第621話
夜。まるで闘技大会の勝者を祝福するかのような月明かりが降り注ぐ中、レイは悠久の空亭にある厩舎の側で串焼きを口に運んでいた。
「グルゥ」
レイが寄りかかっているセトもまた、自分の為に用意された肉の塊へと座ったままクチバシを伸ばし、塩を始めとする香辛料を利かせたファングボアの焼き肉の味を楽しんでいる。
ほんの1時間程前までは宿の食堂でモーストの残念会を開いていたのだが、今は既にそれも終了してそれぞれが自分の時間を過ごしていた。
「確かに純粋な魔法使いが勝ち残るってのは、闘技大会のルール的に色々と厳しいよな」
「グルルゥ?」
串に刺されている肉と野菜を交互に味わいつつ呟くレイの言葉に、セトはそうなの? と視線を肉からレイの方へと向けて喉を鳴らす。
「ああ。何しろ詠唱している時は基本的に無防備だし。……だろ?」
セトと言葉を交わしていたレイの視線が、暗闇に向けられる。
「あはは。確かにレイさんの言う通りですね」
そんな風に照れくさそうに頭を掻きながら闇の中から出てきたのは、話題に上がっていた張本人のモーストだった。
その手に持っているのは、色々な種類のサンドイッチが多数入っているバスケット。
「確かに今日の戦いは切り札であるアタカンテの腕輪まで使ったのに、勝つことは出来ませんでしたけどね」
アタカンテの腕輪。それがモーストが今日の戦いで使った、身体強化の効果をもたらす使い捨てのマジックアイテムの名前であることは、残念会の食事の時に聞いていた。
「使い捨てとはいっても、身体強化の効果があるマジックアイテムってのは魔法使いにとってはありがたいだろうな」
モーストの言葉に頷きつつ、差し出されたバスケットの中からサンドイッチを手に取るレイ。
そんなレイの様子に、自分にもちょうだい、と顔を伸ばすセト。
その口の中にハムとチーズのサンドイッチを放りこむと、レイの視線は再びモーストへと向けられる。
「結構いいアイテムだったけど、どこで手に入れたんだ?」
「以前討伐依頼で立ち寄った村に来ていた行商人にですね。その商人によるとオゾスで仕入れた物らしいけど」
「オゾス……確か、大陸中央付近にある魔導都市、だったか?」
以前に聞いた情報を思い出しながらそう口にするレイに、モーストは頷く。
「そうそう。今考えてみると、よくベスティア帝国までオゾスの商品を持ってこれたものだと感心するけど」
オゾスはミレアーナ王国を通してベスティア帝国とは正反対の位置にある国家だ。
ただし、国家は国家でも都市国家と表現すべき存在であり、大陸の中でも最も巨大な魔法学園が存在している。
多くの魔法使いが魔法を学ぶ為にオゾスへと集まり、そうなれば自然と魔法に関しての技術も発展していく。
近年急速に魔法関係の技術が発展してきたベスティア帝国にしても、オゾスに追いついているのは錬金術だけだ。
「オゾスか。いつか行ってみたい気はするな」
「あはは。だろうね。レイさんみたいにマジックアイテムを集めるのを趣味にしている人にしてみれば、オゾスは色々な意味で天国みたいな場所かもしれないよ。……もっとも、その分色々と面倒事も多いって話だけど」
「面倒事?」
セトの背を撫で、その滑らかな手触りを感じつつ問い掛けるレイに、モーストは自分も商人から聞いた話だけど……と前置きしてから話し出す。
「なんでも、色々な派閥があるらしいんだ。特に魔法至上主義の人とかが作る派閥の中には、魔法使いでなければ人間にあらずなんて主義のところもあるらしくて。そういう人が結構な問題を起こしているらしいよ」
「普通、そういうのは他の派閥が止めたりしないか? そもそも魔法使い自体が少ないんだから、妙なことをすれば魔法使いそのものが差別される側になるぞ?」
そんなレイの言葉に、バスケットの野菜サンドへと手を伸ばしながらモーストも頷く。
「寧ろ少数だからこそ、過激な思想に転んでるんじゃないかな。まぁ、僕だって実際にオゾスに行った訳じゃないから何とも言えないけど。他にも魔法の実験をするために非合法な手段を取る魔法使いとか、マジックアイテムの詐欺とかもあるらしいけどね」
「夢も希望もないって奴か」
「いやいや、勿論僕が言ったのはあくまでも一部の者達だけの話だよ。中には善良な魔法使いも大勢いる。……と思う」
