第636話

 曇天が空を覆う中、今日も闘技場には実況の観客達を煽る声が響き渡る。


『さぁ、闘技大会も三回戦になって激しい戦いが増えてきたぞ。今日の天気は生憎と曇り! 恐らく天もこの戦いに関して嬉し涙を堪えている筈だ!』


 その言葉に、観客達の歓声が闘技場内に響き渡る。 

 分かっているのだ。誰が次の試合で登場するのかを。そして、その人物がどれ程の存在であるのかを。


『そう、ここにいる皆は知っているだろう! ベスティア帝国が誇るランクS冒険者、不動の異名を持つノイズの登場だ! それに対するは、ランクC冒険者パーティの風竜の牙を率いるルズィ! その巨体から繰り出されるクレイモアの一撃の威力は、これまでにも観客の度肝を抜いてきたから、知ってる奴も多いだろう。更に、更に更に! この風竜の牙という冒険者パーティだが、実は3人組で、他の2人の名前は盗賊のヴェイキュルと魔法使いのモースト』


 闘技場内に流れたその言葉に、観客がざわめく。

 どこかで聞き覚えのある名前だったからだ。


『聞き覚えのある奴もいるな? それもその筈。このヴェイキュルとモーストという2人はもう負けてしまったが、そろって本戦に出場した選手の名前だ。そう、何と風竜の牙はパーティメンバー全員が予選を突破して本戦に参加するだけの実力を持つ。しかも、これまでにも何度となく闘技大会に出場して実力を伸ばしてきたんじゃなく、今回が初参加でのパーティ全員本戦参加という快挙だ!』


 その言葉は余程に意外だったのだろう。観客席が一瞬静まり、次の瞬間には歓声が巻き起こる。

 この闘技大会で、間違いなく風竜の牙という名前は帝都中に……そして観客達を通してベスティア帝国やその周辺国家に知れ渡るだろう。

 それを理解していても、実況の声と共に舞台に姿を現したルズィは全く嬉しそうな様子はない。

 寧ろ不機嫌そうだと表現してもいい。 

 その理由は、観客席から自分に向けられている歓声だった。


「来年の大会でも応援するぞー!」

「初出場で三回戦まで来られただけで十分過ぎる快挙だ。来年はもっと先に行けるさ!」

「不動と戦えるのはラッキーだったなぁっ!」

「きゃーっ、私もヴェイキュル様に踏みつけられたいわぁっ!」


 そんな声。

 最後の声は自分へ向けてのものではなかったので聞き流しつつも、ルズィは背負っていたクレイモアへと手を伸ばしながら不機嫌そうに鼻を鳴らす。


(ふんっ、ここにいる中で俺が勝つと思ってる奴がどれだけいるのやらな。……まぁ、いいさ。ならその期待を裏切ってやればいいだけだ)


 そんな思いを込めて、背負っていたクレイモアを大きく振るう。

 ぶおんっ、という音をたてながら振るわれるクレイモアは、普通に売られているクレイモアよりも大きめのサイズとなっている。

 腕力に自信のあるルズィが特注して作って貰った物で、これまで幾多ものモンスターを葬ってきた業物だ。

 勿論人間相手の戦いに関しても十分に経験しており、特に盗賊の類は数十人がこのクレイモアによって命を落としている。

 それだけに、ルズィとしては観客達に言われているように簡単に負ける気はなかった。

 ……そう、なかったのだ。

 だがノイズが舞台に上がり、向き合ったその瞬間。圧倒的な威圧感により思わず数歩後退る。

 それに気が付き、愕然とする。

 ノイズは何もしていない。それこそ長剣すらもまだ抜いておらず、ただ正面に立っただけなのだ。


(これが……ランクS……)


 内心で呟き、小さく息を呑む。

 こうして向かい合って初めて分かる。目の前にいる人物が、どれ程の力量を備えているのかを。……いや、その力量がどれ程のものかというのは、こうして向かい合っても底が見えないと表現するのが正しい。


(けど、俺はこんな場所で簡単に負ける訳にはいかねえんだよっ!)


