第659話
時は少し戻り、レイとノイズの試合が行われている頃。帝都の中を進む少数の人影があった。
本来であれば、この帝国の第2皇女でもあるヴィヘラと、そのヴィヘラに心酔しているティユール、他にも10人程の騎士達。
そんな集団が帝都の中を悠然と進む。
帝都の中にいる観光客を含め多くの住人が闘技場へと行っている為に、帝都の中にいる人の姿は酷く疎らだ。
そんな閑散としていると表現してもいいような帝都の中を、ヴィヘラ達は進む。
勿論閑散としているとはいっても、誰一人いない訳ではない。寧ろ、闘技場に行っても人が多すぎて満足に観戦できないだろうと判断している者もおり、そのような者達はヴィヘラの姿を見て最初その美しさと娼婦や踊り子のようにも見える装備に男女関係なく思わず生唾を呑み込み、やがてその顔に見覚えがあると首を傾げ、記憶を辿ってその人物が誰であるのかを思い出して再び息を呑む。
「ヴィヘラ皇女、殿下?」
ポツリと誰かが呟いたその声に、周囲の者達もすぐに視線の先にいるのが、本来はこの国の第2皇女であることを知る。
そのざわめきが広まっていくが、それでもヴィヘラの下に人々が殺到しないのは、ベスティア帝国の皇族である――本人は皇籍を捨てたつもりなのだが――ということもあるが、何よりもやはりヴィヘラが……そしてティユールや他の騎士達が発している雰囲気にあった。
殺気立っているという訳ではないが、それでも迂闊に近寄れないような、そんな雰囲気に。
もしもここにいるのが、冒険者や兵士、あるいは騎士といったような戦闘を生業にしている者であれば理解しただろう。それがこれから戦いに挑むに当たって発している闘争心だと。
もっとも、ヴィヘラに限って言えば強い相手と戦えるかもしれないという思いもあるのだが。
勿論これが軟禁され、暗殺の危機にある弟を助け出す為の行動だというのは理解している。それでもやはり、戦闘を好むヴィヘラの本能とも言うべきものが戦いそのものを欲しているのだ。
いつもより高いその闘争本能は、やはり闘技場でレイがランクS冒険者のノイズと戦っている……あるいは既に戦いに決着がついているのかもしれないというのも大きな理由の一つだろう。
「ティユール、テオレームの方は問題ないわね?」
自分の後ろを歩いているティユールへと尋ねると、戻ってきたのは小さな声。
「はい。私達が見つかって騒ぎになるのを見計らい、内部に潜んでいる者の手筈で城の中に入る予定となっています」
「二重の陽動、ね。テオレームの策だけど、少し心配しすぎじゃないかしら? レイとノイズが闘技場で決勝戦を戦っている以上、間違いなく向こうに貴族を含めて集まっている筈よ」
ヴィヘラとしては自分の前に立ち塞がる敵が強ければ自分が楽しめるが、同時に弟を助け出すのに手間取ることになる。そんな思いから出た言葉でもあったのだろう。
だがティユールはヴィヘラのその言葉に小さく首を振る。
「確かに普通の時に比べれば、間違いなく城の戦力は減っているでしょう。ですが、迂闊な行動に出ればメルクリオ殿下に被害が出るかもしれません。なので、出来れば陽動に陽動を重ねてテオレームの率いる部隊がメルクリオ殿下を助け出して貰えれば」
そこまで呟き、それに……と言葉を続ける。
「ヴィヘラ様や私が動いているのはともかく、第3皇子派筆頭のテオレームが動いていればその目的がなんなのか、すぐに分かるでしょうし」
「ふぅん。まぁ、私としてはあの子が助かればそれでいいんだけどね」
呟き、ふと話を変える。
「そう言えば、雷神の斧の子供の……ロドスとかいったかしら? あの子がカバジード兄上の派閥に潜り込んだって話はどうなったの?」
「テオレームが二重の陽動を提案したのには、その件も関係しています。何やら、私達が行動を起こすのを半ば予想している節があるとのことです。まぁ、これ程早く行動を起こすとは……それも闘技大会の決勝でことを起こすとは思っていなかったようですが」
ヴィヘラの言葉にそう返しながらも、ティユールはエルクの息子として覚えられているロドスに憐憫を覚える。
一人の男とすら認識されていないのだから、その恋が実る可能性はまずないだろうというのがティユールの予想だった。
ヴィヘラに心酔しているティユールは、これまでにも似たような人物は大勢見てきている。
その多くがヴィヘラの美しさに魅せられ、しかしその想いを遂げることなく散っていったのだ。そして今までと決定的に違うのは、ロドスが恋しているヴィヘラはレイに対して恋心を抱いていることだろう。
