第604話

 闘技大会の予選が終了してから2日程。もう数日でいよいよ本戦のトーナメントが開かれるという時に、レイは帝都の中を1人で歩いていた。

 本来であれば昨日のうちに帝都に出たかったのだが、ロドスが予選トーナメントを突破したことに喜んだエルクとミンは祝勝会で酒を飲み過ぎ、軽い二日酔いに。

 勿論あくまでも軽い二日酔いであり、少し無理をすればダスカーの護衛をすることも出来たのだが、わざわざここで無理をする必要もないだろうということで昨日はレイがダスカーの護衛をすることになった。

 とはいっても、ダスカーは安全上のことを考えると宿の外に出ることは出来ない。結局やるべきことは部屋の中で過ごすか、あるいはレイ達同様に中庭で身体を動かすかといったくらいしかなかったのだが。

 中庭で身体を動かす際には護衛の騎士やレイがいざという時に備えるということもあったが、結局何もないままに一日が過ぎ、今日は二日酔いから復活したエルクやミンが護衛に戻り、レイはお役御免となったのだった。

 本戦までの体調を整えるという意味で、中庭でルズィ達と身体を動かしても良かったのだが……どうせならこの機会に帝都で売っているマジックアイテムを探してみようと思い立ち、こうして1人で街中を歩いてる。


(やっぱりセトがいなかったり、デスサイズを持っていなかったりすれば分からないものだな)


 レイ自身もそれなりに顔立ちは整っている方だが、ドラゴンローブのフードを被ればそれも隠される。

 ドラゴンローブ自体は強力極まりないマジックアイテムではあるが、隠蔽の効果によって並の人間にはそれを見破ることは出来ない。

 つまり、現在のレイはどこにでもいる一般人……とまではいかないが、駆け出しの冒険者には見えていた。

 闘技大会が開かれているこの時期云々に関わらず、帝都で駆け出しの冒険者というのは珍しくない以上は完全に周囲に溶け込んでいる。


「確か、この通りを真っ直ぐに進んで突き当たりを左に曲がって、そこから3軒目だったな」


 出掛ける時にモーストから聞いた話を頼りに、道を進んでいくレイ。

 風竜の牙の面々の主な活動地域は、ベスティア帝国ではあっても帝都近郊ではない。帝都に比べれば規模は落ちるが、ベスティア帝国の中でもそれなりに発展している都市の1つだった。

 だが、それでもこれまで幾度か今回のように護衛として帝都までやってきており、その際にモーストはマジックアイテムを売っている店の何店かに行ったことがあった。その1つを訓練を付けた謝礼代わりに教えて貰っており、現在はその教えて貰った店へと1人で向かうべくレイは1人で道を進む。

 闘技大会の予選に関しては、前日にようやく全て終了している。その影響もあって、昨日までは闘技場へと詰め込んでいた者達も帝都見物を行うべく街中に溢れており、通行人の数は驚く程に多い。

 同時に、その通行人を目当てにした商人も今が稼ぎ時とばかりに客を呼び込む声を上げる。


「おう、嬢ちゃん。いや、坊主か? どうだ? 指輪でも買っていかないか? お前さんがつけてもいいし、恋人に贈っても喜ばれること間違いなしだぞ」


 道端で商品を広げている露天商から声を掛けられ、多少興味を覚えて並べられている商品を一瞥するが、すぐに呆れたように溜息を漏らす。

 並べられている商品が明らかに粗悪品の類だったからだ。

 指輪や腕輪、足輪、首輪、ネックレスといった装飾品が多かったのだが、そのどれもがレイの目から見ても宝石の色がくすんでいたり、見るからに細工が稚拙なものだったからだ。

