第671話
レイが滞在しているベスティア帝国の帝都。そこから遠く離れたミレアーナ王国、ケレベル公爵領の都アネシス。
そのアネシスに存在するケレベル公爵の屋敷の一室で、エレーナは紅茶を飲みながらソファに体重を預け、自分の隣でクークーと寝息を立てている存在へと視線を向けながら何かを考えていた。
視線の先にいるのは、体長20cm程の竜の子供。エレーナが竜言語魔法によって作り出した使い魔のイエロだ。
まだ小さく、見た目通りの子供である為か、ソファの上にあるクッションに顔を乗せるような形で眠り込んでいる。
もっとも、それも無理はないだろう。外は既に暗く、夜空には月が昇っているのだから。
月光を煌々と降り注ぐ月を窓から眺め、エレーナは再び紅茶を口に運ぶ。
「……月見酒ならぬ、月見紅茶というのも中々に風情がある。この紅茶もそれなりに美味く淹れられたしな」
窓の外に見える月から視線を逸らしたエレーナが見たのは、テーブルの上に置かれている紅茶を淹れる為の道具だ。
以前からレイに飲ませる為に紅茶を淹れる練習はしてきたのだが、今では純粋にエレーナの趣味と化していた。
そんな紅茶を淹れる為の道具を見ていると、不意にレイの顔が脳裏を過ぎり、エレーナの美貌を憂いの色に染める。
現在レイはベスティア帝国にいる。だがエレーナが心配しているのは、ベスティア帝国でレイが怪我をしないかどうかではない。寧ろ、レイの場合は余計な騒ぎを引き起こしていないのかどうかというのを心配し、それにまつわる騒動でベスティア帝国の帝都辺りが消滅しなければいいのだが。そんな風にすら思っていた。
それでもエレーナが憂いの色を浮かべるのは、ベスティア帝国にレイと共にいる存在、ヴィヘラの件があるからだろう。
ヴィヘラ。正確にはヴィヘラ・エスティ・ベスティア。その名前の通りベスティア帝国の第2皇女にして……エレーナの恋のライバル。
自分も姫将軍と呼ばれ、今まで幾多もの男に言い寄られてきた身だ。当然自分の美しさというのにはそれなりに自覚している。
だがそんなエレーナから見ても、ヴィヘラというのは非常に人を惹き付けるだけの魅力を持った女だった。
それこそ、レイと一緒にいると思うとエレーナの豊かな胸の内がチクリと痛むくらいには。
「全く、妙な手を出してはいないだろうな?」
自らの内にある心配を口に出しつつ、再び紅茶の入ったカップを口へと運ぶ。
先程までは上出来だと思っていた紅茶は、エレーナの心配を表に出すかのように味を濁らせているように感じられる。
「レイもレイだ。折角対のオーブを手に入れたのだから、もっと頻繁に連絡してきてもいいだろうに」
チラリ、と執務机の上に置かれている対のオーブへと視線を向ける。
迷宮都市で手に入れたマジックアイテムであり、その名称通りにエレーナの視線の先にあるオーブと対になっているオーブを持っている者と遠距離で会話が出来るという代物だ。
この類のマジックアイテムが欲しくて、レイと共に迷宮都市のエグジルへと向かったのだが……
「その結果がヴィヘラと出会い、そしてレイがベスティア帝国に向かうことになったのを思えば、差し引きマイナスではないのか?」
呟きつつ、もしも自分がこの手のマジックアイテムを欲しがらなければ、ヴィヘラという強力な恋敵が出来ることもなかったのだと、しみじみ思う。
ヴィヘラは、エレーナから見ても魅力的な女だ。その美貌や男好きのする肉体、自由奔放と言ってもいい性格。
エレーナにしても自分の美貌には多少なりとも自信はあるが、それでもヴィヘラが着ている、向こう側が透けてしまうような服を身につけることが出来るかと言われれば……
「……レ、レイがそれを望むのであれば……」
頬を真っ赤に染めながら呟き、ヴィヘラが着ているのと同じ衣服を着ている自分を想像する。
瞬間、すぐに首を大きく横に振る。
その際に金髪の縦ロールが大きく揺れて部屋の明かりに煌めくのだが、それを見ている者がいないのは残念だったと言えるのかもしれない。
「無理だ、わ、私にあのような淫らな衣装を……」
「キュ?」
そんなエレーナの動きが伝わったのだろう。眠っていたイエロが小首を傾げて鳴き声を上げ、円らな瞳でエレーナの方を見てくる。
