第670話

 闘技場での表彰式が終わり、レイは泊まっている悠久の空亭へと向かって歩いていた。

 本来であればダスカーやエルク、ミンといった者達と共に帰っても良かったのだが、闘技大会が終わったということでベスティア帝国の貴族や、招待された他国の貴族との会話で忙しかった為にその場で待っていると試合の疲れで眠ってしまいそうだったので先に帰ってきたのだが……


(やっぱりダスカー様の用事が終わるのを待って、一緒に馬車で帰ってくる方が良かったか?)


 レイはどこかぼんやりする頭で、闘技場の周囲に何人もの人物が集まっているのを見て内心で呟く。

 ただ集まっているだけなら問題はない。闘技大会が終わってその感想を話し合ったりしているだけなのだろうから。

 だが……


「おい、深紅は見つかったか?」

「いや、まだ闘技場から出てきたって情報はない筈だ」

「ならまだ闘技場の中か。……一応聞いておくけど、出入り口は全て見張ってるんだよな?」

「当然だろ。ここで逃してしまえば色々と面倒な事態になる」


 そんな話を聞けば、それこそ男の言葉ではないが面倒な事態になるだろうというのは予想が出来た為だ。

 ただでさえ自らよりも格上のノイズと戦い、今まで使ったことがなかった覇王の鎧というスキルを魔力任せで強引に使用したのだ。身体の奥底には重い疲れが残っており、出来ればさっさと悠久の空亭に戻ってベッドで眠りたかった。

 ベスティア帝国でも最高峰の宿であるだけに、悠久の空亭のベッドは柔らかく身体を受け止めてくれる非常に高品質なものだ。

 布団の類にしても、貴族が使う為にランクBモンスターのハーピークィーンの羽毛を始めとした各種貴重な素材を使って作られている。

 それだけに、普通なら高級すぎて寝慣れないという者もいるのだが、幸いにしてレイはそのようなものを全く感じる様子もなく眠ることが出来ていた。

 今はただその布団で眠って、身体の中にある疲れを取りたい。

 愛しい恋人を……それこそエレーナを求めるかのように布団を求めていたレイにとって、闘技場の周囲にいる者達は邪魔以外のなにものでもなかった。

 特に自分を狙っている者であれば、力尽くで対処するというのも出来たかもしれない。

 だが、今視線の先にいるのは、レイを狙っているといっても……


「子爵の命令だけど、本当にあの深紅がうちに仕えると思うか?」

「まず無理だろ。……けど、俺達としては子爵の命令に従わなきゃいけない訳だ」


 その言葉通り、レイを狙っているとはいっても別の意味で狙っている者達だったのだ。


(エレーナ……ああ、そう言えば対のオーブで闘技大会の件を知らせておいた方がいいか)


 これまでにも夜に何度かエレーナとは対のオーブを使って話していたが、今回の件……決勝でノイズに負けたというのはあまり話したくはなかった。

 確かにノイズに勝てなかったのは事実だが、それでもレイも男だ。好きな相手に自分のみっともないことを教えたくないというのはあって当然の感情だろう。

 もっとも、それでも結局は大事な話である以上は隠しておくことが出来ずに話すしかないのだが。


「おい、まだか?」

「ああ。まだ闘技場から出てきてはいないらしい」

「……くそっ、もしかしてもう他の場所から出ていってるんじゃないだろうな?」

「まぁ、それならそれで構わないんだけどな」

「はぁっ!? おい、本気か?」

「本気だ本気。そもそも、別に深紅が泊まっている場所が不明って訳じゃないだろ。なら最悪その泊まっている宿……悠久の空亭だったか? そこに向かえばいいじゃないか。……にしても、羨ましいよな。俺も一度でもいいから泊まってみたいぜ」

「馬鹿。そもそも、何で俺達がこうやって闘技場の外で待ち構えていると思ってるんだよ。宿で深紅に面会を申し出ても問答無用で却下されるからだぞ。いや、下手をすればラルクス辺境伯が出てくる可能性もある。だからこそ、こうして有無を言わさず子爵の前に連れて行こうとしてるんだろうに」


