第672話
「闘技大会、レイの準優勝を祝って……乾杯!」
『乾杯!』
悠久の空亭。その食堂に、ルズィの声が響き渡る。
既に外は暗くなっており、月も雲一つない空で煌々と月明かりで地上を照らしている。
食堂の窓からそんな月光を見ていたレイは、少し前に対のオーブで話したエレーナとの会話を思い出していた。
(いい女だよな)
この地に残り、内戦に参加すると告げたレイ。
それを聞いたエレーナは、色々と言いたいことはあったようだったが、最終的にはそれを認めた。
ただし、必ず死なずにミレアーナ王国へと戻ってくるということを約束させた上でだが。
普通であれば、エレーナの立場としては絶対に反対するだろう。闘技大会に参加してベスティア帝国上層部の目を引き付けるだけであればまだしも、今回は明確に第3皇子派として内戦に参加するのだ。
冒険者であるという立場故に、ダスカーがレイは既に自分の監督下にいないと周囲に説明した上で内乱に参加するのであれば恐らくは問題はないだろうが、それでもあくまでも恐らくでしかない。
(けど……それでも、この地で起きる戦いに身を投じるのは、俺にとっては絶対に重要なことだ)
真夏の如き熱帯夜にも関わらず、マジックアイテムの効果により涼しい食堂で冷たく冷えた果実水を飲みながらレイは内心で呟く。
数日の訓練よりも、一度の実戦。よく言われることではあるが、このエルジィンにやって来てから約一年半程。普通の冒険者では考えられない程の戦いを潜り抜けてきたレイとしては、その言葉には同意せざるを得なかった。
そんな内乱だからこそ、ノイズから盗んだ覇王の鎧というスキルを使いこなせるようになるという目論見がある。
(今の俺は覇王の鎧を使っているんじゃない。寧ろ、覇王の鎧に使われているような状況だからな)
内心で呟き、テーブルの上に乗っているオークのステーキへとフォークを伸ばし……フォークがステーキに刺さる寸前、横から飛び出てきたフォークがステーキへと突き刺さり、レイの目の前から姿を消す。
「おいおいおいおい、今日の主役が何だってこんな窓際の席で一人寂しく食ってるんだよ。もっとこう……真ん中に来いよ!」
口の中に放り込んだステーキをワインで流し込みつつ告げるルズィに、レイは思わずジト目を向けて口を開く。
「あのな、準優勝ってのは聞こえはいいが、結局は決勝で負けたんだぞ? なのに、何だっておめでとうなんだよ」
嫌そうに呟きつつ、ステーキの皿の近くに置かれていた果物の盛り合わせへと手を伸ばす。
今日行われた戦いで負けて、その結果が準優勝だ。準優勝と言えば聞き覚えはいいが、その実は負け以外のなにものでもない。
だというのに、それを祝おうと言われて……更には、エレーナと対のオーブでの会話を終え、余韻に浸っている時に強引に部屋へと突入してきて祝勝会をやると連れ出されたのだ。
そんな状況で、機嫌良く楽しめる訳にもない。
(……まぁ、俺を励ます意味もあったってのは事実なんだろうけどな)
内心で呟くレイ。
実際祝勝会をすると食堂にやってきた時には、多くの人物から声を掛けられている。
慰めの言葉もあれば、祝福の言葉もある。
その言葉に色々と思うところはあれども、それでも自分に対して心からそう言っているのを見れば、文句を言える筈もなかった。
(それに……闘技大会が開かれている間中この悠久の空亭に泊まっていた者達の、さよならパーティも兼ねているんだろうしな)
闘技大会の期間だけではあっても……いや、だからこそ、その楽しい時間を共に過ごした者達との別れというのは思うところがあるのだろう。
事実、この闘技大会で同じ宿に泊まったということで新しい商売に繋がったり、貴族間での繋がりを持ったり、中には若い者同士で恋愛関係に発展した者達もいる。
普段であれば、ただ同じ宿に泊まっただけということではそういう風にはならないのだが、やはりこれは闘技大会の期間を共に過ごしたからだろう。
それに付け加えるのなら、ここが悠久の空亭というベスティア帝国でも最高の宿であり、ここに泊まっている客である以上は怪しげな存在はいないというのもある。
もっとも、このエルジィンで最も怪しげな存在であるレイがいたりするのだが。
(冒険者にしても、貴族や大商人が泊まるような宿で騒ぎを起こせば、その結果がどうなるのかは大体分かっているだろうし)
