第609話
「レイ、悪いがちょっと付き合ってくれないか」
闘技大会の開会式が終了し、悠久の空亭に戻ってきたロドスがレイへと声を掛ける。
普段であればどんな用件だと聞いたのだろうが、今のロドスの様子を見れば、何を期待してのことかは明らかだった。
そう、ランクS冒険者という存在に対して闘争心を抱いているのはレイだけではないのだ。
その証だとでもいうように、ロドスの目の奥には隠そうとしても隠しきれない程の闘争心が存在している。
そして、闘争心を抱いているという意味ではレイもまた同様だった。
故に……
「ああ、構わない。ただ、ちょっとセトのところに寄っていくけど、その後でもよければな」
一瞬の躊躇いもなくそう告げ、レイはロドスと共にダスカーやエルクに一言告げて宿を出る。
その目指す場所は、数日前に風竜の牙の面々と共に訓練を行った場所だ。
やる気に満ちている今、宿の中庭で戦うようなことをすれば自分達の偵察云々という話ではなく、中庭自体に被害が出かねなかった為だ。
そんな2人の後ろ姿を窓から見送るのはミン。
どこか心配そうな……それでいて嬉しそうな表情を浮かべている。
もっともその心配の殆どが向いているのは、息子であるロドスなのだろうが。
「心配するなって。別に悪いことをしにいく訳じゃないんだしな」
ミンの背に声が掛けられる。声のした方へ振り向くと、そこにいたのは自分の夫でもあるエルク。
「分かっているんだけどね。何だかんだいっても、あの子はやるべきことはやる子だ。だが……だからこそ、一つのことにのめり込みすぎて、他が疎かになることもある」
「ふふん、女に熱中する……か。まぁ、あのくらいの年齢なら不思議なことじゃないけどな」
「……エルク、一応私は真面目な話をしているんだが?」
どこか茶化すようなエルクの言葉に、ミンは手に持っていた杖を持ち上げる。
そんなミンの様子に小さく肩を竦めたエルクだったが、やがてその顔には獰猛な笑みが浮かぶ。
「何だかんだ言っても、俺としては随分とロドスやレイが羨ましいけどな。ランクS……不動の異名を持つノイズを相手に戦いを挑めるかもしれないんだから」
不動。それがベスティア帝国における、最高の冒険者ノイズの異名だった。
常勝不敗。誰と戦っても負けることはなく、常に勝ち続け勝者の座から動かすことが出来ないことからついた異名。
「まさかあのノイズが……異名持ちが出てくるのなら、それこそ俺も闘技大会に出場したかったよ」
心底残念そうに告げるその様子に、ミンは溜息を吐きながら振り上げていた杖を下げる。
夫の性格を考えれば無理はないと思いつつ、その肩に手を伸ばして軽く叩く。
「さぁ、護衛の私達がいつまでもダスカー様から離れている訳にもいかないだろう。幾ら宿の中ではあっても、何が起きるか分からないしね。特にレイの件が闘技大会で周囲に広まってしまった以上……」
「馬鹿も多く出る、か」
事実、開会式から戻ってきたばかりだというのに、既にレイに恨みを持つ者が数人、宿に侵入しようとして警備の者に捕まっていた。
悠久の空亭は、ベスティア帝国内でも最高級の宿なのだ。であれば、当然その警備をする為に雇われている者達も非常に優秀であり、更に今は闘技大会ということで色々な賓客が大勢宿に泊まっている。
そうである以上、日頃よりも警備が厳しくなっているのも当然だろう。
また、宿に泊まっている人間からの接触もあった。
こちらは幸いレイに危害を加えるというものではなく、同じ宿に泊まった機会に異名持ちの冒険者と知己を得ておこうという考えの者達だ。
もっとも、そちらに関してはレイが面倒くさがってダスカーに断るように頼んでおり、結局目的を達した者はいないのだが。
寧ろレイと接触を持つというのであれば、宿に泊まっている者の護衛として雇われていた冒険者達の方がまだ可能性があっただろう。
事実、風竜の牙の3人はレイに訓練を付けて貰える程に親しくなっているのだから。
そんな事情を理解していながらも、エルクの表情には深刻な様子が一切なく、それはミンもまた同様だった。
「ま、レイに対して何かしようとしても、敵意を持った奴なら返り討ちにあうのが関の山だろうし」
「寧ろ私としては、やり過ぎないかどうかが心配だよ。レイは敵対した相手に容赦しない、苛烈な性格をしてるしね」
「……確かに」
その点だけはエルクも同意せざるを得ない。
