第633話

「ぐっ、ぐぅ……」


 舞台の上に倒れていたロドスが呻き声を上げながら立ち上がり掛け……次の瞬間、左腕がないことに気が付き、再び舞台の上へと崩れ落ちる。

 肘から先端が存在しない左腕からは血が流れ続けているものの、その出血量はそれ程多くはない。

 舞台の上に転がっていたロドスの切断された左腕を拾い上げながら疑問に思ったレイだったが、不意に戦闘中にロドスが口にしていたポーションを思い出す。


「なるほど、相当に高レベルのポーションだったんだろうな」


 そのおかげで出血量もそれ程ないのだろうと判断し、拾い上げた左腕を持ちながらロドスの方へと歩いて行く。

 そこには審判の姿もあり、肩を貸してロドスを立ち上がらせようとしていた。


「俺も協力しよう。この腕もくっつける必要があるだろうし」

「すまない、頼む」

「……ふん」


 審判が感謝の言葉を述べたのに対し、ロドスはどこかふて腐れたように……より正確にはレイの顔から目を逸らしながら、鼻を鳴らす。

 ただし、その雰囲気に険悪なものはない。負けたのは悔しいが、それでも自分が現在出せる精一杯の実力を出し切ったからこその態度だろう。

 それを理解しているのか、レイもまたデスサイズとロドスの左腕の両方を握ったまま、殆ど血が流れていない状態の左腕を手に取り、舞台の端まで歩いて行く。

 そして切断された左腕を傷口にくっつけて舞台を降り……


「……おお?」


 舞台を降りたその時、一瞬だけロドスの身体が光り、気が付けばレイのデスサイズにより切断された筈の左腕はまるで先程までの状態は夢だったとでもいうように、ロドスの身体へときちんとついていた。

 腕が消滅している状態であれば一から作り出されるのだが、今回は現物が残っていたのでそのまま癒着したのだろう。


「これは……凄いな」


 呟くレイ。

 勿論レイにしても、この舞台から降りれば怪我が治る……より正確にはなかったことになるというのは知っていた。

 だが幸か不幸か、今までレイはこの闘技大会で手足を切断させるような傷を相手に与えたことはない。それ故に、これ程までにしっかりと怪我がなくなる様子を見るのは初めてだったのだ。

 相手の骨を折るような攻撃は幾度となく繰り出したが、骨折は治療の効果を傍から見ている分には分かりにくいという理由もある。


「そうだろう。これがあるからこそ、この闘技大会はこれだけ激しい戦いであるにも関わらず、殆ど死者がでることはないんだ。この闘技大会の要だな」


 レイの言葉を聞いた審判が自慢げに答える。

 お前が偉そうにする理由はないんじゃ? ふとそう思ったレイだったが、これだけの効果を持つ遺産を自在に使いこなしているのだから、自慢するのも当然かと思い直す。


「いや、これは凄いな。痛みも何も全くなくなった」


 ロドスもまた、切断されたはずの左手を握りしめつつ呟く。

 一応ロドスもここまで闘技大会を勝ち抜いてきた以上、相手を怪我させたこともあるし、同時に自分が怪我をしたこともある。

 だが、それでもかすり傷や軽い切り傷といったものが殆どであり、肘から先を切断されるようなことは、させたことはあっても、したことはなかった為だろう。


「ま、無事で何よりだ。お前が怪我をしたままだとエルクやミンに何を言われるか分かったものじゃないし」


 ロドスに向かって安堵の息を吐きながらレイが告げる。

 その言葉にロドスもまた頷き、苦笑を浮かべ……そこで改めてレイの顔を見て、自分が負けたということを思い出したのだろう。

 いや、負けたというのは分かっていたのだが、左腕の切断という件があった為にそちらに意識が集中していたのか。

 ともあれその左腕も元に戻ったということを実感した途端、ロドスは自分がレイに負けたのだというのを実感してしまったのだ。

 ロドス自身の自由に出来る金を使って手に入れた、かなり高級なポーション。今回の奥の手ともいえるそれを使って死に物狂いで挑んだにも関わらず、レイはカウンター以外の攻撃方法を使わないまま自分を圧倒したのだ。

 文句の言いようもない程の完敗。


(俺は……負けた? 一矢も報いることが出来なかったってことか?)


