第637話

 舞台の上に倒れたルズィの意識が完全に失われているのを見て、審判が勝負の決着を宣言した。

 貴賓室でそれを見ていたレイは、隣で厳しい表情を浮かべているエルクを見やる。


「どう思った?」


 その問い掛けだけで何に関して聞いているのか分かったのだろう。唸るような声で言葉を返す。


「強い……な。これまでにも何度か試合を見てきたが、ここまでとは思わなかった。いや、純粋に身体能力って意味ならレイの方が上だと思うが……」


 それはレイ自身も感じていた。だが身体能力で勝っていたとしても、覆せないものがある。


「純粋な技術、か」

「ああ。正直、突きを放ってきた相手に自分も突きを放って、剣先同士をぶつけるなんて真似は……」


 そこまで告げ、レイのこれまでの戦闘を思い出したエルクは小さく首を振って言葉を続ける。


「そこまではレイなら出来るかもしれない。けど、相手と全く同じ力を出して均衡状態を作り出す。それが出来るか?」

「無理だろうな」


 レイがあっさりと答える。

 事実、自分がもしノイズと似たような真似をするのなら、恐らくは自分の力が強すぎて相手を弾き飛ばすか、力の加減を間違って自分が突きを食らうだろう。

 またそのように繊細な行為を行いつつ、自由だった左手でルズィを殴るという真似すらもしていた。


(まだ遠い……な)


 内心でしみじみと思うレイ。

 だが幾ら自分とノイズの強さに差があろうとも、戦いの時は刻一刻と迫ってきている。

 レイが今出来るのは、ただひたすらに自分を鍛え上げることしかない。


「もう少し時間があればな」

「確かにここまで来ると、試合はどんどん進んでいくからな。せめてもの救いは一日一試合ってことか」

「ああ」


 決勝までは残り3試合。準決勝が終わった後で一日の休憩を挟み、お互いが体調を万全にしてからの決勝となるのを考えると、残りは4日。

 その4日でレイがノイズに追いつく程の技量を得るというのは、控えめに見ても困難であるとしか言えなかった。


(となると、技術以外のところで俺はノイズと渡り合う必要がある。身体能力? いや、確かに俺の身体能力はノイズと比べると上だろう。だが、技術のように圧倒的な差って訳じゃない。……となると魔力、か)


 一瞬レイの脳裏には、自らの相棒でもあるセトの姿が思い浮かんだ。

 もしもこの闘技大会が従魔も参加してもいいのなら、ここまで悩むまでもなく勝機はあったかもしれない。


(いや、無理か)


 だがすぐに内心で自らの考えを否定する。 

 確かにセトが自由自在に動けるのなら勝機はある。だがこの場合、その動ける範囲に問題があった。

 舞台の外に……より正確には、舞台に張られている空間から出てしまえば、その時点で場外負けとなる。

 そうなると、当然レイとセトにとっては不利でしかない。


(そもそも、闘技大会のルールでノイズと戦うってのが間違っているんだろうな)


 そんな風に納得しつつ、それでもレイは勝利を諦める気は一切なかった。


「レイ、次の試合がそろそろ始まるけどどうする?」


 見ていくのか、いかないのか。そんな風な意味を込めて尋ねてくるエルクの言葉に、レイは小さく首を振る。


「この試合で勝ったとしても、次の相手はノイズだ。これ以降の試合は対戦相手の研究という意味では見る価値がないな」

「確かにそうかもしれないが、思わぬところにノイズと戦う為のヒントが転がっているかもしれないが?」


 エルクの近くで闘技場へと視線を向けていたミンがそう告げてくるが、それに対する返答は変わらず首を横に振るといったものだった。


「出来れば少しでも自分を鍛えたい。それこそ、エルク辺りに訓練相手をして貰えばいいんだが……」

「無茶言うなよ。そもそも、俺がここにいるのは護衛の為だぜ?」


 出来れば自分としても、護衛ではなく身体を動かしたい。言葉とは裏腹に暗にそう告げつつ、エルクの視線は少し離れた場所でベスティア帝国の貴族と笑みを浮かべて会話をしているダスカーへと向けられる。

 ただしその笑みが表向きだけのものであるのは、相手の貴族の頬が時折不愉快そうにひくつくのを見れば明らかだ。


(色々と無茶を言ってるんだろうな)


 ダスカーの様子を見ながら、レイもまたそう考える。

 純粋な国力だけで考えれば、今もまだベスティア帝国の方がミレアーナ王国よりも上だ。だが、それでも視線の先で行われているように強気な態度で会話が出来るのは、やはり戦勝国という立場だからだろう。

