第598話

 まだ秋の日差しという印象とは全く違う、強烈な日差し。

 季節が秋に移り変わったばかりである以上はしょうがないのだが、それでも残暑と呼ぶべき暑さは中庭で身体を動かしている者達の体力を容赦なく消耗させていく。


「はああああぁああぁぁあっ!」

「そんな一撃、食らうかよ!」


 普通よりも大きいクレイモアが、空気を砕くかのような勢いで振り下ろされる。

 ルズィの顔に余裕の表情はない。訓練が始まってから、自信のある攻撃の全てが回避されているのだから。

 一応模擬戦を始める前に言われたように、寸止めすることを前提としての一撃だ。それ故に本当の意味での全力とはいえないが、全ての攻撃を回避され続けている身としては面白い筈もなかった。

 だが、今度こそという思いを込めて振るわれたクレイモアの一撃は、相手に触れることも出来ないままに空を切る。

 頭に血が昇っていた為か、振るわれた一撃の後には隙が出来……

 次の瞬間には、相手の突き出した長剣の剣先が自分の首筋でピタリと止まっているのを見て、信じられないという思いで相手を見返す。

 ……そう。長剣を手にしたロドスを、だ。


「うわぁ……ルズィがああも手玉に取られるなんて。オークとかも一刀両断するだけの力を持ってるんだけど」


 そんなやり取りを見ていたヴェイキュルは、信じられないとでも言いたげに髪を掻き上げつつ呟く。

 風竜の牙の中でも最大級の攻撃力を持つルズィだ。それだけにその攻撃力に関しては信頼していたし、大抵の相手には負けないと思っていた。

 今回訓練をして貰えるように頼んだレイはともかく、そのレイから訓練を付けて貰っている……つまり自分達と同じ立場であるロドスの実力がここまで高かったというのは、完全に予想外だった。


「相性というのもあるな。一撃必殺を得意としているルズィは、確かにモンスターを相手にすれば強いんだろう。それこそ、純粋にモンスターを相手にするという意味では間違いなくロドスよりも上だ。だが、今回の闘技大会のように人を相手にする場合は一撃の威力だけではどうにもならない。それこそ攻撃を回避し、あるいは命中させる為の技量が必要になってくる」


 ヴェイキュルの近くで今の一戦を見守っていたレイが呟くと、近くで話を聞いていたモーストが不思議そうに口を開く。


「確かに僕達の主な敵はモンスターでしたが、それなりに盗賊の類とも戦っていますよ?」

「盗賊か。確かに盗賊の中にもある程度腕の立つ奴がいる可能性は高いだろうが……俺と模擬戦を重ねてきたロドスと同じような実力の持ち主がいるとでも?」

「それは……いえ、確かに僕たちの驕りでしたね」

「そうだな。それに実際に闘技大会で気が付くよりも前に気が付けたんだからよかったんじゃないか? まぁ、それはともかくとしてだ。ルズィ1人だと相性の問題もあって厳しいようだから、次はヴェイキュルとルズィの2人とロドスで模擬戦だ」


 レイの口から出たその言葉に、驚愕の声が上がる。

 声の発生源はロドス。


「おい、ちょっと待てよ。さすがに幾ら何でも2人を相手にするのは……」

「多数を相手にする訓練も必要だろ。特に予選がバトルロイヤルのような形式なんだから、尚更な」

「それは……」


 レイの言葉にも理があると認めたのだろう。何かを言い掛けるも、途中でその言葉を止める。


「分かったようだな。なら俺はモーストと訓練をするから、模擬戦を始めろ」

「……分かったよ」

「次こそ負けねえからな!」

「私があの2人の間に入っていくの? 色々と不安しかないわね」


 それぞれが呟きながら離れた位置で模擬戦を始めたのを見送り、次にレイは側にいたモーストへと視線を向ける。


「そんな訳で俺達魔法使い組は魔法使い組で訓練といこうか」

「魔法使い、ですか。そういえば確かに深紅という名前が有名になったのは、戦争で巨大な炎の竜巻を生み出してベスティア帝国に対して莫大な被害を与えたからというのが理由らしいですからね。ですが、魔法発動体を持っていないようですが?」


 自分の持っている杖にかなりの自信があるのだろう。モーストはその杖を撫でながらレイへと尋ねる。

 実際、モーストの持っている杖は50年近く生きたトレントの枝から作られたものであり、魔法発動体としての性能は折り紙付きでもあった。

 だが、レイはそんなモーストに向けて首を横に振る。


「確かに魔法使いである以上、魔法を最優先に考えるのは当然だ。……まぁ、俺の場合はローブこそ着ているものの、実際には中距離から近距離の戦闘を得意としている魔法戦士というのが正しいけどな。そして、そんな俺だからこそお前にアドバイス出来ることがある」

