第599話
「これは……何と言うか、物凄い人数だな」
呟くのはレイ。
帝都の外れに用意された闘技場の、選手控え室での呟きだ。
その隣では、ロドスもレイに負けないように驚きつつも口を開く。
「ま、まぁ、ベスティア帝国中どころか、周辺諸国からも参加者が集まる闘技大会だ。そりゃあこれだけの人数になってもしょうがないだろ」
どこか落ち着かないままに周囲を見渡し、自分達に視線を向けてくる者が思ったよりも多くないことに安堵したロドスは、自らの中にある動揺を消し去るかのように言葉を続ける。
ちなみにルズィ達風竜の牙の3人とは登録したときの人数の関係もあってか、別の控え室となっていた。
ロドスを落ち着かせる意味も込めてレイが呟く。
「それより俺が驚いたのは、闘技大会の開会式が行われないってことだな」
「ん? ああ、それか。まぁ、確かにこれだけの人数がいれば開会式をやるにしても無駄に時間が掛かるだろうからな。それを思えば、本戦でもある決勝トーナメントで開会式をやるってのにも納得出来なくはないさ」
ロドスの言葉通り、闘技大会における開会式は本戦のトーナメントが開始されてからとなっている。
見学に来る皇帝や皇族、あるいは貴族達の身の安全を考えての処置という面もあるし、予選は基本的にレベルが低いという面もあった。
もっとも、だからこそ試合が荒れて賭けが大いに盛り上がるという一面もあり、それを目当てにしている者もかなり多いのだが。
当然レイも賭には参加しており、エルクに頼んで予選のバトルロイヤルで自分が勝ち抜くのに金貨数枚を賭けている。
それを見ていたロドスは呆れていたが、特に何かを言うことはなく、レイのように自分に賭けるということもなかった。
尚、レイがエルクに自分に賭ける金を渡したのを見れば分かる通り、ダスカーやエルク、ミンもまた闘技大会の見学に来てそれぞれがレイやロドスといった面子へと賭けている。
「しかもこの部屋にいるだけでも全員じゃないんだろ? ルズィとかがいないし」
周囲を見回しながら呟くレイに、ロドスもまた2日間程共に修行した顔見知りの姿がないのを改めて確認しながら頷く。
「だろうな。こうして見ると……強いのから弱いのまで入り交じってるな。確かにこの状態でトーナメントをやれば無駄に時間が掛かる。それを思えば、バトルロイヤルって予選の形式は間違っていない……のか?」
レイに向かって話し掛けていたのだが、その言葉は2人の近くにいた数人の参加者達へと聞こえていた。
不幸なことに、この控え室にいる面々はもうすぐ予選が始まるということで血気に逸っており、それだけにまだ年若い2人が訳知り顔で話している内容を聞き流すことが出来ない。
それも片方がかなり小柄で、ローブを着ている魔法使いにしか見えないとなれば尚更だろう。
自分達が舐められている。そう感じた20代程の男が座っていた場所から立ち上がってレイとロドスの方へと近づいていく。
「おい坊主共、随分と一丁前な口を利いてるが、ここがどこだか分かっているのか? お前達が来てもいいような場所じゃないぞ? いや、そっちの戦士の坊主は駄目元の腕試しってことなら分からないでもないが、ローブを着ている方。お前は明らかに場違いだろ」
自分の胸くらいまでの身長しかない相手、即ちレイへと向けてそう告げる。
周囲にいる他の闘技大会参加者達も、まだ予選が始まる様子もないので暇を持てあましていたのだろう。格好の暇潰しを見つけたとばかりに囃したてる。
「そうだそうだ、そんな坊主がやってきても予選で負けて終わりだろ。とっとと帰って母ちゃんのおっぱいでも吸ってろ」
「いやいや、あいつの母ちゃんは今頃俺の家のベッドで寝てるからそれは無理だって」
「ぐはっ、お前、そりゃ女の趣味悪すぎだ」
「そもそも、あっちの戦士はまだ分かる。けど、ローブを着ている方は鎧の類を身につけていないところを見れば、明らかに魔法使いの類だろ? 予選ならなんとかなるかもしれないけど、本戦に参加するとなれば間違いなく一回戦負け間違いないぞ」
「いや、そもそも本戦まで残るというのも無理だって」
口々に告げる参加者達だが、中にはレイやロドスの実力を見抜くだけの実力を持った者も当然いた。
そんな風に未だに囃したてている参加者達へどこか哀れみにも似た視線を向けつつ、それらの実力者達はこれから起こるだろう騒動に巻き込まれないように距離を取る。
騒動に巻き込まれるのはごめんでも、レイやロドスの実力は確認しておきたい。そう考えたのだろう。