その声で我に返ったのだろう。エレーナはそっとイエロの黒い鱗が生えている身体を撫でる。
「キュウ」
エレーナの手の感触に気持ちよさそうに喉を鳴らすイエロ。
その瞬間、執務机の上にある対のオーブが発動するのを感じ取る。
「っ!?」
撫でていたイエロをそのまま抱え上げ、慌てて執務机の方へと、対のオーブの前へと向かう。
やがて対のオーブの中に見覚えのある顔が映し出された。
それは、つい先程までエレーナの脳裏を占めていた顔。この世に生まれて、初めて心の底から欲した存在。
大勢から求められてきたエレーナが、自ら求めた存在。
「レイ」
『久しぶりだな。こっちの方がある程度一段落ついたから連絡したんだけど……今は大丈夫か?』
そう話し掛けながら、レイは大きく伸びをする。
まるで起きたばかりだと言いたげなその様子に、エレーナは不思議そうに口を開く。
「寝起きか?」
『ああ。丁度決勝が今日だったからな。その試合でかなり無理をしたおかげで、かなり眠かったんだよ』
まだ眠り足りないのか、小さく欠伸をするレイ。
普段は自信に満ちた態度を取るレイだけに、どこかいつもと違うその姿にエレーナは思わず見惚れる。
あばたもえくぼ、というものなのだろう。
「それにしても、勝ったと言ってもレイがそんなに苦戦するとはな。どんな相手と戦ったんだ?」
レイが勝ったという前提で話を進めているのは、やはりエレーナ自身がレイの強さを知っているからか。余程の相手でもない限り、レイが負けることはないだろうと。だが……
『ん? あー、悪い。実は俺は決勝で負けたんだよ。それも相手に本気を出させることすらも出来ずにな』
「……何?」
思わず対のオーブに映し出されているレイを訝しげな視線で見やる。
だが、レイが何も冗談の類を言っている訳ではなく、本気でそう口にしているのだと悟ると、エレーナの視線は厳しくなる。
そこにあるのは男に恋をしている乙女の顔ではなく、姫将軍と呼ばれてベスティア帝国や周辺諸国に恐れられている人物の顔。
「個人の力でレイを倒せる者がいるというのか? それも、本気すらも出さずに」
『ああ、残念ながらな。ただこれは負け惜しみになるが、そもそも闘技場に用意された舞台の上で、それも相手を殺すのは駄目だという条件付きだった……とは言っておきたいな。セトと一緒だった訳でもないし』
「なるほど。ルールに縛られての上でなら、分からないでもない。だが、そんな状況であったとしても、レイに勝つことが出来る者がいるとはな。名前は?」
『ノイズ。ランクS冒険者、不動のノイズ』
その言葉がレイの口から放たれた時、エレーナは大きく目を見開く。
「不動のノイズが……闘技大会に出てきたのか?」
ランクS冒険者、不動のノイズ。その名前は当然エレーナも知っていた。
世界に3人しか存在しないランクS冒険者で、ベスティア帝国所属の冒険者。
本来であれば、他人の見世物になるような闘技大会に出てくるような人物では絶対にない相手。
「……それは予想外だったな。だが、確かにそんな人物が出てくればレイが負けるというのも有り得るか」
そう言葉を返しつつ、エレーナの脳裏では厄介なことになったというのが正直な思いだった。
確かにこれまでノイズという人物はベスティア帝国所属のランクS冒険者として名を馳せてきた。だが、政治の類に出て来ることは殆どなかったのだ。
そんな人物が闘技大会に……それこそ、人前で見世物になって戦うような代物に出場したのだ。それを思えば、いやが上にも緊張しない訳にはいかない。
『ま、こっちも何も出来ないで負けた訳じゃない。ノイズが使っていた覇王の鎧とかいうスキルを盗んでやったよ』
「何? それはどういう意味だ?」
レイが何を言っているのか、正確なところが分からずに尋ね返すエレーナ。
だがそんなエレーナに向かい、レイは口元に不敵な笑みを浮かべて口を開く。
『そのままの意味だ。奴が使っていたスキルを俺も使えるようになった。……まぁ、まだ全然使いこなしているとは言えない状態だけどな』
「ランクSの冒険者のスキルを盗んだ、と? ……ふふ、相変わらず出鱈目な奴だ」
唖然としたのは一瞬。すぐにエレーナは笑みを浮かべて納得したような表情を浮かべる。
