第634話

「くそがぁっ!」

 

 そんな叫びと共に、部屋の中にあったテーブルが振り下ろされた拳により破壊される。

 闘技大会に出場する選手が過ごす控え室ということでかなり頑丈に作られたテーブルが用意されていたのだが、それでもロドスが振り下ろした拳に耐えられる程のものではなかった。

 だが……目の前にあるテーブルを破壊したとしても、ロドスの胸中に存在する怒りと屈辱が消えることはない。


「レイめ……あいつにとって、俺は何だ!? 目の前に立ち塞がる障害ですらないってのかよ!」


 自らの口から吐き出されるその言葉が、より一層自分の中にある苛立ちを強めていく。

 分かってはいる。この胸の中にある怒り、苛立ちといった思いが理不尽なものであることには。

 そもそも、レイは自分がヴィヘラに対して抱いている想いそのものを知らないのだから。

 だがそれでも……どうしても、胸の中にあるこの気持ちを抑え込むことは出来なかった。

 憎い、妬ましい、羨ましい、苛つく……そんな思いが胸の中にあることを。

 自分でもおかしいとは思っている。だが、それでも……どうすることも出来ないこの思いを、せめて目の前に存在するテーブルの残骸へとぶつけようと拳を握りしめた、その時。


「八つ当たりは感心しないな」


 控え室の中に突然響いたその声に、ロドスは反射的に殺気の籠もった視線を送る。

 その視線の先……控え室にいるのは、20代程の男が1人。

 ただしその容姿は女顔と表現する方が正しい。

 そういう意味で、どこかレイを連想させる目の前の男に対してロドスの態度が剣呑なものになったのは、当然だったのだろう。


「悪いが、今は誰か他の相手をしている余裕はないんだ。消えてくれ」

「初参加の身で三回戦まで進んだだけでも凄いと思うけどな」


 だが、男はロドスの言葉が全く聞こえていないかのように言葉を紡ぐ。

 その態度が更にロドスの中でレイを連想させ、剣呑な視線を男の方へと向ける。


「消えろ。そう言ったんだが、聞こえなかったのか?」

「それにしても深紅の強さは他より頭一つ抜きんでているな。この闘技大会の決勝は深紅と不動の戦いで間違いないだろう」

「……最後にもう一度だけ言う。消えろ」


 最終通告。それが言葉だけのものではないのは、ロドスの身体から放たれる殺気が表していた。

 目の前にいる男は自分よりも明らかに弱い。だというのに、全く自分を相手にしていないかのような態度に酷く苛立ちを感じる。


「そうか、俺に喧嘩を売ってるのか。なら、それを買ってやる……よっ!」


 その言葉と共に地を蹴り、拳を男の顔面へと叩きつけ……ようとしたところで、突然伸びてきた手がロドスの手首を掴む。

 拳を受け止めるのではなく、あるいは男を庇うでもない。全力ではないとしても、ロドスの放った拳だ。それを横から手首を掴むことで止めたということは、つまりそれを行った者は完全にロドスの拳の動きを見切っていたということに他ならない。

 そもそも、つい先程までは目の前の男しかいなかった筈なのにどこから現れたのか。

 そんなロドスの混乱を余所に、男達は会話を続ける。


「ほら、だから言っただろ? お前の態度は普通の人にとっては苛つくんだよ。大人しく俺に任せておけばよかったのに」

「何故だ? 私は合理的に物事を進めているだけだぞ? そもそも、お前に任せればこの男が使い物にならなくなるかもしれないだろう? それでは意味がないのだから、私が出るのはおかしな話ではない」

