第602話
しん、と静まる闘技場内。
舞台の上ではレイがデスサイズを手に周囲を見回し、偶然レイの放った炎の矢の掃射範囲外にいた2人がたった今目の前で起こった光景に目を奪われ、呆然と舞台の上で倒れている他の参加者達へと視線を向けている。
信じられない。それがまだ舞台の上に立っている2人の参加者が抱いた正直な気持ちだろう。
幸いにと言うべきか、レイが放った魔法に込められた魔力は通常の『降り注ぐ炎矢』に比べると大幅に少ないものだった。
そのおかげで舞台の上で倒れ込んでいる者達も、身体中に大小様々な火傷を負ってはいるが誰も死んではいない。
「……この予選はこれで終わりだと思うが、どうしたんだ? まだやれってことか?」
静まり返っている中に響くレイの声。
その声を聞いた審判は、ようやく我に返って大声で宣言する。
「Cブロック予選終了! 本戦出場者は、レイ、アウスト、ドルフの3名とする!」
闘技場内に響く審判の声。
それでようやく他の者達も我に返ったのだろう。最初は小さく、次第に大きな歓声が上がり始めた。
『わああああああああああああああああああああ!』
歓声が鳴り響く中、大会の運営委員が30人程舞台の上に上がっては倒れている参加者達を舞台の外へと運び出していく。
舞台の上から降りると、見るも無惨だった火傷の跡があっさりと消滅する。
だが、それでもその場ですぐに起きて歩ける者の数は少ない。
身体の傷は癒やせても、心の傷は癒やせない。それが如実に現れていた。
『凄い……何だ、何なんだこれは一体! これが深紅、これぞ深紅、これこそが深紅! 俺も長年こうして実況をやっているが、ここまで派手な攻撃を予選で見ることは滅多にないぞ!? 正直、俺個人としては色々と微妙な思いもあるんだが、この強さだけは認めざるを得ない。他2人の予選通過者は色々な意味で運が良かったとしか言えないこの予選、終わってみれば深紅の実力が発揮されて異名に名前負けしていなかったことを証明した! というか、何で巨漢だとかなんとかいう噂が流れていたのかが分からない!』
余程にレイの魔法を見て興奮したのだろう。これ以上ないくらいのハイテンションで叫ぶ実況の声に、レイは思わず首を傾げる。
確かに自分の使った魔法は色々と派手だった。だが、それでも今使ったのと同じような魔法を使える者がいないとは思えないのに、何故ここまで持てはやされるのかが分からなかったのだ。
そんなレイの疑問を見て取ったのだろう。本戦への出場が決まった2人のうち、その片方……ハルバードを手にした男がレイへと声を掛ける。
「不思議そうな顔をしているな」
レイに向かって声を掛けてきたその様子に、敵対心や対抗心のようなものはない。
深紅という名前に対して思うところがないのか、あるいはそれを表に出さないだけなのか。
ともあれ、ハルバードを持った男は口元に笑みを浮かべつつ言葉を続ける。
「魔法を使うには当然詠唱が必要だ。けど、これだけの人数が集まっている中でそんなことをしていれば、普通は近くにいる奴に潰される。それを考えると予選ではなるべく魔法を使わないか、あるいは使っても出来るだけ詠唱の短いもの……つまり、威力があまり高くないものってのが相場なんだよ。なのにあんたは派手な魔法を使っただろ?」
「なるほど」
モーストに対しては接近された時の対抗手段として短剣を持つように告げていたが、それでも対応しにくい場合があると知り頷くレイ。
「ま、それはともかくとしてだ。俺としては、あんたのおかげで無事に本戦に出場が決定したんだから、嬉しい限りだよ。ほら、そっちにいる奴も何か言いたそうだぜ?」
ハルバードを持った男の視線を追ったレイは、自分をじっと見つめている男に気が付く。
強く、力の籠もった視線。だが、悪意の類は感じられない。
『……』
そのままお互い、数秒程無言で視線を交わしていると、やがて舞台の上に倒れていた他の参加者達を運び出し終わり、審判が3人へと近づいてくる。
「予選はこれで終了となる。本戦に関しては、予選の全ブロックが終わった後で改めて宿泊先に連絡がいくと思うが、出場届けをする時に宿泊先をきちんと明記してあるな?」
「ん? ああ、俺は大丈夫だ」
審判の言葉にハルバードを持った男がそう答え、レイと視線を交わしていた男は審判の方を見て無言で頷く。