エルク自身は好ましいと思っているレイの性格だが、欠点も当然ある。
その最たるものの1つが、敵対した相手に対しては容赦をしないというその性格だろう。
特に今は、闘技大会が行われているということもあって大勢の人間がこの帝都にやってきている。そんな中でレイが暴れたらどうなるか……それは絶対に想像したくない未来だった。
「何も騒ぎが起きないように祈っておくか」
自分の額に汗が浮かんでいるのを自覚しつつ、エルクは呟く。
その事実を指摘しないミンにしても、同じような内心だったのだろう。
「グルルゥ」
どこか拗ねたようなセトの鳴き声に、レイはそっと手を伸ばす。
だが、セトは首を動かして伸ばされた手を回避する。
「グルゥ」
そんなのでは誤魔化されない、とばかりに喉を鳴らすセト。
完全に拗ねているとしか表現出来ない様子だった。
「悪かったって。拗ねるなよ、セト」
「グルルルルゥ」
レイが謝罪の言葉を口にするも、セトは全く許す気配がない。
だが、それも無理はないだろう。何しろレイが帝都に来てからそれなりの日数が経っているが、自分のことに精一杯であり殆どセトに構ってはいなかったのだから。
勿論全く会いに来なかった訳ではない。レイも暇を見ては厩舎に足を運んでいたが、それでも帝都を目指して旅を続けていた時に比べると、圧倒的にセトと触れ合っている時間は減っている。
それを理解しているからこそ、セトも拗ねているのだろう。
「ほら、悪かったって。けど、帝都に来たら今までみたいに自由に行動出来ないってのは分かってただろ?」
去年までなら、帝都の住民がグリフォンを見ても物凄く驚かれるだけで済んだだろう。だが、今はグリフォンという存在が非常に稀少だという理由もあり、グリフォンとレイはイコールで結ばれている。
そう、ベスティア帝国にしてみれば不倶戴天の敵と言っても過言ではない深紅のレイと、だ。
そんなレイの言葉を聞きながら、セトは喉を鳴らしてそっとレイの方へ視線を向ける。
確かに自分が自由に外を出歩けば大きな騒ぎになるというのはセトも理解していた。だからこそ、なるべく厩舎から出ないようにとダスカーがレイに命じ、それをレイがセトに伝えたのだから。
それでも……言葉では分かっていても、やはりセトはレイと触れ合っている時間が少ないのは嫌だった。悲しかった。寂しかった。
体長2mを超えており、最近はまだ大きくなっているセトだが、それでもまだ生まれてから2年と経っていないのだ。魔獣術で生み出されたのだから精神年齢と年齢が同じではないが、それでもやはりセトにとってレイは大好きな相棒であり、甘えたい相手なのだ。
特に、帝都に到着するまで思う存分レイと触れ合う時間があった為か、その反動で余計にセトの心は寂しさを感じていた。
レイもセトの様子を見てそれを理解しているのだろう。再びそっと手を伸ばし、今度こそ避けなかったセトの頭をコリコリと掻いてやる。
「グルルゥ」
それを気持ちよさそうに受け入れるセト。
一度撫でられてしまえばセトもそれ以上レイを拒絶することは出来ず、レイの手へと頭を擦りつける。
「構ってやれなくて悪かったな。ほら、取りあえず差し入れだ。これでも食って元気を出してくれ」
「グルゥ?」
何? と小首を傾げたセトに差し出されたのは、煮込んだ鶏肉をタレや葉野菜と一緒に挟んだサンドイッチ。
ボリュームたっぷりのサンドイッチに、クチバシを伸ばし……やがて咥えてそのまま口の中に。
「グルルルゥ!」
余程に美味かったのだろう。嬉しそうに鳴くセトに、まだまだあるとミスティリングの中から取りだしていく。
バスケットにたっぷりと入ったそのサンドイッチは、悠久の空亭の料理人が腕によりを掛けて作ったサンドイッチだ。その辺の下級貴族では利用も出来ないような宿屋の料理人だけに、その腕は超のつく一流。食材に関しても当然最上級のものが揃っている。
機嫌良さそうにサンドイッチを食べているセトを撫でていたレイだったが、その匂いにふと興味が湧きセトに聞く。
「なぁ、セト。そのサンドイッチ、一切れ貰ってもいいか?」
「グルゥ!」
いいよ、と喉を鳴らすセト。
美味しい料理だけに、セトとしてもレイと一緒に食べたかったのだろう。
セトの許可を貰い、サンドイッチに手を伸ばして口の中へ。
パン自体も焼きたてのものを使ったのだろう。しっとりとしており、歯には柔らかな歯ごたえを感じる。
