第605話

 帝都にある店の中。その中で、レイは1人の男から一切意識を外さないままに注意深く観察していた。

 店の店主である男は何が起こっているのかが全く分からず、店の中に入って来た男に声を掛ける。


「おい、お前さんこいつに何かしたのか? 折角のマジックアイテムを見る機会だってのに、邪魔しないでくれよ」


 そう声を掛けられたのは、店に入ってきた30代から40代程の男だ。店主とは顔見知りなのだろう。憮然とした表情で溜息を吐く。


「邪魔をするって言ってもな。俺はただ店に入ってきただけだぞ? お前も、何だって俺をそんなに……ほう」


 店主の男の言葉に心外だといった表情を浮かべた男は、レイへと視線を向けると何かに気が付いたように驚きの表情を浮かべる。

 その視線に宿っているのは、予想外の存在に出会えたという驚きと好奇心、警戒といったものが複雑に絡み合っていた。

 視線を向けられているレイは、その全身で警戒を露わにしている。……そう、目の前にいる男がただ者ではないと半ば本能的に察知した為だ。

 男の方もそれに気が付いたのだろう。やがて唇に弧を描くと口を開く。


「ちょっと話でもするか?」

「……俺がお前と、か? 冗談にしても笑えないな」

「勿論冗談じゃない。分かるんだろう? お前にも」


 何かを誤魔化すかのような言葉に、レイも相手が何を言っているのかを理解する。

 自分に向かって問い掛け……いや、確認するかのような言葉に頷くしかない。


「そう……だな。どうやらその方がいいらしい」


 だが、自分には理解出来ない何かを分かり合っている2人を前に、店の店主だけは不満そうな表情を浮かべて抗議する。

 目の前にいるレイは、一流、あるいは超一流と言っても言い足りない程のマジックアイテムを身につけているのだ。マジックアイテムを売っている店の店主としては、後学の為にも是非もっと触れておきたかった。


「悪いな、マイン。だが、こっちとしても譲れないんだ。……お前もそうだろう」

「ああ」


 躊躇無く相づちを打つレイ。

 そんな2人の様子を見て、これ以上邪魔をしても無駄になるだけだと判断したのだろう。マインと呼ばれた店主は忌々しげに溜息を吐きながら男の方へと視線を向ける。


「ったく、カスカーダのせいで折角の時間が台無しだ。いいよ、分かった。ここは俺が引いてやる。それでいいんだろ? ただし、この借りは後できっちりと返して貰うからな」

「悪いな」


 顔見知りの店主へと小さく謝罪の言葉を口にし、カスカーダと呼ばれた男はレイへと向かい、特に何も言わないままに店を出る。

 レイもまた特に何かを口にすることなく、男の後を追うようにして店を出て行く。

 残念そうな表情を浮かべたマインを店に残したまま。






「ここならいいだろう」


 男がそう告げたのは、表通りから裏通りに入って10分程歩いた場所にある小さな建物だった。

 風が吹けば崩れる程に古くはないが、新しいとはとてもではないが言えない一軒家。

 その中に入っていく男の後を、大人しくついていくレイ。

 本来であればこのような馬鹿な真似をするようなレイではないのだが、今はただ目の前にいる人物が気になっていた。

 視線を合わせただけで臨戦態勢に入ってしまう程の力を感じさせる男。


(エレーナ、ヴィヘラ、それに……エルク)