一応名目としては、闘技大会に出場している参加者達同士が試合前に争うというのは禁止となっており、下手をすれば参加資格を失う場合すらある。
だがそれらの決まりが適用されるのは、あくまでも本戦のトーナメントからだ。予選のバトルロイヤルは荒くれ者が無数に集まってくるということもあって、その辺のルールに関しては有名無実と化していた。
その結果、大会が行われる度に何人かが予選が始まる前に棄権する事になるのだが、本戦に出る程度の実力があればその辺も問題なくやり過ごすだろうという認識の下、特に是正されることもない。
「何か気に障ったか?」
レイが自分を睨み付けつつ近づいてくる相手に、全く何の気負いもないままに尋ねる。
それが自分を軽く見ていると捉えた男は、コメカミに血管を浮き上がらせながらレイへと向かって手を伸ばす。
そのローブを掴んで引き寄せ、フードに隠されている顔面を殴って立場の上下を痛みと共に教え込む。
そんなつもりで伸ばされた手だったが、レイが半身を後ろに引いた為にローブではなく空中を掴んでいた。
「ぷっ、見ろよおい。舐めた真似をした奴に手を出そうとして、より舐められるようなことをしてやがるぜ」
「おいおい、あまりからかってやるなよ。ああ見えて緊張で一杯一杯なんだからよ」
「あー……何て言うか、これ以上恥を掻く前に止めた方がいいんじゃないか? ここで騒ぎが起きてあの坊主……坊主か? あの声からすると坊主でいいんだよな? その坊主が怪我をするのはともかく、こっちが巻き添えで怪我をするのはごめんなんだが」
「は? 何言ってるんだよ。あんな小僧を相手に手こずるようじゃ、この闘技大会に出る資格すらないってもんだぜ?」
周囲から聞こえてくる、自分を揶揄するような声。
レイのローブを掴もうとして失敗した男は、その屈辱に耐えつつ身体を震わせ……
「用がないならもういいか? 一応予選が始まるまではゆっくりしていたいんだが」
そんな言葉が自分が恥を掻く原因となったレイの口から出ては、既に我慢出来る筈もない。
「ふざけるな、このクソガキがぁっ!」
振るわれる拳。
それでも闘技大会に出場するだけあり、拳を振り上げるというような真似はせず、構えたまま真っ直ぐに身体の捻りをつかって得た力を使い拳を突き出す。
格闘を得意とする男ではあったが、この場合は明確に相手が悪い。
ただでさえ格闘を得意とするヴィヘラとの戦闘経験があるレイだ。幾ら多少腕に覚えがあったとしても、力不足と言うしかなかった。
自分の顔面目掛けて伸びてきた拳を、掌で叩き落とす。
拳ではなく掌だったのは、せめてもの温情か。
「なっ!?」
今の一連のやり取りだけで、目の前に立っているのがかなりの実力を持っているというのは理解出来たのだろう。
本来であれば、この男も頭に血が昇りやすい質ではあっても、相手の実力を理解すれば大人しく退く程度の思慮深さは持っていた。
だが……この場合は場所が悪いとしか言いようがなかった。
ベスティア帝国最大の催し物でもある闘技大会、周囲にいる者の多くは実力者。
今ここで退けば、自分からレイへと突っかかっていっただけに、道化師以外の何ものでもない。
もうすぐ行われる予選では他の参加者に格好の獲物として集中的に狙われ、それだけではなく、闘技大会以降の仕事でも色々と問題が起きる可能性すらある。
つまり、目の前にいる相手と自分との力量差を理解しつつも、絶対にここで退く訳にはいかなかった。
「ちぃっ、クソがぁっ!」
叩き落とされた腕を手前に引き戻し、連続して放たれる無数の拳。
先程の一撃のように身体全ての回転からもたらされる力を込めるのでは無く、速度だけを重視した連撃。
ボクシングで言うジャブのような攻撃を息つく間もなく放ち続ける。
その素早い拳の連撃は男が口だけではないことの決定的な証でもあった。
周囲で囃し立てていた男達も、連続して放たれる拳の速度には思わず目を剥く。
レイにしてもその速度には一瞬驚く。
格闘を得意としているヴィヘラとの戦闘経験は幾度かあるが、ヴィヘラはその高い身体能力を活かして威力の高い一撃を叩き込んでくるという戦闘スタイルだ。
勿論その速度に関しては決して遅い訳ではなく、寧ろ今レイに向かって拳を叩き込もうとしている男よりも上だろう。
だが、一撃の威力を落としてまで攻撃の速度を上げる相手というのは、レイにとっては珍しい経験だった。
「なるほど、中々の攻撃速度だ」