「何をですか?」

「まず、魔法使いに限らず弓を使っている者に対しても言えることだが、遠距離からの攻撃を主にしている奴は基本的に接近されると弱い。それは俺が言うまでもなく、自分が一番分かっているだろ?」

「……ええ、それはまぁ」


 頷くモーストの体格は、レイとそれ程の差はない。多少大きい程度だろうか。

 そんなモーストの思いを表情から読み取ったのだろう。ドラゴンローブに包まれていた右手を前へと差し出す。

 握手を求めるその仕草に、モーストは内心で首を傾げつつも応じる。

 そして走る激痛。


「ぐぅっ!」


 まるで掌が砕かれるかと思うような激痛に、モーストの口から苦痛の悲鳴が漏れる。

 それを確認したレイは、すぐにその手を離す。


「分かったか? 今のは極端な例だとしても、痛みがあると咄嗟に魔法は使えない。それに、魔法を使うにしても詠唱が必要となる。まぁ、風竜の牙の場合は前衛、中衛、後衛とバランス良く揃っているから、普通なら問題はないんだろうが……闘技大会に出るとなると、どうしても相手に接近された時の対処は必要になる」


 レイの言葉に、まだ痛みの残る手を振りつつ、恨めしそうな視線を向ける。


「分かってますよ、それくらいは。言葉で言ってくれれば分かりやすいものを……」

「実際にその身で体験してこそ、だしな。百聞は一見にしかず、百見は一触にしかずってな」

「何ですか、それ?」

「百回聞くより、一度でも自分の目で見た方が確かで、百回自分の目で見るより、一度でも直接触った方が確かだってことだな。……で、話を戻すぞ。弓とかは使えるか?」

「いえ。そっち関係は全く。というか、相手に接近された時の対処方法なのに弓なんですか?」


 納得出来ないといった表情で告げてくるモーストに、小さく肩を竦めるレイ。


「別に弓を近接用に使えとは言わないさ。ただ、魔法使いが弓を使えるというのは単純に攻撃手段が2倍になるってこともあってかなり便利なんだよ」


 そう告げるレイの脳裏を過ぎるのは、ランクDへのランクアップ試験を共に受けたエルフのフィールマ。

 弓と共に魔法を使いこなす攻撃手段の多彩さは、レイも思わず驚いた程だった。もっとも、通常の魔法ではなく精霊魔法だったが。


「確かに言ってることは分かります。けど、この杖の他に弓を持てってのは無茶でしょう。そもそも弓を射る時には両手を使う必要がある訳で、そうなれば杖を手放す必要が出てきます。魔法使いの僕にとってこの杖を手放すというのは自殺行為に等しい以上、やりたくはないですね」


 モーストの言葉に頷かざるを得ないレイ。

 レイのような身体能力があれば、あるいは弓と杖の両方を使ってもどうにかなるかもしれない。だがモーストは純粋な魔法使いであり、一般人に比べれば冒険者として高い身体能力を持ってはいるが、それでもルズィやヴェイキュルのような肉体派の相手には到底及ばない。


(クロスボウの類でもあればいいんだが……今まで見たこともないしな)


 既に1年以上をこのエルジィンで過ごし、稀少なモンスターや素材の多く集まる辺境のギルム、ミレアーナ王国の中でも最大級の港街であり、それだけに多くの品が集まるエモシオン、迷宮都市のエグジルを始めとして幾つもの街で過ごしてきたレイだったが、クロスボウを見たことは1度もなかった。


(矢を装填しておけば、強力な矢を放てる。勿論モーストのように小柄な奴が使うのを考慮すれば、クロスボウも小型の物が必要なんだろうが……いや、無理は言えないか。それに今までは確かに見なかったけど、だからといってエルジィン全体を見て回った訳じゃないし。もしかしたらどこかで作られている可能性も十分にある。……構造とか知っていれば俺が作っても良かったんだけど)


 地球にいた時は田舎に住んでいたレイだ。弓道部の類に入っている訳でもないので――そもそも弓道部が存在しなかった――弓矢を使うような機会は全くなかったし、当然クロスボウに関してはゲームや小説で出てきたくらいの武器という半端な知識しかない。

