第608話
「うわぁ……物凄い人だね」
無数のざわめきが響き渡る中、ふとそんな声がレイの耳に聞こえてくる。
そちらへと視線を向けると、そこでは心底感心したと言わんばかりにヴェイキュルが周囲を見回していた。
普段であればそんな真似をしていれば非常に目立つのだろうが、今は他にも同じような真似をしている者が大勢いる。
それ故に殆ど目立たないで済んでいた。
もっとも、客席から見ている者達……特に貴賓席にいるだろう貴族の観客達の目には目立って見えているのかもしれないが。
そう、現在レイ達がいるのは闘技場の中心部分に存在している舞台の上。
そこに、予選20ブロックを勝ち抜いた本戦参加者達が勢揃いしているのだ。
(人数が60人どころじゃなくて100人くらいまで増えているのは、恐らく貴族とかの後援を受けている奴だろうな。色々と見覚えのない奴も多いし)
内心で呟くレイだったが、勿論全ての予選を見ていた訳ではない。
だがそれでも、試合を見ており一目見て強いと分かる相手であれば、さすがに忘れるようなこともないだろう。
「さすがに予選を通過した人達ですね。どの人も一筋縄ではいかないような人達に見えます」
「だろうな」
ヴェイキュルが近くにいるということは、当然他の風竜の牙のメンバーも近くにいる訳で、モーストが溜息を吐きながら言葉を呟く。
本戦からはトーナメント形式。即ち一対一の戦いになるのだ。純粋な魔法使いタイプであるモーストにしてみれば、一回戦を勝ち抜くのすら難しいと思える厳しさだ。
「落ち着けって。ほら、魔法使いは他にもいるからよ」
落ち込みそうになるモーストの背中を思い切り叩くルズィ。
ただでさえ大きい武器でもあるクレイモアだが、ルズィの使っているクレイモアは普通の物よりも更に大きい。
そんな物を振り回している腕力で背中を叩かれれば、当然魔法使いのモーストとしては耐えきれずに前の方へとつんのめり……そして全く見知らぬ誰かへとぶつかる。
「……気をつけろ」
ボソリと呟かれたその声の持ち主は、顔に幾つもの傷跡が残っている歴戦の戦士といった風体の男だった。
無駄口は好まないとばかりに一言だけ口を開くと、そのまま前の方へと向き直る。
「あ、す、すいません」
勢いよく頭を下げたモーストは、すぐに自分の後ろで面白そうな笑みを浮かべているルズィを睨み付ける。
「僕をルズィみたいな馬鹿力の持ち主と一緒にしないでくださいよね!」
「はっはっは。悪い悪い。けど、幾ら強そうな相手だとしても、俺達だって本戦出場者なんだ。言ってみれば同格だろ」
ルズィの口から出た言葉が聞こえたのだろう。周囲にいる他の本戦出場者達からの強い威圧を込めた視線が向けられる。
あたかも、自分達をお前達のような奴等と一緒にするな。そう無言で告げるかのように。
普通であれば、恐らくその視線に萎縮しただろう。……だが、幸か不幸かルズィはとても普通とは言えないような性格をしていた。
もっとも、ベスティア帝国で年に一度しか開かれない、国を挙げての闘技大会で予選を突破して本戦に出場したのだ。その実績だけを考えても、とても普通であるとはいえないだろう。
事実、自分に向けられる視線に気が付きつつも、ルズィは鼻で笑って気にした様子も無く口を開く。
「にしても、わざわざ開会式だけで一日潰すってのはどうなんだろうな。どうせならこのまま一回戦を始めてしまえばいいのによ。ただでさえこれだけ人数がいるんだから、時間が掛かるのは分かりきってるだろうに」
「……確かに」
同意するように呟くレイ。
本戦参加者の正確な人数は分からなかったが、それでもこうして見る限りでは100人を超えているのは事実だ。
本戦がトーナメント形式である以上、一回戦だけで50試合は行われることになる。
その試合にしても、参加者が本戦に参加している実力者である以上はすぐに決着がつかないものも多いだろう。
一回戦だけで最低でも数日……下手をすれば一週間以上掛かるのではないかというのが、レイの予想だった。
