第635話

 レイがその話を聞いたのは、悠久の空亭の食堂で夕食を食べている時だった。

 テーブルにいるのは、既にお馴染みでもある風竜の牙の三人。

 レイとしては、風竜の牙が護衛して帝都にきた商人の相手はいいのかと疑問にも思ったのだが、モーストに言わせると元々その商人が雇っている護衛がいるので問題はないと、肩を竦めて告げていた。

 ともあれ、さすがに勝った相手がロドスだったということもあって祝勝会や残念会をやる気にもならず、肉と野菜がたっぷりと入ったシチューを始めとした料理を食べていたテーブルに、エルクが近づいてきたのだ。


「エルク? 珍しいな。ダスカー様の方はいいのか?」


 レイとロドスが抜けた以上、ダスカーの護衛はエルクとミン、それと一行と一緒に帝都までやって来た護衛の騎士だけだ。

 それを疑問に思って尋ねたレイだったが、エルクは小さく肩を竦めてレイと同じテーブルに着く。


「ミンがいるからな。たまには俺もこうしてゆっくりと食事をしたいんだよ。それに上品な料理以外も食いたいし。おう姉ちゃん、臓物と豆の煮物と、鶏の串焼きを頼む」


 酒のつまみになりそうな料理を注文しつつも、肝心の酒を頼まないのはやはり貴族の……それもベスティア帝国と長年敵対してきたミレアーナ王国のダスカーの護衛という自覚があるからこそか。

 その注文を終えると、エルクはコップの水を口へと運んでからレイの方へと視線を向ける。

 そこにはいつものエルクが持つような、陽気な雰囲気は存在しない。どちらかといえば心配そうな色が浮かんでいた。

 エルクのそんな雰囲気に押され、ルズィ、ヴェイキュル、モーストの三人も特に何を言うでもなく料理を口へと運ぶ。

 やがて食堂のウェイトレスがエルクの注文した料理を持ってきて、テーブルの上に置いて去って行く。

 早速とばかりに臓物と豆の煮物へとスプーンを伸ばしたエルクへと、沈黙に耐えきれなくなったのかレイが口を開く。


「で、結局何しに来たんだ? まさか本当に食事をする為だけって訳じゃないんだろ?」

「ん? ……ああ。ちょっとレイやお前さん達に聞きたいことがあってな」


 口の中に入っていたものを呑み込み、エルクの視線はレイだけではなく風竜の牙の三人へも向けられる。

 その視線を受け、思わず固まるルズィ達。

 他国の人物であっても、目の前にいるのはランクA冒険者なのだ。直接そんな人物を見る機会は殆どないだけに、どうしても緊張してしまう。

 そんなルズィ達の様子に疑問を持ったレイだったが、そもそもレイの場合はエルクとの付き合いがそれなりに長く、最初にエルクと会った時にはこの世界の、そしてこの時代の常識を殆ど知らなかったからこそ、気楽に付き合えたのだ。

 寧ろ、ルズィ達の反応が一般的なものだろう。


「聞きたいこと?」

「そうだ。……実はうちのロドスがまだ帰ってきてないんだが、その辺の事情を知らないか? もしかしたらここにいるかもしれないとも思ったんだけどな」


 呟き、エルクが食堂内を見回す。

 だが当然ながらそこにロドスの姿はなく、エルクの口からは溜息が漏れる。

 そしてレイへと視線を向け、改めて口を開く。


「今日の試合であいつが負けたのは別にいいんだよ。ロドス自身だって本気でレイに勝てるとは思っていなかっただろうし。……けど、試合が終わった後で揉めてただろ? その辺が理由じゃないかと思うんだが……正直な話、どうだ?」