 怯えすら抱いた自らの心へと活をいれるように大きくクレイモアを振るう。

 その様子は、傍から見れば自分より格上の相手に対する威嚇に見えたかもしれない。

 もっとも、その意味があったのも間違いはないのだが。

 だが……ノイズは己の放つ威圧に屈せず、そこまで出来るルズィに対して小さく驚く。


「ほう」


 それだけ……たったそれだけの短い言葉だったが、その瞬間にノイズから放たれる威圧は一際増す。

 そんなノイズに対して一歩も退かぬまま、ルズィはクレイモアを構えてじっとノイズを睨み付ける。


(なるほど。三回戦までくればそれなりに期待出来る者も増える、か。そう考えれば、この闘技大会に参加したのも決して悪いことばかりじゃなかったらしいな)


 ノイズは小さく笑みを浮かべ、腰の鞘から長剣を引き抜く。

 長剣を使っている者であれば誰もが幾度となく繰り返したその動作だったが、それを見たルズィは思わず息を呑む。

 滑らか……そう、あまりにも滑らかな行為だった為だ。

 ただ剣を鞘から引き抜くという行為であるにも関わらず、まるで見世物か何かのような感覚を覚えたのだ。


「へ……へへっ」


 それでも……既に覚悟を決めたルズィは怖じ気づくようなことはせず、口元に笑みを浮かべる。

 傍から見てもその笑みが強がりであるというのは明らかだった。だがノイズはそれに対して嘲るような真似をせずに、握っていた長剣を構える。

 自分の放つ威圧を前に、例え強がりであったとしても笑みを浮かべられる相手というのは珍しかった為だ。

 ルズィもまた、クレイモアを手に構えを作る。

 そして、お互いの準備が整ったと判断した審判が試合の開始を宣言する。


「試合、開始!」

『わああああああああああああああああああっ!』


 まだ何か動きがあった訳でもないが、観客席から上がる歓声。

 それだけ多くの者がノイズの戦いに興味を抱いているということなのだろう。


「うっ……おおおおおぉぉぉおっ!」


 そんな歓声を断ち切るかのように、ルズィはクレイモアを構えながらノイズとの距離を詰める。

 その状態から放たれるのは、力の籠もった一撃。

 様子見などではない。目の前の相手を前にそんな悠長な真似をしていては、あっという間に自分が負けるだけだと理解していた。

 それ故に放たれた一撃。

 自慢の膂力が十分に乗った、速度や技の鋭さに関しても間違いなく冒険者として過ごしてきた中でも最高峰の一撃だろうと思われるその攻撃は……しかし、何気なく突き出したように見えたノイズの長剣の刀身にあっさりと受け止められる。


「なっ!?」


 それを目にしたルズィから上がる驚愕の声。

 勿論自分の一撃でノイズを倒せると思っていた訳ではない。だが……それでも、まさか目の前にある光景の如く、片腕で握られた長剣で止められるとは思ってもいなかったのだ。


(速度が並じゃないのは分かっていたが……力も常識外れか。化け物めっ!)


 内心で自らの内に存在する恐怖を押し殺すかのように叫び、そのまま長剣によって弾かれたクレイモアの勢いを利用して、その場で回転しながらノイズの胴体へとクレイモアの横薙ぎの一撃を叩きつける。

 斬るというよりは、叩き潰す。命中すれば、例えフルプレートアーマーを身につけている相手であっても、その鎧諸共に骨を砕くだけの自信をもった一撃。

 しかし……その一撃も、再びノイズが何気なく差し出した長剣によりあっさりと受け止められる。

 もしもこれで多少なりともノイズの表情に変化が浮かんでいれば、ルズィにしても手応えを感じられただろう。だがノイズの表情には、特にこれといった変化を見ることが出来なかった。

 もっとも、それはランクSという位置にいるノイズが戦闘で容易に自らの表情を相手に読ませることはないというのも影響しているのだが、ルズィにその辺を理解することは出来ず、内心で盛大に舌打ちする。


(これも効果なしかよ!)


 腕力には自信のある自分が放つ一撃を片手で受け止めるという行為に、衝撃を受けつつも仕切り直しに離れようとした、その時。


「一撃の威力は合格。思い切りもいい。見切りも早い」


 ノイズの口から漏れた、そんな言葉が耳に入った。

 褒められている。それは間違いないのだが、それでも確認作業の如き言葉遣いは聞いていて愉快なものではなかった。

 だからだろう。一旦離れようとしたのを咄嗟の判断で止めて、クレイモアによる突きを放ったのは。

 ルズィ自身は決して突きが得意という訳ではない。長剣に比べると圧倒的な大きさと重量のクレイモアを武器としている以上、そしてルズィの使っているクレイモアが普通のクレイモアよりも大きい以上は当然だろう。