感心したように呟くレイだったが、男が両手で繰り出してくる無数の拳撃を全て右手の掌ではたき落としているというのは変わらない。
ここまで来ると、控え室にいる他の者達も男の実力云々よりも前にレイが高い実力を持っているというのを認めない訳にはいかなかった。
最初にレイの実力に気が付いて被害を受けないように避難していた者達は、少しでもレイの弱点や癖といったものを見つけられないかと注意深く観察している。
「さて、そろそろいいな。ゆっくり眠れ」
自分の拳が全てはたき落とされるという事態に、信じられないという表情を浮かべていた男はレイの言葉を聞いて奥歯を噛み締める。
レイの一撃が繰り出されることを察知したからだ。そして、その一撃を自分が回避や防御することも不可能だということを。
振るわれた拳をはたき落とし、レイが身体を前に進めようとし……
「何をやっている!」
その瞬間、そんな声が控え室に響き渡る。
控え室の中にいた選手達が皆視線を声のした方へと向けると、そこにいたのは大会の運営委員であることを示す制服を着た30代程の男。
幾ら選手同士の揉めごとが黙認されているとはいっても、さすがに運営委員の前で戦いを続けることは出来なかった。
「……ちっ、命拾いしたな」
レイへと向かってそう告げる男だったが、その額には大量の汗が浮かぶ。
まだ日中の気温はかなり高く、闘技大会に参加する選手が大勢いる控え室。そしてつい先程まで連続して拳を放ち続けていた。
それらを思っても、男の額に浮かんでいる汗は異常と言ってもいい量だ。
男にしても分かっていたのだ。あのまま戦いを続けていれば、間違いなく自分が倒されていたことを。
額に浮かんでいる汗は、その証拠だった。
それでも負け惜しみのように言葉を吐き捨てたのは、半ば虚勢の意味が強かったのだろう。
男としても自分のことだけにそれが分かっているのか、レイを憎々しげに睨み付けてその場から離れ、控え室の奥の方へと向かう。
このままレイの前にいれば、間違いなく自分の虚勢が剥がれると理解しているが故に。
男が離れていったのを見て、レイもまた構えを解く。
そんなレイの横では、ロドスがどこか呆れた様な視線をレイへと向けていた。
この後でバトルロイヤルという、色々な意味で疲れるだろう戦いがあるというのに、ここで乱闘騒動を起こすレイの気が知れなかった為だ。
何もここで無駄に体力を消耗しなくても……そう思うロドスだったが、レイ自身の体力がどれ程のものなのかを思い出せば、すぐに心配するのが無駄だと悟る。
ロドスとルズィ、ヴェイキュル、モーストの4人と連続して模擬戦をし、そのすぐ後で4人全員を相手にしての模擬戦をやっても殆ど息を乱さないのだ。それだけで、どれ程の体力があるのかはロドスにも想像出来なかった。
「……まぁ、いい。あまりはしゃぐようだと出場資格を取り消すこともあるから、程々にしろよ」
溜息を吐きながら運営委員がそう告げる。
本戦のトーナメントでもなく、まだ予選の段階だ。血の気の多い者達が大量に集まっているのだからと軽く注意するだけに留め、改めてこの控え室にきた用件を告げる。
「予選Cブロックが開始される。これから名前を呼ばれた者はついてこい」
その言葉に、レイを始めとして控え室にいた者達は皆が静まり返って自分の名前が呼ばれるのを待つ。
順番に予選に参加する者の名前が呼ばれていき……
「レイ」
自分の名前が呼ばれたのを確認してレイが1歩前に進み出る。
レイ、という名前を聞いた何人かが反応を見せるものの、レイという名前自体はそれ程珍しい訳でもない。
それに深紅について広がっている噂話では巨漢となっている為か、レイと深紅を結びつけるような者は存在しなかった。
どことなく怪しんでいるような者は何人かいたのだが。
そんなレイをそのままに、次々にCブロックの予選に参加する者の名前が呼ばれていくのだが、その中にロドスの名前は存在しなかった。
(ま、深紅と雷神の斧の息子を一緒の予選ブロックで戦わせるというのは色々と損だと判断したんだろうな)
内心で呟き、レイを始めとしてCブロックの予選に参加する者達は運営委員の男の後へとついていく。
「……無事に予選を通過出来ると思うなよ」
先程までレイに向かって無数の拳を繰り出していた男が横を通り抜け様にボソリと呟くのを聞き、レイは思わず溜息を吐くのだった。
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