 その質問に対し、レイはシチューを口に運びながら考える。だが、すぐに首を横に振る。


「確かにあの時にロドスが不機嫌になったのは事実だが、その理由は俺にも分からない。普通に会話してただけなんだが」


 レイの言葉に、だがエルクが向けてきたのはどこか疑惑の色。

 別にレイが嘘を吐いているとは思っていない。だが、レイの場合は時々突拍子もないことをしでかすことがあり、それが理由なのではないかと思ったのだ。


「一応聞くけど、その時にどんな話をしたんだ?」


 スプーンをテーブルの上に置いたエルクの言葉に、レイもまたその時のことを思い出しながら説明する。

 その言葉にはルズィ達も興味を惹かれたのだろう。大人しく耳を傾ける。

 そして、説明を聞き終わった後、エルクは思わず額に手を当て、深く溜息を吐く。


「何か変なことがあったか?」

「さぁ? レイの話を聞いた限りだと、良くある話にしか思えなかったけど。……モーストは?」

「うーん、ライバル視しているレイに慰められて、プライドが傷ついたとかでしょうか?」


 一応思いついたことを口にするが、それを言ったモースト自身半信半疑だ。

 だが……エルクはそれが正解だと知っていた。

 ただし、そこにはもう幾つかの情報が足りない。

 即ち、ロドスがヴィヘラに対して恋心を抱いているということや、更には闘技大会に出場したのはヴィヘラに自らの存在をアピールするのが目的だったということ。


(それが終わってみれば恋敵のレイに本気を出してすら貰えずに惨敗だもんな。更に慰めの言葉まで……自分が相手にされていないと思ってもしょうがない……か)


 内心で呟き、天井を見上げて溜息を吐く。

 何気にプライドの高いロドスだ。レイの言葉によって受けた衝撃はかなりのものだろう。

 それを思えば、まだ帰ってくる気になれないのはエルクにも理解出来た。


(下手をすれば数日くらいはふて腐れて戻ってこないかもしれないな)


 そんな風に考えつつも、それはそれでしょうがないとも思う。

 勿論心配していない訳ではない。だがロドスにしても、もう色々と自分で判断出来る年齢なのだから、ここで無駄に自分が心配してもかえって意固地になるだけだろうと考えただけだ。


(ミン辺りは心配しそうだけどな)


 内心で子供に対する愛情の強い妻のことを考え、早めにこの件に関しては教えておいた方がいいだろうと判断する。

 そこまで考えると、エルクの取った行動は素早かった。

 目の前にある串焼きと臓物と豆の煮物を素早く口に収め、ついでとばかりにレイの前にあるパンへと手を伸ばし……その手がパンに触れる寸前、レイがテーブルに置かれていたフォークに手を伸ばしたのを見て、標的を変更。ルズィのパンを素早く奪い取る。


「あっ!」

「へへっ、悪いな。このパンは貰っていくぜ。この食堂で作られているパンは美味いしな」


 事実である。帝都でも最高級の宿であるというのは決して偽りの類ではなく、食堂で働いている料理人達も超の付く一流の者達ばかりだ。

 それだけに、この食堂で出されるパンはどれもこれもが非常に美味だった。

 黒パンや白パン、クロワッサンに似ているようなパンを始めとして、何種類ものパンがある。


「……うう……」


 それだけに、ルズィとしても恨めしげに去って行くエルクの背を見送るしか出来ない。

 本音を言えば、当然文句を言ってやりたい。だが相手はランクA冒険者であり、異名持ちの存在だ。こうして同じテーブルに着けただけでも幸運だったのだから、パンを持っていかれたくらいは我慢するべきか……そんな風に悩んでいるルズィの前に、近くの席からパンの乗った皿が差し出される。 

 救世主は誰だ。そんな思いで差し出してきた人物へと視線を向けると、そこにいたのはモーストだった。

 冒険者としての平均的な量は食べるが、それでもルズィ程に食べる訳ではないモーストにしてみれば、ここでルズィにいじけられる方が迷惑極まりなかった。

 そして、次の瞬間にはヴェイキュルからもパンの乗った皿がルズィの前へと。

 ここまでくると微妙に疑わしくなったのか、ルズィのどこか怪しむような視線がヴェイキュルへと向けられる。


「何のつもりだ?」


 だが、その視線を向けられた本人は全く気にした様子もなく口を開く。


「ま、ルズィのことだから明日の試合は勝ちを狙ってると思うけど……その激励みたいな感じかな」

「……ああ、なるほど」


 その言葉を聞き、ようやくルズィは明日の試合の件で気遣われているのだと知る。

 実際自分が勝てる可能性は限りなく低いのは分かっている。だが、それでもルズィは勝つつもりで明日の対戦相手……ランクS冒険者、不動のノイズへと挑むし、ヴェイキュルとモーストの2人もそれを理解しているからこその行動だろう。