 それも、ただの戦勝国ではない。レイの活躍により戦勝国となったのだ。そうなれば、レイを雇っていたダスカーの影響力が大きくなるのも当然だろう。

 現に、今もダスカーと会話をしている貴族は顔では何とか平静を装ってはいるものの、心の中では湧き上がってくる畏怖と恐怖を抑え込むのに必死だった。

 ……ここにレイがいなければ、あるいはまだ多少の余裕はあったのだろうが。

 ともあれ、そんな風に会話をしているダスカーを眺めつつ、レイはエルクを自らの訓練に付き合わせることを諦める。

 ランクA冒険者で異名持ちのエルクであれば、レイにとってもいい練習相手になったのだろうが。

 そのまま貴賓室を出て行こうとして立ち上がり、ふと気になってエルクに尋ねる。


「そう言えばロドスはどうなった? 帰ってきたのか?」


 ロドスという名前が出た瞬間、エルクは苦笑を浮かべ、ミンは残念そうな表情を浮かべて首を横に振る。

 その仕草を見れば、ロドスが戻ってきていないのは明白だった。


「そう、か」


 自分との戦いの後で、それも試合後のやり取りが険悪だったことを考えれば、ロドスが戻ってこないのに自分が何らかの関係があるというのは明らかである。

 それ故に多少の責任を感じたのだが、そんなレイに対して次の瞬間にはエルクの笑い声が投げかけられた。


「ま、ロドスだってもう一人前の冒険者だ。少しくらい羽目を外したっておかしくないし、多少の挫折は必要だろうよ。だからお前はその辺をあまり気にするな。別にもう二度と戻ってこないって訳じゃないだろうし、何か妙なことに巻き込まれたとしても、それはこっちでどうにかするからよ。それに……いや、何でもない」


 何かを言いかけ、咄嗟に誤魔化すエルク。

 それを見て、レイにも何かあるのだろうと察することは出来たが、自分に言わない以上はそれ相応の理由があるのだろうと判断して言葉を続ける。


「一人前って言ってる割には、親が介入する気満々じゃないか?」


 どこかからかうようなレイの言葉に、エルクはお好きにどうぞ、と呟き肩を竦める。

 それを見て心配する必要はないだろうと判断したレイは、そのまま貴賓室を出て行くのだった。

 今は、少しでも時間が惜しい。ノイズという存在に追いつき、そして追い越す為に。


(まずは練習場所を確保しないといけないだろうな。……こう考えると、あそこは随分といい立地だったんだけど)


 刺客に襲われた影響で使えなくなった場所を惜しみつつ、悠久の空亭からの紹介を期待しつつレイは宿へと戻っていった。






「ぷはぁ……いや、強い強い。さすがにランクSってだけはあるな」


 その日の夜、悠久の空亭の食堂の一画にルズィの声が響く。

 声には特に負の感情が存在しておらず、ルズィがノイズに対して恨みといったものを抱いていないというのは明らかだった。


「意外ねぇ……いえ、そうでもないかしら。ルズィの単純さを思えば、あそこまで完璧に負けてしまえばこうなるのも当然、か」


 そんなルズィを見つつ、ヴェイキュルはどこか呆れた様に呟きながら皿の上に乗っているソーセージへとフォークを刺す。

 焼いたソーセージと、茹でたソーセージ。二種類の調理法により同じ食材だというのに全く違う味や食感に満足しつつ、ワインを口へと運ぶ。

 一応今日はルズィの残念会ということもあって、脱ぎ出す程には酔っていないのはヴェイキュルの気遣いなのだろう。


「ま、あれだけの実力差を見せつけられればな。見たかよ、あの技。俺が元々突きは得意じゃないっていったって、剣先を正確に合わせて、しかも意図的に力が拮抗するようにして、更にそんな状態から俺を左手で殴り飛ばしたんだぜ? 一体、どれだけの技と力があればあんな真似が出来るんだろうな」


 そう告げるルズィは、身体を震わせて熱弁を振るう。


「あー、分かった分かった。その話はもう何回も聞いてるわよ。大体、あんたも言ってる通りランクSなんだから強くて当たり前でしょ」

「そうだなー。確かに強かった。うん、さすがにランクSだけはある」

「……それにしても、これで結局僕達風竜の牙は全員敗退ですか。予想はしてましたが、それでもやっぱり残念ですね。最後まで勝ち残ったのも、三回戦のルズィですし。……優勝までは果てしない程に遠く感じます」


