闘技大会

第600話

 秋晴れと表現するのが正しい好天の下、闘技場の中心部分にある舞台の上に50人近い人数が集められていた。

 それだけの人数が集められているにも関わらず、全員が自由に動けるだけの余裕があるのを見れば舞台がどれだけ広いのかを理解するのは難しくはないだろう。

 そんな舞台の上で、予選Cブロックの参加者達はお互いに牽制し合いながら試合開始の合図を待っていた。

 舞台を中心に備え付けられた闘技場の中は、観客達の歓声で溢れかえっている。

 闘技大会が始まったとはいっても、まだ予選の1日目であるにも関わらず観客席はほぼ満員に近い。

 いや、予選1日目だからこそ、これだけの観客が集まっているのだろう。

 誰が勝ち残るのかの賭けも予選の段階から始まっているのだから、それを目当てにしている者も多い。

 あるいは、単純に強い存在を見てみたいという者も多いだろう。

 普段は冒険者や兵士、あるいは騎士や傭兵として活動している者達だ。街中でその強さを直接目にすることは出来ない。

 見ることが出来るとすればそれは何らかの理由により喧嘩騒ぎになった時とかだろうが、そのような者達は大抵自分で言う程の実力を持っていない者の方が多い。

 また、今のうちに強い者を見定めようとしている貴族の手の者もそれなりにいる。

 有名になる前に仕官させる、青田買いの場でもあるのだから当然だろう。

 多種多様な観客達の注目が集まる中、その声が周囲に響き渡る。


『さぁ、予選Cブロックがいよいよ開始されます。前のA、Bブロックで行われた予選では、華麗なるレイピアの使い手、氷の貴公子の異名を持つランクB冒険者のエクセンブルムや、その腕力で多くのモンスターを殴り殺してきたと言われているクラッシャーの異名を持つアドレットを始めとした参加者達が素晴らしい活躍を見せてくれました。他にも有名ではないものの、確かな実力を持った人物が多くいたのは、観客の皆さんもその目で確認出来たでしょう』


 闘技場内に響く声。

 その声を聞き、レイは舞台の上で一瞬不思議そうな表情を浮かべるが、すぐに納得する。

 古代魔法文明の遺産であり、致命傷でなければ死なないような、レイには理解出来ないシステムがあるのだ。

 なら、闘技大会を盛り上げる為に解説や実況のような役目を果たす者の声が闘技場内に響き渡る程度のシステムがあってもおかしくはないだろうと。

 先程控え室で自分を睨み付けてきた男からの視線を感じつつ、内心でそう思う。

 いや、周囲から向けられている視線はその男のものだけではない。他の控え室から合流した参加者達や、あるいは同じ控え室から移動してきた者達にしてもその多くがレイへと視線を向けている。

 その視線の理由が何かというのは明らかだった。


(どう考えてもこれだろうな)


 チラリ、と右手に持っているデスサイズへと視線を向けるレイ。

 レイの身長を優に超える大きさを持つ大鎌は、見ているだけでも圧倒的な威圧感を周囲へと与える。

 そして当然のことではあるが、大鎌のような使いにくい武器を好んで使う者は基本的にはいない。

 何よりも大鎌を使う冒険者としてベスティア帝国で有名なのは、当然の如く春の戦争において猛威を振るった深紅を思い起こさせる。

 だが、流れている噂は深紅の体格は巨漢であるというものが大多数であり、それ故に予選に参加している者達はレイをどのような人物と判断すればいいのか迷う。

 ただし、中には流れている噂を真っ正直に信じている者もおり……


「おい、坊主。いや、嬢ちゃんか? どっちでもいいけど、そんな見かけ倒しの武器を持ってどうしようってんだ? そんなでかい武器、それこそ噂の深紅でもなきゃ使いこなせないだろ。はったりも、やり過ぎれば馬鹿馬鹿しく見えるんだぜ?」


 そう告げたのは、身長2mを超える男だった。

 髪の毛は短く切り揃えられており、レザーアーマーからはみ出ている部分にはこれ見よがしに筋肉が盛り上がっている。

 男の持っている武器はハンマー。

 それこそ、レイがいなければ間違いなくこの場で一番目立っていただろう程の大きさを持っていた。


「……」


 そんな男に視線を一瞬向けるも、レイは相手にするのも馬鹿らしいと視線を逸らす。

 それが男の気に障ったのだろう。周囲に聞こえるような大声で怒鳴りつける。


「はったりが見破られたからって、言葉も出ないのか? あぁん!? 今なら大人しく出場を辞退すれば恥を掻かなくて済むんだから、大人しく俺の言うことを聞け!」


 男の言葉に、同感だと頷く者、あるいは哀れみの視線を向ける者、馬鹿馬鹿しいと笑う者。色々な態度を取る者がいたが、レイと同じ控え室での一件を見ている者達は、信じられないとばかりに顔色を変えている者も多い。