そしてパンを噛み千切ろうと力を入れると、やがて煮込まれた鶏肉が姿を現す。
煮込みすぎれば柔らかくなるのだが、敢えてそこまでは煮込んでいない為に口の中に肉の食感が広がる。
同時に葉野菜のシャキシャキとした歯ごたえと、微かな辛味。
鶏肉の肉汁やソースがパンに染みてはいるが、それは不快になるほどのものでもない。
バターを塗っている為か、鶏肉の濃厚な味に決して負けないそのパンの食感が、口の中に広がっている各種具材の味を一纏めにしていく。
「……美味い、な」
本当に美味いものに出会った時、人は余計な讃辞を口にしないと言うが、今のレイはまさにそれだった。
出来ればもう一切れ……反射的に手を伸ばしたくなったレイだったが、さすがにセトに対する謝罪として持ってきた料理にこれ以上手を付けるのは躊躇われた。
喉を鳴らして幸せそうにサンドイッチを次々と食べているセトを眺めていたレイは、ゆっくりとその背に手を伸ばす。
「闘技大会が終わるまでもう暫く掛かる。その間、今までのように遊んでやることは出来ないけど、今回の件が片付いたら一緒に遊ぼうな」
「グルルゥ……」
サンドイッチを食べつつも、寂しそうに喉を鳴らすセト。
顔をレイへと擦りつけるが、その際にサンドイッチの匂いがしたのは直前の状況から考えて当然だったのだろう。
「なるべく厩舎には顔を出すから。な?」
「グルゥ?」
本当? と尋ねてくるセトの頭を撫でつつ、レイは頷く。
「ああ。俺だって別にセトと遊びたくない訳じゃないしな。だからもう少し我慢してくれ。お前も仲良くなったポチやタマとかいう獣人が遊んでくれるかもしれないだろ?」
セトを落ち着かせるように撫でつつ告げるレイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
新しい友達と遊ぶのは楽しいな、という意思が込められている。
ポチとタマ。悠久の空亭に泊まっている商人の小間使いの獣人であり、愛らしい容姿と言動で他の宿泊客からも密かに人気の犬と猫の獣人だ。
馬の世話をする為に厩舎に顔を出しているうちに自然とセトと仲良くなっており、今ではその2人との触れあいは暇を持てあましているセトにとっても楽しみな時間となっている。
そんなセトの頭を撫でつつ、レイは星形の焼き菓子を取り出す
以前帝都に出た時に屋台で買った物だ。
「悪いな、セト。じゃあこれを置いていくから、ポチやタマと一緒に食べるんだぞ」
「グルゥ!」
見慣れない食べ物だった為だろう。目を好奇心で満たしながらレイの手にある焼き菓子へと視線を向ける。
そんな現金な相棒に小さく笑みを浮かべ、そっと焼き菓子をその場に残してレイは厩舎を出てくのだった。
「もういいのか?」
「ああ」
厩舎を出て宿の方へと戻ったレイに掛けられる声。
その声の主は、言うまでもなく厩舎に行く前に一緒に行動していたロドスだ。
初対面の時の印象が非常に悪く、未だにセトに嫌われているロドスとしては、レイと共に厩舎へと向かうことは出来なかった。
もしもロドスが厩舎に行っていれば、間違いなくセトの機嫌が直るのにもっと時間が掛かっただろう。
ロドス自身は初めて会った時はともかく、今はセトを嫌っている訳ではない。
そもそも、最初に会った時にセトに対しての態度もミンがレイに対して興味を抱いていたのが気に入らなかったというのもある。
……勿論、グリフォンという存在と気楽に触れ合っている母親のことを心配したのは嘘でもないのだが。
初めて会ってから1年以上。ずっと共にいた訳ではないが、それでもロドスの目から見てセトが危険だとは既に思わない。
それ故に、ロドスとしてはセトとの関係を修復したいとも考えてはいるのだが、これまでの経緯からそれもまた難しい。
結局はもう少し時間を置くという、解決を先送りにするという選択をする。
「どうした?」
そんなロドスに声を掛けるレイ。
何でもないと首を振り、半ば無意識に腰にぶら下げている長剣の鞘へと手を伸ばす。
武器を抜く訳ではない。ただ、自分のこれからのことを思って決意を固める為だ。
「……行こうぜ、レイ」
細かいことは今はどうでもいい。
今の自分がやるべきは、余計なことを考えずに闘技大会で勝ち抜くだけ。
そう判断し、レイの先に立ちながら歩みを進めるのだった。
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