第596話
夏の暑さも既に一段落し、季節はほぼ秋に入っている中。
夏の早朝というのは日中に比べると涼しいが、それでも夏であるのには変わらない。
だが、秋となりかけている時期ともなれば、寒さに弱い者であれば多少の肌寒さを感じるかもしれない、そんな時間帯。
「はああああぁぁあっ!」
雲一つない青空の下、朝日が降り注ぐ中で悠久の空亭の中庭に雄叫びの声が響いていた。
雄叫びと共に突き出される、模擬戦用に刃を潰した長剣の切っ先を皮一枚、数mmの見切りで回避する。
だが、突きを放った方もあっさりと自分の攻撃が通じるとは思ってはいない。いや、寧ろ回避されるのを前提として攻撃を組み立てていたのだろう。
そのまま素早く長剣を引き戻し、再び連続して突きを放つ。
幾ら刃を潰してあるとはいっても、長剣の切っ先は当然尖っている。並の人間でも力一杯突けば木の幹に突き刺さる程度の鋭さはあった。
更に、それを振るっているのが高い戦闘力を持ったランクC冒険者であるロドスであれば、当然刃を潰していても、その長剣の一撃は容易に人の命を絶つことが出来るだろう。
だが、当然それは相手が常人であれば、だ。
幾度となく連続して繰り出される突きの全てを見切られているロドスにしてみれば、手加減など考えている余裕は一切ない。
事実、レイは数秒の間に繰り出された10を超える突きの全てを見切ったように回避していたのだから。
それでも尚諦めてたまるかと次々に繰り出される突きを、極限の見切りでその全てを回避するレイ。
武闘は舞踏に通ず、というのを現すかのように、その光景はまるで息を合わせた踊りのようにも見えた。
「……嘘、だろ。何だよあの化け物。あれだけの速度の突きを休み無く繰り出せる方も大概だが、その全てを回避し続けているって……」
「ああ。しかもあの回避している方の坊主の動きを見ろ」
「……うげ。攻撃の流れを読んで回避しているんじゃなくて、全てを見てから回避してるのかよ」
「そうだ。普通なら相手の攻撃の予兆を読んで、その攻撃を予測して回避するってのに……」
「あ、私知ってるわよ。あの子ってミレアーナ王国から来た貴族の護衛らしいわ。宿の人が話しているのを聞いた限りだと」
「護衛? ……だよな、そうだよな。護衛なんだから闘技大会に出場したりはしないよな?」
「それを言うなら、俺達だって護衛としてやって来ているんだが? そもそも、そうじゃなきゃこんな超が付く一流の宿に泊まれる訳ないだろ」
「ぐっ、それは確かに。……けど、あいつらの戦いを見ていると自信をなくすぜ」
「そうね。実際あの子供にいいようにあしらわれている男も、実力だけを見れば十分に高いものを持っているわ。ただ単純にあっちの子供の方が圧倒的過ぎるのよ。優勝出来るとはさすがに思ってなかったけど、ああいう子がいるのを見ると決勝に出るのも難しそうに思えるわね」
「いや、寧ろ個人戦になる決勝と違って、大勢での混戦だからこそ実力以上の相手にも勝ち目はあると考えるべきだ」
「言いたいことは分かるけど、集団の力を使って決勝トーナメントに残っても、多分一回戦であっさり負けるだけよ?」
「決勝トーナメントに出場した時点で注目度は抜群だからな。仕官の道だけを考えるのなら、それで十分だ」
「けど、折角決勝トーナメントまで出たのなら、上位に残って賞品とか賞金を……」
「夢を見るのはいいけど、現実をしっかり見た方がいいぞ」
レイとロドスの戦い……否、模擬戦を見ながら、周囲にいる者達はそれぞれ思うところを口にする。
ここは悠久の空亭の中庭。
ベスティア帝国の中でも最高級の宿だけあり、中庭ではあってもかなりの広さを持つ。
現在、その中庭には悠久の空亭に泊まっている者達の護衛としてついてきた者達や、個人としての名声で、あるいは後援者と共に宿に泊まっている者達が身体を動かすべく集まっていた。
この宿に泊まれる人物の護衛として帝都まで来た者達なのだから、当然全員が世間ではベテランや凄腕と言われるだけの実力を持っている。
他にも個人でこの宿に泊まれるだけの実力を持っている者や、後援者がいるということは当然それだけの実力を求められるのだが……
そんな人物達が、揃いも揃ってレイとロドスの模擬戦を呆然と眺めていた。いや、眺めるしか出来なかったというのが正しいだろう。
勿論最初はこの場所で身体を動かす為に集まってきた者達にしても、レイやロドスの実力を見定めようという思いがあったのは間違いがない。
だがその戦いぶりを見ていれば、いやでもお互いの実力差を理解させられる。
それだけの実力を持っているというのが、この場にいる者達にしても不幸だったのだろう。
自分達では到底敵わない相手がいると承知の上で、闘技大会に参加せざるを得ないのだから。
この場にいる以上は当然自分の実力に自信があっただけに、その衝撃は激震となって見学している者達に降り掛かっていた。