(横恋慕と言えばそれまでだが……哀れだな。ヴィヘラ様に魅せられるのは当然のことだろうが。……レイ、か。なるべく早く直接会って、この目で確認してみたいものだ。ヴィヘラ様に相応しくない者であれば……)
思わず内心で呟くティユールの様子に気が付かないように、ヴィヘラの言葉は続く。
「どんな流れからカバジード兄上の派閥に入り込んだのかは分からないけど、意外とやるわね。さすがに雷神の斧の血を引く者といったところかしら」
感心したように呟くヴィヘラだったが、もしもロドスが第1皇子派に入り込んだ理由がレイへの対抗心からだけであると知れば、恐らくここまで称賛の声は上げなかっただろう。
「……そうですね。確かに向こうは色々とガードが厳しくてこちらの手の者を忍び込ませることが出来なかったと聞いています。そう考えれば、不幸中の幸いだったと言うべきでしょう」
事実、これまでにもテオレームは何度か第3皇子派の者を第1皇子派に忍び込ませようとはしたとティユールに告げていた。だがその全てが連絡がつかなくなっており、恐らくもう生きてないだろうと聞かされている。
だからこそ、城に忍び込ませていた自分の手の者からロドスが第1皇子派に所属していると聞かされた時は驚きに目を見開いたものだ。
「それだけに、向こうから知らせてくれている情報は大いに役立っています」
「でしょうね」
どのような手段を使ってかは分からないが、自分達が動くというのを察知しているかのような準備。そして、既に終わったが鎮魂の鐘がレイを狙うという情報。
このどちらもが色々な意味で驚かされた。
特にレイが襲われる――その報告が届いた時は既に襲われた後だったが――と聞いた時に浮かべていたヴィヘラの壮絶とすら言える表情はティユールの印象に強く残っている。
(もっとも、私達の救出作戦が実行されるギリギリで第1皇子派に潜入したのだから、本当に大事な情報は知らされていないとみるべきだろうがな。……出来ればもう少し早くに潜入してくれていれば……いや、ミレアーナ王国の人間なのだから、結局は重要な情報を得られたとは思えない、か)
内心で呟いている間にも一行は大通りを進んでいく。
幾ら今日は闘技大会の決勝戦があるから人が少ないとしても、これだけ堂々と目立っていれば数少ない住人達から視線を向けられるのは当然だろう。
そんな視線を受けながら進み続け、城に近づくに連れて当然警備兵の姿が多くなる。
そして警備兵が多くなれば当然の如くヴィヘラの姿に気が付く者も出てくるし、そのヴィヘラに従っているティユールに気が付く者も多くなる。
街中では完全にヴィヘラの存在感により目立たなかったティユールだったが、警備兵ともなればそれに誤魔化されることはない。
「お、おい。あれ……ヴィヘラ殿下じゃ?」
「ああ。帝国から出奔したって話を聞いてたけど……何で帝都にいるんだ? そっくりさんって訳じゃないよな?」
「……確かにあの派手というか、色っぽい格好を見ればその可能性も……」
「んな馬鹿な。あそこまで似た人物がいるかよ」
「闘技大会が開かれているだろ? その関係で……とかありそうじゃないか?」
「さすがにそれは……じゃなくて、ヴィヘラ殿下の後ろを見ろ。あれはティユール様だぞ」
「……ヴィヘラ殿下に心酔している?」
「ああ。にしても、それこそ何でこの時期にわざわざ帝都に来たんだ?」
「一応話を聞いてみた方がいいんじゃないか? 有り得ないけど、もしも偽物でしたとかってなったら……」
「そう、だな。面倒臭がって、後で上に叱られるのはごめんだしな」
警備兵三人がそれぞれに相談し、やがて三人揃って道を進むヴィヘラ……ではなく、ティユールへと声を掛ける。
さすがに第2皇女と思しき相手には声を掛けづらかったのだろう。
「失礼ですが、ティユール様……でよろしいでしょうか?」
「ああ。間違いない」
特に緊張するでもなく答えるティユールだが、その歩みを止める様子はない。
自分達の先頭を進んでいるヴィヘラが止まらずに歩き続けているのだから、それは当然だろう。
ここで自分が足を止めても、恐らくヴィヘラは気にせずに進むというのは容易に予想出来る。
何より、自分達がここにいるというのを……特に国を出奔した筈のヴィヘラが帝都にいるというのは、周囲に知られるのが遅ければ遅い程に強い衝撃となって広がるのだから。
警備兵はそれを理解している訳ではないのだろうが、自分達を置いてどんどん進んでいくティユールへと続けて声を掛ける。
