第657話
「勝者、ノイズ!」
『わああああああああああああああああああああああああああああ!』
自らの勝利を伝える審判の声と、同時に闘技場内に響くその圧倒的な歓声を聞きながらも、ノイズの視線は舞台の上に倒れているレイへと向けられている。
レイを眺める視線に浮かんでいるのは、驚嘆と興奮。その耳には、舞台の外で上がっている多数の歓声は一切入っていなかった。
(あの短時間で稚拙ながらも覇王の鎧を使いこなす、か。才能だけなら俺以上だな)
今でこそ可視化できる程濃密に魔力を圧縮して身に纏う、覇王の鎧と名付けたスキルを完全に使いこなしているノイズだが、勿論最初から自由自在に使いこなせた訳ではない。
いや、寧ろ最初は魔力を可視化出来る程に圧縮させるのすら数時間、そして数日、数ヶ月と掛かって出来るようになったのだ。
だというのに、今ノイズの視線の先で気を失っているレイは、自分が使っているのを見たその瞬間には稚拙ながらも覇王の鎧を身に纏い、稚拙ではあっても使っていた。
更にはただ身に纏うだけではなく、覇王の鎧を部分的に集めて目にも留まらぬ速度で移動するという応用技すらも使ったのだ。
勿論それは使いこなしたとはとてもではないが言えない稚拙な技であり、そもそも覇王の鎧すらも殆ど魔力任せで強引に使っているような状態である。
常人とは桁外れの魔力量を持っているレイだからこそ出来たことだが、それは逆に考えればレイの桁外れの魔力量という素質を十二分に活かしていると言い換えることも出来た。
(天才、そう言うべきか。ベスティア帝国にしてみれば天災と表現すべきかもしれないが)
今はまだ覇王の鎧というスキルや、重ねてきた戦闘の経験、あるいはそれ以外にも有しているスキルから自分の方が強い。
それは間違いないが、このまま月日が経ち、目の前で意識を失って倒れているレイがこれまで以上の戦闘経験を積み、覇王の鎧を使いこなせるようになればどうなるか。
純粋に覇王の鎧に関して言えば、練度も同じになれば当然その魔力量が性能を左右するだろう。
そうなった時、自分がレイに勝てる……とは言い切れなかった。
勿論、負けるつもりは毛頭ないのだが。
(そして、何よりも……)
チラリ、とレイから視線を逸らして自らが持っている魔剣へと視線を向ける。
レイと戦っている時に、その口から漏れた『腐食』という言葉。
それを聞いた瞬間、ノイズの背筋には久しく感じた事のない焦りのようなものが走ったのだ。
恐らくは自分の覇王の鎧と同じく、魔法ではなくスキル。
そして腐食という名前から考えれば、そのスキルを使われると恐らくは武器なり肉体なりが、文字通りに腐るのだろうと。
実際には金属製の武器にしか効果のないスキルではあるのだが、腐食の詳細を知らないノイズがそれを知ることはない。
とにかく、デスサイズと触れ合えば恐らく自らの魔剣が腐る。そんな予想を抱いたが故に、今回の戦いでは殆どデスサイズと打ち合うことなく、拳での攻撃に終始したのだ。
もし触れれば腐食するとしても、覇王の鎧を身に纏っている自らの肉体であればそれを防げるという目算もあった。
それに対して、覇王の鎧を纏えるのはあくまでも自らの四肢であり、鎧のように身体に密着しているのであればともかく、魔剣は身体から離れ過ぎている為に、覇王の鎧を纏えるのは精々握られている柄程度だ。
色々と勘違い、あるいは買い被りすぎていたノイズではあったが、結果的にその判断は決して間違っておらず、寧ろ腐食を使うレイを相手にするには最適な選択ではあった。
もしもノイズが腐食というスキルに関して甘く見ていれば、幾度となくデスサイズと打ち合った魔剣はその度に腐食を使われ、刀身半ばで腐り果てていたかもしれない。
勿論ノイズが使っている魔剣だ。相当に高性能なのは間違いなく、そうそう刀身が腐り果てるということにはならなかった可能性もある。だが、ノイズはレイを相手にしてそんな賭けに等しい真似はしたくなかった。
……いや、出来なかったというのが正しいだろう。
確かに、現在こうして舞台の上に倒れているレイを見れば、そして試合結果を見ていれば、終始自分が圧倒していた戦いであり、レイは殆ど何も出来ないまま一方的にやられたに等しい。
だが……
(あの時間を経験した訳でもない者が、何をほざく)
耳に入ってくる言葉の数々に、内心で舌打ちする。