 事実、ルズィが放った突きは自分でも分かる程に鋭さのない一撃だった。

 ルズィが知っている中で突きが得意な人物となるとロドスがいるが、そのロドスには到底及ばないだろう突き。

 だが……それでも、クレイモアの場合はその大きさそのものが武器となる。

 鋭さと素早さがない代わりに、圧倒的な一撃の威力を誇るだろうその突き。

 もしもその攻撃を受けたのがその辺の冒険者であれば、ルズィ自身の迫力もあり、まるで壁が迫ってきたように感じてもおかしくないだろう一撃。

 しかし、この場合は相手が悪かった。


「何か感じたのか? だが、本能に任せた攻撃は評価出来ないな」


 ルズィの全力を込めて放たれた突き。そのクレイモアの剣先に、同じく突きとして繰り出した長剣の切っ先をピタリと当ててその動きを止めたのだ。

 動いているクレイモアの切っ先に、自らの放った長剣の切っ先を当てて動きを止める。考えるまでもなく、神技と表現してもおかしくないだろう一撃だ。

 そして、その神技に最も驚いたのは、当然の如くそれを間近で見たルズィだった。


「ばっ!」


 口から出せたのは、その一言だけ。

 だが、それがルズィの受けた衝撃の大きさを物語っている。


「自分でも慣れない攻撃をするからこうなる」


 その一言と共に激しい衝撃。

 ふと気が付けば、ルズィの身体は舞台の上に寝転がっていた。

 咄嗟に手を突き起き上がって周囲を見ると、自分がいるのが舞台の端であることに気が付く。

 そして視線をノイズの方に向ければ、そこにあるのは伸びた左拳を引き戻そうとしているノイズの姿。

 それを見て、そして自分の鎧にはっきりと拳の跡が残っているのに気が付き、ルズィは何が起きたのか……自分が何をされたのかを理解する。

 そう。あろうことかノイズは、自分の放った突きを剣先で受け止めるという神技の如き真似をしておきながら、長剣を握っていない方の左手で自分を殴り飛ばしたのだと。

 幸いにも自分の右手には相棒でもあるクレイモアが握られたままだ。

 鎧にも跡が残るような威力で殴り飛ばされ、これだけの距離を吹き飛びながらもクレイモアを手放さなかった自分にまだやれると小さな笑みを浮かべつつ立ち上がろうとし……


「ぐっ!」


 脇腹……鎧の上から殴られたその場所から激痛が走り、一瞬動きが止まる。

 それでも次の瞬間には起き上がったのは、このまま負ける訳にはいかないというルズィの意地だったのだろう。


(くそっ、肋が根こそぎ持っていかれてやがる。どんな腕力してれば、利き腕じゃない左腕で殴っただけでここまでの威力を出せるんだよ)


 内心で呆れた様に呟きながら、それでもまだ自分の中に眠る闘志が消えていないことを確認しつつクレイモアを構える。

 一連のやり取りだけで、目の前にいる存在は自分の遙か上にいるというのは理解している。

 それでも……だとしても、仲間にあれだけの大口を叩いた以上、このままあっさりと自分の負けを認める訳にはいかなかった。

 それがただの強がり、意味のない意地だというのは理解している。だが、それでもルズィという存在を形作っている上で限りなく大事な物である以上、絶対にここで退く訳にはいかないのだ。


「すぅー……はぁー……」


 脇腹に走る痛みを堪えつつも息を整える。

 本来であればこの隙に攻撃を仕掛けるのは当然なのだろうが、目の前にいる人物がそんな真似をする筈がないという奇妙な確信があり、それは間違いなく当たっていた。

 ノイズはただじっと視線をルズィへと向けるだけで、準備が整うまで動こうともしない。

 そんな行為すらも最初は自分を甘く見ている行為と思っていたルズィだったが、これだけの差を見せつけられてしまえば文句は言えなかった。

 一撃貰っただけだというのに、既に身体を動かすのにも苦労するだけのダメージをくらったのだから。


(けど……それでも……だからこそっ!)


 深呼吸をし、脇腹の痛みを何とか我慢出来るようになったところで、残る全力を使って舞台を蹴る。


「そう簡単に……負けられないんだよぉっ!」


 急速に近づくノイズ。

 振るわれるクレイモア。

 普通の冒険者であれば、回避するのが難しい筈の一撃がノイズへと襲い掛かり……


「見事だ」


 その一言と共に再び重い衝撃が身体を揺らし、ルズィの意識はプツンと切れ、そのまま舞台の上へと崩れ落ちるのだった。

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