 果実酒を飲みながらしみじみと呟くモーストに、再びソーセージへとフォークを伸ばしていたヴェイキュルが呆れた様に呟く。


「何言ってるのよ。そもそも魔法使いのあんたや盗賊の私が本戦に進めただけで十分過ぎるわよ。……まぁ、ルズィの場合は純粋に相手が悪かったとしか言えないけど。で、どうなの? この中では唯一勝ち残っているレイとしては」


 視線を向けられたレイは、蒸して余分な油を落としたファングボアの肉に甘酸っぱい果実のソースが掛けられた料理を口に運びながら肩を竦める。


「ま、今のまま正面からぶつかれば……良くて2割ってところか」

「へぇ。それでも2割の勝率があるんだ。それなら決勝はそれなりに面白くなりそうね」


 噛み切ったソーセージから溢れてくる肉汁をワインで流しつつ、笑みを浮かべる。

 寧ろレイの言葉に驚いたのは、ルズィの方だった。


「2割って……俺の戦いを見た上で言ってるんだよな?」

「当然だ、と言わせて貰う。寧ろ今日の戦いを見ての言葉だし。……実際にはノイズはまだ全然本気を出していなかったように見えたから、正確なところは分からないけどな」


 そう、ルズィとて決して弱い訳ではない。ベテランと評価出来るランクCの冒険者なのだ。それを殆ど片手間のように倒したノイズの実力は、正確なところを理解しろという方が難しいだろう。


「駄目じゃない」


 レイの言葉に思わず突っ込みを入れるヴェイキュル。

 だがレイはそんなヴェイキュルに対して笑みを……獰猛な笑みを浮かべて言葉を続ける。


「確かに今のままだと難しいだろうな。けど……俺だって試合ごとに成長しているんだぞ?」


 より正確にはそのように訓練しているというべきなのだが、その辺に関しては特に口にする様子もなくそう告げ、パンへと手を伸ばす。


「ふーん。ま、確かにレイなら何だかんだいってどうにかなりそうな気はするけどな。その辺、色々と目茶苦茶だから」

「否定出来ないのが事実よね」

「ちょっと2人共。幾ら本当のことでも失礼ですよ」

「いや、お前が一番失礼だから」


 窘めるかのような口調のモーストに思わず突っ込んだ後で、レイは最後の一口になった肉をパンと共に口の中に放り込み、サラダとシチューの皿へと手を伸ばす。


「まぁ、決勝で戦う時には俺に賭けてみるのもいいかもしれないな。最低でも一方的に負けるなんてことにはならない筈だし」

「レイが勝ったら、間違いなく大穴だろうな」


 自分が戦っただけに、ルズィにはどうしてもレイがノイズに勝つという想像が出来なかった。

 勿論ルズィもレイの強さは知っている。実際に幾度となく模擬戦を行い、それで一度も勝ったことがないのだから、嫌でも実力差は理解出来る。

 しかし、ノイズとレイという2人と戦ったルズィにしてみれば、その力の差は歴然に思えた。

 だからこそ大穴という表現を口にしたのだろう。


「ふーん、ルズィがそこまで言うんなら、ちょっと賭けてみようかしら。こと戦闘に関しての判断力は高いし」


 多少驚いた様子で告げるヴェイキュルに、モーストはどこか呆れた様な表情を浮かべつつも、ほっと安堵する。

 戦闘に関してはそれなりに……いや、それなり以上に自信のあったルズィだ。それだけに今回の負けで沈んでいるのではないかという思いがあったのだが、ここまで話した限りではそんな風には見えなかった為だ。


(それだけノイズが強かったってことなんでしょうけどね)


 そんな風に考えつつ、この場で唯一勝ち残っているレイに視線を向ける。

 その視線に気が付いたのだろう。レイはモーストの方を見返し、口を開く。


「どうした?」

「いえ、何でもありません。それより、明日の四回戦の相手はどのような相手なのですか? ヴェイキュルを倒したあのギャンダとかいう?」

「そうらしい」

「へぇ、さすが私に勝っただけのことはあるわね。ここまで順調に勝ち上がってきてたんだ」


 そう呟きつつ、ヴェイキュルの視線はレイの方に向けられる。


「私に勝った相手なんだから、仇討ちをお願いね」

「負けるつもりはないけどな」

「そ。じゃあ私はレイが勝つと信じて明日は賭けさせて貰おうかな」

「それは止めませんけど……今はもうレイさんの強さが知れ渡っているので、多分殆ど賭け金は増えませんよ?」

「いいのよ、少しでも増えるなら。どうせ危険もないんだし」


 絶対にレイが勝つと確信しているその表情は、信頼か、はたまた願望か……

 前者だといいなと思いつつ、レイはサラダの最後の一口を口の中へと放り込むのだった。

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