その言葉には、やはり深紅は大したことはない、不動に勝てる者はいない、これで身の程を知っただろうという類のものも多い。
当然それ以外にもレイの健闘を称える声もあるのだが、それでもレイに……自分の認めた相手に対し、侮蔑するような言葉を無責任に言い放つ観客達にはうんざりとする。
自分と同じ時間を体験し、自分と同じ高みに既に片足を踏み入れている存在をそんな風に言われるというのは面白くなかった。
「ノ、ノイズ選手」
だからこそ、レイとの戦いで得た晴れやかな気持ちが負の感情に塗りつぶされる前に、審判が声を掛けてきたのは幸運だったのだろう。
「何だ?」
短く言葉を返すノイズだったが、やはりまだどこかに久しく感じたことのなかった戦闘の余韻が残っていたのだろう。ノイズに声を掛けた審判が小さく息を呑む。
それでもノイズを相手に怯んだのが一瞬であったのは、さすがにこの闘技大会の決勝で審判を任されているだけのことはあった。
運営委員の中には当然審判は大勢おり、その日その試合で審判は変わっていく。その中で決勝戦の審判を任されるということは、それだけ優秀な人物だということを意味しているのだから。
「その、これから一時間後に表彰式が行われます。ノイズ選手にはその用意をして貰いたいのですが」
「……そうか」
そう言えばそんなのもあったな。そんな思いで呟くノイズの視線には、既に何の感情も表れてはいない。
つい先程の……レイの試合との最中に見せた哄笑とすら言える笑い声を見ていただけに、それは審判に対して違和感を与える。
だがノイズはそんな審判に構わず、未だに意識を取り戻していないレイへと近づき、そっと担ぎ上げる。そしてもう片方の手にはデスサイズを。
100kgを超えるデスサイズをあっさりと持ち上げるのは、ランクS冒険者ならではか。
「ノ、ノイズ選手?」
「分かっている。表彰式には間に合わせる。レイをこのままにして置く訳にはいかないだろう? それで、表彰式にはレイも参加するのか?」
「はい、優勝、準優勝者ということでお二人揃っての表彰になりますので。ただ、意識が戻らないようであれば無理にとは言いませんので」
「分かった。なら俺はレイを控え室に連れて行く」
そう告げ、舞台の上からデスサイズを持ち、レイを担ぎながら去って行くノイズ。
『凄い、凄い、凄い! これ以上ない程に凄かったぞ。何が凄いって、殆ど戦闘の行われているのが分からなかったことだ。消えたかと思えば姿を現し、姿を現したかと思えばまた消える。普段から他の闘技場でも実況をやっているが、これ程の戦いを見たのは始めてだ。皆、惜しみない拍手を送ってくれ!』
実況の言葉に、観客席から送られる盛大な拍手の嵐。
そんな拍手を背に、ノイズは何を感じた風でもなく選手入場口から去って行くのだった。
「……ノイズめ。どうせなら一思いに殺してしまえば手間が省けるものを」
観客席から拍手の音が響き渡る中、忌々しげに呟く男。
その周囲にいる男達は、それに同意するようにそれぞれが頷く。
「全くです。ここで奴を殺しておかなければ、それは間違いなくベスティア帝国の害になるというのに」
「然り、然り。このような絶好の機会……」
「シュヴィンデル伯爵、鎮魂の鐘の方はどうなったのでしょうか?」
取り巻きの貴族に問われるが、シュヴィンデル伯爵は不機嫌そうに首を横に振る。
「襲いはしたが……失敗したらしい」
「何と!? あれだけ情報を集めてると襲撃を引き延ばしにし、更には準備万端整えていたのにですか!?」
「所詮は下賤の者共よ」
「全くだ。あのような者共を頼ったのが最初から間違いだった」
それぞれが一斉に鎮魂の鐘に対しての不満を漏らすが、それでもシュヴィンデル伯爵一派には鎮魂の鐘に頼るしか道はない。
自分達の保有する戦力では、どう足掻いてもレイには勝てない。それだけの実力を持っているのは、闘技大会を決勝まで勝ち残ってきたということが証明している。
何より、あのランクS冒険者、不動のノイズと互角……とまでは到底言えないが、それでもやり合ったことは事実。
本戦が始まってからのノイズの戦いは、全てが明らかに手加減をしているといったものだ。だが、その中で唯一まともに戦ったのが、レイとの戦いだった。
