第690話

『……』


 目の前にいる百人以上の兵士から無言の視線を向けられたレイは、思わず内心で溜息を吐く。

 確かに兵士達に対する訓練を付けるとカラザとは約束したのだが、部隊というからてっきり十人程度だとばかり思っていたのだ。

 だが、今現在レイの視線の先にいるのは百人を超える兵士達。

 どこからどう考えても、レイの考えが甘かったことを意味していた。

 そんなレイの左隣に立っていたカラザが、兵士達に向けて大きく口を開く。

 尚、レイの右隣にはセトが存在しており、それが兵士達に対して無駄話をさせていない理由なのだろう。


「皆、今日の訓練は予定を変えてここにいるレイ殿に行って貰う。昨夜我等に合流されたレイ殿のことは知っている者も多いと思うが、改めて説明させて貰おう。彼はランクB冒険者にして、深紅の異名を持つ。その異名と彼の隣にいるグリフォンを見れば分かると思うが、春の戦争で我が軍に大きな被害を与えた人物だ」


 その言葉に、レイやカラザの視線の先にいる兵士達のうちの何割かが微かに眉を顰める。

 春の戦争で知り合いを亡くした者なのだろうと判断しつつも、何もこんな場所で言わなくても……とレイは内心で思う。


「すいません、レイ殿。ですが皆の前でこうして告げておくことにより、後で妙ないざこざが起きるのを防ぐことも出来るものですから」


 レイに聞こえるくらいの小声でそう告げたのは、カラザの背後に控えていた40代程の男。

 身体つき自体はそれなりに鍛えているように見えるが、それでも単純な技量で考えれば兵士以上、騎士以下といった程度の力しか持っていないだろう人物。だがその実は、カラザの率いてきた部隊の指揮を任されている実質的指揮官だ。

 カラザの家でもあるグラート伯爵家に代々仕えている人物で、今回の反乱軍参加に対してカラザのお目付役としての一面も持っている。

 もっとも、グラート伯爵家自体はカラザが勝手に出ていったのであり、もしこの内乱で死ぬようなことがあっても関知しないと公言している。その上で、フリツィオーネの第1皇女派としてそちらにも協力しており、どちらが勝ってもいいように手を打っていた。

 勿論死んでも関知しないと公言している以上、カラザはあくまでも保険でしかないのだろうが。

 それに関しては、カラザと共にレイに挑んだ他の二人の家にしても同様であり、それぞれカラザと同じようにお目付役や護衛、実際の指揮官を兼ね備えている者達がお付きとして派遣されている。


「別に気にしてないさ。その辺に関してはベスティア帝国に来る時に覚悟していたし、何より刺客に狙われるよりはこうして明確に敵意を向けられている方がまだいい」


 刺客という言葉に男は一瞬驚きに目を見開くが、やがてすぐに納得する。確かに一人で戦争の行く末を決定づける程の活躍をしたのなら、それは多くの者に恨まれるだろうと。


「そうでしたか。……それを知った上で今回の訓練を引き受けてくれたこと、カラザ様に代わってお礼申し上げます。……申し遅れました、私はカラザ様の補佐を任されているサージャと申します。その、カラザ様が色々とご迷惑を掛けたでしょうが、あまり気を悪くしないで貰えると……」


 サージャと名乗った男は、カラザにつけられるだけあってその性格をよく知っている。

 特にカラザがヴィヘラの美しさに心惹かれているのを知っているだけに、そのヴィヘラと親しい関係にあると言われているレイとカラザがぶつかるのは当然と思える程には。


「確かに多少迷惑は掛けられたが、だからといってそれ程嫌な思いをした訳じゃないしな。こっちの実力を見せれば、きちんとそれを理解するだけの性格なのは理解しているよ。だからこそ、こうやって俺と一緒に訓練をする気になったんだろうし」

「……ありがとうございます」


 そんな風にレイとサージャが会話をしている間にも、カラザの演説は続いており、やがて興が乗ったのだろう。大声で兵士達へと向かって叫ぶ。


「敵は帝国軍であり、その数は圧倒的と言ってもいい。だが、恐れるな! 私達にはヴィヘラ様がいる。そして、深紅と呼ばれているレイ殿もいる! そうである以上、私達が負けるということは有り得ない筈だ。……だが、それでも帝国軍には私達が知っている限りでも多くの精兵がいる。また、同時に帝国軍に雇われている冒険者の中には異名持ちもいるだろう。そんな相手と向き合った時、何も出来ずにやられるのか?」