「その、ティユール様の前を進んでいる方は……」
「悪いが言えない」
『……』
あっさりとそう答えてきたティユールに、思わず言葉に詰まる警備兵達。
だが自分達よりも圧倒的に地位も実力も上の相手がそう言っている以上、まさか自分達が何を言えるでもない。
「今、城の方には殆ど上の方々はいないのですが、出来れば闘技大会が終わってから改めて……」
そう、告げた時。警備兵の三人は突然襲ってきた悪寒にその動きを止める。
何が起きたのか分からなかった警備兵達だったが、動きを止めた自分達の横をティユールが進んでいくのを黙って見送ると、その理由が分かった。
ティユールの後ろを歩いていた騎士達。その騎士達が警備兵達へと鋭い視線……それこそ、殺気すら籠もっているような視線を向けてきたのだ。
それ以上二人を煩わせるなと。
騎士と警備兵。戦いを担う者と治安を守る者。
警備兵にも戦闘経験はある。この帝都の治安を守っている存在なのだから、当然だろう。
だが、戦いそのものを仕事としている騎士に……特に精鋭として名高いティユール直属の騎士達とでは、潜ってきた修羅場の数が違った。
結局警備兵達は騎士達が自分達の横を通り過ぎるのを黙って見送り、その姿が見えなくなったところでようやく安堵の息を吐く。
「はぁ……おっかないな。さすがに騎士ってところか」
「あ、ああ。その……まさか、あんなに凄いとは思ってもいなかったよ」
「確かに。正直、見ただけで殺されるかと思った。あんなのを相手にするなら、闘技大会に便乗して騒いでいる馬鹿共を相手にしている方がまだマシだ」
「だなぁ。そもそも本当にティユール様直属の騎士だとしたら、俺達がどうこう出来る相手じゃないってのははっきりしたし」
「どうする? 一応上に報告するか?」
「あー……そうだな。一応報告しておいた方がいいか」
「そうしようぜ。この暑い中で動き回っても辛いだけだし」
「だな。犯罪者も、この暑さの中で動き回るような真似はしないか」
そう告げ、三人の警備兵はその場を後にし、取りあえず自分達の上司へと報告するという名目でその場を後にして詰め所へと向かうのだった。
背後に置いてきた警備兵達がそんな話をしているというのは全く知らずに、ヴィヘラ達はそのまま真っ直ぐに城の方へと向かっていく。
新たな警備兵や、中には騎士といった者達もその姿を見せるのだが、その全てを無視してヴィヘラはティユールや騎士達を率いて突き進む。
そうして、やがて見えてきたのは巨大な門。
当然日中である為に開かれてはいるが、その前には門番の騎士がハルバードを持って詰めている。
既に季節は秋だというのに、真夏に等しいこの暑い中、フルプレートメイルを身につけているのを思えばかなり厳しい職場環境であると言えるだろう。
普通であれば、門番というのは騎士がやるべき仕事ではない。だが、ここはベスティア帝国の首都、帝都だ。そして目の前にあるのは、そのベスティア帝国の皇帝が住むべき城。
そうである以上、門番といえどもただの兵士に任せる訳にはいかなかった。
門番の騎士達は、近づいてくるのが誰かが分かっても特に狼狽する様子もなく待ち受ける。
そうしてヴィヘラが門の前に到着すると、踊り子や娼婦の如き格好にも特に驚いた様子もないままに口を開く。
「ヴィヘラ殿下、お帰りなさいませ」
「ええ。貴方達もご苦労様。悪いけどちょっと中に用があるから入らせて貰うわよ?」
そう告げ、中へと入ろうとするヴィヘラ。
騎士達も、ヴィヘラには特に何を言うでもなく門を通らせる。
当然だろう。この城はヴィヘラの家なのだから。
ヴィヘラ本人は皇籍を捨てたと判断しているが、父親である皇帝がそれを認めた訳ではない。寧ろ、ヴィヘラの性格や能力に、嬉々として皇籍へと残したままにしている。
それ故、ヴィヘラが城の中に入るのは問題なかった。
だが……
「ブーグル子爵、申し訳ありませんがそこでお止まり下さい」
「……何?」
ヴィヘラが通り過ぎ、ティユールやそれに続く騎士達も城へと入ろうとしたところで、門番の騎士にそう声を掛けられる。
「現在、ブーグル子爵には騒乱罪の容疑が掛けられております。事情をお聞きしたいので、ご同行願いたいのですが」
その声と共に、何故か本来ならば門の前には数人しかいない筈の騎士達が30人程も城の方から姿を現し、ハルバードや槍、長剣といった武器の切っ先をティユールへと突きつけるのだった。
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