レイもまた闘技大会の参加締め切りを過ぎてから宰相を通しての出場ではあるが、ダスカー一行のメンバーとして来ているのだから心配はいらないだろうと頷きを返す。
3人が特に問題がないと知った審判は確認するように口を開く。
「一応知らせておくが、もし途中で宿の変更等があった場合は闘技場の職員や闘技大会の運営委員に知らせてくれ。では、これにで予選Cブロックを終了とする。すぐに予選Dブロックも始まるから、何か用件があるようならここ以外で済ませるようにしてくれ」
余程に忙しいのだろう。レイ達へと短く告げると、審判はそのまま去って行く。
その後ろ姿を見送り、レイもまた舞台を降りようとした、その時。
「次は……負けない」
つい先程まで自分と見つめ合っていた……あるいは睨み合っていた男の声が、ボソリと聞こえてきた。
この闘技大会に出場する為に鍛えてきた男にしてみれば、レイのお情け――あるいは運――で本戦の出場を決めたのは屈辱だったのだろう。
(若いねぇ)
ハルバードを持った男は、思わず内心で呟く。
経緯がどうあれ、結果が出ている以上は自分には特に文句はない。
だが、自分や深紅と同様に予選を勝ち抜いたあの男は違うのだろうと。
「そうか、なら本戦で当たることを楽しみにしている」
レイはそれだけを告げ、舞台から降りて去って行く。
それを見送る男2人と合わせて全員が本戦への出場を決めたというのに、そこには明確な勝者と敗者の図式が存在していた。
「ほら、お前の取り分だ」
エルクに笑みと共に渡されたのは、袋一杯に入っている金貨や銀貨。
レイがエルクに金を渡し、自分自身に賭けて得た金だ。
「……また、予想以上の金額になったな」
袋の中身を見て呟くレイに、エルクは溜息を吐いて当然だと頷き、その隣にいたダスカーが口を開く。
「参加者の中にレイという人物がいたのは分かっていただろうが、それが深紅だとは誰も思わなかったんだろうよ。周囲を見てみろ、お前に向けられる恨み辛みの視線がかなりあるぞ」
その言葉に周囲を見回すと、確かにレイへと向けられる視線には恨みがましいものが多い。
現在レイ達がいる場所は貴賓用の観客席だ。
そこにいる以上、当然レイに恨みがましい視線を向けているのもベスティア帝国から招待された者達なのは間違いない。
そんな視線を向けられても、不思議とこれまでベスティア帝国内で向けられる視線とは違い、粘着的なと表現出来るような憎悪の視線ではないことに気が付く。
「これは……」
そんなレイの様子に気が付いたのだろう。男達の馬鹿な会話に関わるのも面倒だとばかりに本を読んでいたミンが、周囲にいる他の者達には聞こえないように小さくレイに説明する。
「ここにいるのはベスティア帝国から招待された人達で、ベスティア帝国の貴族じゃないってことだよ。つまり、ベスティア帝国の人と違って身内を殺された恨みはない。……まぁ、それが絶対とは言えないが」
「なるほど」
ミンに短く答えたレイは、小さく安堵の息を吐く。
気にしていないとはいっても、やはり憎悪の視線を向けられるのは気持ちのいいことではないのだ。
「ま、何だかんだ言っても稼いだレイが羨ましいって奴等が殆どだよ」
あるいは自分が連れてきた冒険者や、後援している冒険者が負けたとかな、とミンの言葉に続けるようにして話すエルク。
そんな裏事情を聞かされれば、レイとしても納得するしかない。
「どうやら次の予選ブロックが始まるようだな」
持っていた本を閉じながらミンが呟く。
先程行われたのがCブロックの予選であったのだから、次に行われるのは当然Dブロックの予選だ。
そして、Dブロックの予選にミンが注目するのには理由があった。
「お、ロドスが出てきたな。さて、うちの馬鹿息子はどこまでやれるのやら」
そう。エルクが口にしたように、Dブロックの予選にはロドスの姿があった。
そのエルクが、不意にダスカーから少し離れた場所に座ったレイへと視線を向ける。
尚、既に賭けで勝ち取った金貨や銀貨の入っている袋はミスティリングの中に収納されており、どこにもない。
「で、実際どうなんだ? ここ暫くルズィとかいう奴等と一緒に訓練をしてたみたいだけど……」
「そう、だな。こんなことを言うのはちょっと癪だが、さすがにお前の血を引いているだけあって才能は本物だった。日に日に能力が伸びているのは事実だ」
