第597話

「あんたが深紅だと見込んで、頼む! 俺達にも稽古を付けてくれ!」


 目の前で深々と頭を下げている冒険者と思しき3人組に、レイは困惑の表情を浮かべる。

 今いるのは悠久の空亭の食堂であり、頭を下げている冒険者達、頭を下げられているレイ、面白そうに成り行きを見守っているダスカーとエルク、一瞬だけ視線を向けるもすぐに読んでいた本へと戻るミン、他人事のようにパンを口に運んでいるロドスや護衛の騎士といったお馴染みの者達以外にも、多くの貴族や大商人と呼ばれる者達がいる。

 そんな中で大きく頭を下げている者達がいれば目立たない筈がなく、食堂の中にいるそれらの人物やその護衛達から大いに視線を浴びていた。


「ダスカー様?」

「知らん。お前はまだ一応俺の護衛ってことになってはいるが、闘技大会に出場するってことで実質的にはもう護衛じゃないんだ。その辺はお前の判断で行動しろ」


 もっともなことを言ってはいるのだが、その目に浮かんでいる愉快そうな視線が全てを物語っていた。

 この現状をどうするのか。エルクと共にいい酒の肴だとでも言いたげに、果実酒を口に運びながら成り行きを見守っている。

 宿で過ごし始めてから数日。幾ら快適な宿であったとしても、ずっと宿の中にいる必要もあってダスカーとしても退屈していたのだろう。

 レイやロドスは闘技大会に出場するという名目があるので、実質的にはダスカーが口にしたように護衛を外され、残り二日となった闘技大会に向けて身体の調子を整えている。

 ダスカー以外に悠久の空亭に泊まっている貴族にしても、物見遊山として帝都を見学したりして時間を潰し、あるいはこの機会にと他国の貴族との交流を深めていた。

 だが、ダスカーは長年ベスティア帝国と敵対してきたミレアーナ王国の貴族だ。

 ベスティア帝国内では接触すると目を付けられるだろうという判断もあり、殆どの貴族が自分からは接触していない。

 他に泊まっている商人――いわゆる大商人と呼ばれる者達――にしても、ミレアーナ王国の辺境にあるというギルムは稀少な素材等があって興味深いのだが、商売をする相手としてはとにかく遠すぎる。

 あるいは他の貴族に習って帝都を見物するにしても、色々な意味で狙われているダスカーとしてはその身を無意味な危険に晒すつもりはない。

 幾らエルクのような腕利きの冒険者が護衛をしているとしても、自分から危険な目に遭いたいなどと思うような奇特な精神は持ち合わせていないのだから。

 結果的にダスカーは宿の中で閉じ籠もっており、数人の奇特な人物からの面会に応じることや、レイではないが鈍った身体を鍛える程度しかやることがなかった。

 つまり、有り体に言えば暇を持て余していたと言ってもいい。

 それはダスカーの護衛として雇われているエルクにしても同様で、そんな2人にしてみれば今回のレイに対する訓練希望者、あるいは弟子入り希望者というのは格好の暇潰しに他ならなかった。

 明確に言葉にはしないが、レイへと向ける視線は如実にその意思を表す。


「……ロドス、お前はどう思う?」


 ダスカーとエルクの2人には聞いても無駄だと判断したレイは、現在自分が練習相手を務めているロドスへと尋ねる。

 この時、レイはロドスなら断ると判断していた。

 自分よりも上の実力者との訓練は、当然身につくものも多い。つまりロドスにしてみれば、レイと訓練をすればする程に自らの技量が上昇するのだから。

 それを期待してロドスに会話を振ったといっても過言ではない。

 だが……


「別に俺としては構わないぞ」

「……何?」


 ロドスの口から出てきたのは、レイにとっても予想外なことに他の者の参加を認めるという言葉だった。

 自分の予想とは違った返事に、思わずレイのロドスを見る目がジト目になる。

 そんな目を向けられたロドスは、言い訳するように口を開く。


「いや、確かにレイとの訓練は身になっている……と思う。けど、いつまでもレイだけと訓練をしている状態だと、自分が強くなっているのかどうか分からないってのも事実なんだよ。だから、たまには他の相手と戦ってみたいんだ」

「……なるほど」


 ロドスの口から出た説明には、レイにしても納得するしかない。

 幾度となく繰り返されるレイとロドスの模擬戦。その度に少しずつではあっても確実に強くなっていくロドスに合わせ、レイもまた少しずつ加減を弱めていく。

 しかもご丁寧なことに、ロドスが強くなった分と同じくらいに。

 つまり、ロドスは実際に強くなってはいても全くその実感がないのだ。

 レイの口から強くなっているという言葉と、剣を振るう時の速度や鋭さといったものが唯一自分の強さを実感出来るものだったが、出来れば訓練の時の模擬戦で他人と戦って勝ってみたい。そういう思いが湧き上がってもしょうがないだろう。


(やり過ぎたか?)