 料理の類であればまだある程度機会もあったので、それがうどんやお好み焼きといった結果に繋がってきたのだが。

 無い物ねだりをしてもしょうがないと、小さく首を横に振る。


「確かに弓は片手だと使えないしな。そうなると片手で使える武器で、尚且つ場所を取らないものか。となると、やっぱりこれだろ」


 呟き、レイがミスティリングから取り出したのは短剣。


「え? い、今のって……もしかしてアイテムボックスですか!?」

「ん? ああ。その辺は知らなかったのか。そうだ、アイテムボックスだ。それよりも、ほら。これをやるよ」


 どうやらレイについての噂の中でもアイテムボックスについては知らなかったらしく、唖然としているモーストへと短剣を渡す。

 ベスティア帝国で深紅の噂が広まったのはセレムース平原での戦いであり、つまりは大鎌、火災旋風、グリフォンという風に、ベスティア軍が大きな被害を受けたものが中心となっている。

 そういう意味では、レイが所属しているミレアーナ王国とは違って偏った噂が多いのだろう。

 実はレイ自身がかなりの巨漢であるという噂も、その辺が理由で広まったものだったりする。


「えっと、その……えー……この短剣、貰ってもいいんですか?」


 何とか建て直したモーストが尋ねるが、レイは全く問題ないと頷く。

 そもそも、モーストに渡した短剣はレイが集めているようなマジックアイテムの類でもなく、モンスターの素材剥ぎ取り用に幾つも持っている物のうちの1本に過ぎない。


(マジックアイテム……ベスティア帝国の帝都なら、かなりの品があるんだろうけどな)


 魔獣兵と呼ばれる程の存在を作り出す程に錬金術が盛んであるのだから、当然マジックアイテムの品揃えも間違いない筈だ。

 そう思うレイだったが、現在の状況で迂闊に宿の外に出るのは色々な意味で問題があった。

 ダスカーの護衛という名目や、自分に対する敵意を抱いている人々。そして鎮魂の鐘という存在。それらを思えば、現状で自ら騒動を起こすような真似をするつもりはない。

 ベスティア帝国上層部の注目を集めるというのが目的なのだが、ここで騒動を起こした場合、下手をすれば闘技大会そのものに参加出来なくなる可能性もある。

 いっそモーストにマジックアイテムを買ってきて貰うか? 一瞬そんな風に考えたレイだったが、買い物というのは自分で選び、納得して買ってこそ楽しいし、掘り出し物の類も見つけられるのだ。


「レイさん?」


 そんな風に考えていると、モーストからの声で我に返る。


「悪い、ちょっと考えごとをな。で、何だったか」

「ですから、この短剣は貰ってもいいのですかって」


 レイが考えている間に、モーストもレイの持っているアイテムボックスを見た衝撃からは完全に立ち直ったのだろう。少なくてもその衝撃を表情には出さずに尋ねる。


「ん? ああ、そうだな。どこにでも売ってる短剣だから、気にする必要は無い。取りあえずこの手の小さい武器ならローブの中にも隠し持っておけるだろ? 後は敵が接近してきた時に使ってもいいし、あるいは……」


 再びミスティリングから取り出した短剣を素早く投擲する。

 それ程力を入れずに行った投擲の為に狙った木の幹に短剣の切っ先が僅かに刺さった程度で動きが止まったが、それでもモーストは驚きで微かに目を見開く。

 短剣の投擲自体はそれ程珍しいものではない。盗賊の類であれば必須技能とまではいかなくても、大抵の者が身につけている。

 現にヴェイキュルが使っているのを幾度か見たことがあった。

 同時に戦士としても身につけている者はそれなりにいる。

 ルズィはその手の技能を持っていなかったが、これまで冒険者として生きてきた中で幾度か見たことがあった。

 尚、この場合の投擲というのは、単純に武器を投げるだけという意味ではない。きちんと短剣の切っ先が相手に突き刺さるように投げることが出来る技能のことだ。


「魔法使いでこの手の技能を持っている人というのは……珍しいですね」

「そうだろうな。けど、そういう認識が広がっているからこそ、相手の意表を突ける。魔法使いだから短剣とかの武器を持っていないって意表をついてな。……まぁ、投擲云々はそれなりに習熟するのに時間が掛かるし、何よりここで練習したら宿の人間に苦情を言われるかもしれないけど」


 そう告げつつ、レイは中庭に生えている木の幹に数cmだけ突き刺さっている短剣を抜き取り、その切っ先をモーストの方へと向ける。


「人に教えるのは慣れてないから、俺が出来るのは実戦あるのみだな。ほら、習うより慣れろだ。掛かってこい」


 こうして、モーストは魔法使いでありながら盗賊もかくやと思われる短剣捌きをするレイとの模擬戦を行うのだった。

 ……モーストとしては、出来れば魔法の訓練をしたかったのだが。






 こうして2日間という時間は過ぎていき、闘技大会の開催日を迎えることになる。

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