 そんな会話を聞きつつ、レイはドラゴンローブのフードを被ってなるべく自分を待ち構えている相手に見つからないようにしてその場を離れる。

 隠蔽の効果があるドラゴンローブをこうも頼もしく思ったことはこれまでなかっただろう。

 半ば頭が疲れで重いのを感じつつ、レイは子爵の使いだと言っていた人物達から離れていく。

 闘技場の周囲には観客も大勢おり、ここを出てそちらに紛れればまず見つかることはないだろうという判断からだ。


(とにかく……数時間でもいいから、眠らせて欲しい)


 既に三割程は眠っているような頭の中で考えつつ、観客達で賑わっている街の中を進んでいく。


「おい、聞いたか? 表彰式の時の爆発音。城の方で何かあったらしいぞ」

「聞いた聞いた。何でも盗賊か何かが城に忍び込もうとして、それを見つけた騎士様と魔法使い様がそれを撃退したとか。凄いよなぁ。しかもその騎士様達は、カバジード殿下が用意したんだってよ」

「は? 何だそれ。つまり、カバジード殿下は最初から盗賊が来るって分かってたってのか?」


 その言葉を聞き、歩いているレイの足がピタリと止まる。

 意識が睡魔に侵されようとしてはいたが、今の話はどこか気になったものがあった為だ。

 そのまま近くにある建物に寄り掛かって待ち合わせの相手でも待つようにしながら、少し離れた場所で会話をしている先程の会話をしていた者達へと視線を向ける。

 既に秋にも関わらず、今日は真夏の如き暑さだ。その暑さの為に……そして何よりも闘技大会の決勝ということもあって、商売時だと判断したのだろう。近くの酒場ではまだ夕方前だというのに店の外までテーブルが出され、そこで酒を飲んでいる者達も多い。

 そんなビアガーデンのような店の一画から、先程の話をしていた声が聞こえてくる。


「盗賊が来るかどうかは分かってなかっただろうけど、単純に今日は城のお偉いさんの多くが闘技場に行くってのは、毎年のことだろ? だからこそ、カバジード殿下は城の防備が薄くなるんじゃないかと心配してたんだろうな」

「……けど、城だろ? それもベスティア帝国の城だぞ? そんな場所に普通の盗賊がどうにかするなんて……」

「でもその盗賊が来たんだろ?」

「ああ。何でも城の中にあった財宝を狙って襲い掛かって来た盗賊がいるって話だった」


 そんな会話を聞きながら、レイは内心で首を傾げる。

 明らかにカバジードを褒めそやし、持ち上げている人物がいるからだ。

 更にその人物の語り口調は非常に上手く、同じテーブルで話を聞いている者どころか、周囲のテーブルで酒を飲んでいる者達ですらも会話に混じりだしていた。


「うん? でも俺が聞いた話だと、城から逃げ出したのはヴィヘラ殿下だったって話があるぞ? 何でも、城に向かうのを見た奴とか、馬に乗って去って行くのを見た奴がいるとか何とか」


 そんな中、男の近くのテーブルに座っていた男がそう告げる。

 周囲のテーブルの男達の中にも聞き覚えがある話だったのだろう。それに同意するように頷いている者も多い。

 だが先程から声高に話している男は、その言葉に大きく首を横に振る。


「まさか。大体、ヴィヘラ殿下は国を出奔したんだろう? そんな殿下が、今この時期に帝都にいる訳ないさ」

「……確かにその辺の話は前に聞いたことがあるけど……」

「けど、ヴィヘラ殿下よ? 闘技大会だからこそ、帝都に戻ってきているという可能性もあるんじゃないの?」


 ヴィヘラの戦いを好む性格は、帝国中に知れ渡っている。それを考えれば、確かに闘技大会のある時に戻ってきてもおかしくはない。

 だが男はそれを否定する意味を込めて首を横に振る。


「まさか。確かにヴィヘラ殿下は戦いを好まれる。それは理解しているが、だとすれば闘技大会を見に来るんじゃなくて、参加するんじゃないか?」

「それは確かに……でも出奔したんだから、皇帝陛下に顔を見せづらいというのはあるんじゃない?」

「戦いを好まれるヴィヘラ殿下が、皇帝陛下に会うのを避ける為に闘技大会に出場しないというのはちょっと有り得ないと思わないか? それにヴィヘラ殿下であれば、当然ランクSの不動のノイズが闘技大会に出場するのを知っていた筈だ。もしも城に現れたのが本物のヴィヘラ殿下であれば、そんな絶好の機会を見逃すと思うか?」