 レイが言葉だけの男ではなく、きちんとした実力を持っているということをその目で確認していた為だ。

 それらの情報と、身の丈以上の長さを持つ大鎌。それが何を意味しているのかというのは、レイが深紅と呼ばれる者である可能性を……あるいはそうではなくても、相応の実力を持っているということを示していたからだ。


『更に、更に、更に! 何と聞いて驚け、見て驚け!』


 闘技場内に響くその声は、観客達の興奮を煽り立てるようにテンションを上げていく。


『大物が闘技大会で飛び入り参加するというのは良く聞かれる話だが、今回も当然の如くその飛び入りがいる。誰だと思う? 俺はこれを聞いた時に正直、信じられなかった。信じたくなかったと言ってもいいかもしれない』


 その煽りに、観客達だけではなく予選に参加する選手達までもがざわめく。

 それも無理はないだろう。何しろ本戦のトーナメントに出場出来るのは、このバトルロイヤルの中で最後まで勝ち残った3人のみ。50人中3人となれば、非常に狭き門だ。

 そんな狭き門を潜り抜ける戦いに、実況の声の持ち主がここまで勿体ぶるような大物が参加してきたのだから、他の参加者達にしてみれば勘弁して欲しいというのが正直なところだろう。

 それぞれ、誰がその大物なのかを見極めるように注意深く周囲へと視線を向けている。

 それはつい先程までレイに絡んでいた男にしても例外ではなく、今はもうレイの姿は目に入っていないとでも言いたげに周囲の選手達を見回していた。

 レイと控え室で一緒だった者達のうち何人かは、まさか……という表情でレイへと視線を向けている。

 本能的にレイが自分達とは違う格上の相手だと理解しているのだろう。

 舞台の上で緊張が高まり、観客席からは期待が高まる。

 そんな緊張と期待が最高潮になった、その時。実況の声は闘技場内へと響き渡った。


『その大物の飛び入り参加者の異名は……深紅!』


 その言葉が周囲に響き渡った瞬間、観客や選手含めて全員が一瞬沈黙し、次第にざわめき始める。


『そう、ベスティア帝国に住んでいる者なら誰もがその噂は聞いている筈だ。春にセレムース平原でミレアーナ王国との間に起きた戦争で、ベスティア帝国が敗北する最大の原因を作った冒険者。その強大な魔力で炎の竜巻を生み出し、身の丈以上の長さを持つ大鎌を使うという人物。一戦しただけで深紅という異名を付けられた冒険者。……その深紅がベスティア帝国の闘技大会に殴り込んできたぞ! 正直、これを上司から聞かされた時は、嘘だろ? って思ったのは俺だけじゃない筈だ。この闘技場に来ている皆も、当然信じられないだろう? 分かる分かる、その気持ちは十分過ぎる程に分かる』


 実況の声が響く中、舞台の上にいるCブロック予選に参加する選手達の視線はレイへと向けられる。

 身の丈以上の大きさのデスサイズを片手に持つ、レイの姿へと。

 それは、つい先程までレイに絡んでいた巨漢の男や、あるいは控え室でレイに絡んできた男も同様だった。


『巷に広がっている深紅の噂は数あれど、有名なのは巨漢で見上げる程の背丈を持っているような男というものだ。けど見ろ、見ろ、見ろ、見ろ! そう、現在舞台の上にいる中で大鎌を持っているのはローブを纏った1人だけ。その人物はどう贔屓目に見ても、巨漢と表現出来る背丈じゃない。寧ろ小柄と表現した方がいい人物だ!』


 実況の言葉に、舞台の上にいる選手だけではなく闘技場にいる観客達も皆、レイへと視線を集中させる。

 闘技場中の人々の視線が自分だけに集まっているのを感じ、右手で持っていたデスサイズを持ち上げ……周囲にいた他の選手が思わず距離を取り、観客達も息を呑む中でレイは肩で担ぐようにデスサイズを持つ。


(幾ら何でも、やり過ぎな気がするけど……まぁ、ベスティア帝国上層部の意識を俺に向けさせるって意味では寧ろ歓迎すべきか)


