第607話

 帝都にある屋敷の一室。その中で、2人の男女がお互いにこれからのことを相談していた。


「さて、取りあえず目標は外を出歩くようになったし、大分油断もしてきているように見えるけど……」

「そうだな。傍から見れば油断しているようには見えるかもしれない」


 意味ありげにお互いに視線を交わすのは、鎮魂の鐘のメンバーでもあるムーラとシストイ。

 以前ダスカー一行を襲ってからも、その後を追うようにしてついてきており、今は帝都で獲物に牙を突き立てる準備を整えていた。


「気が緩んだってことで、他の組織も襲撃を考えているみたいだけど……どうでしょうね」

「確かに普通なら闘技大会の予選も終わって、本戦が始まるまでの時間で気が抜けているところを狙うってのはおかしい話じゃない」


 そう告げるシストイの表情には、気にくわないという色が浮かぶ。

 そんな相棒を眺めつつ、ムーラはテーブルの上に用意してあった一口程の大きさの果実を口へと放り込む。

 柔らかな甘みの中に、微かな酸味と渋み。その癖になる味に笑みを浮かべつつ、口を開く。


「今の状態が気にくわないの?」

「ああ。多分今襲い掛かっても向こうには勝てない。どんな理由かは分からないが、それでも何らかの手を打っているのは間違いないと思う。特に昨日出掛けた時から気配に物凄く鋭敏になっている。……恐らく俺達が見失った時に襲われたんだろうな」

「見覚えのない男と一緒に消えたんだっけ? 恐らく、その男がどこかの組織の手の者だったんでしょうね」


 余計な真似をしてくれた、とばかりに溜息を吐くムーラ。

 ムーラにしても、あるいは勘の鋭いシストイにしても、まさかレイが遭遇したのがベスティア帝国における唯一のランクS冒険者であるノイズの変装した姿だったとは思いも寄らなかったのだろう。

 そして、レイが容易に勝てないと判断した相手でもあり、その結果レイの気配が鋭くなっているということも。

 前日に引き続き、今日もまたレイが宿から外に出歩いているという報告は監視の者から入っている。

 普通に考えれば、本戦出場が決まったことにより浮かれていると判断してもいいだろう。

 だが……今のシストイにしてみれば、それは自らを囮にして敵を誘き寄せているようにしか思えなかった。

 少しでも自らに危機を感じさせ、より鋭くその牙を研ぐ為の獲物を探す為に。

 深紅という人物の正確な風貌が明らかになった現在、その命を狙っている者の数は優に数十を超えていた。

 勿論その全てが自分達のような組織ではなく、個人で狙っているような者もいる。

 レイにしてみれば邪魔でしかないそんな相手を、自らを鍛える為の餌とするというのは、一石二鳥に近い考えなのだろうと。


「……じゃあ、どうする? 上からはまだ何も言ってきていないけど、恐らく依頼主からは間違いなくせっつかれている筈よ?」


 鎮魂の鐘としては、ムーラとシストイの2人はこれまで仕事の失敗を殆どしたことがないだけに、信頼している。

 今手を出さないのは何らかの理由があるのだろうと。

 実際にそれだけの実績を築き上げてきたからこその行動だったが、現在のレイの命を狙うべく周囲にいる多くの組織や個人を見る限りでは間違いなく依頼主はやきもきしており、早く深紅を仕留めろとせっつかれている筈だ。


「けど、深紅を相手に無茶を言わないで欲しいんだけどね。有象無象は向こうの体力を消費させて向こうの戦力を測るって意味ではちょうどいい駒なんだし。私の人形を使わなくてもいいんだから、寧ろ今の状況はこっちにとって有利だと思うんだけどね」

「それでも、依頼主としては気が気ではないんだろう。自分達の憎き仇でもある深紅が他の奴等に殺されるというのは……な」


 ムーラの前にある皿へと手を伸ばし、果実を数個程自分の口に放り込む。


「ちょっと、これは私のなんだけど」

「少しくらいいいだろ」

「……しょうがないわね。それにしても、何でそこまで急がせるのかしら。どうせ深紅が死ぬのなら、誰の手に掛かって死んでもいいじゃない」


 シストイへの抗議を口にし、恨みがましい視線を向けつつも不思議そうに口にする。

 そんなムーラの様子に笑みを浮かべていたシストイは、それ以上果実を奪うのを諦めて口を開く。


「それこそ、自分達が雇った手の者が深紅を殺すということに意味があるんだろうな。もしも他の組織の者に先を越されたら、それは自分達で仇討ちを出来なかったということになるし」

