第614話

 何が起こった? 何故?

 それは、今の試合を見ていた者の多くが感じた疑問だっただろう。

 舞台の外に運び出されていくアナセルを眺めつつ、抱かれた疑問。

 幸い負傷という負傷はなかったが、舞台から外に出てもアナセルが目を覚ますことはなかった。

 怪我であれば瞬時に傷が塞がり、あるいは魔法で眠らされたのならその効果が消えて意識を取り戻しただろう。

 だが、アナセルの場合は純粋な意味での気絶であった為に目が覚めることはなかった。

 運営委員の手によって運び出されていくアナセルの姿を見ながら、観客の多くは何故このような結果になったのか理解出来ていない者の方が多かった。

 それ故に周囲にいる者達と今見た試合に関して言葉を交わす。


「な、なぁ。何であそこまで一方的に攻め込んでいた筈のアナセルが気絶してるんだ?」

「いや、それは胴体に一撃入れられたからだろ?」

「そうじゃなくて! いや、それもそうだけど、何で有利だったアナセルがああもあっさりってことだよ」

「深紅の方が耐え凌いで機会を窺っていたってことじゃないのか?」

「いや、それにしても……」


 そんな観客達だが、長年闘技大会を見ている者、あるいは元冒険者であったり、傭兵、兵士、騎士といった経験のある者の中には、レイのやっていることを見抜いた者も少なからず存在している。


「嘘だろ? 相手の攻撃に合わせて手首に負荷を掛け続けるなんて……いや、確かに一度や二度ならやるのは難しくないさ。けど……」

「ああ。連続して、だ。しかもあの連続攻撃の全てに対して……いや、多分全てに対して、というのが正しいか」

「だろうな。さすがに深紅、と言うべきだろうけど……本当に俺達と同じ人間か?」


 あるいは、その言葉こそがレイの真実を現していたと言ってもいいのかもしれない。

 周囲でそんな元冒険者の話を聞いていた観客達も、ようやくどのような経緯でああなったのかを理解する。

 勿論完全に理解した訳ではない。そこまでを理解出来る者がいるとすれば、それは恐らく相当に腕の立つ人物だろうから。

 それでもレイのやったことが生半可な技量で行うのはまず無理だというのは理解したのだろう。周囲一帯に驚愕の声が広がっていく。

 そして、驚愕は観客席だけではない。寧ろ貴賓席にいる貴族達の方こそがより大きな驚愕を与えられていた。

 貴族というだけあって一般の観客達よりも腕の立つ存在が多く、あるいは護衛も存在しており、それらの者達がレイの行動がどのようなものだったのかを説明したのだ。


「つまり……全ては最初から深紅の手の内の出来事だったということか?」


 つい数分前までは、深紅何するものぞとばかりに上機嫌だった貴族が不愉快そうに尋ねる。

 自分の見る目のなさを証明したということもあるし、それを周囲に見せていた為に恥を掻いたという理由もあった。

 だが何よりも貴族の男を不機嫌にさせていた理由は、ベスティア帝国の怨敵とすら呼べる存在になった深紅がその噂通りの実力を持っていたことだろう。

 近接戦闘と魔法。そのどちらかが苦手だというのであれば、まだ対処も出来る。

 実際、その両方を得意としている人物は少なく、だからこそ深紅も……そう思ったのだが、その考えは楽観的にも程がある予想だった。


「そもそも、深紅は春の戦争でも自らあの大鎌を使って近接戦闘を行っていたという報告があっただろうに。自分の願望と予想を同一視する者はこれだからな……」

「そう言うな。戦闘にある程度以上秀でた者であればまだしも、そうでなければ奴の実力を見抜くのは難しいのは事実だ。いつも宮廷で勢力争いをしているような奴等に深紅の危険性を理解させただけでも良しとしておくさ」


 不愉快になっている貴族と、それに同意するように頷いている貴族達から少し離れた場所にいる数人の貴族達が言葉を交わす。

 口調自体は穏やかだが、そこに存在しているのは軽蔑の色。

 実戦を知らないからこそ、ああしてお気楽にしていられるのだろうと。そして、お気楽な貴族であってもせめて深紅の危険性の一端でも理解出来たのだから、良しとしようと。


 そんな風に言葉を交わしている間に、次の試合の準備が始まる。

 舞台の方から聞こえてくる実況の声に、その場にいる者達の視線は再びそちらへと向けられるのだった。






「……よし」


 自分の試合が終わり闘技場の中を歩いていたレイは、周囲に誰もいないのを確認して呟く。

 その口調には満足の色が強く出ており、周囲の観客達には試合で手こずったように見えていたということや、それに関係して自分の評価が若干だが下がり掛けていたというのは全く気にしていないように見えた。

