第615話

『わあああああああああああああああっ!』


 部屋の中に入った途端、そんな歓声がレイの耳を刺激する。

 その声に導かれるように視線を舞台の方へと向けると、そこでは槍を手にしていた女が腹を押さえながらも立っており、手甲を身につけている男は舞台の上に沈んでいた。


「へぇ、槍使いの方が勝つとは思わなかったな。残念」


 後ろから聞こえてきた声に振り向くと、レイを部屋に招待したタングが賭け札を手に残念そうな溜息を吐く。

 その様子から、どうやら目の前の貴族は負けた方へと賭けていたのだと理解する。

 そんなレイに部屋の中にあるソファへ座るように勧め、部屋に用意されていた水差しからわざわざ男爵であるタングが自らコップに入れてレイの前へと差し出す。


「……ありがとうございます」


 貴族とは思えない行動に一瞬驚きを示すレイだったが、そんなレイの様子にタングは笑みを浮かべつつ口を開く。


「私がこうして自分の手で細々としたことをやっているのが意外かな?」

「ええ、まぁ。基本的に貴族というのは、この手の仕事はメイドにさせるものだとばかり思っていましたが」


 そう言葉を返すレイだったが、自分がこれまで会ってきた貴族の面々を思い出すと必ずしもそうではないことに気が付く。

 特にエレーナに関しては、自分にお茶を飲んで貰う為に練習をしていたというのだから。

 ……もっとも、それに関しては恋する乙女の行動であるという例外なのだが。


「はははっ、まぁ、今でこそこうして男爵でございなんて態度を取ってるけど、私は元々三男でね。本来なら爵位を継ぐなんてことは出来なかった筈なんだよ。だから当然軍人か冒険者辺りにでもなって自活する必要があったんだけど……」

「それが今では立派な男爵ですか?」


 何があった? それがレイの正直な思いだった。

 三男であるということは、当然上に兄が2人いた筈だ。もし何らかの理由で長男が家を継ぐことが出来なくなっても、次男がいる。

 言うなれば、貴族の三男というのは当主の予備のそのまた予備といった立ち位置なのだ。その状態で三男が家督を継ぐというのは、レイにしても疑問に思わざるを得なかった。

 だが、そんなレイに対してタングはコップを口に運びながら説明する。


「まぁ、不思議がる気持ちも分かる。普通なら三男が跡継ぎになるなんてことは考えられないからね。実際、私も兄達には穀潰し扱いされて、さっさと家を出て行けと言われてたし」


 小さく肩を竦めるその様子には、特にマイナスの感情は感じない。貴族であればそのような対応を取ることはそれ程不思議なことではないと、タング自身が思っている為だろう。


「ならどんな経緯で男爵に?」

「そうだな、まず最初に兄さん……ああ、この場合は次男の方の兄さんだが、この兄さんが春の戦争で死んだ」

「……」


 まさか自分が関係しているとは思っていなかっただけに、一瞬驚きの表情を浮かべるレイ。

 だが、タングはそれには全く何も思っていないかのように話を続ける。


「元々兄さんが戦争に行ったのは、オートス男爵家の名を上げる為だったんだよ。まぁ、次男で長男の予備という扱いに関しても、私程じゃないけど色々思うところはあったんだろうね。けど、その結果があっさりと戦死。で、オートス男爵家としては思い切り面子を潰された訳だ」


 そう告げ、肩を竦める。

 自分の家のことだというのに全く気にした様子もないのは、本人にそれ程家に対する思い入れがないからか。


(まぁ、話を聞く限りだと2人の兄から邪魔者扱いされてたようだしな。その過程で家に対する思いが薄れていったのか?)


