第658話
「ん……んん……?」
そんな声を上げながら、レイは意識を取り戻す。
起き上がり、自分がどこにいるのかを半ば寝ぼけた頭で確認する。
見覚えがあるような、ないような、そんな場所。
そのまま周囲を見回し……自分が寝ていたソファに向かい合うような形で置かれていたソファに人影があるのに気が付き、急速に意識を覚醒させていく。
自分の向かい側にいる相手……ノイズの姿を見てから咄嗟にソファから立ち上がるといった行動を取ったのは、決勝の時の記憶が色濃く残っていたからだろう。
「起きたようだな」
「ノイズ……これは……いや、ここは一体?」
「お前に宛がわれた控え室だ。決勝を覚えているか?」
何故か上機嫌に笑っているノイズの様子に、緊張しているのが馬鹿らしくなったレイはそのままソファへと腰を掛ける。
そのまま目を瞑り……そうして、自分が気を失う前の出来事を思い出す。
(決勝……そうだ、確かに俺はノイズと戦った。いや、戦ったとすら表現出来るか? どちらかと言えば一方的にやられたと表現する方が正しい)
脳裏を過ぎるのは、魔力を可視化出来る程に圧縮して身に纏ったノイズの姿。
殆ど本能的な魔力運用で似たような真似をしたが、それで結局自分は負けたのだ。
「負けた、か」
呟くレイを、ノイズはソファへと座ったままじっと眺め、頷く。
「そうだな。だが、ここ数年であそこまで本気を出したことは殆どなかったのも事実だ」
慰めるようにと言うよりは、純粋に事実を口にしただけといった様子のノイズの言葉だったが、レイはそれに対して特に言葉を返すでもなく、顔を覆う。
決勝で負った右肋の痛みや、細かい擦り傷の類は舞台から降りた時点で消えている。
改めてその効果に気が付いたレイだったが、それを考える余裕がないままに溜息を吐く。
(ノイズとの実力差は、それこそ初めて会った時にも感じていた。それでも……そう、それでも勝てると、勝てるかもしれないと思っていたんだけど、な)
レイがこのエルジィンという世界にやって来てから、約一年半。その間に幾多もの戦いを潜り抜けてきたが、それでも全てに勝ってきたのだ。
……まぁ、中にはリッチのグリムのような例外もいたが。
何よりランクA冒険者であるエルクやディグマといった相手にも、何だかんだと勝ってきたという自負もある。
それでも……目の前にいるノイズを相手に、本気を出させることすら出来なかったのだ。
いや、勿論本気ではあったのだろう。少なくても準決勝までのように相手へと訓練を付けているのとは全く違う、戦いになるだけの力は出させたのだから。
だが結局はそこまででしかない。ある程度の力は出させたのだろうが、死力を尽くす、あるいは全力を出すといったところまで追い詰められなかったのは事実。
(強い、な。勿論俺が今の時点で誰にも負けないなんて風には思ってなかったが、それでもここまで実力の差があるとは思わなかった)
そんな風に考え込むレイを面白そうに見ていたノイズは、やがて口を開く。
「そこまで落ち込む必要もないだろう。お前は俺の覇王の鎧すらも見ただけで使ってみせたんだ。収支的に見れば、大幅なプラスだろう」
「覇王の鎧? ……それが、あのスキルの名前なのか」
覇王の鎧という言葉に一瞬意味が分からなかったレイだったが、見ただけで自分のものにしたという言葉を聞けば、それがどのようなものかはすぐに分かった。
そしてレイの言葉で理解したのだろう。ノイズもまた頷き、口を開く。
「そうだ。俺が使ったあのスキル。それが覇王の鎧だ。もっとも、一般的には殆ど広まっていない名前だがな。……まさか俺以外に使える者がいるとは思わなかった」
その言葉と共に浮かべるのは獰猛な笑み。
だがノイズのそんな笑みを見ても、以前程に自分が恐れていないことに気が付く。
例えば掌。初めてノイズに会った時には、ただ向かい合って話しているだけで掌に汗が滲み出てきたのだ。
だというのに、今はこうして向かい合い、更にはノイズが好戦的とすら言えるような笑みを浮かべているというのに、全く脅威を感じない。
いや、正確には脅威を感じないという訳ではない。こうして向かい合っているだけでも、ノイズが桁違いの強さを持っているというのは理解出来るし、何よりも自分でそれを体験した以上は疑うべくもなかった。
それでも何故こうして平気でいられるのか。