 カラザのその言葉に、話を聞いていた兵士達はそれぞれに困惑する。

 勿論自分達だって大人しく死にたくはない。だが、異名持ちのような者を相手にして何が出来るのかと。

 そんな兵士達の不安を晴らす為、カラザは大きく手を振って言葉を口にする。


「否! 断じて否だ! だが、何も対策していないままでそのような相手と戦場で遭遇すれば、どうしようもないのも事実。そうなった時に的確な対応を取る為に、こうして深紅の異名を持つレイ殿が相手をしてくれることになった。皆、感謝するように!」


 その言葉にざわりとした空気が広がり、兵士達の視線がレイの方へと向けられる。


「レイ殿、一言お願いします」


 カラザにそう言われて一瞬迷ったレイだったが、それでもどうせ訓練するのならと一歩前に進み出る。

 ……その際、何故かレイの隣にいたセトまでもがレイと共に進み出た為、兵士達が思わず数歩後退ったりもしてしまったのだが、それはしょうがないのだろう。

 そんな兵士達を一瞥したレイは、ゆっくりと口を開く。


「ランクB冒険者のレイだ。先程のカラザの言葉にもあった通り、帝国軍には強大な力を持った者も多くいるだろう。そんな相手と遭遇した時、思わず動きを止めるか……あるいは動きを止めないか。それは明確にお前達の命の差となる。俺との訓練でそれを実感して貰えば幸いだ」


 そう告げるレイだったが、内心では思わず自嘲するような苦笑を浮かべていた。

 兵士達に対して偉そうに喋りはしたが、自分だって初めてノイズと会った時には掌に滲み出す汗を誤魔化すのに必死だったのだ。あるいはリッチでもあるグリムと遭遇した時も同様に。

 何だかんだと、自分が言っている内容を実行できていない以上、その言葉には説得力がないように感じていたのだ。

 だが……そんなレイの雰囲気を曲解したのか、カラザは感に堪えないといった表情で口を開く。


「聞いたな、お前達。レイ殿がここまで言ってくれているのだ。必ずその期待には応えるように。私もお前達と共に訓練を受けるから、共に壁を乗り越えよう」

『はい!』


 そんなカラザの言葉に一斉に返事をする兵士達。

 その様子を見ながら、思わずこれでいいのか? そんな風に考える。

 だがそんなレイを置いていくかのように話は進んでいく。


「では、それぞれ部隊ごとに分かれろ。……レイ殿、お願いします」


 カラザの言葉と、そして多少なりともレイの言葉。その二つを聞き、レイに対して思うところがある者にしても、取りあえず今はそのことを横に置いておくことにしたのか、若干ではあるが視線が和らぎレイの前に立つ。

 部隊ごとに分かれたその人数は微妙に差は有るが、大体十人程のものとなっている。

 まず最初にレイの前へと出てきたその十人は、何があっても自分は退かない、負けないと意識を強く持っているのがレイの目にも見てとれた。

 だが……


(それでは……まだまだ足りない)


 呟き、一種の威圧という意味を込めて覇王の鎧を発動させる。

 轟っ! と、何もしていないにも関わらず、レイから放たれる圧力のようなものが周囲の者達に何かを……死に近いナニカを感じさせた。

 いや、圧力だけではない。実際に可視化出来る程濃密に圧縮された魔力が、兵士やカラザ、あるいは周辺で様子を見ていた他の兵士達の視界に映る。

 更に気が付いているものはいなかったが、レイを中心に足下の地面がピシリとヒビが入ったかのように破壊されていた。

 覆しようもない絶対的な死。今のレイを見て、感じるのはただそれだけだ。

 レイの前にいた兵士やカラザは、腰を抜かすことすらも出来ないまま、ただその場で動かずに何とか意識を保っているのが精一杯だった。

 カラザのお目付役として近くに控えていたサージャにしても、その場から一歩も動くことは出来ずにいる。

 更には陣地の中にいる魔力を感じる能力を持った者達が、何の前触れもなく意識を失ったり、あるいはお化けに怯える子供のように踞っていたりしたのだが、幸か不幸かレイがそれを知ることはなかった。