自分の息子が褒められたのが嬉しかったのだろう。エルクの口元には押さえられないような笑みが浮かぶ。
そんなエルクの隣では、その妻のミンもまた同様に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
親馬鹿め。レイはそんな風に思いつつも、表情には出さず言葉を続ける。
ちなみに、エルクとミンの近くにいるダスカーも同様のことを思っていたのだが、貴族だけあってレイ以上に表情に出さずにその話に耳を傾けていた。
「で、予選に関してだが……どうだろうな。何せ振り分けは完全に運だから、対戦相手の中に強者がいればちょっと厳しいかもしれない。ただ、本戦に出られるのは3人だというのを考えれば、強者が3人以上纏まって存在していなければ大丈夫だと思う」
そんな風にレイが説明している間にも、注目選手の実況は既に終わっていたのだろう。審判の合図と共に、舞台の上では予選が開始された。
「頑張れ、ロドス」
ミンの呟きを聞きながら舞台へと視線を向けるレイ。
そこでは先程レイが経験した以上の混戦が行われている。
Cブロックの予選では、良くも悪くもレイという飛び抜けた存在がいた。
そのレイを警戒して、他の参加者達も混戦を勝ち抜く上で幾らかの注意を常にレイに向けざるを得なかった。
だが、今回のDブロックに関してはそこまで突出している存在がいないが為に、現在レイ達が見ているような全力の混戦となっているのだろう。
いや、寧ろこの光景が本来の闘技大会で行われている予選の姿であり、Cブロックこそが異例だったと言うべきか。
「いけっ、そこだ! あ、馬鹿。後ろから狙われているぞ!」
エルクの応援の声が聞こえているかのように、後ろから槍を突き出した男の攻撃を前で斬り合っていた男の真横へと飛び込んで背後へと吹き飛ばして盾とする。
「よし、いいぞ!」
そのまま槍の穂先が盾とされた男の胴体に突き刺さって抜けないのを見たロドスは、槍を中程で切断して武器を封じた上で男の頭部を剣の柄で殴って気絶させる。
「安全重視の為なんだろうが……エグいな」
呟いたのはダスカー。
だが言葉とは裏腹に、口元にはニヤリとした笑みを浮かべている。
確かに舞台の上から降りれば、古代魔法文明の遺産により身体に負った傷は消える。
しかし、消えないものもある。それが心に刻み込まれた恐怖であり、あるいは武器や防具の損傷だ。
つまり、今ロドスに槍を切断された男は身体の傷は消えるが――受けたのは気絶程度だが――武器はそのままとなる。
戦場となる場で使える武器をそのままにしておくのが危険だとはしても、中々に苛烈な対処と言ってもよかった。
「お、あっちもあっちで凄いぞ」
ロドスの活躍に目を向けがちだったエルクやミンは、ダスカーの言葉にその視線を追う。
その視線の先にいたのは、弓を持った男のエルフ。
弓を使う者自体は、レイの戦った予選ブロックにも存在していた。だが今ダスカーが注目しているエルフは、レイと戦った者に比べても明らかに腕は上であり、更には魔法まで使っている。
「精霊魔法か?」
呟いたのはレイ。
以前のランクアップ試験の時に一緒になったエルフ、フィールマを思い出して呟く。
弓と精霊魔法を使う女のエルフだったが、記憶の中の技量と照らし合わせても視線の先にいる男のエルフの方が数段技量が上のように思えた。
もっとも、レイがフィールマと行動を共にしたのは去年行われたランクアップ試験が最後だ。それから一年近く経ってるのを思えば、今フィールマがどれ程の腕になっているのかは分からないが。
(実際、戦いのセンスに関しては非凡なものを持っていたからな。遠距離攻撃の精霊魔法と弓を使うのを考えれば、俺みたいにソロでの行動ってことはないだろうが……)
そんな風に考えている間にも視線の先でどんどんと混戦は進んでいき、最終的に舞台の上に立っているのはロドスとエルフ、そして盗賊と思しき男の3人のみとなり、その場で予選は終了する。
「いよっし、良くやったロドス!」
エルクの喜びの声を聞きつつ、レイは軽傷のみで勝ち抜いたロドスを取りあえず褒めてやろうと思うのだった。
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