 そんなロドスの様子を見ながら内心呟くレイ。

 

(負け癖がつく、というのも色々と不味いのは事実だ。そうなると……)


 チラリ、と自分の方に視線を向けている弟子入り志願者達へと視線を向ける。


(こいつらとロドスが戦って自信を付けさせるというのも、また一興か。それがこいつらにとっても訓練になるのなら文句はないだろうし)


 内心で考えを纏めると、未だに頭を下げている3人に向かってレイは口を開く。


「一応言っておくが、俺も闘技大会には出場する身だ。ロドスの訓練に関しても、殆ど趣味というか、何となく成り行きでやってるだけでしかない。そもそも、俺自身人に教えるというのはそれ程得意じゃないしな。お前達の訓練を引き受けた場合、基本的にロドスとの模擬戦が多くなる。それでもいいのなら引き受けよう」

「本当か!」


 殆ど反射的と言ってもいいような速度で、3人の中でレイに訓練を付けて欲しいと声を掛けてきた人物が頭を上げる。

 その表情に浮かんでいるのは間違いなく喜びの色であり、喜色満面と表現するべき笑みだった。


「ありがとう、腕試しに闘技大会に出場するつもりだったんだが、あんたみたいな腕利きに訓練を付けて貰えるのならここまで来た甲斐があったってもんだ。なら早速訓練を……」

「ルズィ、まだ食事中よ。それにまだ自己紹介もしてないじゃない。慌てすぎ」


 男の後ろにいた、髪を短く切り揃えている女が窘めるようにルズィと呼ばれた男へと告げる。

 最後の1人、年齢としてはレイと同年代か若干年上といった、杖を持った男も女に同意するように頷く。


「そうですよ。慌ててもいいことはありません。常に冷静でなければ闘技大会で勝ち残ることは不可能でしょうし、何より依頼に関しても失敗するかもしれませんからね」


 他の2人に続けて言われると、ルズィにしても言い訳出来なかったのだろう。恥ずかしさを誤魔化すように後頭部を掻き、口を開く。


「そうだな、確かに色々と性急だった。訓練については食事が終わってからでもいい。その間に自己紹介をしたいんだが、構わないか?」

「……そうだな、そうしてくれ」


 周囲にいる他の客からの物珍しそうな視線、あるいは自分も昔は似たようなことをしたというような思い出深い視線。

 当然ここがベスティア帝国である以上、レイやダスカーに対して含むものがある視線もあるが、悠久の空亭に初めて泊まった時に比べると大分少なくなっているのも事実だった。

 最も強い視線を向けているのは、当然ながら今回の件を大歓迎で迎え入れたダスカーとエルクだったのだが。

 そんな2人から視線を逸らすように、レイは残っていた料理を持って近くにある別のテーブルへと移動する。


「で、まずは自己紹介といこうか。それぞれ自分の名前と得意な武器やパーティでの役割を教えてくれ」


 促しつつも、スープとパンを食べるのを止めない。

 野菜スープは肉や野菜をじっくり長時間煮込んであり、煮込んでいた野菜や肉が溶け、あるいは解れたところに、改めて追加の野菜や肉を入れるという非常に手間暇の掛かったものだ。

 小麦粉の類を使っていないにも関わらず、粘度の高いスープがどれだけ手間暇を掛けられているのかを証明している。

 パンにしても帝国で一般的に食べられている黒パンだが、一般的な黒パンの印象とは違って非常に柔らかい。

 特に黒パン特有の酸味とスープが非常に合い、いつまでも食べていたいと思わせる味だ。

 下級貴族では泊まれないような高級な宿だけあって、料理を作っている者の腕は非常に高く、今までレイが食べた料理の中でもトップクラスに美味い料理だった。

 当然そんな料理をレイがストックしない筈がなく、料理長に要望して巨大な鍋一杯に作って貰ったのをミスティリングの中に収納してあるのは言うまでもないだろう。

 そんな料理を食べているレイの前で最初に口を開いたのは、当然の如く修行を付けて欲しいと頼んできたルズィだった。


「俺はルズィ。武器はこのクレイモアだ。このパーティ、風竜の牙のリーダーをやっている」


 年齢としては10代後半から20代前半。ロドスと同年代くらいだろう。

 金属のハーフプレートを装備しており、その身体は見るだけで鍛えられていると分かる筋肉が詰まっている。

 その背には、ルズィの言葉通りに普通よりも大きめのクレイモアの姿がある。


(典型的なパワーファイターか)