(まぁ、一番時間の掛かる一回戦が終わってしまえば、それ以降はどんどん試合数が少なくなっていくんだけど。……総当たり戦とかじゃなくて良かったと言うべきか)
もし100人を超える人数で総当たり戦を行ったりしたら、確かに運の要素は殆ど排除された純粋な実力でそれぞれの順位を決めることが出来るだろう。だが、それと比例するように闘技大会が終了するまでの時間が延びるのも事実であり、正直レイとしてはそれは遠慮したいことだった。
(もっとも、その辺を考えていないとは思えないけどな)
そんな風にレイが考えていると、不意に闘技場内に声が響く。
『皆、静まれ! ベスティア帝国皇帝、トラジスト・グノース・ベスティア陛下の御出座である!』
響き渡った声は、予選の時に実況をしていた人物が使っていたのと同じ仕掛けを使っているのだろう。
だが、その声の主の威厳は実況の人物とは比ぶべくもない程に威厳に満ちている。
そう。皇帝本人ではなく、その部下であろう貴族、あるいはただの侍従と思われる人物の声にも関わらず、それ程の威厳が込められていたのだ。
(さすがに最大級の力を持つ国家のトップ達って訳か)
内心で呟くレイ。
『本来であれば跪いて皇帝陛下をお迎えするのだが、この場にはベスティア帝国以外の者も大勢おり、更にはこの場は闘技大会の開会式だ。よってそのままの体勢で皇帝陛下の御言葉を拝聴するように』
その声に従い、舞台の上にいる全員が整列する。
視線が向けられているのは、皇帝専用の観客席。
そこに1人の人物が姿を現す。
『皆の者、ご苦労。今年もまた血湧き肉躍る戦いを見ることが出来て嬉しく思う。この闘技大会で必要なのは身分や金、権力といったものではない。力だ。全てを倒した者こそが、闘技大会の頂点に立つ。……しかし、今年の闘技大会は少し事情が違う。力というものを理解出来ていない者が多かれ少なかれ存在する。それが証明されたのが、春に起きた戦争だろう』
自国の負け戦を、皇帝が認める。
そのことを意外に思いつつ、レイの視線も他の参加者達と同じく言葉を発している皇帝へと向けられていた。
自分が敵対した国の皇帝。自分に想いを寄せているヴィヘラの父親。色々な思いがありつつも、向けられたその視線に映し出された男の印象は獅子だった。
鬣のような髪の毛が余程にそう見えるのだろう。
本来であればレイの知っている獅子というのは、基本的に雄は何もしないことが多い。獲物を仕留めて餌を獲ってくるのも雌がやっており、どちらかと言えば怠け者に近いといってもいい。
だが、レイの視線の先にいる獅子は違う。年齢こそ老齢に入っているようだが、その体躯には些かの衰えも存在せず、皇帝という立場にありながら十分以上に鍛えているのは遠くから見ただけでも理解出来た。
そして何より、見ているだけで圧倒されるような威圧感。
レイ自身は数日前にランクS冒険者のノイズという化け物を前にしていた為か、圧倒されるような感じはしても身動きが出来ない程ではない。
だが、それ以外の者達……特にベスティア帝国以外の参加者達は、ただただ声の主に圧倒されていた。
そう。レイの知っている獅子ではなく、百獣の王としての獅子。それこそが、レイの視線の先にいるベスティア帝国の皇帝、トラジスト・グノース・ベスティアという人物だった。
(これは……さすがに色々と予想外だったな。いや、ベスティア帝国程の強国を率いている男だ。ある意味これ程の威風があって当然か)
圧迫感を受けつつも、殆ど動揺せずに話の続きを聞く。
『確かにあの戦争では、我が軍が負けた。だが、それもまた力が足りなかったからであり、ミレアーナ王国に強き力が存在したからこその結果である』
呟きつつ、視線を動かす皇帝。
その視線が向けられる先は、たった今自分が口にした強き力。即ち、深紅と呼ばれている男……レイだった。
(ほう)
視線を真っ正面から受け止め、何ら臆した様子すら見せずに見返してくる。
レイが行ったのはそれだけだったが、それでも皇帝は内心で称賛した。
自分が周囲に放っている重圧がどれ程のものかを理解しているからこそだ。
(だが……この後もそのままの態度でいられるか?)