 そんな風に考えているレイをよそに、タングの話は続く。


「それで終わっていれば私がオートス男爵家を継ぐ必要もなく、気楽な穀潰しでいられたんだけどね」

「……つまり何かがあった、と?」


 そう尋ねつつも、何となくレイには予想が出来ていた。

 オートス男爵家の名誉のために出陣した戦争で、勝利出来ずに死亡。ベスティア帝国軍は敗北。

 オートス男爵家を継ぐ長男がそれを屈辱だと思うのは、当然だろうと。


「そう。レイの予想通りだ」


 レイの様子を見ていただけで何を考えていたのか分かったのか、タングは頷く。


「けど、ただでさえベスティア帝国はミレアーナ王国に敗戦したんだ。その状況で敗戦の原因になったレイにちょっかいを出そうものなら……それに、君の目の前でこう言うのもなんだけど、成功したならまだいい。けど失敗して、更にそれがミレアーナ王国に知られようものなら、それはベスティア帝国にとって大きな損失となる」

「その結果、排除された?」

「正解。まぁ、正確には私が伝手を使ってカバジード殿下にその辺をお願いしたんだけどね」


 カバジード。その名前をレイは知っていた。

 ベスティア帝国第1皇子の名前であり、現在は最も皇帝の地位に近い男。

 そしてヴィヘラの兄であり、テオレームが仕える第3皇子を軟禁している人物の1人。

 レイはそれを口に出さないまま、敢えて切り込む。


「……自らの兄を切り捨てたと?」

「そうだけど。何かおかしいかい? ベスティア帝国の貴族としては当然のことだと思うが」


 いともあっさりとそう告げるタングの様子に、レイはそれ以上何も言わずに首を振る。

 カバジードという人物のカリスマ性を見た、といってもいいだろう。


(さすがに皇位継承者の最有力候補、か)


 内心でそう思い、これ以上この話を続けても意味はないだろうと判断して改めて口を開く。


「それで、こうして場所を改めてまで話したいというのは一体?」

「うん? ああ、そうだね。正確にはちょっと違うんだけど、私自身が深紅と呼ばれる君と一度会って話してみたかったというのがある。それに、カバジード殿下からも会ってみたらいいと言われていたし」

「……俺に?」


 自分がベスティア帝国ではどのように思われているのかを知っているだけに、皇子……それも第1皇子から会ってみた方がいいと言われたのに驚きの表情を浮かべる。

 だが、そんなレイの様子が面白かったのだろう。タングは笑みを浮かべつつ頷く。


「勿論だ。君は自分がどのように評価されているのかを知るべきだね。……勿論今の君が春の戦争の件もあって、ベスティア帝国内で良く思われていないことは知っている。だが……もしもその後ろにカバジード殿下の姿があるとなれば、その評価は一変するだろう」


 そこまで告げられれば、レイにも目の前の人物が何を目的として自分と話したいと思ったのかが理解出来る。

 つまりは、引き抜き。

 カバジード本人の考えか、あるいはタングの独断か。そのどちらかは分からなかったが、それでも自分の勧誘が目的だったのだろうと。

 今まではダスカーに頼んで貴族からの接触に関しては断っていたのだが、自分を招待した国の第1皇子の関係者からの頼みであった為に、引き受けざるを得なかったのだろう。


「どうかな? 対応に関しては応相談となると思うけど、満足させることは出来ると思うよ? カバジード殿下は能力のある方に対しては取り立てる。……それは私を見れば明らかだろう?」


 自らの兄を蹴り落としてオートス男爵家の当主となった人物の言葉だ。確かに実力重視であるというのは事実なのだろう。

 だが……


「悪いですが、現状誰かに仕えるつもりはありませんので」

「そうなのかい? 決して後悔はさせないだけの条件は持ってきたんだけど。それこそ、君が望むのなら爵位を受けて貴族になるのも難しくはないと思うけど?」

「お話はありがたいですが、生憎自由な冒険者稼業の方が性に合っていますから」


 爵位すらもあっさりと拒否するその言葉に、タングは軽くではあるが驚きに目を見張る。

 まさか自由でいたいという理由で、悩む様子すらなく爵位を蹴ってくるとは思わなかった為だ。

 勿論あっさりと頷くとは思っていなかった。……いや、寧ろ爵位という条件であっさりと頷くのであれば、タングの中でレイの評価は下がっていただろう。

 だが、こうも躊躇なく断ってくるとは思っていなかった。


(これは……ちょっと評価を変える必要があるかな)


 内心でレイに対する評価を一段上げる。

 自分の中にきちんとした価値観を持っている人物であればある程、その能力も高い。それはタングの経験的な法則に近いものだった。

 もっとも、その分能力に癖のある者が多いというものもまた事実だったのだが。 

 その点で考えた場合、レイはその典型的なタイプといってもいい。


「ふむ、そうなると……ならば、こう聞こうか。もし君がベスティア帝国に……いや、カバジード殿下に仕えるとすれば、どのような条件があれば可能だろうか? 君を見る限りでは、金、女、権力といった即物的なものではどうこう出来るようには見えないから、是非聞かせて欲しい」