 内心で呟き、その意味するところを実感し、途端に胸の中に空虚な思いが湧き上がる。


(何がレイに勝つだ……ヴィヘラさんに俺の強さを見せるだ。こんなにあっさりと、それもレイの本気すら出させることが出来ないまま負けた俺が……)


 考えれば考える程、ロドスの胸中は自らの力のなさ、惨めさにより自己嫌悪に陥っていく。

 レイにしてみれば、今まで普通に話していたロドスがいきなり落ち込み始めたのだ。さすがに心配になり、その肩へと手を伸ばす。


「おい、ロドス」


 そうしてレイの手がロドスの肩に触れた、その瞬間。


「触るなっ!」


 周囲に響く……それこそ観客席にまで響き渡るような鋭い声と共に、ロドスは自分の肩へと触れたレイの手を弾く。

 殆ど反射的に行われたその行為は、パァンッという甲高い音を周囲に鳴り響かせた。


「……ロドス?」


 何故急にこんな態度をとったのか。つい数分前までは、試合が終わったこともあっていつも通りに話していたというのに。

 ロドスの内心が分からない以上はしょうがないのだが、レイが次に取った行動はロドスにとっては酷く残酷なものでしかなかった。


「ま、気にするな。お前も今が限界という訳じゃない。これからもっと強くなるだろうしな」


 自分を倒した相手。そして自分の初恋の相手が想いを寄せている相手。

 そんな相手に慰めの言葉を掛けられるというのが、ロドスにとってどれ程屈辱的であり、情けないことか。

 それ故に、ロドスが殺気の籠もった視線をレイへ向けたとしても、それはしょうがないことだったのだろう。


「……け……るな……」

「ロドス?」

「ふざけるなぁっ!」


 その叫びと共に、持っていた長剣の切っ先をレイへと突きつける。

 放たれる殺気は、とてもではないが知り合いに向けるものではない。

 何が起きているのか一瞬迷ったレイだったが、それでも殺気を向けられている以上はこのまま大人しくしている訳にもいかないとデスサイズを構えようとし……


「そこまでだ!」


 その瞬間、そんな声が掛けられる。

 声のした方へと視線を向ければ、そこにいたのは審判。

 その審判が、鋭い視線でレイとロドスへと視線を向けている。


「闘技大会中の選手同士のトラブルは失格要因となる。それは闘技大会に参加する時に教えられていたと思うが? それは幾ら地位のある方からの推薦で参加した君達とて、変わらないルールだ」

『……』


 審判の言葉に、ロドスとレイはお互いを無言で眺めやり構えていた武器を下ろす。

 それでもまだ二人の間に存在している緊迫した空気は緩むことがない。

 このままでは危険だ。そう判断した審判は口を開く。


「とにかく試合はこれで終わりだ。次の試合もあるんだから、二人はとっととここから立ち去るように」


 審判のその言葉に、ロドスは最後にレイへと殺気の籠もった視線を投げかけて去って行く。

 それを見送ったレイにしても、首を傾げながらもこれ以上ここにいても意味がないとロドスとは反対の方向へと去って行った。

 その様子を見ていた審判は、表情には出さずとも胸中で安堵の息を吐く。

 舞台の上でならともかく、舞台の外であんな殺気染みたやり取りをされたのだ。もしもここで戦いが起きようものなら、色々な意味で凄惨な結果になるのは間違いなかった。

 せめて舞台の上であれば……と思わないでもなかったが、先程から聞こえていたやり取りを聞く限りでは、戦いが終わった後のやり取りこそが原因だったのだろうと判断する。

 また、ロドスとレイのやり取りに肝を冷やしたのは審判だけではない。観客席にいた観客もまた同様だった。

 そして貴賓席で試合を眺めていたエルクやミンもまた、これ以上ない程に肝を冷やしていたといってもいい。

 だが……逆に、今のやり取りを見て会心の笑みを浮かべている者もいる。


「あの男……深紅に対する恨みと憧憬と憎悪と友情と、複雑な思いを抱いているな。しかも丁度均衡を保っていたのが、この試合で大きく負の方に天秤が動いた。こちらの手駒としては非常に使えそうだ」

「そうか? まぁ、こっちに引き込むって意味じゃ否定しないけどよ。寧ろあの程度の奴を引き込んでカバジード殿下の役に立つか?」


 二人の男が言葉を交わす中で、片方の男が疑問を抱きつつそう口にする。

 だが最初に口を開いた男の方は、当然だと言いたげに頷き、断言した。


「立つさ」

「……あの程度の力でか? 見たところランク相当の実力しか持たない感じだぜ?」

「確かに奴はランクC程度の実力だ。それは事実だが、お前は変な勘違いをしているな。そもそも、ランクCだって世間だと強者の位置に入るんだぞ? それに……役に立つというのは、別に純粋な戦力としてじゃない。対雷神の斧、対深紅。顔見知りだけに、そいつらと敵対する時にはこれ以上ない程に使える駒になるさ」