「……まぁ、この程度の腕じゃなぁ。そもそも俺を相手に出来るとはさすがに……」


 自分の右手を押さえつけたままで行われているその会話に、ロドスのコメカミがピクリと痙攣した。

 ただでさえ苛立っていたところに姿を現した目の前の二人は、自分を無視し、まるで相手をする価値もないとばかりの態度をとっている。


「ざ……るな……」


 ボソリ、と漏れたロドスの言葉に、その手首を押さえている方の男が視線を向ける。

 そこに浮かんでいるのは、不思議そうな表情。何故自分が殺気を向けられているのか、その理由が全く理解出来ないといった表情だ。


「何、どうしたのさ? ああ、悪いけどお前の話はまた後でな。今はこっちの話を……」


 だからこそ軽い口調でそう告げたのだが、それはロドスの怒りを爆発させる結果となる。


「ふざけるなぁっ!」


 自らの手首を掴んでいる相手に構わず、強引に手首を引き戻す。

 そのまま腰の鞘へと手を伸ばす。

 それでも、まだ完全に理性が振り切れている訳ではなかったのだろう。長剣を抜くのではなく、そのまま鞘ごと自分の手首を押さえていた相手へと振り下ろす。


「おおうっ! 何だよいきなり」


 振るわれる鞘に、一歩だけ後ろに下がる。レイとの試合で完全に動きを見切っていたのか、振るわれた鞘は男の眼前数cmといった場所を通り過ぎていく。

 その様子を見ていた最初の男が、呆れた様に口を開く。


「殿下に進言した時も言っていただろう。このロドスという男はある程度の実力はあるけど、性格的に爆発しやすいって」

「いや、これは俺じゃなくてお前のせいじゃないか?」


 振るわれる鞘の連続攻撃の全てを回避しつつ告げる男だが、その表情には全く焦りの色が存在しない。

 この状況がよくある普通のことだとでも言いたげに、ロドスの攻撃を回避しながら男との会話を続けている。

 それだけにロドスは自分が侮られていると感じ、余計に鞘を振り回す速度を上げていく。 

 だが頭に血が上れば当然攻撃は荒くなり……やがて回避している男の方も飽きたのか、あっさりと素手で振り下ろされた鞘を受け止める。


「あのさぁ、いい加減にしてくれないかな。お前程度の腕で俺に攻撃を当てられる筈がないだろ? もう少し現実って奴を見ようぜ」

「お前ぇっ!」


 その言葉が余程癪に障ったのだろう。怒声を浴びせかけようとしたロドスだったが、その言葉を遮るかのように最初にロドスへと声を掛けた男が口を開く。


「ブラッタ、いい加減にしろ。その男を引き入れる為に来たのに、怒らせてどうする」

「……いや、最初に怒らせたのはソブルだろ?」


 どこか呆れた様にブラッタと呼ばれた男が言葉を返すが、ソブルと呼ばれた男の方は特に気にした様子もなくロドスへと声を掛ける。


「さて、色々と行き違いがあったようだが……改めて自己紹介といこう。私はソブル。そこにいるブラッタと共に、ベスティア帝国の第1皇子カバジード殿下に仕えている者だ」

「……何?」


 頭に血が上っていたロドスだったが、それでも攻撃を止めたのは第1皇子という単語を聞いた為だ。

 第1皇子。それはロドスが一目惚れしたヴィヘラの兄にして、軟禁されている第3皇子を助け出す際の難敵の1人。

 そんな人物に仕えている人物が自分を引き抜きに? そんな風に思い、もしかして自分達とヴィヘラの繋がりを知られているのかもしれないとも思う。

 だがそれにしては相手の態度が柔らかいように感じられる。

 内心で疑問を感じつつ、あるいはこれは好機かもしれないと考えた。


(相手の懐に飛び込んで情報収集なり、あるいはいざという時に動いたり……そういう風に手助けが出来るかもしれない? 幸い、あっちは俺がレイに……)


 そこまで考え、ふと思いつく。

 このまま向こう側につけば、レイと再度戦うことが出来るのではないかと。

 勿論ダスカーやエルク、そして何よりヴィヘラを裏切るつもりはない。だが、それでもレイと……あれ程無神経に自分のプライドを踏みにじったレイと再戦が出来るとしたら、それは何よりも大きな報酬に思えた。

 そこまで考えを纏めると、ブラッタに向けていた剣の鞘を下ろす。


「話を聞かせてくれ」


 レイに対する複雑な感情と、ヴィヘラの役に立つかもしれないという打算。

 ブラッタとソブルの2人にしてみればそのあからさまな態度の変化はとてもではないが信じられず、事実ブラッタは何かを口にしようとする。

 だがソブルがそれを止め、ブラッタへと目配せした。

 元々ソブルにしても、ロドスが本心からカバジードへと忠誠を誓うとは思っていないし、何らかの打算があっての行動だというのは見て分かった。

 内心で思うところがない訳ではないが、それでもロドスという駒を手元に置けるというのは色々と意味があるし、何よりも打算で動いている相手だと知っていれば、最初からそれ相応に扱えばいいだけなのだ。


「では、ロドス。改めて聞こう。カバジード殿下に対して忠誠を誓い、仲間になるかね?」

「……そうだな。あんた達も知っての通り、俺は思うところがあってあんた達の仲間になる。カバジード殿下に対して忠誠は誓えないが、それでもそっちの戦力として役に立つことは保証しよう」


 そう告げるロドスに、ブラッタは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「ふんっ、お前程度の腕で俺達の役に立つだって? せいぜい足を引っ張らないようにしてくれよな」