軽い愉悦すら感じながら、皇帝は口を開く。
『そう、力。つまり我が帝国軍には力が足りなかった。ならばどうする? 簡単なことだ。その力を得るべく必死になればいい。壁に挑戦せよ。乗り越え、破壊し、あるいは避けるだけでもいい。だが、決してその壁の前で動きを止めるな。その為の壁は余が用意した』
一旦止まる言葉。
同時に、皇帝の横に1人の人物が進み出る。
ザワリ。
その人物……1人の男を見た瞬間、皇帝の前だというのにその男が誰かを知っている者が思わずざわめきの声を上げた。
もしもここが謁見の間であったりすれば、非難されて当然の行動。
だが……皇帝の横にいる人物は、それ程の衝撃を与える人物だった。
後日、数人の貴族がこの開会式が謁見の間で行われなくて良かったと語った程の衝撃。
ベスティア帝国に所属しながら、それでいて姿を現しただけで皇帝に勝るとも劣らぬ程の強い衝撃を周囲に与える人物。即ち……
『ベスティア帝国が世界に誇る冒険者。世界で3人しか存在していない、不動の異名を持つランクS冒険者、ノイズ。余はベスティア帝国皇帝の名の下に、この者を本戦の参加者として推薦する』
轟!
皇帝の言葉と共に、それ程の衝撃が闘技場の中を駆け巡る。
観客達は喜びの声を上げ、闘技大会の本戦参加者達ですらも自分達の対戦相手になるかもしれないというのに、同様の声を上げている者が多い。
だが……そんな中でも、少数の人員のみは喜びは喜びでも強敵に出会えた喜び、獰猛な笑みといったものを浮かべていた。
相手は文字通りの意味で世界の頂点に立つ存在。自らの力がどこまで届くのかを試してみたいと。
そんな数少ない人物の中には、当然レイの姿もあった。
(あの男に……勝つ)
ブワリ、とレイから巻き上がる殺気……いや、純然たる闘気とでも呼ぶべき何か。
殺すのではなく、勝ちたい。そう思ったからこそ、殺気ではなく闘気とも呼ぶべきものがレイの身体から放たれる。
周囲の参加者達が思わず数歩退いてしまう程の闘気を発しているレイに気が付いたのだろう。貴賓室で皇帝の横に立っていたノイズがレイの方へと視線を向ける。
微かに歪む唇。
自分に勝てるつもりなら勝ち上がってこい。無言でそう告げているノイズの態度に、レイもまたやる気を漲らせる。
そして、ノイズというこの国の頂点にいるだろう1人へと挑もうと考えているのはレイだけではなかった。
100人を超える参加者の中のほんの一握りが、レイに呼応するかのように同様の気配を発する。
無言でそんなやり取りをしている中で、皇帝に促されてノイズが口を開く。
『中々に元気がいいのが揃っているようで何よりだ。だが、ランクSという地位にある以上、そう簡単には負けてやる訳にもいかん。俺を本気で倒すつもりがあるのなら、文字通りの意味で死ぬ気で掛かってこい。誰が相手でも、俺はその挑戦を受けよう』
闘技場内に響くノイズの声。
静かではあるが、不思議とどこか深いものを感じさせるその声に、闘技場の中は一瞬だけ静まり返った後で爆発するような歓声が巻き起こる。
下手をしたら皇帝すら上回るだろうカリスマ性。
勿論そのカリスマ性というのは、ランクSという確固とした立場と実力、実績があるからこそのものだ。
それでも、皇帝に負けない程のカリスマを発揮するノイズの様子に、周囲の者は引き込まれ、魅了され、憧れを抱く。
ここにいるのは、皆が闘技大会での優勝を狙って来た者達だ。だが、そんな者達ですらもノイズという存在を目にした時には、自分の優勝よりもランクSの伝説と言ってもいいような相手と会えたことを喜ぶ。
その異常な事態を理解しつつ、レイもまた身体の中で燃える闘争心を自覚する。
「なるほど、確かに凄い……な。俺も負けてはいられないか」
呟き、手を握りしめる。
そんなレイの声を聞いたロドスが、我を取り戻す。
自分が周囲の熱気に当てられていたのを理解したのだ。
(俺は……何を? そう、俺だってこの闘技大会に優勝する為に来たんじゃないか。なのに……)
ノイズという存在に圧倒されたというのは事実だったが、それでも我を取り戻したロドスは、改めて自らが成すべきことを思い浮かべる。
そう、自分は……万に一つの可能性に賭けて闘技大会に出場するのだから、と。
こうして、ノイズという存在に驚きつつも闘技大会の開会式は進んでいき、その日は帝都中でこの開会式の様子が、そして数日後に始まる闘技大会本戦について語られることになるのだった。
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