 いや、事実レイにしてみればベスティア帝国の人間が自分に対してどのような評価をしようとも特に気にはならない。

 ヴィヘラを始めとした顔見知りの者達が関係していれば話は別だろうが、有象無象がどう思っても全く気にはならなかった。

 寧ろ自分の評価が低くなれば、闘技大会に関しての賭けで自分に賭けた時に貰える金額がより大きくなるとすら考えている。

 今はそんな細かいことよりも、少しでも技量を上げることに集中する必要があるというのがレイの考えだった。

 実際、張り出されたトーナメント表を見る限りでは決勝までいかないとレイとノイズの戦いはない。

 そして参加人数が128人である以上、決勝まで勝ち残るには、後5回勝ち残らなければならなかった。


(いや、正確には後5回しか戦いがないということか)


 勿論日々の訓練を疎かにしてきた訳では無い。だが、やはり実際の戦闘と訓練では得られる経験が大きく違うのも事実だ。

 ……もっとも、この場合は闘技大会である為にあくまで試合。命の危険は古代魔法文明の遺産によって極めて少ないので、とても実戦とは言えないものなのだが。


(それでも……ノイズと当たるまでに力を付けておく必要はある。その為に、他の奴等にもアナセル同様に俺の糧になって貰うぞ。……悪く思うなよ、ロドス、ヴェイキュル)


 内心で呟くレイ。

 トーナメント表通りに進めば、3回戦でロドス、その次でヴェイキュルと戦うことになるだろう。

 その2人がそこまで勝ち進んでくればの話だが。


(ロドスはともかく、ヴェイキュルは厳しいかもしれないな)


 元々が盗賊であるヴェイキュルは、純粋な戦闘力自体はそれ程高くない。

 盗賊特有の身軽さを活かして振るわれる短剣の連続攻撃は確かに脅威だが、それでもレイが戦ったアナセルの剣舞を見た後では物足りなさを感じるだろう。

 そこまで考え、ふと気が付く。

 自分の試合が終わったのだから、ロドスの試合が始まるのもそう遠くないだろう、と。


「そうだな、試合は見ておくか。賭けで勝った分も回収しておく必要があるし」


 言うまでもなく、レイは今回の試合でもエルクに頼んで自分に賭けている。予選の時とは違い自分が深紅であるというのは周囲に大きく喧伝されたのだから、オッズはかなり低くなっている。それでもベスティア帝国の不倶戴天の敵ということで、応援の意味や、あるいはレイに対する恨みから対戦相手に賭ける者も少なくない。

 その結果、予選の時程ではないが賭けが成立する程度の状況にはなっていた。


「……まぁ、ノイズの場合はまず賭けが成立しないんだろうけどな」


 世界に3人しか存在しないランクSの冒険者だ。賭けをやったとしても、皆が皆ノイズに賭けてまともな賭けにはならないだろう。そんな風に考えつつ、レイはダスカー達がいる貴賓室へと向かって歩を進めるのだった。






 貴賓室に入ってきたレイは、その瞬間に部屋の中にいた者達の視線を一身に浴びせられる。

 その視線には驚愕という感情が一番多く含まれていた。

 もっとも、中には当然の如く敵意の類も存在していたが。

 ここは貴賓用の観客席だが、別に一国だけしか集まっていない訳ではない。

 予選の時はまだ貴族の数も少なかったので、他国の者達だけで集めることが出来ていた。だが、本戦ともなれば皇帝やその一族が直々に見学に来るのだ。

 そうなれば、ベスティア帝国の貴族としては余程の理由がない限りは自分達も闘技場に来ない訳にはいかず、当然貴賓用の観客席も足りなくなる。

 その結果、他国から来た招待客とベスティア帝国の貴族が同じ貴賓室で闘技大会を見ることになり、ベスティア帝国の貴族の中にはレイに対して色々と思うところがある者も多かった。

 これがある程度以上の爵位がある貴族であれば、個室を使うことも出来るのだが。


(ま、いつも通りだけどな)