 ブラッタにしてみれば、自分よりも弱いのにソブルから特別扱いを受けているロドスが気に入らないのだろう。

 そんなブラッタに取りなすように、そしてロドスに対して誘うかのようにソブルは口を開く。


「確かに今のロドスは際だって強力な戦力という訳じゃない。ただ、今が弱いのなら強くなればいいだけだ」


 ソブルの口から出たその言葉は、レイに対しての再戦を望むロドスにしてみれば、とてもではないが聞き流せるものではない。


「それは……どういうことだ? そんなに簡単に強くなれる手段があるのか?」

「確かに根本からロドスを強くするというのは無理だろう。だが、例えば君の武器の長剣やレザーアーマーをマジックアイテムに替え、それ以外にも腕輪や足輪、ネックレス、ピアスといった装飾品の形をしたマジックアイテムもある」

「……そのマジックアイテムを俺に渡すと?」


 疑い深く尋ねるロドスだが、基本的にマジックアイテムは高価な物が多い以上は当然だろう。

 だがそんなロドスに対して、ソブルは何の問題もないとばかりに薄く笑みを浮かべて頷く。


「私達の主は、次期皇位継承者の最有力候補であるカバジード殿下だ。更にベスティア帝国は錬金術に力を入れているので、マジックアイテムはそう珍しい物でもない。ここまで言えば、信じて貰えるのではないかな?」

「なるほど。確かに第1皇子ともなれば、マジックアイテムを好きには出来る、か」

「そういうことだ。ただ、君をカバジード殿下に直接会わせるというのはまだ出来ないが。……さて、では君は私達の仲間になるという認識でいいかな?」


 ソブルのその問い掛けに、ロドスは一瞬躊躇した後でゆっくりと頷く。


「ああ。俺が本当に今よりも強くなれるのなら……そしてレイを相手にして再戦出来るのなら、俺は喜んでお前達に協力しよう」

「……ふむ。なら私達も喜んで君を迎え入れよう」


 差し出されたソブルの手を握るロドス。

 当然ロドスには最後までカバジードに忠誠を尽くすつもりはないし、ヴィヘラを裏切るつもりはない。

 だが……レイとの再戦というのは、間違いなく魅力的だった。

 自分を味方に引き入れた以上、カバジードという第1皇子は自分の父親やレイ、あるいはラルクス辺境伯のダスカーと何らかのことを構える気でいるのだろうというのは予想出来る。そして、その時に自分を使おうとしているのだということも。

 しかし、ロドスはそれならそれで構わないとも思う。


(相手は父さんとレイだ。それに母さんもいる。何かあったとしてもどうにかなることもないだろうし、こっちからの情報も流せば十分対処可能だろう。……ただし、レイ。お前には必ずもう一度俺と戦って貰うがな)


 そんな風に考えていると、ロドスから手を離したソブルがブラッタの方へと視線を向ける。

 その視線に微妙に嫌なものを感じたのだろう。ブラッタの眉が微かに顰められていた。


「……何だよ?」

「折角ロドスが仲間になったのだから、ブラッタには是非ロドスを鍛えて貰おうと思ってるんだけど、どうだ?」


 予想通りに面倒な話だった、とばかりにブラッタは嫌そうな表情を浮かべる。


「何で俺がわざわざそんな真似をしなきゃいけないんだよ。大体、俺はそいつが仲間になるのを認めた訳じゃないからな」

「だからこそブラッタに頼みたいんだよ。ブラッタは私達の中でも有数の実力を持つ。そんな相手に鍛えて貰えば、ロドスの実力の底上げも出来るだろうし、よく言うだろ? 剣を交えれば相手の性格が分かるって。そういう意味でも、ブラッタにはお薦めの相手だと思うんだけどな?」


 半ばお世辞の混じった言葉ではあったが、そこに込められているのは間違いなくソブルの本心でもあった。

 第1皇子派の中でもブラッタが有数の実力者であるというのは事実だ。

 ロドスが妙なことを考えていないかというのを見張る為と、その実力の底上げ。その一挙両得を狙っての提案だった。

 ブラッタにしても、自分が褒められて嬉しくない訳がない。特に相手はいつも自分に小言を言ってくるソブルとあれば、尚更だった。


「ふ、ふん。まぁ、ソブルがそこまで言うのならちょっと鍛えてやってもいいか。……ほら、ロドス。鍛えてやるからついてこいよ」


 そう告げ、ロドスを引っ張っていくブラッタ。

 それを見送ったソブルは、満足そうに笑みを浮かべるのだった。

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