理由は分からなかったが、恐らく実際にノイズと戦ってその実力の一端を感じ取ったからだろうというのが、レイの予想だった。
そんなレイの様子とは無関係に、ノイズは獰猛な笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「今まで何人か覇王の鎧を使いたいと言ってきた者はいた。当然、ある程度の実力がある奴らばかりだが、それでも誰も身につけることは出来なかった。……それを、まさか一度俺が使っているのを見ただけで習得するとはな。深紅、という異名も伊達じゃなかった訳だ」
「褒めて貰っているようだけど、俺はお前に全く及ばずに負けたんだが?」
レイの口から出たその一言に意表を突かれたか、ノイズにしては珍しく目を丸くして驚く。
そのまま数秒。やがてクツクツと笑い声を漏らしながら口を開く。
「それは当然だ。大体、俺があの覇王の鎧を使いこなすまでにどれだけの時間が掛かったと思う? 確かにお前は覇王の鎧を使った。だがそれは使っただけだ。使いこなしてはいない。大体、あれだけの魔力を使いながら、あの程度の性能しか発揮出来ないのは、どこからどう見ても未熟以外のなにものでもない」
ノイズの口から出たのは正論だっただろう。
それを理解しているだけに、レイはそれ以上反発の言葉を口にはしない。
事実、自分が使った覇王の鎧というスキルは、ノイズのそれには遠く及ばなかったのだから。
レイの様子を見ながら、ノイズは苦笑を浮かべつつ内心で呟く。
(それでも見よう見まねであそこまで出来たのが異常なんだがな。覇王の鎧を一ヶ所に集中させてそれを多少なりとも維持するなんて……俺が出来るまでにどのくらい掛かった?)
そんな風に内心で呟きながら、レイに向かって再び口を開く。
「お前がこのまま成長を続ければ……いずれ、俺に勝つことが出来る。そんな日が来るかもしれないな」
ピクリ。
ノイズの口から出た言葉を聞き、レイの動きが思わず止まり……それから数秒。確認するように口を開く。
「それは、本当か?」
「ああ。そもそも、ここで俺が嘘を言ってどうなる? 勿論すぐにという訳じゃない。厳しい訓練や実戦を潜り抜けるといったことが必要になるだろうがな」
あるいは自分の固有スキルとも言うべき覇王の鎧以外で強くなるかもしれない。
レイの戦闘に対する異常なまでの習熟の早さを思えば、それは決して不可能な話ではなかった。いや、寧ろより本能的に他の強さを求めるのであれば、その方がいい。そうすれば、自分の退屈も感じなくなるのだろうから。
高みに昇ったが故の孤独を感じながらも、いずれこの退屈が消えてくれることを願いながら口を開く。
「話は変わるが、もうすぐ闘技大会の表彰式が行われる。レイも出られるようなら出て欲しいと審判から言われているが……大丈夫か?」
「……そうだな」
呟き、座っていたソファから立ち上がり、身体の調子を確認する。
舞台から降りた時点で怪我はなくなっているのだが、それでも一応念の為にだ。
そうして数秒。特に身体に違和感がないのを確認して口を開く。
「問題ない」
「そうか。……ああ、お前の武器はそこに置いてある」
ノイズの視線が向けられた先には、床に横倒しに置かれているデスサイズの姿。
それを見たレイは、ポカンとした表情を浮かべて床に転がっているデスサイズを眺めていた。
「これを……持ってきたのか?」
「ああ。まさか置いてくればよかったとでも?」
「いや、持ってきてくれたのはありがたいし、感謝もする。ただ……よく持つことが出来たな。普通の人間なら持てない……いや、なるほど。覇王の鎧か」
よく気が付いたな。レイの言葉を聞き、そんな風に笑みを浮かべるノイズ。
決勝で身体全体に覇王の鎧を纏った姿を見せたノイズだったが、そもそも準決勝までの戦いでも覇王の鎧を使ったと思われる高速移動は見せていた。つまりそれは、必ずしも周囲の人間に見えるような形で高密度の圧縮された魔力を纏わなくても覇王の鎧の効果は発揮出来るということなのだろう。
(それに、ルズィのクレイモアの突きを剣先で止めたやり方。あんなことが出来るってことは、覇王の鎧の制御を完璧にこなしていることになる)
咄嗟ではあっても、自分もその身に覇王の鎧を纏ったからこそ理解出来る。確かに自分もノイズの強さに一歩近づいたのは事実だろう。だが、それだけにノイズとの実力差が余計に分かってしまう。