 その手の物の審美眼がある訳でもないレイに見破られるような物なのだから、余程に粗悪品なのだろう。

 寧ろ、幾ら自分みたいなお上りさんのような観光客であったとしてもこれを買う者がいるのかと首を傾げつつ、そのまま露天商の前から離れる。

 露天商にしても、自分が声を掛けた相手がローブを被った背の小さな相手だからこそカモに出来るかもと思ったが、それでもレイだけに拘る必要はない。

 興味を引くのが無理だと判断すれば、すぐに別の客へと声を掛ける。

 そんな風な対応を何度かこなしつつ、モーストに教えられた通りに道を進み……やがて目的の店を発見した。


「ここか」


 一応表通りにある店ではあるのだが、不思議な程に客の姿がない。

 それも当然だろう。他の店と違い、今を稼ぎ時と判断しての客の呼び込みのような真似は一切しておらず、寧ろ一見の客は来るなと言わんばかりの店の佇まいだ。


「……ここでいいんだよな?」


 店の様子を見て、ここでいい筈だと確信しつつも思わず首を傾げる。

 だが、このままここで迷っていてもどうしようもないだろうと判断し、店の扉へと手を伸ばし……

 瞬間、何かを感じ取ったレイは、素早く扉の前から飛び退く。 

 同時に何かが扉を突き破るように飛んできて、レイの目の前を通り過ぎて数度も地面をバウンドしながらその動きを止める。

 それを見た店の前を歩いていた通行人達の反応は真っ二つに分かれた。

 片方はこの場を逃げ出すように後にし、もう片方は地面に倒れている相手――40代程の中年の男――に心配そうに声を掛ける。

 心配そうに声を掛けた者達は闘技大会に合わせて帝都にやって来た者達であり、さっさと逃げ出したのはこの店の店主の性格を知っていた者達だった。

 次の瞬間、店の中から30代程の痩身の男が姿を現す。

 その手に水が入ったバケツを持って、だ。


「二度と俺の店に来るんじゃねぇっ!」


 その叫びと共に、痩身とは思えぬ程の力強さでバケツの中に入っていた水を倒れている男へと向かって勢いよく振り掛けられ、男の近くにいた者達は揃って逃げ出す。

 そんな光景を男の横で眺めつつ、レイは扉を突き破って男が飛んでくるという光景に既視感を覚える。


(……ああ、ヴィヘラと初めて会った時か)


 あの時はヴィヘラに吹き飛ばされたシルワ家所属の冒険者が蹴り飛ばされ、あるいは殴り飛ばされて今目の前で起きているのに似た光景を作り出していた。

 だが、ふと気が付く。

 あの時はヴィヘラ自身の膂力によって男が吹き飛ばされたが、自分の隣にいる痩身の男にそんな真似が出来るのか、と。


(俺よりも身体が細いんだから、普通は無理だ。……そう、普通ならな)


 内心でそう考えつつ、バケツを持った痩身の男に視線を向けていると、男の方でも自分の隣にいるレイに気が付いたのだろう。

 胡乱げにレイへと視線を向け……次の瞬間、目を大きく見開く。


「お前……一体……」


 その態度は、レイの魔力を感じ取ることが出来た者達に似たものではあったが、決定的に違うものがある。確かにその目に浮かんでいるのは畏怖に近い視線ではあるが、それはレイを見てのものではないということだ。

 レイの方を見てはいるが、レイではない。……即ち、レイの着ているドラゴンローブを見ての表情の変化だった。

 だがその驚きも一瞬。

 すぐに表情を取り繕うように小さく咳をし、自分が出てきた店の中へと視線を向ける。


「入れ。ここにいるってことは、俺の客だろ?」

「あ、ああ」


 予想外の展開でありながらも、レイがそれを断ることはない。

 そもそもマジックアイテムを手に入れる為に来たのだから、その店の店主……あるいは関係者と思われる相手からの誘いを断る訳もない。

 店の中に入っていった男の後に続くレイ。

 だが……店の中に入って最初に見たのは、悪い意味での予想外な光景だった。

 マジックアイテムが大量に並んでいる……とまでは思っていなかったが、それでもある程度は並んでいると思っていた。

 しかし、レイの視界に入ってきたのはマジックアイテムどころか何も置かれていない棚だけであり、それ以外にも一切マジックアイテムの類が置かれていない。


「ははっ、驚いただろ。店だってのに、商品が何も無いってんだから」

「確かにこれは……」


 何を言えばいいのか分からないレイに、店主と思しき男は気にするなとばかりに笑みを浮かべて口を開く。


「ま、簡単に言えば事業に失敗してな。友人が色々と金策に走り回ってはくれたんだが……結局間に合わずにこの有様だ」


 男が浮かべている表情に後悔の色は全くない。寧ろすっきりとした表情すら浮かべている。


「そうか、マジックアイテムの品揃えがいいと聞いてきたんだが……残念だ」

「悪いな。ああ、別にマジックアイテムが無い訳じゃないぜ? ただ、さっきお前も見たと思うが、潰れるのならその前に何とかしてマジックアイテムを買い漁ろうって奴が多くてな。友人との約束があるってのにそれでも諦めず、しまいには夜中に忍び込んでくる奴までいる始末だ。……もっともここで扱っているのがマジックアイテムである以上、当然警備も相応に厳しいから痛い目に遭って逃げ帰ってるが」


