第620話
「はっはっは。災難だったな。俺の応援をしないで一人で行動するからそんな目に遭うんだ」
悠久の空亭の食堂。そこでルズィは今日のレイが刺客に襲われたというのを聞き、ご機嫌な様子でそう告げる。
ルズィの機嫌がいいのは、やはり今日の試合で勝ち残ったからだろう。
それなりに激闘だったという話はロドスから聞いていたレイだったが、その激闘で負った傷にしても舞台の上から降りた今では既に回復している。
「ルズィは機嫌がいいですね。……はぁ」
憂鬱そうな溜息を吐くのはモースト。
今日の試合はルズィだけであったが、明日はモーストの試合があるのだ。
更に相手はベスティア帝国の元騎士であり、正統派の剣の使い手でもあるヴァーグ。
魔法使いであるモーストにとっては、非常に相性の悪い相手だ。
「ま、そう心配しないの。あんただってレイに鍛えて貰ったんでしょ?」
「ええ。それはまぁ、そうなんですけどね。……にしても、大魔法使いと言ってもいいレイさんに鍛えて貰ったのに、上達したのは魔法じゃなくて短剣の使い方だけとか。……魔法使いとして、何か間違っていると思いませんか?」
溜息と共に漏らされる愚痴。
モーストとしては、深紅の噂を聞いているだけに魔法の技量をレイに鍛えて貰いたかったのだろう。
「けど、実際に短剣を使えるようになって役に立ったんだろ?」
そんなロドスの言葉に、モーストは若干納得出来ないような表情で頷く。
実際、短剣の使い方がもう少し下手であれば予選を勝ち抜けなかったのだろうことは、自分が一番よく分かっていたからだ。
それだけに文句も言えず、かといって感謝の言葉を言うのも何だか微妙に癪でもあった。
複雑な表情を浮かべているモーストに、レイは手に持っていた切れ目の入ったパンに串焼きの肉やサラダを詰め込みながら口を開く。
「前にも言ったと思うが、俺の場合は純粋な魔法使いじゃないからな。その辺を期待されても困る。どうしてもその辺を知りたいのなら、それこそ他の魔法使いに教えを請うた方がいいぞ」
「……そう、なんですけどね。けど、レイさんの教えがなければ予選で負けていたのもやっぱり事実な訳で……明日の本戦、どうしましょう?」
モーストにしても、一対一、しかも相手は元ではあっても近接戦闘を得意とする騎士だ。当然魔法使いを相手にする為の手段を幾つも持っているのは簡単に予想出来た。
「せめて従魔の類が使用可能だったら、前衛を任せることも出来たんだがな」
「いえいえ。僕に従魔はいませんし、召喚魔法も使えませんから」
闘技大会のルールに不満を口にするレイと、もし許可されていても自分には意味がないと告げるモースト。
モーストの件に関してもそうだが、寧ろレイが不満に思っていたのは自分がセトと共に戦えないことだろう。
普通の相手であればまだしも、ノイズという冒険者を相手にする時にセトの力を使えるか使えないかというのは非常に大きい。
(まぁ、どのみちスキルの使用を制限しなければいけないのを考えると、万全とは言えないんだが)
そう思いつつも、レイとしては自分の前に立ちはだかるだろうノイズという壁を乗り越えるなり、あるいは破壊することが出来るのであれば大勢の前でセトの能力を存分に発揮しても構わない。そんな風に考えていた。
「とにかく、明日の試合はやれるだけやってみますよ。一応奥の手もありますしね」
穏やかな表情ながらも、モーストの表情には間違いなく自信のようなものが存在している。
「へぇ……なら、明日はモーストの試合を見に行ってみるか」
「そうですね。レイさんには色々と世話になってますし、もしよろしければどうぞ」
食事をしながらそんな会話を交わすのだった。
翌日、約束通りにレイの姿は闘技場にあった。
相変わらずの人の多さに辟易としながらも一般の客席にいるのは、やはり貴賓室だとベスティア帝国の貴族から敵対的な視線を向けられる為だ。
前日に襲われた件に関しても一応ダスカーに報告はしたのだが、それで結局何が出来る訳でもない。
そもそも、レイは公の立場だと現在ダスカーの護衛とは全く無関係の立場となっている。
勿論ダスカーがレイと親しいという事実は変わらないものの、公の立場でダスカーがどうこう出来る筈がない。
冒険者の行動は自己責任なのだから。
元々目立つというのがレイがテオレームやヴィヘラから依頼されたことだったが、現在でも既に十分以上に目立っている。