「柄にもない気を遣いやがって。ま、いいけどな。このパンを貰った分くらいは頑張らせて貰うさ」


 つい今し方エルクを相手に緊張していたルズィとは思えない言動。

 この辺は、直接戦う相手と戦わない相手で自然と態度を使い分けているのだろう。

 そんな3人のやり取りを見つめつつ、レイもまた口を開く。


「一応応援してやるから、精々頑張ってくれ。ああ、それともし負けるんなら、少しでもノイズの手を晒してくれると助かる。決勝で相手をする時に、その方が便利だしな」

「……ふんっ、俺が負けるのと自分が決勝まで行けるのは確定かよ」

「あー……でも、有力候補とか聞くと、結構そう予想している人も多いみたいよ?」


 闘技場や宿屋、あるいは街中で話されている噂を聞いているのだろう。ヴェイキュルの口から出たその言葉に、ルズィは再び鼻を鳴らしながらパンを食べる。


「俺が勝つとは誰も思ってないのかよ。……ま、だからこそ大番狂わせが起きれば面白いことになるんだろうけど。……レイ、悪いがお前の決勝の相手は不動じゃなくて俺がなるからな。精々残念がっておけ」

「そうだな。そう出来たら面白いかもしれないな。……ま、同じ宿に泊まっていたり、訓練をしてやった情けもある。明日の試合ではルズィに賭けてやるよ」



 そんなレイの言葉に、ヴェイキュルが本気? とばかりに視線を向ける。

 実際、ノイズの試合ではまず間違いなく対戦相手の倍率は物凄いことになる。それは、ノイズの強さがどれ程のものなのかというのを現している為だ。

 その状態でルズィに賭けるというのは、ヴェイキュルにしてみれば賭け金を捨てるのに等しい行為でしかない。

 だが……


「ま、大穴って意味もあるし。賭けるのは銅貨だしな」


 銅貨という言葉を聞き、ヴェイキュルも……そしてモーストも納得の表情を浮かべる。

 だが、ルズィは不機嫌そうにレイへと向かって口を開く。


「……おい。金貨とは言わねえけど、せめて銀貨くらいは賭けろよ」

「さすがに銀貨まではちょっとな」


 一応金に困っていない……どころか、今回の闘技場でエルクに頼んで自分に賭けたおかげでかなりの儲けを出しているレイだったが、それでも負ける可能性が高い賭けに銀貨を出すような真似は出来ないらしく、ルズィに向かって軽く肩を竦める。


「お前達は俺に賭けるよな?」


 レイに言っても無駄だと判断したルズィが、チラリとパーティメンバーの方へと視線を向ける。しかし……


『……』


 ヴェイキュルとモーストの2人は、揃って視線をそらす。

 その態度こそが、何より2人が明日の試合でどちらが勝つかを予想しているのかを現していた。


「あーあーあーあー、そっちがそういうつもりなら、絶対明日はあっさりと負けてはやらないからな。いや、寧ろ勝ってみせる。その時に、俺に向かってそんな態度をとったことを謝っても許してやらねーぞ」

「あははは。確かに明日ルズィが不動に勝ったりしたら、精一杯機嫌を取らせて貰おうかな」

「……ふんっ!」


 ルズィが鼻を鳴らすと、そんな会話が聞こえていたのだろう。近くのテーブルで食事をしていた2人の客が声を掛けてくる。


「なぁ、兄ちゃん。明日あの不動と試合だって?」

「ん? ああ。まぁな」

「そうかぁ。ま、いい記念になったな」

「そうそう。あの不動を相手にして戦えるなんて、かなり幸運なんだぜ? 普通なら直接会うのすら難しいんだから」


 笑みを浮かべてそう告げてくる2人は、ルズィが負けるというのを前提としていた。

 決して悪気がある訳ではない。寧ろ、ルズィのようにノイズを相手にして勝つと言い切る方が珍しい。

 だが……それでもやはり、ルズィにしてみれば気分のいいものではなかった。


「俺がこいつらにした話を聞いてなかったのか? 俺は負ける気で試合に挑むつもりはねえぞ」

『……』


 ルズィのその言葉に、2人の男は何を言っているのか分からないとでも言いたげに、顔を見合わせ……次の瞬間、揃って笑い声を上げる。


「ははははは、そうかそうか。まぁ、若い頃にはそのくらい血気盛んな方がいいさ」

「だな。俺達も若い頃は誰にも負けないとか思っていたなぁ……いや、悪い悪い。ちょっとお前さんの気分にはなっていなかったな」


 そう告げてくる2人だったが、やはりその言葉にはルズィが勝てるとは全く思っていない。若いのが粋がっているだけというニュアンスが含まれていた。

 ルズィもそれを理解したのだろう。それ以上は何を言うでもなく、料理へと口を付ける。

 悪意があって言ったのならともかく、その2人の言葉はどちらかといえば善意からの言葉だ。それ故にルズィとしては怒るに怒れず、不機嫌に黙ってしまうしかなかった。

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