 ルズィの言葉に頷いたレイは、次に女の方に視線を向ける。


「私はヴェイキュル。見ての通り武器は短剣の二刀流で、速度を活かした戦いを得意としているわ。このパーティの盗賊でもあるわね」


 腰の両脇にある鞘から、一息で短剣を取り出すヴェイキュル。

 手の中で回転させると、そのまま鞘へと戻す。

 一連の動きを見ただけでも、短剣の扱いに慣れているというのは明らかだった。

 先程のルズィに掛けた言葉を聞けば分かるように、かなり気の強い性格であるらしい。

 次、と最後の1人へと視線を向けるレイ。


「最後は僕ですね。僕はモースト。この杖を見て貰えば分かると思いますが、魔法使いをしています。得意な属性は風と水。一応このパーティの中では一番冷静に物事を判断出来る性格ですね」


 長さ1m程の杖を持ち、レイと同年代の少年が表情を殆ど変えずにそう告げる。

 自分で言った通り、冷静さを持ち味としているのだろう。

 また、レイの目から見てもモーストが着ているローブはかなりの高級品であることが分かった。


(魔法使いのローブで高級品。恐らく何らかのマジックアイテムであるのは間違いない、か)


 冒険者に成り立てのような魔法使いであるのならともかく、護衛としてきたのか、あるいは後援者でもいるのか、はたまた自腹なのかは不明だが、それでも悠久の空亭に泊まるような魔法使いなのだから、冒険者としての初心者ということはありえないだろうとレイは判断する。

 3人の戦闘方法や役割はバランスが良く、理想的と言っても良かった。

 前衛を務めるルズィに、後衛で魔法を使うモースト。盗賊のヴェイキュルは臨機応変に2人のフォローが可能だろう。


「なるほど、バランスのいいパーティだな」

「へへっ、そうだろ」


 レイの口から出た褒め言葉に、ルズィが胸を張って笑う。

 その表情は、自分のパーティ風竜の牙に対して自信を持っていることの証でもあった。

 だが、その笑みも次にレイの口から出た言葉で消えることになる。


「けど全員で闘技大会に出るとなると、色々と問題があるな」

「なっ! 褒めたと思ったら、いきなりそれかよ!」

「落ち着きなさいよ、ルズィ。深紅の言っているのは事実よ。あんたはともかく、一撃の重みに欠ける私と、魔法使いである為に魔法を発動させるのに詠唱を必要とするモースト。どっちも予選ならともかく、一対一で正面から戦わないといけないと本戦のトーナメントで勝ち残れるかと言われれば、難しいのは事実よ」

「そうですね。大体、僕は純粋な魔法使いなんですから、どうしても1人で戦わないといけないとなると不利になります」


 リーダーのルズィはともかく、他の2人は思いの外自分達の現状を理解していると知り、内心で感心するレイ。

 そして、内心の感心ついでにふと気になっていたことを口に出す。


「それにしても、よく俺に稽古を付けて貰いたいと頼む気になったな。一応これでもベスティア帝国内では色々と悪名が広がっているんだが」

「悪名? ああ、戦争のことか。確かにその辺を気にしている奴が多いのも分かるが、そもそも戦争で殺した、殺されたってのを責めても切りがないだろ。大体、あの戦争だって仕掛けたのはこっちからなんだし」

「それに、私達の関係者は誰も戦争に参加していなかったってのも大きいわね」


 ルズィが何を言っているんだ? とばかりに首を傾げ、ヴェイキュルがそれを捕捉するように説明する。

 モーストは小さく肩を竦め、無言でそれらの意見に賛成していた。


(なるほど。自分達に被害が出ていないからってのもあるが、プロ意識も強いのか)


 納得しつつ、レイは口を開く。


「話は分かった。なら早速この後で訓練をする予定だから、それに付き合って貰おうか。ああ、それと俺のことはレイでいい。深紅ってのは色々と大袈裟過ぎるからな」

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