寧ろ、たまにあまり目立たない日を作れば、自分を狙っている相手も尻尾を出すかもしれない。そんな思いからの行動だった。
モーストの奥の手というのに興味があったというのも間違いのない事実なのだが。
「なぁ、次の試合って魔法使いと騎士だろ? お前さんはどうなると思う?」
フードを被っている為だろう。レイをただの観客だと思っている観客の1人が尋ねてくる。
これまでに行われた何試合かを見て興奮しているのだろう。見るからに顔が赤くなっており、レイだけではなく周囲にいる他の観客達にも声を掛けていた。
「そうだな……やっぱり魔法使いは不利だとは思う。何しろ、魔法を唱える間自分が無防備に近くなるからな。ただ、モーストは予選でも短剣をそれなりに使ってたから、その辺がどうなるかだな。……後は、予選で見せなかった切り札か何かがあれば一発逆転があるかもしれない」
「やっぱり兄ちゃんもそう思うか? 純粋な魔法使いにとっては闘技大会のルールは不利だよな。個人的には派手な魔法とか見たいんだけど。ほら、予選で深紅が見せた魔法とか」
「……そうだな」
いきなり自分のことが出てくるとは思わなかった為に一瞬言葉が途切れるが、何とか同意の言葉を返す。
そんなレイの様子に不自然さを感じたように首を傾げた男だったが、余程にテンションが上がっているのだろう。すぐに関係はないとばかりに話を続ける。
レイとしても、深紅という名前に対して特に嫌悪感を滲ませていない相手を無碍にする気にもなれず、周囲の観客達と共に試合が始まるまでの間、会話を楽しむのだった。
「強い、ですね」
舞台の上で対戦相手の元騎士、ヴァーグを見据えながら呟くモースト。
事実、目の前に立っただけで気圧されるものを感じさせられる。
自分とは力量が違いすぎる。そう判断せざるを得なかった。
予選の全てを見ていたモーストは、当然目の前に立つヴァーグが予選を勝ち抜いた戦いも見ている。
その時の様子を見る限りでは、自分の切り札を使えば何とかなるかもしれない。そう思っていたのだが、こうして正面から向かい合うと、それがいかに無謀な考えだったのかが分かる。
「相手の強さを理解するか。その年齢で随分と才能豊かなことだ」
モーストの呟きを聞いた騎士が、口元に笑みを浮かべながらそう呟く。
元騎士らしく、レザーではなく金属のハーフプレートアーマーを身につけており、武器は長剣。
年齢はモーストよりも10以上年上の30代半ばといったところか。
戦いにおける経験という点で見れば、圧倒的にモーストの方が劣っている。
更にモーストは冒険者。人相手にも戦うが、その本職はどちらかといえばモンスターを相手にした戦いだ。
(それでも……風竜の牙の一員として、無様な戦いを見せる訳にはいきません!)
内心で気合いを入れ、右手で杖を手に相手に意識を集中する。
「試合、始め!」
審判の言葉が舞台に響き渡るのと同時に呪文を紡ぐ。
『我、魔力の加護をこの身に宿し、盾と化す。強固なる壁、大いなる魔力よ、その姿を……』
後数秒の余裕があれば、呪文が発動していただろう。だが、モーストと相対しているのは元騎士の男。冒険者とは違い人との戦いを重視して鍛えてきた男は、当然魔法使いと戦う際の必須事項……即ち、呪文の詠唱を妨害して魔法を使わせないようにするという定石を知っていた。
故に、試合開始の合図と共にモーストとの距離を詰め、長剣を振るう。
胴体を狙って横薙ぎに振るわれたその剣は、短剣の扱いにそれなりに慣れたモーストには何とか対応出来る速度だった。
だがそれでも、呪文を詠唱しながらどうにか出来る訳ではない。
「うわぁあああああぁぁっ!」
咄嗟に抜いた短剣で受け止めはしたものの、魔法使いの筋力で騎士の一撃を受け止められる訳もなく、あるいは受け流す程に短剣の扱いに長けている訳でもないモーストはそのまま真横に吹き飛ばされる。
それでも空中でバランスをとりながら杖を使って舞台に着地し、転ばなかったことは称賛に値するだろう。
騎士も予想外の結果だったのか、小さく目を見開く。
自分の一撃を魔法使いが防ぎきれるとは思っていなかったという表情だ。
追撃がないのが、その驚愕の大きさを物語っていた。
そして……その隙こそがモーストの狙っていた一瞬の隙。
当初の目論見通りに自らの切り札に魔力を通す。
「えええええええいっ!」
叫びながら地を蹴ったモーストがとった行動は、魔法使いらしく騎士から距離を取る……のではなく、騎士との距離を縮めるというものだった。
