げて口を開く。


「……そうだな。確かに約束を破るのはいけないか。ちょっと待っててくれ。エレーナとヴィヘラもちょっといいか?」

「え? ええ、まぁ。別に私は構わないけど」

『ああ、私としても問題ない』


 二人共に一瞬レイの言葉の意味が分からなかったが、共にレイに対して想いを寄せている者同士。すぐにその意味を理解すると頷きを返す。

 そんな二人に対して軽く手を上げて感謝し、テーブルの上に置かれていた対のオーブを手にしたままマジックテントの出入り口の方へと向かう。

 そうして出入り口から顔を出し……


「セト、起きてるか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉にすぐさま反応し、鳴き声を返すセト。

 その反応の早さを考えると、寝てはいなかったのだろう。……もっとも、大好きなレイの夜の安全を守るようにお願いされているのだ。セトがそれを疎かにする筈がないのだが。

 テントのすぐ側で寝転がっていたセトだったが、すぐに起きてレイへと近寄っていく。

 レイはそんなセトの頭を撫でながら、手に持っていた対のオーブをセトの前へと出す。


「グルゥ?」

「ほら、セト。これは対のオーブだ。覚えてるだろ? それにそこに映し出されているのは……」

『キュウッ!』


 レイの言葉に応じるかのように、イエロは対のオーブの向こう側で鳴き声を漏らす。

 その声を聞き、セトもまた現状を理解したのだろう。嬉しそうに喉を鳴らしながら、対のオーブへと顔を擦りつける。


「グルルルゥ……」

『キュウ、キュウ!』


 イエロの方も、嬉しそうに鳴き声を上げつつ対のオーブへと顔を擦りつけていた。


「グル、グルルゥ、グルル、グルグル」

『キュウ? キュキュ、キュウキュウキュウ』


 そんな風な鳴き声と共に何らかの意思疎通をしていた二匹だったのだが、そんな二匹を見ていたヴィヘラは思わずといった様子で口を開く。


「ねぇ、この二匹ってグリフォンとドラゴンで明らかに種族が違うんだけど……何で意思疎通が出来ているの?」


 その疑問は、ヴィヘラがエグジルにいた時からのもの。

 だが聞く機会がなかった為に、今までは口にしなかったのだが……いい機会だからと、その二匹の飼い主へと尋ねる。


「まぁ、使い魔と従魔って形だし、両方とも高ランクモンスターなのは間違いないからその辺の関係だと思う。元々セトは人の言葉を普通に理解しているし」

『それに関しては、イエロも同様だ。まだ小さいから完全に私の言葉を理解してる訳ではないが、大まかなところは意図を汲んでくれる』


 対のオーブに顔を付けている為にアップになっているイエロの向こう側から、そんなエレーナの声が響く。


「ふーん。使い魔に従魔ね。出来れば私もそういうのが欲しいけど……魔法は使えないから使い魔は無理なのよね。だから可能だとすれば、レイがセトをテイムしたみたいにモンスターをテイムするしかないんだけど……」


 ヴィヘラにしても、レイのセト、エレーナのイエロのように相棒がいるというのは羨ましく感じるのだろう。

 特にヴィヘラの場合は基本的にはソロで行動しているので、話し相手になってくれるという意味でも是非欲しいといったところか。


『なるほど。……テイムしかないと分かっているのなら、試してみてはどうだ? ヴィヘラなら意外といいモンスターをテイム出来るかもしれんぞ? ……バンシーとかな』

「……ちょっと、それどういうこと?」

『死の叫びとかいうスキルを使ってくるらしいし、ヴィヘラには似合っていると思うが?』

「だから、何だってアンデッドをわざわざテイムするのよ。それならまだスライムとかをテイムした方がいいわ」


 ジト目を対のオーブへと向けてそう告げるヴィヘラだが、相変わらず対のオーブに写っているのはイエロだけであり、その背後にいるエレーナに視線は届いていないだろう。


(バンシーか。俺が知ってる限りだと妖精だったり、アンデッドだったりするんだが……どうやらこの世界だと後者らしいな)


 二人の言い争いにそんな風に考えつつ、未だにグルグル、キュウキュウと対のオーブ越しに会話をしている二匹に視線を向けるのだった。

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