「なんだ、純粋な戦力じゃないのかよ。……なら俺はどうでもいいや」


 子供が興味を失った玩具を放り投げるかのように、ロドスに対する興味が消える男。

 そんな男の言い様に、もう片方の男は苦笑を浮かべることしか出来ない。

 この男は、ある意味で純粋なのだ。寧ろ純粋なままで大きくなったとも言えた。それだけに多少扱いにくいが、それでも男にとっては気の許せる仲間でもあった。


「ほら、行くぞ。とにかく今はあのロドスとかいう男の件を殿下に取り次いで貰って、それで許可を貰えれば俺が動く」

「ふーん……ま、お前が動くって言うんなら、自然と俺も動くんだろうけど。出来ればあっちの深紅と戦ってみたいなぁ」


 ロドスとの戦いでも実力の底を全く見せなかったレイ。

 その実力に興味が湧いたのだろう。だが……男は、相棒の頭を軽く叩く。


「落ち着け。お前が戦ったりしたら、闘技場が崩れてしまうだろ。それにお前の力は分かるし、信頼もしているが、深紅の強さも同様に群を抜いているからな。少なくても今は戦う機会はないだろうよ」

「えー……ちょっとだけでも駄目か?」

「駄目だ」

「……本当に?」


 当然だ。そう告げそうになった男だったが、自分へと向けられている相棒の目の色を見て口を開くのを思い留まる。

 まるで肉食獣の目の前に、極上の肉を置いた時に浮かべるような……そんな期待に満ちた視線。

 ここで迂闊なことを言えば、それを確認する為に今にも深紅へと向かいかねない。

 だが幸いなことに、男には相棒を一発で大人しくする為の魔法の言葉があった。

 あまり使い過ぎると効果がなくなるが、今は使うべきだろうと判断してその言葉を口に出す。


「ここで我が儘を言えば、カバジード殿下に怒られるぞ」


 男の口から出たその言葉の効果は、これ以上ない程の効果を発揮する。

 今にも深紅の下へと向かおうとしていた様子が、一変した。


「わ、分かってるよ。別に俺だって何も考えずに突っ走る訳じゃないんだから。殿下に妙なことを吹き込むなよ? な? な?」

「そうだな。お前が大人しく俺の言うことを聞いていれば、そんな心配はなくなるだろう」

「……ふんっ」


 その言葉が気に障ったのか、鼻を鳴らして椅子へと腰を下ろす。

 どうやら諦めたらしいと知り、男は安堵の息を吐く。


(まずは……ロドスと接触する機会を設けないといけないな。他の派閥の貴族の様子見や、皇帝陛下に関しても完全に油断出来る訳でもない。それに、第3皇子派の方も……今以上に戦力を整える必要がある、か)


 内心でこれからやるべきことを思い浮かべ、どの仕事を誰にやらせるように自らの主君へと進言する順番を考え、これから忙しくなると口では文句を言いつつも、その表情は間違いなく嬉しそうだった。






「何だって急にああなったんだろうな」


 控え室でレイは試合終了後のロドスとのやり取りを思い出しつつ、思わず呟く。

 控え室の中にはレイ以外に誰もいない。

 さすがに本戦の三回戦まで進めば選手一人に控え室一つという割り当てになるらしいと考えつつ、この場にいるのが自分だけで良かったとも思う。

 レイからすれば、何故ロドスがああも殺気立ったのかが理解出来ず、それ故にどこか不愉快な気分を胸に抱えている。

 もしもこの状態で誰かに絡まれたりすれば、色々と八つ当たり気味に行動するだろうことを分かっていた為だ。


「まぁ、ロドスに関してはエルクに任せておくしかないか。ミン辺りが出てくればあっという間にどうにかなるかもしれないし」


 何だかんだと両親に対して強い――それこそ過剰な――愛情を抱いているロドスなのだから、それでどうにかなるだろうと軽く考えていたのだ、この時は。

 事実、これまでロドスと付き合ってきた時間を思い出せば、あっさりとその辺は解決すると思っていた。

 少なくても、レイはそう思い込んでいた。

 それが、どれだけ見通しの甘い考えだったのかは、その日の夜悠久の空亭にロドスが帰ってこなかったことにより明らかとなる。

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