 自分がこれまで戦ってきた者達の中でも、強敵と表現出来る存在の者達。

 そんな者達に勝るとも劣らぬ強さをその身に宿す人物に、興味を抱くなという方が無理だった。

 勿論相手が敵対的な言動を取っていないというのも、大人しくついてきた理由だろう。

 もしも最初から自分に敵対的な相手であったのなら、それこそ帝都の中であるにも関わらず全力で炎の魔法を行使していただろう。

 レイの目から見て、目の前の人物はそれ程の実力を備えた相手に思えていた。


「入ってくれ。言うまでもないが、別に俺はお前に敵対する気はない。少なくても今のところは……な」

「そうしてくれると、俺としてもありがたいよ」


 短く言葉を返し、建物の中へと入っていく。

 外から見て予想していたよりも綺麗に片付けられているのに驚きつつ、レイは男に案内された小さな部屋、それこそ6畳程度の広さの部屋にある椅子に座るように促される。

 椅子をテーブルから少し離した場所に移動させ、腰を下ろす。

 もし何かあった時、すぐに対応出来るようにとの考えからだったのだが……それを見た男は苦笑を浮かべつつ腰からぶら下げている袋の中から水差しとコップを取り出す。

 それを見たレイが、思わず動きを止めたのに気が付いたのだろう。口元を笑みで小さく歪め、冷たく冷えた水の入ったコップをレイへと手渡す。


「どうした? アイテムボックスはお前にとっても珍しいものじゃないだろ? 深紅がアイテムボックスを持っているってのは、ある程度の情報通なら知っている話だからな」

「……やっぱり、それもアイテムボックスか」


 完全に自分のことを知られている。一瞬そうも思ったが、そもそも闘技大会に出場してあれだけ目立ったのだ。街中を歩いている時のようにフードを被っているのならまだしも、フードを下ろしても気が付かない先程のマインと呼ばれた店主の方が例外なのだ。


「まあ、そうだ。現存しているのは限りなく少ないと言われているアイテムボックスを持っている者同士が、こうして出会うことになるとはな。ちょっと面白い出来事だとは思わないか?」

「そうだな、相手がお前でなければ面白かったかもしれないな」


 あからさまに自分を警戒の目で見ているレイに、男は小さく溜息を吐く。


「そこまで警戒するな。……いや、この状態だと警戒するのは当然か。ちょっと待ってろ」


 溜息を吐き、首の後ろに手を回す男。

 その男の行動にドラゴンローブの中で短剣へと手を伸ばすものの、次の瞬間に起きた出来事はレイの目を見開かせるには十分な出来事だった。

 今までは髪の色が茶色だったのが緑に変わり、厳つい顔つきというのは変わらないが、目尻が上がりより鋭い目つきに、口元や耳の形、あるいは頬の肉付きといったものがそれぞれ多少ではあるが変化し、年齢にしても30代後半から40代前半だったものが30代前半くらいになっており、総合的に見ると数秒前の顔とは全く違う別人へと変わっている。


「どうだ? 俺が姿を変えている理由が分かったか?」


 小さく唇の端を曲げ、笑みを浮かべて尋ねてくる男。

 だが、レイは男の言っている意味が分からずに思わず首を傾げる。

 自信のある口調で言ってくるからには、男は当然有名人なのだろう。だがレイは男とは完全に初対面であり、顔を見たこともなかった。


「……そうか、俺も思ったより名前が売れてないのか」


 自分の顔を見れば、説明せずとも誰なのかが分かる。そう思っていただけに、男の笑みは数秒前のものとは違って苦笑へと姿を変えている。

 そんな男の様子に未だ警戒を解かないままのレイだったが、少しは悪いと思ったのだろう。どこか慰めるように口を開く。


「悪いが、ベスティア帝国の事情には詳しくないんだ。ここに隠れ家を持っているってことは、恐らくベスティア帝国の人間だってのは想像がつくが」

「そうだな。まぁそういう事情ならしょうがないか。なら改めて自己紹介させて貰おう」


 気を取り直すかのように小さく首を振り、男は言葉通りに改めてレイの方へと視線を向ける。

 その目を真っ直ぐ正面から見た瞬間、レイの胸中に湧き上がる危機感。

 目の前にいる男は危険だと、そんな思いを感じ……同時に、自分へここまでの危機感を与える人物の正体を不意に気が付く。

 そう、自分が脅威を覚える相手がそうそう多くないのは事実。つまり……


「ベスティア帝国の高ランク冒険者、か」

「そうだな、それは間違っていない。……改めて自己紹介をさせて貰おうか。ベスティア帝国のランクS冒険者ノイズだ。カスカーダってのは変装している時の偽名だな」


 男の……ノイズの言葉を聞いたレイが、一瞬唖然とする。

 ランクS冒険者。それは、このエルジィンにも3人しか存在していない最高峰の冒険者だ。

 レイ自身が所属しているミレアーナ王国にも1人いると聞いていたし、同様にベスティア帝国にもいるとは聞いていた。だが、その人物が実際に目の前にいるとなると、話が別だった。


「……なるほどな。ランクS、か」


 呟きつつ、改めてノイズと名乗った男へと視線を向ける。

 魔力を読むといったような能力は持っていないレイだったが、それでも目の前にいる男からは特殊な何かが伝わってくる。

 理屈ではない。本能の部分が、目の前の男はとてつもなく強い相手だと教えているのだ。

 だが、そんなレイを見てノイズはコップに入った水を口へと運ぶ。


「別にそんなに警戒する必要はない。ただ、ちょっと……そうだな、お前と話をしてみたかっただけだ」

「話、ね。恨み言じゃなければいいんだが」


 レイの口から出たその言葉に、微かに首を傾げるノイズ。

 何を言っているのか分からない。本気でそんな風に思っているのは、傍から見ても明らかだった。


(いや、ランクSの冒険者がそこまで簡単に自分の気持ちを現すってのはそもそも有り得ないと思うけどな)