重要人物が集まるようなこの場所で無意味に騒動を起こしたとすれば、色々な意味で後が怖いだろう。
レイの様に他の国から来ている者にしても、ベスティア帝国の国力を考えれば国が違うからと安心することは出来ない。
「何言ってるんだよ。そもそも、お前本当にあのノイズに勝つつもりだったのか? まぁ、実際俺よりいいところまでいったのは事実だ。それは認める。けどな、それでもやっぱりあの不動のノイズを相手に勝てると思ってるのは色々と無理があると思うぞ」
「……ふん、お前が戦う前には何て言ってたんだったかな」
同じノイズに負けたルズィだからこそ、その言葉には説得力があった。
殆ど反射的に、レイはそう言い返す。
半ば八つ当たり染みたその行為ではあったが、ルズィはそれに対して特に何を言うでもなく受け止める。
先程口にしたように、同じ相手に負けたからこその態度。
もっともルズィにしてみれば、ノイズを相手にあれだけ健闘出来た時点で凄いというのは言葉通りの意味だ。
(あのノイズを相手に、あそこまでやれるんだもんな。……こんな子供が)
自分に比べて……いや、それどころか自分達風竜の牙の中で最も小柄で細い身体つきをしているモーストに比べても、尚小さい。
体の厚みに関しては魔法使いのモーストよりも上だが、それでも女のヴェイキュルよりも体格的には劣っている。
そんな相手が、あれだけの戦いを見せつけたのだ。それだけでも唖然とするしかないというのに、更にはノイズのスキルを見ただけで盗むといったような信じられない行為すらしたのだ。
あの光景にはルズィだけではなく、一緒に観戦していたヴェイキュル、モーストの二人もまた驚きで声が出なかった。
(やっぱりレイに俺達を鍛えてくれるように頼んだのは間違いじゃなかったな。……さすが俺)
闘技大会が始まる前にレイへと声を掛けた自分を自画自賛していると、不意に果実へと伸ばしていた手を止めてじっと自分を見ているのに気が付く。
「どうしたんだ? まさか、俺に惚れたとか言わないだろうな?」
その真剣な瞳の色に嫌な予感を覚え、思わずそんな冗談を口に出す。
それが良かったのだろう。レイもまた苦笑を浮かべつつ、肩を竦めて視線を緩める。
「馬鹿を言うな。そういう趣味はない。ただちょっと聞きたいことがあってな」
「……聞きたいこと?」
「ああ。お前達……正確には風竜の牙は、これからどうするんだ? 闘技大会も今日で終わったし……ああ、正確には城で行われる正式な表彰式はまだ終わっていないが、それは関係ないだろ?」
「まあな」
元々面倒臭いことが嫌いなルズィだ。わざわざ城で行われる堅苦しい表彰式に参加したいかと聞かれれば、一瞬の躊躇いもなく否と答えるだろう。
実は風竜の牙のメンバーであれば、参加しようと思えば城で行われる表彰式にも参加出来るのだが。
もっとも、それをやるには自分達をスカウトに来た貴族達を頼らなければならず、もしそんな真似をすれば、色々な意味でルズィの嫌いな面倒臭いことになるのは間違いなかった。
闘技大会初参加にして、パーティ全員が本戦へと進み、パーティリーダーのルズィにいたっては戦った相手がノイズでなければもっと上まで進めただろうという評判だ。
そんな人材を逃す手はないと、何度となく貴族や商会といった場所から引き抜きの話が複数来ている。
当然それは全て断っているルズィだが、もしも城で行われる表彰式に参加するとなると、そちらに頼らざるを得ない。
勿論その恩だけで仕官するつもりはないが、この先何かあった時には優先的に依頼を受けざるを得なくなるだろう。そして指名依頼も増え、最終的には外堀を埋められて仕官することにもなりかねないのだから。
短く答えたルズィの言葉に、レイはならば……と口に出す。
「そうか。特に何も帝都に残る理由がないようなら、なるべく早く帝都を出た方がいい」
レイの口から出た言葉に、ピクリと反応するルズィ。
「何でだ?」
「さてな。だが、このままだと面倒事になるかもしれない……とだけは言っておくか」
それ以上は口に出せない。暗にそう告げてくるレイに、ルズィは微かに眉を顰める。
「あの刺客の件か?」
「そうだな、そうかもしれない」
あっさりとそう告げるレイに、ルズィは刺客の件でどうこう言っているのではないと理解する。
(けど、刺客の件以外で何かあったか? ……あったな)
内心で考え、すぐに頭に思い浮かんだのは、表彰式が始まる前に聞こえてきた爆音。