更に、騎士へと迫るその速度はとても魔法使いに出せるとは思えない程の速度。
ほぼ一瞬にして自分の目の前に現れたモーストの姿に、騎士は大きく目を見開き長剣を握る手に力を込めるが……
「遅い!」
そのまま、持っていた杖をヴァーグの顔面目掛けて大きく振るう。
ゴッ、という生々しい音が周囲に響く。
勿論その一撃だけでは終わらない。ここで巡ってきたのは自分が勝利する可能性のある唯一の好機。
モーストの身体能力が爆発的に上がったのは、本人の危機に秘められた力が解放された……という訳では当然なく、モースト秘蔵のマジックアイテムの効果だ。
一時的に戦士に匹敵するだけの身体強化を行えるというマジックアイテムだが、それだけの強力な効果であるだけに、一度使えば壊れて二度と使えないという致命的なまでの欠点も持つ。
それ故にこの身体強化の効果が発揮している今こそが最初にして最後の勝利の機会だった。
「やあああああああああああああ!」
振るわれる杖、杖、杖。
ヴァーグの兜を被った頭部を殴り、撥ね上げ、叩きつける。
その度にヴァーグの頭部が大きく揺れるが、その身体は決して崩れ落ちない。
そのまま数十秒。モーストの身体の勢いが急速に落ちていく。
マジックアイテムによる身体強化の効果が切れたのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
完全に動きが通常のモーストのものに戻った瞬間、パリンッという何かが砕ける音と共に杖を握っていた右手の手首から何かが舞台の上へと落ちる。
それは腕輪。モーストの切り札でもある、身体強化の効果を持つマジックアイテムだ。
「……なるほど、自らに足りないものをマジックアイテムを使って補ったか。だが……それでも尚、足りなかったな」
モーストが気が付けば、ヴァーグは唇から微かに血を流しているが、ダメージらしいダメージはそれだけだった。
「そんな……」
「身体能力が強化されたとしても、技術は魔法使いのままだというのは致命的だったな」
呟き、それに対してモーストが何かを言おうとしたのを待たずにヴァーグは地を蹴って距離を縮め……長剣をモーストの胴体へと叩きつける。
この際、ヴァーグが既に息の上がっているモーストにこれ以上抵抗する力はないと知り、刃の部分ではなく剣の腹で殴りつけたのは、せめてもの慈悲だったのだろう。
吹き飛ばされたモーストは、舞台の上を何度かバウンドしながら滑っていき……やがてその勢いのまま舞台の外へと放り出される。
「そこまで! 勝者ヴァーグ!」
審判の声が周囲に響き、その場で戦いは終了する。
舞台の上で観客からの歓声を浴びつつ、手を上げるヴァーグ。
そんなヴァーグを見ながら、モーストは立ち上がる。
肋にヒビが入るような剣の一撃だったのだが、幸い舞台の外に出たことによって既に怪我は消えていた。
それでも先程の一撃を受けた感触はあるだけに、脇腹へと手を伸ばす。
「痛たた……やっぱり魔法使いの僕にとっては手に負える相手ではありませんでしたか。切り札まで使ったんですが……ね」
モーストの視線の先にあるのは、舞台の上に落ちている腕輪の残骸。
非常に高価なマジックアイテムであり、同時に稀少度もそれなりに高く、モーストの立場では入手するのに非常に苦労したものだ。
「それでもある程度は対抗出来たんだし……闘技大会なので死にはしなかったのだから良しとしておきますか」
「そうだな、お前の身体能力には色々と驚かされた。……ただ、杖で殴られている時に衝撃を殺していたというのに気が付かなかったのが難点だったな。あるいは、胴体だけじゃなくて頭部を狙ったのも」
その声のした方へと視線を向けると、そこにはヴァーグの姿。
既に舞台から降りている為、切れた唇の傷も既に綺麗に消えている。
「胴体と言われても……金属の鎧を相手にどうしろと?」
「そこはそれ、別にフルプレートメイルという訳じゃないんだから、それ以外の隙間を狙うとかだな」
「無茶を言わないで下さい。僕はただの魔法使いであって、前衛職じゃないんですから……」
「それもそうか。ともあれ、いい勝負だった」
「はい、こちらこそ勉強させてもらいました」
お互いに握手を交わし、それぞれが出てきた出入り口の方へと戻っていく。
こうして、風竜の牙で最初に本戦から脱落したのは魔法使いのモーストとなるのだった。
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