「死んだら死んだでいいと思うんだけどね」


 愁いを帯びた眼差しのムーラが、部屋の窓から外を見る。

 裏社会でも有数の腕利き組織として有名な鎮魂の鐘に所属するムーラは、自分の腕や相棒でもあるシストイの腕には自信がある。

 だが、もし自分達以外の存在が深紅を殺してくれるというのなら、寧ろそれは自分達にとっては願ったり叶ったりなのだ。

 幾度か見た深紅の戦闘能力。シストイと2人で挑むのなら決して負けるとは思えないし、思いたくもないが、それでも驚異的な能力を持っているのは事実だった。

 闘技大会の予選でも一応念の為と見学に行ったが、その時に見せた炎の魔法に関しても驚かざるを得ないだけの力を見せている。

 ルール上かなり手加減された魔法だったのは事実だが、それでも深紅がどのような魔法を使うのか、というのはその目にすることが出来た。

 炎の球が爆散して無数の小さな炎の球になって広範囲を攻撃する魔法。

 炎の矢を大量に出現させ、それで周囲を一掃するという魔法。

 共に広範囲を攻撃する魔法であるが、恐らくそれは闘技大会の予選であったからこそだろう。

 もっとも、深紅という名前が知れ渡ったのは炎の竜巻の件からだ。つまり、元々広範囲魔法が得意なのだろうというのは予想出来ていた。


「まぁ、少なからず向こうの手の内は分かったから良しとしておきましょうか。それに……」

 

 ムーラの視線が向けられたのは、テーブルの上にある果実……ではなく、革袋。

 そもそも、ムーラが食べている果実は帝都ではそれなりに高級品であり、ムーラ達の稼ぎでは絶対に買えない……とまではいかないが、それでもある程度の出費を覚悟しなければならないものだ。

 だがそれを買うことが出来たのは、革袋の中に入っている金貨や銀貨があるから。

 その金貨や銀貨をどこで手に入れたのかといえば、予選で深紅……いや、レイに賭けて勝った賞金である。

 そう。予選を見に行ったついでに、絶対に勝つと分かっている勝負だと知っているムーラはレイに賭けたのだ。

 勿論、レイやダスカー一行がやったように大金を賭けた訳ではない。

 そこまですればダスカー一行に自分達の存在に気が付かれるかもしれないので、あくまでも普通の人間が賭ける程度の金額だった。

 だが、レイだけに一点賭けした結果、その金額は大きく跳ね上がることになる。

 その結果が現在ムーラの目の前にある果実であったり、その近くに置かれている革袋であった。


「私達に利益をもたらしてくれたし。それを考えれば、今は手を出さないでおいてあげましょ。他の人達が私達の代わりに向こうの戦力を減らしてくれればそれでいいし」

「……もし他の奴等に深紅の首やラルクス辺境伯の首を獲られたら?」

「それこそ有り得ないでしょ。……ま、もしそうなったらそうなったでいいんじゃない? 向こうが何と言おうと、私達がやるべきは深紅とラルクス辺境伯の命を奪うことなんだから」


 小さく笑みを浮かべたムーラはそう告げ、再び果実へと手を伸ばすのだった。






「なぁ、どこに行くんだよ?」


 街中を歩きながらレイへと尋ねるのは、クレイモアを背負ったルズィ。

 その隣にはヴェイキュルとモーストという、ルズィとパーティを組んでいる風竜の牙の他のメンバーの姿もある。 

 そしてロドスもまた、どこか呆れた表情を浮かべながら一行の後ろをついてきていた。

 レイの弟子一同とも呼べる一団だけに、それなりに目立つ。

 レイ自身はドラゴンローブのフードを被っているおかげで正体が周囲に知られてはいないが、それでも見る者が見ればレイ以外の者達全てが闘技大会の予選を勝ち抜いた人物であることは見て取れる。