(だからこそ、儂も含めて鎮魂の鐘に頼るしかない、か。……情けないな。栄光あるベスティア帝国の伯爵の地位にあろう者が。だが……それでも、儂はこの恨みを捨てられん。必ず……必ず報いを受けさせる。例えこれが逆恨みであってもだ)
自らの内で燃えさかる復讐の炎に危険なものを感じつつ、それでも全てを承知の上でその危険な感情へと身を任せるのだった。
「レイが……負け、た?」
ポツリ、と呟いたのは貴賓室の中。
自分の見たものが信じられないとばかりにロドスが呟く。
そんなロドスに、周囲の第1皇子派と呼ばれている者達はそれぞれの視線を向ける。
憐憫、嘲笑、同情、嫌悪。中には何故か思慕のようなものもあったが、ロドスがそれに気が付くことはない。
ただ呆然と、ノイズに担ぎ上げられたまま舞台から去って行くレイの姿を見送るのみだ。
そんなロドスの背に、ブラッタから声が掛けられる。
「いやいや、何を驚いているんだよ。もしかして本当に深紅が不動に勝てるとでも思ってたのか?」
「それは……」
普通であれば、ランクB冒険者がランクS冒険者に勝てると思う方がおかしい。
ロドスにしても当然それは理解していたが、それでもレイならば……そう思ってしまうのだ。
ランクA冒険者にして、雷神の斧の異名を持つ自らの父親にすら勝ったのだからと。
そんなロドスを慰める……というつもりはなかったのだろうが、ペルフィールが口を開く。
「ただ、闘技大会に参加した者の中でノイズがある程度の本気を出したのはこの試合だけだったな。覇王の鎧、噂だけは聞いていたが、まさかこの目で見ることが出来るとは思わなかったよ」
その口調にあるのは、レイに対する感嘆。
例え負けたとしても、ランクS冒険者のノイズになのだから、笑われるべきではないという思いが籠もっている。
事実ペルフィールとしては、もしも今のレイを笑っている者がいたとしたら、その者がノイズを相手にして勝てるのか。あるいはレイ程にきちんとした戦闘になるのかと聞きたかった。
そんな意味を込めて視線を巡らすと、貴賓室の中にいた数名が苛立ちや羞恥といった表情を浮かべながら視線を逸らし、あるいは同意するように頷く。
「まぁ、何だかんだと見応えのある決勝戦だったのは間違いないよな。……いや、本気で。さすがに深紅って異名を付けられるだけはあるよ、うん」
貴賓室の中の空気を変えようと思ったのか、そんな風な言葉を発する者がいる。
それに同意するように、それぞれが小さく頷く。
実際この場にいる者でレイと戦ってどうにか出来るかと言われれば、それに対して自信を持って頷ける者はいない。
自らの力に自信のあるブラッタやペルフィールにしても、先程の戦いを思い出せば勝てるとは言い切ることは出来ないだろう。
「これからカバジード殿下が皇帝の座についた時……前に立ち塞がるのはあの男かもしれないな」
ペルフィールの口から出た呟きに、その場にいる者の殆どが自分が戦場でレイに立ち向かう未来を想像し、背筋を凍らせる。
それでも嫌だ、戦いたくないと言い出す者がいないのは、それだけ自分達の主に対して忠誠を誓っているからか。
「言っておくが、レイとの戦いを譲る気はないぞ。それが俺がお前達に協力する条件だった筈だ」
そんな中でロドスの声が貴賓室の中に響き、それを聞いた者達が色々な表情で頷く。
自分達の代わりにあの深紅と戦ってくれるのなら大歓迎、向こうに少しでも体力を消耗させられれば御の字、自殺したいなら好きにしろ、あの実力を見ても挑む気概を失わないとは見事、等々。
ただし、そんな中でもロドスが本気でレイに勝てると思っている者は少ない……いや、いないと言ってもいいだろう。
実際、それだけの実力をレイは見せたのだから当然ではあるのだが。
「なら、そろそろロドスにも約束のマジックアイテムを渡さないといけないだろうな」
貴賓室の中にポツリと響いたブラッタの声にロドスは頷く。
何だかんだと自分に引き渡されるマジックアイテムは未だに渡されていない。
ようやくその力を手に入れ、レイを相手に自分の名前を刻みつけることが出来るのだと。
(もっとも、マジックアイテムを使いこなすのにもある程度の時間は必要だろうけどな)
舞台の上で表彰式の準備を整えている運営委員の姿を見ながら、ロドスは内心呟くのだった。
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