 唯一、セトのみがレイのそんな様子を特に気にした様子もなく、いつものこととばかりに地面へと寝転がって視線を向けている。


「……」


 無言のまま動けず目の前にいる者達を一瞥し、そのまま一歩を踏み出す。

 実は、これだけでもレイとしては相当に精密な魔力のコントロールをしていた。

 それでもノイズのように身体の内部だけで覇王の鎧を起動するのではなく、身体の外に魔力が出てしまっているのは、レイの未熟さ故なのだろう。


(これが俺の限界。それでも覇王の鎧を身体の中に収めるということは出来ない)


 この陣地に来る前に盗賊と戦った時に比べると、確かに可視化出来る魔力の範囲は狭くなっている。それでもノイズには明らかに及んでいない。


(一体、どこまで緻密な魔力制御を出来ればあそこまで出来るんだろうな。あの顔でよくもまぁ……)

 

 どちらかと言えば迫力のある顔といった様子のノイズと、その緻密なまでに……一種芸術的とすら言ってもいいような魔力制御技術に、どこか似合わぬものを感じながら内心で呟き、一歩を踏み出す。

 尚、盗賊と戦った時とは違い、覇王の鎧を発動したままであるこの時点で相当の――一般的な魔法使いであれば魔力を根こそぎ消耗し、生命力すらも消費して干涸らびて死んでしまう程の――魔力を消費していたのだが、その点に関してはレイが己の持つ莫大な魔力を使うことにより特に問題なく動けていた。

 ピシリ。

 踏み出した足が地面に触れた瞬間に、そんな音を立てながら地面が軽く陥没する。

 全く力を入れたようにも思えなかったのだが、それにも関わらずこの有様だ。

 一見するとレイ自身の強力な力によるものだとは理解出来るのだが、その実は覇王の鎧を使う際の魔力制御を上手く出来ていない証でもあった。

 その様子に微かに眉を顰め……カラザを含めた兵士達が息をすることすら出来なくなっているのを見ると、覇王の鎧を解除する。

 瞬間、カラザ達は地面にへたり込んで荒く息を吐き、周囲で見守っていた兵士達にしても大きく呼吸が乱れていた。

 そうして、陣地から自分の方へと近づいてくる気配に気が付いて視線を向けると、そこにはいつもの薄衣を身に纏った挑発的な格好をしたヴィヘラの姿があり、そのすぐ後ろをグルガスト、テオレームといったようなこの反乱軍の中でも自らの力に自信のある者達が存在していた。

 表情を厳しく引き締めていた三人だったが、視線の先にいるのがレイであると知ると一瞬虚を突かれたような表情を浮かべ、ヴィヘラは面白そうな笑みを、グルガストは獰猛な笑みを、テオレームは疲れたような笑みといった表情をそれぞれ浮かべて走っていた足を止める。


「敵が来たのかと思ったら……さっきのはレイだったの?」


 驚いたような口調だが、その口元に浮かんでいる笑みは確実にそんなヴィヘラの思いを裏切っていた。

 レイと別れてからの短い期間で浸魔掌という新しいスキルを習得したヴィヘラだったが、自分の想い人でもあるレイはそれ以上のスキルを習得していたのだから。

 こうして今も目の前にいるだけで、覇王の鎧の残滓とも呼べる魔力の残り香により圧倒されるかのようなその迫力は、見ているだけでレイの戦闘力の高さを思い知る。

 グルガストは、昨夜自分と戦った時には見せなかったスキルを使っていなかったことに……つまり、自分を相手にして明らかに手加減をしていたということに思うところはあれども、それを上回る激しい戦闘に思いを馳せて獰猛な笑みを浮かべていた。

 テオレームはといえば、ただでさえ圧倒的だったレイがより強い力を手にしていたことにより、この先の揉めごとが起きた時のことを想像して疲れた笑みを浮かべる。

 そんな三者三様の笑みを浮かべている三人へと視線を向けながら、取りあえずということで覇王の鎧を解除したレイが口を開く。


「どうしたんだ? 急に」

「……急にじゃないわよ、急にじゃ」


 自分のやったことに全く気が付いていない様子のレイの言葉に、ヴィヘラは口元の笑みを思わず苦笑へと変えてから溜息と共にそう呟く。

 もっとも、今回覇王の鎧を間近で見たカラザやその部下達は、これ以降敵に対して恐怖するといったことは一切なくなったという。

 特にカラザと共に最も近くで覇王の鎧に接した兵士達は、全員が後日隊長首を上げるという大手柄を上げることになる。

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