 内心で考えるレイだったが、ノイズの口から出た言葉はレイの疑問を肯定するものだった。


「何故俺が恨み言を? 思うに春の戦争の件に関してだろうが、それに関して俺は一切関係ない。恨む理由がないぞ」

「だが、お前の知り合いが死んだりはしたんだろう?」

「確かにそれは事実だ。だが、それは冒険者としての依頼を受けて、その中での出来事だ。一人前の冒険者が自分で依頼を受けて失敗したという、それだけだろう? 何故俺がそこで怒らなければならない?」


 心底不思議そうに尋ねてくるその言葉を聞いたレイは、何となく理解する。

 目の前にいる人物は完全に仕事とプライベートを分けているのだと。

 勿論本当に親しい友人や恋人、家族といった者が死んでいたりすれば話は別かもしれないが、少なくても今自分に対して恨みの類を抱いてはいないのだ。

 そう判断し……だが、すぐに別の可能性に思い当たり内心で息を呑む。


(仕事とプライベートを完全に分ける。それはつまり、親しい相手でも仕事とあれば敵対することがある。そういうことにならないか?)


 つまり、友人であっても仕事で対立した場合は私情を挟まない。そういうことなのだろう。

 それでも、今は向こうが敵対するつもりがない。それを理解出来た為にそっと安堵の息を吐き……ふと、握られていた拳の中に汗が滲んでいることに気が付く。


(無意識に恐れていた? ……ここまで相手が強いと認識したのは、グリム以来か)


 脳裏にゼパイルに憧れてリッチとなった者の姿が過ぎる。

 しかし、ゼパイルとの関係から始終友好的だったグリムと違い、目の前にいるノイズは今はともかく将来的に敵にならないとは限らない。

 それだけに、言葉には慎重を期す必要があった。


「そうか、怒っていないようで何よりだ。それより、ランクSの人物が使っているにしては、あまりそれらしくない場所だな」

「ん? ああ、ここは隠れ家の一つでな。こうしてあまり人目につかないままに誰かと会う時には便利に使っている。それに、家具とかはあまりないが、大事な物の殆どはこっちに入っているからな。お前もそうだろう?」


 腰の袋に手を当てながら尋ねてくるノイズの言葉に、レイも頷く。

 多少まだ身体が強張ってはいたが、それを表情に出すような真似はしていない。……少なくても本人はそう考えていた。


「そうだな。こういう職業をしていれば、いつ何があるか分からないし」


 実際、レイにしても基本的に必要な物はほぼ全てミスティリングの中に収納済みである。

 宿屋に泊まったとしても、外に出しているのは普段の生活で使うような物で、無くなったとしても全く構わない物が殆どだ。

 その件で宿の住人にも幾度か驚かれた覚えがあるのは事実だし、ノイズに向かって何かを言えるようなことはない。


「だろ? 特に冒険者というのはいざという時が多いからな」

「……まぁ、それならそれでいい。で、結局何で俺をこんなところに連れ込んだんだ? この期に及んで、まさか話をするのだけが目的じゃないんだろ?」

「ふむ、そうだな。それがないともいえない。今年になっていきなりミレアーナ王国に現れた異名持ち。それがどんな人物かを俺の目で確認しておきたかったというのが一番強いな」

「また、酔狂な真似をする」


 そう答えつつも、レイは目の前に座っている男から悪意や害意の類は感じられず、ようやく若干だが安堵の表情を浮かべる。


「多少有名な程度の冒険者ならまだしも、異名持ちともなれば情報収集するのは当然だ。特に今回は目の前に実物がいるのだからな」

「いや、別に駄目とは言わないけど。俺にしたってランクS冒険者と話が出来る機会なんて殆どないんだし」


 軽く言葉を交わしつつ、それでも目の前にいる人物からはまるで数千年を経た巨木を見た時のような圧迫感を受ける。

 握られている手の中には汗があり、背中にも幾度となく冷たいものを感じていた。

 そんな状態でありながらも、レイはランクSの人物と直接会話をすることが出来るという幸運を決して逃すまいと暫く話し続ける。

 そしてようやく話が終わってノイズと別れた時には、体力には自信のあるレイですら酷く消耗していたのだった。

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