 その時の様子を思い出したのだろう。数秒前の笑みとは全く違う、人の悪い笑みを口元に浮かべる男。

 先程の男にバケツに入った水を掛けていたのでも分かるように、どうやらただの痩身の男という訳ではないらしいとレイは納得する。


「さて、そういう訳で俺の店に来て貰って商品を売れないってのは悪いんだが……この件に関してはここまでとして、だ」


 一端言葉を止めると、数秒前までとは全く違う鋭い視線をレイへと……いや、先程同様にレイの着ているドラゴンローブへと向ける。


「お前さん、何者だ? そのローブ、とんでもないマジックアイテムだろ? それに、その靴はスレイプニルの靴だ。とてもじゃないが、お前さんのような年齢の子供が手に入れられる装備じゃねえ。見たところ貴族って訳でもないようだし」

「……へぇ、分かるのか。このローブには隠蔽の効果も与えられてるってのに」


 そう呟いたレイの表情に浮かんでいたのは、純粋な驚き。

 これまでにドラゴンローブの効果を見破った者は殆どいなかったのだ。だというのに、まさか一目でそれを見破られるとは思っていなかった。

 つまり、今目の前にいるのはそれだけ腕利きの人物だということになる。

 それがマジックアイテムを売る商人としての目か、あるいは錬金術師のような作り手としての目かは分からないが。


「これで飯を食ってきたんだからな。で、このマジックアイテムの詳細は聞いてもいいのか?」

「どんな効果を持ってるのかまでは教えられないが、名前だけならいいか。ドラゴンローブ。それがこのマジックアイテムの名前だ」


 レイの口から出た名前に、店主の男はピクリと反応する。

 ドラゴンローブ。それが何を意味しているのかは、考えるまでもなく明白だったからだ。


「ドラゴンを素材に? それは、竜騎士が乗っているような……いや、違うな。飛竜の素材でもある程度強力なマジックアイテムは作れるが、それでもここまで強力な隠蔽効果を与えるのは難しい。となると……」


 小さく唾を飲み込む音と共に、そっと口を開く。


「本物の、竜種……」


 竜騎士が乗っている飛竜、場所によってはワイバーンと呼ばれている存在も竜種であるのは間違いない。

 だが、この場合の竜種というのは、正しい意味でのドラゴンを示す。


「少し……触ってみても?」

「ああ、構わない」


 許可を得てそっと手を伸ばしてドラゴンローブへと触れるが、一瞬後には違和感に気が付く。


「これは竜の革だけではない? この感触は……」


 ドラゴンローブの表と裏。その両方に触れ、丁度その間に挟まれるようにしてある存在。硬いようで硬くなく、硬くないようで硬い。

 そんな矛盾した思いを感じるその存在に、男はかつて一度だけ古い友人から触らせて貰った存在を思い出す。

 あらゆる生き物の上位に位置する存在、竜種。その素材を使って作られた装備品を。


「竜の鱗、か?」


 言葉には出さないが、レイの目が驚きによって小さく見開かれる。

 竜の鱗というのは、当然その身体に比例するようにして大きくなるのが普通だ。それを魔力や錬金術によって加工し、強化したものが、ドラゴンローブの中に仕込まれているものだった。


「信じられん、これ程の……それこそ、国宝となっていても……」


 唖然としつつ呟く店主だったが、その際にレイの手……正確には右手へと視線を向け、再び動きを止める。

 その右手首に嵌まっていた腕輪が何なのかを理解してしまった為だ。


「アイテム……ボックス、だと?」


 信じられない物を見た。そんな視線を向けてくる店主だったが、やがて1分程で我に返る。


「いや、いい物を見させて貰った。正直、ここまで凄いのを持っているってのに、この店に来る意味はあるのか?」

「元々マジックアイテムを集めるのが趣味でな。だからここに期待してたんだが……」


 そう呟いた、その時。再び店の扉が開かれる。


「これは……どうしたんだ?」


 姿を現したのは、30代から40代といった年齢の男。

 その男を見たレイは、殆ど反射的に跳躍して距離を取る。

 そんなレイの動きに、店主の男が巻き込まれなかったのは幸いだったのだろう。

 もしもレイに触れていれば、今のレイの動きに巻き込まれていたのは間違いないだろうから。

 だがレイはそんな店主に気が付いた様子もなく、店に入って来た男との距離を取りつつ警戒の視線を決して外さずに、じっと睨み付けていたのだった。

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