 そんな人物と一緒にいるのだから、当然フードを被っている正体不明の人物――レイ――も何らかの関係者であるというのは、帝都の住人にしてみれば明らかだった。


「おいおい、あれって確か……」

「ああ。全員闘技大会の本戦出場者だ。……ん? あのローブを着ている小さいのは分からないな」

「あいつらと一緒にいるってことは、多分本戦出場者で間違いないと思うけど……あんなのいたかな?」

「Gブロックでいなかったっけ?」

「いや、確かにローブを被ってたのが勝ち残ってたけど、かなり背が大きかったと思う」

「うーん……そうなると……」

「……え? あれ?」

「ん? どうした? 何か覚えがあるのか?」

「いや、俺の知ってる限りだと本戦出場者であんな小さな奴は……いや、きっと気のせいだよな。うん、絶対に気のせいだ」


 この時期だからこそ、闘技大会に詳しい者達が大勢おり、だからこそレイの正体に気が付きかける者も出てくる。

 そんな声をローブの中で聞きながらも、微かに眉を顰めてその場を通り過ぎていく。

 この場で自分の正体が知られたりしたら、まず間違いなく騒動に巻き込まれるのは確定だった為だ。

 だが、本戦出場者がここまで固まっていれば周囲の者達に注目を浴びない筈もなく、結局は目的地に到着するまで注目を浴び続けることになる。






「ここだ」

「ここは?」


 視線を浴び続けながら到着した場所は、帝都の外れにある場所。

 城壁の近くにあり、周囲に人の姿は殆どない。

 勿論完全に無人という訳ではないが、それでも街中を出歩いていた時に比べると圧倒的に人の目は少ない。

 同時に、かつては何か大きな建物があったと思しき跡地であり、地面には秋であることを示すかのようにススキのような草が生えている。


「訓練するにしても、予選の時ならともかく本戦が始まるとなれば色々な手段を使ってくる奴もいるしな。それに、こっちの戦闘方法を分析しようとする者もいるだろ。それを防ぐ為に、宿の人間から教えて貰ったんだ」


 そんなレイの言葉に、皆が納得の表情を浮かべる。

 確かにこれからの闘技大会の本戦はトーナメント形式となる。つまり予選のバトルロイヤルとは違い、対戦相手の情報を集中して集めることが出来るし、必要になってくる。

 情報は力。それは地球でもエルジィンでも変わらないのだから。


「だからこそここで訓練をしようと思った訳だ。……まぁ、俺達同士が当たらないとも限らないから、秘密にしておきいたい技とかがあったらそれは使わない方がいいと思うけどな」

「ふーん、にしても意外だな。あの宿ってそういうのまで面倒見てくれるのか」


 レイの言葉を聞いていたルズィの言葉に、他の面々も同意するように頷く。


「伊達に帝都の中でも最高の宿って言われてる訳じゃないんだろ。俺としてはこんな場所を用意してくれただけでありがたいけどな」


 普通、人が殆どいない場所となればスラムの類が真っ先に思い浮かぶだろう。だが、ここはスラムですらもない。その為、ちょっかいを掛けてくる者が殆どいないのだ。


「さて、訓練を始めるか。……悪いが、今日は俺もちょっと本気で訓練したい気分なんだ」

「うげぇ」


 レイの言葉に、心底嫌そうな声を上げたのはルズィ。

 風竜の牙の中ではもっとも有望だからこそ、レイの訓練に付き合わされることも多い。

 だというのに今まで以上に本気で訓練をするというのだから、ルズィにしてみれば闘技大会の本戦が行われる前に自分が疲労で脱落するのではないかという、末恐ろしい想像が脳裏を過ぎる。


「何だってそんなに急にやる気になってるんですか?」


 自分達のリーダーがそんな目に遭うのは可哀相……という訳ではなく、寧ろ純粋に疑問に思ったモーストがレイに尋ねる。

 モーストにしてみれば、レイに鍛えられれば鍛えられただけルズィは強くなり、闘技大会は勿論、これから依頼を受ける時にも風竜の牙の総合的な実力が上がるのだから、文句を言うつもりは全くない。

 寧ろもっとやって欲しいというのが正直な気持ちだった。

 そんなモーストの言葉に、他の者達もまた同様に不思議そうな視線をレイへと向ける。


「そうだな……ちょっと分かりやすく言えば……壁が現れたから、だな」


 誰に言うともなく呟く。

 その脳裏を過ぎっているのは、世界で3人しか存在しないと言われているランクS冒険者のノイズ。

 直接戦った訳ではない。ただ話しただけ。それにも関わらず、背筋が凍るような畏怖と恐怖を自らに染みこませた相手。

 もしあの相手と戦うことになった時……自分は勝てるか? そう自問自答するものの、決して勝てるとは言い切れない自分がいる。

 だからこそ……今は少しでも力を高め、いざという時に備える必要があった。

 もしヴィヘラ達が行動を起こした時、もしかしたらノイズの前に立ち塞がるのは自分の役目なのかもしれないのだから。

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