 自分に向けられる視線を受け流し、ダスカーやエルク、ミンのいる一画へと向かう。

 どうせいつものように他の者達は誰もいないだろう。そんな風に思っていたのだが、予想外なことにダスカーの近くには見覚えのない1人の姿があった。

 それもかなり質の良い服を着ており、恐らくは貴族の使いではなく貴族本人だろう。そう思わせる出で立ちで。


「ん? おお、レイ。戻ったか。今日もお前のおかげで稼がせて貰ったぞ。試合展開は色々と玄人好みのものだったが」


 近づいてくるレイに気が付いたのだろう。ダスカーが嬉しそうな笑みを浮かべて手を上げる。


「そうですか、勝てたようで何よりです。それで、こちらは……?」


 言葉を返しつつ、見覚えのない貴族の方に視線を向けるレイ。

 その視線を受け取ったのだろう。その貴族はにこやかな笑みを浮かべ、口を開く。


「やぁ、初めましてだな。君の噂は前から色々と聞いているよ。私はタング・オートス。一応これでも男爵の称号を持っている」

「オートス男爵ですか。初めまして、レイといいます」


 自己紹介をしながら頭を下げるレイ。

 その際にタングがどのような人物なのかを確認するが、恐らくはまだ20代半ば、あるいは前半といってもいいだろう。

 その年齢で既に男爵とはいえ爵位を持っているということは、目の前にいるタングという人物が有能な人物であるということの証明だった。


「オートス男爵はお前に用があって来たんだ。今のお前は別に俺に雇われている訳じゃないが、少し話してみたらどうだ?」


 ダスカーのその言葉に、内心では微妙に嫌な感じがするレイ。

 深紅というネームバリューはかなりのものがあり、予選の終了後にはダスカーを通じて面識を持とうとする者が出てきた。

 無論、そんなのは面倒臭いと基本的に断っていたレイだったが、色々と恩のあるダスカーにこう言われては断る訳にもいかない。

 また貴族との面会を嫌っていたレイに対し、敢えて話してみたらどうだと言っているのを考えれば、恐らく何か特別な事情があるのだろうという思いもあった。


「そうですか、分かりました。幸い、ロドスの試合はまだのようですしね」


 視線を舞台の方へと向けて告げるレイ。

 現在は手甲を填めた拳を武器とする男と、槍を持った女が戦いを繰り広げていた。

 見た感じでは槍を持つ女がそのリーチの差を活かして有利に戦いを進めているように見える。


「では、そうだね。ここだと色々とあるだろうし、他の部屋に行こうか。ちょっとした部屋を用意してあるから」

「部屋、ですか。……分かりました。では、そうしましょうか」


 レイが承諾したのを見て、タングはそのまま貴賓室を出て行く。

 その際にレイが驚いたのは、部屋の中で自分に憎悪の視線を向けていてたベスティア帝国の貴族と思われる者がタングに小さく目礼をしていたことだった。


(つまり、この男は男爵は男爵でもベスティア帝国の貴族だってことか?)


 あるいは他国の貴族の中でも、ダスカーのように大物の貴族なのかもしれない。

 そうも思うが、基本的に招待されているのは周辺諸国の貴族が多いのだと思い出すと、やはりベスティア帝国の貴族という可能性が一番高いのも事実だった。

 そのままお互いに無言で通路を進み続けていると、不意に聞こえてくる歓声。

 恐らく先程の戦いに何か動きがあったのだろうと思いつつも、今はそれに注意を向けることが出来ずにレイは男の後をついていく。

 だが、歓声が気になったのは男も同じだったのだろう。一瞬だけ声の聞こえきた方へと視線を向けると口を開く。


「悪いね。君も試合が気になるんだろ?」

「そうですね。知り合いの試合もあるので」


 ロドスやヴェイキュルの試合に関しては、本戦に出場している参加者の技量を見る限り楽勝とはいかないだろう。

 それがアナセルと戦ったレイの感想だった。

 アナセルと同程度の強さの者と当たった場合、ロドスは良くて五分五分。ヴェイキュルはかなり勝率が低いというのがレイの予想だったからだ。

 あるいは、戦闘中にその強さを伸ばすことが出来れば……そんな風に考えていると、やがて自分の前を歩いていたタングがとある部屋の前で歩みを止めたのを確認する。


「さ、ここだ。入ってくれ。一応ここからも試合は見ることが出来るから」


 そう告げ、部屋の扉を開けるのだった。

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