 その言葉は、不思議な程の説得力を持って周囲に受け止められる。

 事実、その話を聞いている者の知っているヴィヘラであれば、ランクS冒険者を相手に戦えるという機会を見逃すなどということは絶対に有り得なかったからだ。

 ヴィヘラと同腹の第3皇子のメルクリオが軟禁されていたというのを知っていれば話は別だったかもしれないが、そんな重要な情報が一般の民衆に知らされる訳はない。

 そして……


「つまり、城に現れたってのはヴィヘラ殿下の振りをした盗賊だったんだろうな。で、闘技大会が行われている隙を突いて城に忍び込もうとして、カバジード殿下の手配した騎士達にやられて逃げ出したって訳だ」


 そう結論づけられるのは、ある意味当然のことだった。


(何か……妙にカバジードとやらを持ち上げてるな。ヴィヘラにしても、どうしても偽物という扱いにしたいように見えるし。いや、出奔したヴィヘラに城を襲われて軟禁されていた第3皇子を奪われたというのは隠しておきたいんだろうが……妙に情報が偏ってるような……)


 いつもであれば、レイもその違和感の正体に気が付いたかもしれない。あるいは、もっと帝都の中を色々と歩き回っていれば、レイの視線の先で大勢に対して告げているようなことを言っている者を他に何人も見つけることが出来たかもしれない。そして、情報操作という言葉が思い浮かんだだろう。

 だがノイズという強大な敵を相手に戦って負け、更にはこれまで闘技大会だと張り詰めていた気持ちが切れた今、既にレイの頭は三割……いや、壁に体重を預けて動かずに話を聞いていたことで四割近くは眠りについているような状態だった。

 そのまま眠気に負けるように目が閉じ始め、やがてこのままここにいては街中で眠ってしまうと判断したレイは、これ以上の情報収集は無理だろうと判断して――より正確にはベッドで眠りたいという欲求に負けて――その場を後にする。

 半ば以上眠った状態で、足下が覚束ない、まるで酔っ払いの如き足運びではあるが、それでも闘技大会が終わって人の多い帝都の街中をぶつからずに歩いて行く。


(もし、街中で眠りこけているところを俺に恨みのある奴に見つかったら……見つかったら……見つかったら……)


 頭の中でもそんな風に考えがループしている辺り、身体が深い眠りを求めているのだろうと、何故か客観的に考えることが出来ている自分に疑問を感じつつ街中を進み続け……やがて悠久の空亭が見えてくる。

 だが、その入り口を見てレイは既に半分程眠り掛けていた頭の中で微妙な違和感を抱く。

 悠久の空亭の周辺に、闘技場にいた時と同じように大勢の人がいたからだ。……いや、闘技場にいた時よりも多い程の人数だ。

 ここに集まってきているのは、勿論仕官をして欲しいと望む貴族や商会の使いの者もいるが、近くでレイを見てみたいと思う者も多い。


「面倒臭い」


 そんな人の群れを一目見て、何となくこのまま姿を現せば面倒臭いことになると判断するレイ。

 幸いだったのは、ここがベスティア帝国でも最高級の宿である悠久の空亭だったことだろう。

 警備の為に雇われた者達がおり、そのおかげで宿の中に強引に入っていく者はいないのだから。

 貴族や大商会の商人達といったような者達を上客としている以上、警備を雇っておくのは当然だが、それに救われた形だ。

 もっとも、それで止めることが出来るのはあくまでも一般人だけだ。貴族の類であれば、宿の中に入るくらいは可能だ。……まぁそれでもレイに会いたいと言っても、まずはダスカーに話を通すことになっている以上、余程のことがなければレイと直接会えるということはないのだが。

 ともあれ、レイはそのままふらふらとした足取りをしながら悠久の空亭を取り囲んでいる者達の間を縫うように歩いて行き、やがて宿の中へと入っていく。

 宿の中に入れば、後はもう大丈夫とばかりにカウンターで手続きをして自分の部屋へと向かう。

 階段を上っていくレイに、何人かの顔見知り――食堂で何度か行われた祝勝会で知り合った――者達が声を掛けるが、レイはそれに軽く手を振ってそのまま部屋へと向かい……部屋の中へと入ると、鍵を掛け、ドラゴンローブを始めとした着ているものを全て外し、そのままベッドへと倒れ込み、その瞬間には意識が闇の底へと沈んでいくのだった。

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