モーストにしても、オゾスに関する話はあくまでも人から聞いたものだ。
実はその話自体が出鱈目で、オゾスには全く何の問題もないという可能性だって十分にある。
(まぁ、人が大勢集まる以上はそんなことはないと思うけどね)
内心でそんな風に考えつつ、手に取っていた野菜サンドの最後の一口を口の中に収め、立ち上がる。
「ま、とにかく。僕は一回戦で負けてしまったけど、レイさんは魔法使いの一員として十分に勝ち上がって欲しいってことを言いたかったんだ」
「……ああ。勿論誰にも負けるつもりはないさ」
「あはは。その調子その調子。他にも何人か魔法使いが参加しているみたいだけど、やっぱり色々と厳しいって前評判だしね」
レイのように魔法戦士的な意味での魔法使いであれば、まだ詠唱を潰そうとしてくる相手にも対応出来るだろう。だが、やはり純粋な魔法使いは、その辺が苦手な者が多い。
二足の草鞋というのはそれ程簡単なものではないのだから、当然だろう。
その辺を考えると、寧ろモーストは多少なりとも短剣の扱いが得意だった分上出来な部類だったといえる。
「じゃ、僕はそろそろ行くね。今日は応援してくれてありがと。レイさんの試合にも応援に行くから」
「ああ。怪我自体はなかったとしても、精神的な傷はそのままなんだ。今日は一晩ゆっくり眠れ」
「うん。じゃあね」
そう告げて、去って行くモースト。
その瞳に悔し涙と思しきものが浮かんでいたのをレイは見逃さなかったが、それ以上何か言うのは寧ろモーストに対する侮辱だと判断し、無言で見送る。
「グルゥ?」
いいの? とサンドイッチを食べながら小首を傾げて尋ねてくるセトに、レイは問題ないとその頭を撫でる。
こうして、秋の月明かりの下でレイとセトはゆっくりとした時間を過ごすのだった。
翌日。前日の天気が嘘のような曇り空を、部屋の窓から眺めるレイ。
起きてカーテンを開けた後で、ここ数日とは違う曇った天気に軽く眉を顰めていた。
いつ雨が降ってきてもおかしくない、そんなどんよりした曇り空。
幸い今日はまだ残りの一回戦が行われるので、自分の試合はない。
だが、その一回戦も今日で終わりだ。そうなれば明日からは二回戦が始まることになり、一回戦が一日目だったレイは当然その日のうちに二回戦がある。
「雨か。一応古代魔法文明の遺産とかで、舞台に雨は入らないようになっているって話だが……それでもちょっとな。建物の中から見てる分には特に嫌いじゃないけど、この雨の中を出歩くのはごめんだ」
幸い、今日は知り合いの試合がある訳でもなく、あるいは自分に何らかの用事がある訳でもない。闘技場まで出向く必要はないのだから、ゆっくりと身体を休めようと決めて食堂へと向かう。
「へぇ、今日は息抜きするの?」
「ああ。雨も降りそうだし」
食堂で一緒になった風竜の牙の三人と共に朝食を食べながら、お互いに今日の予定を話す。
レイは宿でゆっくりと休み、ルズィは闘技場へ、ヴェイキュルは冒険者ギルドに顔を出しに行き、モーストは帝都にいる知り合いの場所に顔を出すということで、見事なまでにバラバラだった。
「それにセトにも構ってやりたいしな」
そう呟いたレイの言葉に、昨夜の件を知っているモーストが首を傾げる。
その様子は、既に昨日の悔し涙を流していた痕跡を見つけ出すことは出来ず、完全にとまではいかないが、ある程度吹っ切ったのだろうとレイにも理解出来た。
「昨夜セトと一緒にいたけど、あれでもまだ足りないんですか?」
「そうだな。基本的に甘えん坊だから、帝都に来てからは闘技大会やら何やらで色々と忙しかった影響もあって、殆ど構ってやれなかったからな。時間がある時に構っておきたい。俺にしても、セトと一緒にいると癒やされるし」
「あ、それちょっと分かるかも。グリフォンだって聞いてちょっと怖かったんだけど、馬を出す時に厩舎に行ったら凄く人懐っこかったもの」
ヴェイキュルの言葉にルズィもまた同様だと頷き、パンへと手を伸ばしながら口を開く。
「そうだな。あそこまで人懐っこいと、寧ろ本当にグリフォンか? と疑いたくなる」
巷で知られているグリフォンの印象は、やはりランクAモンスターということもあって凶悪で凶暴というものが多い。
また、それは決して間違ってはいないのだ。