 内心で呟きつつも、これで深紅は巨漢というイメージが払拭された為に襲撃が増えるだろうなと、嫌な予想を胸に抱く。


『さて、さて、さて! 噂の深紅がこんなに小柄だとは俺も思わなかった! だが、それでも深紅であるという事実は変わらない! この深紅がどのような活躍を見せるのか、観客の皆も楽しみにしていてくれ。ああ、ただ安心して欲しい。この闘技大会を見に来ているのなら知っていると思うが、舞台の上は古代魔法文明の遺跡の力で特殊な空間になっている。即死じゃない限りは舞台の外に出れば回復出来るから、本当の意味で命を落とす奴は出てこない』


 その言葉が周囲に響く中、舞台の上にいたレイ以外の参加者達が思わず安堵の息を吐いたように見えたのは、決してレイの気のせいではないだろう。


『言うまでもないが、相手を故意に即死させるのは禁止されている。そんな真似をしたら闘技大会失格となるだけじゃなく、罪にも問われるから注意してくれ』


 追加で放たれた実況の言葉は、間違いなくレイへと……レイだけに向けられていたものなのだろう。

 ベスティア帝国内での深紅の評判を考えれば当然かもしれないが。


『さて、観客も選手も俺の説明で暖まってきたところだ。そろそろ試合開始といくぜ。審判、よろしく頼む』


 聞こえてくる言葉とは裏腹に、舞台の上にあるのは重苦しい沈黙のみ。

 特に舞台の上でレイに絡んでいた男は、見るのも無残なほどに震え、怯えきっていた。

 一瞬の静寂が舞台の上に満たされ……舞台の側に姿を現した審判が大きく叫ぶ。


「Cブロック予選、開始!」


 その言葉と共に、舞台の上にいた参加者達は半ば自棄になったかのように大きく叫ぶ。

 ただし、その攻撃の向かう先にいるのはレイではなく他の参加者達だ。

 レイに攻撃を仕掛ければ、自分が失格になるのは間違いない。

 それも、レイの持っている大鎌を見る限りでは大怪我を負って。

 舞台から降りて遺跡の力で生み出されている空間から出れば傷が無かったことになっても、逆に言えば舞台の上にいる限りは受けたダメージ相当の痛みを感じるということなのだから。

 もしかしたらこの場にいる全員でレイに掛かればどうにか出来るかもしれない。そんな考えは当然他の参加者達の脳裏を過ぎったのだが、誰が好き好んで最初にレイへと向かって襲い掛かるというのか。

 それならレイにはちょっかいを出さないという選択肢を、殆どの者が選んだのだ。

 予選で勝ち残れるのは1つのブロックにつき3人までであり、1人だけではなかったというのも影響しているのだろう。

 振るわれる長剣が手足を斬り裂き、振り回された棍棒が胴体へと命中して一撃で気絶し、あるいは素早く突き出された槍が相手の肉体を貫く。

 ハルバードの一撃を盾で防ぎつつ弾き、そのままバランスの崩れたところへと鎧を着た身体を叩きつけるかのようにタックルして吹き飛ばす。

 顔面を狙って振るわれた拳を防ぐべく振るわれた剣は、肘から先を斬り飛ばす。

 近接戦闘に巻き込まれないように離れた場所で弓を使っていた者もいたが、連続して何本も矢を放っているのを他の参加者達が見逃す筈もなく、すぐに接近されて胴体を斬り裂かれていた。

 深紅という予想外の人物の登場に闘技場観客達は一時的に静まり返ってはいたが、いざ戦いが始まるとなればそれぞれお気に入りの選手の応援や、あるいは自分が賭けた選手の応援に熱中する。

 誰が勝ち残るのかを賭ける時の名前にレイとあっても、その名前自体はそれ程珍しい訳ではないから賭けている者は殆どいない。

 その数少ないのが、ダスカー一行の者達やレイの素性を知っている者達だった。

 普通であれば、ベスティア帝国内で幾つも行われている闘技大会で有名になった選手や、有名な冒険者といった者達に賭ける者が多いのだが……そのような者にしてみれば、今回のレイのようにイレギュラーがいるというのは色々と嬉しくない出来事だっただろう。


「……何もしないって訳にはいかないか」


 自分に向かってくる相手が誰もいないのを確認し、このまま何もせずに勝ち上がるだけではあまり目立たない……即ち、ベスティア帝国上層部の注意を引けないと判断したレイは、デスサイズを手に足を踏み出すのだった。

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