少なくても、今の自分はそこまで繊細に覇王の鎧をコントロールすることは出来ないのだから。
(遠い……な)
内心で呟きつつも、その目に絶望の色はない。寧ろ挑むべき対象が目の前にあるということで、ノイズが浮かべているのと変わらない程に獰猛な笑みを浮かべていた。
それに気が付いたのだろう。ノイズもまた面白そうな、獰猛そうな、再戦するのが待ち遠しいといったように笑みを浮かべる。
戦いが終わってからまだそれ程経っていないというのに、既に再びの戦闘に意欲を燃やす。
それだけノイズが退屈に侵されていたということであり、レイにとっても初めて出来た明確な壁を乗り越えるべく決意を露わにしながらデスサイズへと触れる。
そのままミスティリングへと収納すると、感心したような声。
つい数秒前まで浮かべていた獰猛な笑みは既に消え去っていた。
ノイズのそんな様子に内心で苦笑を浮かべたレイがノイズと最初に出会った時のことを思い出して口を開く。
「アイテムボックスか。俺のは袋型だが……」
そう告げたノイズの言葉だが、ノイズの腰には以前に見たアイテムボックスの袋は存在していない。
「そう言えば以前に言っていたな。けど持ってないようだが?」
「ん? ああ。俺がアイテムボックスを持っているのを知られれば、普通は狙われる。そういうのに限って下らない相手だからな。闘技大会のように目立つ場所には持ってこないんだよ」
「アイテムボックスの恩恵と面倒事を天秤に掛けて、面倒事が起こらない方を選んだ訳か」
自分とは正反対だな。そう告げるレイ。
ギルムにいた時からアイテムボックスを堂々と使っていたレイだ。
勿論そのアイテムボックスを狙って襲撃して来た者も少なくないが、その殆どは既にあの世へと旅立っている。それ以外の者達にしても、多かれ少なかれ後悔することになっていた。
「まぁ、その辺の話はまた後で聞かせてくれ。今は表彰式があるんだろ? 行こうか」
ドラゴンローブを軽く叩いて汚れを落とし、ノイズへと視線を向けて告げるレイ。
それを見たノイズも小さく頷き、レイに習えと自分の装備の状態を確かめる。
その様子を見ているレイの表情に浮かぶのは複雑な表情。
決勝戦では結局ノイズに対して装備品が汚れる程のダメージを与えることは出来なかった為だ。
魔法も使いはしたが、その効果も限定的と言ってもいい。
(もっとも、それはこっちも同じことだけどな)
幾度となく右脇腹を殴られ、あるいは攻撃された。それでもレイのドラゴンローブは一切のダメージや汚れの類を受けてはいない。
当然違うところもある。真実ダメージを受けていなかったノイズに比べ、レイの場合はドラゴンローブを抜いて直接肉体にダメージを受けたのだから。
(あの技術に関しても覇王の鎧の効果か? ……いや、多分違うな。系統が全く違うように思える。となると、全く別のスキルだろうな。……ランクS、か。改めて遠い)
小さく呟きつつ、ノイズと共に控え室を出る。
互いが特に何かを話すでもなく、無言で舞台の方へと向かっていると、通路の先の方から走ってくる人影が。
その人影が、ノイズとレイの二人を見て安堵したように口を開く。
「良かった、お二人共表彰式に出るのは問題がないようですね。舞台の方では既に表彰式の準備は完了しています。……ただ、今日行われるのは、あくまでも臨時の表彰式であり、正式な表彰式は後日城の方で行われることになると思います。それと、優勝賞品についての要望に関してはここで皇帝陛下に希望し、後日の表彰式にて授与という形になるかと」
「問題ない」
「分かった」
ノイズとレイの二人が頷き、表彰式の手順についての説明を受けていく。
もっともこの表彰式で一番忙しいのは、あくまでも優勝者のノイズであり、準優勝者であるレイは殆ど話を聞いているだけで賞品の要望の時に話が向けられるくらいだ。
そんな風に説明が終わり、やがて選手の入場口から舞台のある場所へとノイズとレイが姿を現そうとした、その時。
そこではこの短時間である程度の見栄えがするような式典の形が整えられており、観客席からもそれぞれ歓声が上がっている中……
轟っ!
不意にどこからかそんな爆音が響き渡り、闘技場の中にいる観客達の歓声をも超えて耳に入ってきた。
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