「セトは俺が子供の時から育てたからな。人に慣れているんだよ。……言っておくが、くれぐれもセト以外のグリフォンに同じように接したりするなよ? 冗談じゃなく死ぬぞ」
「いや。それ以前にセト以外のグリフォンとか、まず会う機会はないから」
どこか呆れた表情でそう告げてくるヴェイキュルに、それはそうかとレイもまた納得する。
ランクBモンスターですら会うのはそれ程簡単ではないというのに、ランクAモンスターともなれば何を言わんやだ。
その上のランクSモンスターにいたっては、遭遇出来ることすら奇跡に近いだろう。
(まぁ、俺が生まれた……生まれた? ともかくあの森なら竜種とか普通に存在してたみたいだが)
そんな風に考えつつ会話を交わし、朝食を終えた後はそれぞれが自分の用事を済ませる為、別々に動き始める。
「グルゥ!」
厩舎に姿を現したレイに、嬉しそうな鳴き声を上げるセト。
帝都の中でも最高級の宿だけあって泊まる客も一流なだけに、預けられている従魔や馬もそれぞれがセトの鳴き声で恐慌状態に陥ったりはしない。
……もっとも、それでもセトに対して完全に気を許している訳ではないのだが。
「ほら、落ち着け。昨夜会ったばかりだろ? お前の分もきちんと食べ物を貰ってきてやったから。……どうする? 外に出るか? 宿の外には出られないし、いつ雨が降ってくるかも分からないけど」
「グルルルゥ」
外に行く、と喉を鳴らすセトを引き連れ、レイは厩舎を出て行く。
それを見送っていた従魔や馬がどこか安堵したように思えたのは、きっとレイの気のせいではないだろう。
「グルゥ、グルルルゥ!」
機嫌良く喉を鳴らし、厩舎の近くを駆け回るセト。
幸い厩舎は宿の裏手にあり、宿からは見えないようになっている。その為、特に騒ぎになるようなことはなかったが、もしも宿から宿泊客が見ていたとすれば多少は騒動が起きていたに違いないだろう。
宿自体がかなり大きい為、資産に余裕のないような貴族では泊まれないとはいっても、今の時期だと宿泊客の数もそれなりにいる。
その中には、レイが泊まっているということを知らない者も数は少ないが存在しているからだ。
深紅という異名持ちの冒険者を知らない宿泊客が、厩舎の近くとはいってもランクAモンスターであるグリフォンが自由に走り回っていればどう思うか。
「きゃああああああっ、グ、グリフォン!?」
当然このような叫び声が響き渡るのは当然のことだろう。
声の聞こえてきた方へとレイが視線を向けると、そこには1人の女。年齢は10代後半で動きやすい格好をしてはいるが、その服自体の仕立ては非常に高価なものだった。
貴族令嬢、あるいは大商人の娘。視線の先にいる女の正体はそんなところだろうと判断する。
「グルゥ?」
悲鳴を上げた女に向かって小首を傾げるセトだったが、グリフォンがいるという判断だけをしている女は、思わず後ろへと下がる。
その様子に、このままだと不味いと判断したレイは座っていた場所から立ち上がって女の方に近づいていく。
レイの姿に気が付いたのだろう。女の視線はレイとセトへと交互に向けられる。
そんな女に大丈夫だと、安心させるようにレイは口を開く。
「問題ない、セトは……このグリフォンは見ての通り、俺の従魔だ。首に従魔の首飾りがあるだろ?」
従魔の首飾り。それを聞き、女は自らの口を押さえてそっと視線をセトへと向ける。
確かにその首には従魔の証でもある首飾りが掛けられており、視線の先にいるグリフォンが従魔だというのは明らかだった。
だが……それでもグリフォンが従魔になっているというのを信じられず、マジマジとレイとセトを見比べ……やがて恐る恐る口を開く。
「その、本当に従魔なんですか?」
「そうだ。……一応俺とセトはベスティア帝国だとそれなりに有名な筈なんだけどな。知らなかったのか?」
「え、ええ。あまり家の外に出ることはないもので」
会話を交わしつつ、それでもやはり色々と恐怖心が勝るのだろう。一旦ここから去りたいと数歩後退るのを見たレイは、これ以上引き留めても無駄に相手を緊張させるだけだろうと判断して、そのまま女と別れる。
……この数時間後。再び現れた女がセトと暫く共に過ごすうちにその愛らしさに惹かれてしまうのだが、それはまた別の話。
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