もしも普通の、何も知らない相手にランクSからスキルを盗んだと言われれば、相手の正気すらも疑うだろう。
だが今対のオーブに映し出されているのは、レイだ。自分がこの世で一番大切だと思っている相手であり、その能力に関しても十分以上に知っている。
だからこそ、エレーナは特に疑う様子も見せずにあっさりと信じる。
「それで、その盗んだスキルっていうのはどのようなものなのか聞いてもいいのか?」
『ああ。ま、覇王の鎧って名前から大体予想出来るだろうが、魔力を身に纏うって奴だ。魔力のパワードスーツを作り出すとか、そういった感じの』
「……パワードスーツ?」
聞き慣れない言葉に問い返すエレーナ。
それを見て、パワードスーツでは意味が通じないと判断したのだろう。レイは少し考えてから、再び口を開く。
『そうだな、自分の身体能力とかを上げるマジックアイテムの鎧を魔力で作る……と言えば分かりやすいか?』
レイの言葉に、エレーナは何となくイメージが湧く。
確かにそれであれば、理解出来ないでもない。
『もっとも、盗んだといっても技量的にはまだまだ未熟で、要修行ってところなんだけどな』
「だろうな。そう簡単に他人のスキルを盗み出すような真似が出来るのであれば、苦労はない」
そこまで呟くと、再びエレーナの表情は姫将軍のものから恋する乙女のものへと変わる。
「それで、怪我をしたりはしてないのか?」
『ああ。闘技大会が開かれている闘技場は古代魔法文明の遺産があるからな。舞台から降りれば怪我の類は回復する。……確か前に言わなかったか?』
レイの口から出た言葉に、安堵の息を吐くエレーナ。
確かにその話を聞いてはいたが、それでもエレーナが実際にその目で確認した訳ではない。
大丈夫だと思っても、やはりレイのことだけに心配だったのだろう。
「キュウ?」
そんな鳴き声を上げながらイエロがエレーナの手から抜け出し、執務机の上、対のオーブの前へとパタパタと羽を羽ばたかせながら着地する。
そして目の前にある対のオーブに映し出されているレイへと向かって小首を傾げるイエロ。
「キュウ! キュキュ!」
鳴き声を上げるその様子は、まるで何かを求めるようだ。……そう感じたレイは、唐突に目の前の子竜が何を求めているのかを知る。
『悪いな。ここは宿屋だから、セトは近くにいないんだよ』
「キュウ……」
気の合う友達と会えないと知ったイエロが悲しげに鳴く。
心なしか、その尻尾すらも悲しげに下へと垂れている。
「ほら、また今度レイが対のオーブを使った時にセトに会わせて貰えばいいだろう?」
イエロの頭を撫でながら優しく告げるエレーナに、対のオーブに映し出されているレイもまた頷く。
『そうだな。今度そっちに連絡を取る時は、セトもいる時にした方がいいかもな』
「……それは、セトがいない限り私と話したくはないという風にも聞こえるのだが?」
どこか拗ねた表情を浮かべるエレーナに、思わず笑みを浮かべるレイ。
そんな風には全く思っていなかったのだが、こうしているとエレーナと話しているという実感が湧く為だ。
また、同時にこんなエレーナを見ることが出来るのは、自分だけだという思いもある。
レイの視線に気が付いたのだろう。照れか、恥じらいか、あるいは怒りか。ともあれ頬を薄らと赤く染めたエレーナは、話を変えるように口を開く。
「それで、決勝が終わったということはヴィヘラやテオレームの件も?」
『ああ。連絡はまだないが、それでも聞いた話によれば城から上手い具合に脱出して、帝都の外に向かったらしい』
「……そうか」
思わず安堵の息を吐くエレーナ。
恋敵ではあっても……いや、寧ろ恋敵であるからこそ、ヴィヘラには正々堂々とレイの隣の位置は自分のものであると証明したい。その前に捕まったりしてしまっては困るというのが正直な思いだった。
「なら、約束は果たしただろう。いつミレアーナ王国に戻ってくるんだ?」
当然早めに戻ってくるだろう。そう思って尋ねたエレーナだったが、対のオーブの向こう側でレイは首を横に振る。
『いや、俺はヴィヘラに協力しようと思う。この戦いで自らの力を高め、覇王の鎧を使いこなせるようにする為に』
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