「……先程も言いましたが、俺は今の生活で十分満足しています」

「それはつまり、どのような条件であったとしてもカバジード殿下に仕えるという選択肢はないと?」


 そこまで告げると、ふと何かを思い出すかのように数秒程目を閉じ、口を開く。


「……そう言えば、君はマジックアイテムを集める趣味があると聞く。そちらから攻めても無駄かな?」


 今度驚愕に襲われたのはレイ。

 確かに自分はマジックアイテムを集めるのを趣味としている。だが、まさかそれを知られているとは思ってもいなかった。

 そもそも、それを知っている者自体がそれ程いないのだから。


(どこから漏れた? テオレームならミレアーナ王国にかなりのスパイを放っている筈だから分かるかもしれないが、まさか第3皇子派のテオレームが情報を漏らすとは考えられない。となると、他の……モーストか?)


 悠久の空亭に泊まっている魔法使いを思い出す。

 実際、レイはモーストにマジックアイテムを売っている店に心当たりがないかどうかを聞いている。だとすればそこから漏れたのか? そうも思ったが、すぐに内心で否定する。


(確かに可能性としては十分にあるが、違う気がする)

 

 無実であるという証拠は一切ない。逆に状況証拠はモーストが第1皇子派の手先である可能性を示していた。

 だが……それでも、レイは半ば勘ではあるがモーストが今回の件に絡んでいる訳ではないと判断する。

 あるいは、それはレイの願望も混ざっていたのかもしれない。

 そんな風に思いつつも、レイはタングに頷きを返す。


「そうですね。確かにマジックアイテムを集めているというのは否定しませんし、カバジード殿下の下につけば楽に得ることが出来るでしょう。ですが、マジックアイテムの収集はあくまでも趣味。その趣味の為に、今の冒険者という自由な暮らしを無くすつもりはありません」


 一旦言葉を切り、タングの方へとじっと視線を向けながら言葉を続ける。


「それに、趣味というのは苦労をしてこそ楽しいものです。例えば、街中を歩き回ってマジックアイテムを探す、ダンジョンの中に潜ってマジックアイテムを探す、依頼を受けて報酬としてマジックアイテムを貰うといった風に。だというのに、単純にマジックアイテムを欲する為にカバジード殿下の部下になり、その結果大量のマジックアイテムを貰ったとしても……」


 そこまで告げ、無言で首を横に振る。

 それでは充実感がない。

 そう言いたいのは、タングにも分かった。

 分かりはしても、それに納得出来るかどうかは話が別だったが。


「趣味というのは、色々と面倒臭いものだね」

「オートス男爵に趣味はないんですか?」


 何気なく尋ねたレイだったが、その言葉に戻ってきたのは苦笑。


「残念ながら貴族の三男坊という立場では、迂闊に趣味を持ったりすれば兄達が私を攻撃する格好の材料になっただろうな。かといって殿下に拾われてからは、仕事仕事でそれどころではなかったし。……しかし趣味、趣味か。確かに貴族なら趣味の1つや2つは持っていた方がいいのかもしれないな」

「そうですね。趣味があれば人生に潤いが出来るというのは良く聞く話ですし」


 人生の潤い。

 その言葉を聞いたタングが、興味深そうにレイへと視線を向ける。


「ほう? 具体的にはどのような趣味があるのか、教えて欲しいな」

「……俺もあまり詳しくはないですが、良く聞くのだと酒の収集とかでしょうか」


 そう告げるレイだったが、それはあくまでもレイのイメージする貴族の趣味だ。

 ただ、幸いなことにベスティア帝国でも酒の収集を趣味とする者はいるようで、タングはその趣味を持っている者を知っているのか、納得するように頷く。


「他にも家具や食器の収集といったものも聞きますね」


 そんな風に、この世界ではなく日本にいた時に漫画や小説、映画といったもので得た貴族の趣味らしい趣味を口にし、タングはそれを興味深く聞くのだった。

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