(噂だと、この国の皇女に変装した盗賊が城に忍び込もうとして撃退されたって話だったが……そっち関係か? となると、盗賊云々ってのも何らかのデマって可能性もあるか。まさかレイが盗賊に協力するとは思えないし)
ルズィは休憩中に何度かレイから盗賊狩りをしていたという話を聞いたことがあった。
本来は人を襲う盗賊を逆に襲って、盗賊の溜め込んでいるお宝を頂戴する。
普通であれば危険極まりない行為だが、そこはランクA冒険者にすら勝てる実力を持つレイだ。寧ろ盗賊程度では手頃な相手でしかない。
正義感の強い者であれば盗賊であろうと殺すとは何事かと口に出すのだろうが、ルズィ達とて歴戦の冒険者。そんな青いことを口にする筈もなく、寧ろその発想はなかった……とばかりに、自分達でも盗賊狩りを出来るかどうかを真剣に検討したのだ。
そんなレイが盗賊に協力するというのは、ルズィには絶対に考えられなかった。
(って言うか、もしレイが盗賊に何かなったりしたら最強の盗賊になるんだよな。それこそ、普通の冒険者では手を出してもあっさりと返り討ちにされるくらいに)
そうなれば、それこそノイズ辺りを討伐に出すしかなくなるだろう。
個人で軍勢に匹敵するだけの実力を持つレイだけに、下手な手出しは自分達の戦力を減らすことに他ならないのだから。
(……あれ? もしかしてミレアーナ王国と戦争になった時にこの手段を使われると、色々と不味いんじゃないか?)
空を飛べるセトの機動力に、遠距離から魔法による圧倒的な火力を誇るレイ。更には近接戦闘でもランクSのノイズとある程度は渡り合えるだけの実力を持っている。
一人と一匹という個人単位であるだけに、探す方としても非常に発見しにくい。
そんな相手がミレアーナ王国との戦争中にベスティア帝国内に入ってきて暴れたらどうなるか。それは火を見るよりも明らかだった。
不意に思いついたその考えに、ルズィの顔は急速に引き攣っていく。
そんなルズィの様子を不審に思ったのか、レイが妙なものを見る目で尋ねる。
「何だ、急に黙り込んだかと思えば……」
「あ、いや。何でもない。それより、結局なるべく早く帝都を出て行った方がいいって理由は教えて貰えないのか?」
「さて、どうだろうな。俺から言えることは既に言った。後はお前が……風竜の牙が判断すればいいさ」
「……風竜の牙が、か。分かった。ヴェイキュルとモーストの二人にも話をしてみるよ」
そう告げると、難しい話はこれで終わりだとばかりにルズィは近くにあった串焼きへと手を伸ばす。
レイもまたそんなルズィの言葉に同意するように、同じ串焼きに――ただし魚の――手を伸ばす。
尚、海に接していないベスティア帝国において魚と言えば、基本的に川や湖に住んでいる淡水魚を意味している。
海の魚に関してはミレアーナ王国を経由しなければいけない関係上、非常に稀少で高価な物になる。そして鮮度の問題から生魚を持ってくる訳にもいかないので、干物のように加工された物だけだった。
……だが、さすがにベスティア帝国でも最高の宿である悠久の空亭だけはあり、今日の食事に出されているのは海の魚だった。
それも、干物ではなく生の魚にそのまま塩を振って焼いた塩焼き。
鱗を剥ぎ、皮の部分に振られた塩が舌を刺激し、次に魚の身のフワリとした柔らかな触感が口の中へと広がる。
白身の魚らしい甘みが強烈に自己主張をするが、それでも塩辛すぎない塩の味が不思議と口の中で調和する。
一口食べれば、また一口。そしてまた一口といった具合にその料理を食べていると、ルズィも気になったのだろう。魚の串焼きへと手を伸ばす。
「で、城でやるっていう表彰式は……三日後だったか?」
「ああ。だから、お前達がどういう決断をするにしろ早めに決めておいた方がいいぞ」
魚の串焼きを味わいつつ、騒ぎが大きくなる前に……明日にでもここの料理人に以前約束した通りに何か料理を教えておかないといけないだろうな。そんな風に思いつつ、レイはルズィと思う存分食べ、酔っ払ったヴェイキュルが脱ぎ出そうとするのをモーストと共に止め、周囲の客達に勧められる酒を何とか回避しつつ、エルクやミン、更にはダスカーやその護衛の騎士達までもが参加した祝勝会は夜中まで続くのだった。
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