そんな衝撃を受けた者達が取るべき道は2つ。
「ちっ、やってられるか馬鹿らしい。ほら、戻ろうぜ。あんな奴等と同じ場所で訓練していたら、俺達の動きまで変な影響を受けちまう」
吐き捨てるように呟き、未だに模擬戦を繰り広げているレイとロドスを苛立たしげに睨みつけて去って行く集団。
「……さぁ、やるぞ。あいつ等は確かに強いかもしれないが、闘技大会が始まるまで少しだが時間があるんだ。その少しの時間で俺達はまだまだ強くなる。今は無理でも、少しでもあいつ等に追いつく為に訓練あるのみだ」
今の時点ではレイやロドスに負けてはいても、いずれかならず追いつき、追い越してみせると訓練に熱を入れる集団。
割合としては前者の方が多かったのだが、どちらの方が将来性が高いかと言えばそれは明らかだろう。
レイやロドスとしてはただ模擬戦をやっていただけなのだが、それだけで周囲に影響を与えていたのには全く気が付いていなかった。
結果的に、その模擬戦を見てロドスはともかくレイと当たったら絶対に勝てないと実力の差を感じてしまい、闘技大会を辞退する者が数名出ることになる。
「うおおおおおっ!」
連続して突きを放ち続け、その全てを回避されていたロドスは、最後の一撃だとばかりに気合いを入れ、全力を込めて突きを繰り出す。
避けやすい頭部ではなく、もっとも回避しにくい胴体を狙って放たれた突きは、レイが半身を引くことにより回避される。
その最後の一撃の突きでピタリと止まった長剣だったが……次の瞬間、突きの姿勢のまま強引に横薙ぎの一撃へと変化して横薙ぎの一撃が放たれた。
「っと」
その唐突な一撃にはレイも驚きの声を上げる。
だが、その驚きも一瞬。次の瞬間には無造作に両手を伸ばすと、自分目掛けて振るわれた長剣の刀身を挟み込むように受け止めた。
いわゆる、真剣白刃取り。
「んなっ!」
ロドスにとっても自信のある一撃だったのだろう。その一撃をまさか素手で止められるとは思っていなかったのか、間の抜けた声が口から漏れる。
「はい、残念と」
刀身を握りしめたまま強引に引き寄せ、目の前で見た光景に唖然としていた為に武器を手放すという決断が出来なかったロドスは、そのまま体勢を崩して無防備な身体を晒し、次の瞬間には顎先数mmの位置にレイの右拳が存在していた。
刀身を掴んだのに何故? そう思って視線だけを下の方へと向けるが、そこにあったのは左手だけで動きを止められた自らの長剣。
「……参った」
これ以上ない程の完璧な負け。
それを理解したロドスの溜息と共に吐き出された言葉に、レイも顎先に突きつけていた右拳を引っ込める。
「最後の攻撃はそれなりに良かったと思うぞ。ただ、そこまで持っていくのに突きを多用しすぎた」
ロドスから離れながら告げたそのアドバイスに戻ってきたのは、胡散臭そうな視線だった。
「何だ?」
「幾ら何でも、あんなとんでも技に対応出来るかよ」
「とんでも技?」
少し考え、すぐに先程の真剣白刃取りを思い出す。
「いや、別にそれ程難しい技じゃないぞ? 勿論簡単だとも言えないけど。……ただ、実戦ではあまり使い勝手はよくない」
「何でだ? 素手で相手の武器を無力化出来るんだから、凄い便利な技じゃないか」
そんなロドスの声が中庭に響き、離れた場所で訓練を行っていた者達が密かに内心で同意する。
レイとロドスの模擬戦を見て、それでも尚自らを高めることを忘れなかった者達だったが、2人の模擬戦はレベルが高かった為か、下手に訓練するよりも模擬戦を見ていた方が自らの糧となると判断し、中庭にいた殆どの者が注目していたのだが……まさか刃が潰されているとはいっても、長剣を素手で止めるというのは予想外すぎた。
それ故に、あの技術を本格的に自分のものに出来れば絶対に役立つ。そう判断したのだが、何故かその技を披露したレイは実戦で使いたくないと言い、その理由に皆が興味深げに注目する。
「今回は刃が潰れているって分かってたから使ったけど、もしこれが本当の長剣だったりしたら、タイミングが少しずれただけで掌だったり手首だったりが斬り飛ばされるぞ? それに魔剣のようなマジックアイテムだったりした場合、下手に刀身を掴んだらそこから炎とか氷とか雷とかでダメージを受けかねないし」
「……なるほど」
聞いてみれば納得といった理由だった。
勿論相手との技量が隔絶していれば話は別だろうが、その場合でも魔剣の類を持っている相手がいないとも限らない。
そのいい例が以前レイに絡み、その後ランクアップ試験で一緒になったアロガンだろう。
剣の技量自体はそれ程高くなかったのだが、武器として魔剣を持っていた。
その魔剣の能力が炎を生み出すとかいったものではなかった為に、それ程の危険はなかった。だがその経験を元にした場合、とてもではないが真剣白刃取りは実戦で使える技ではない。
「ま、そんな訳で模擬戦だからこそ出せた技だな。けど、今まで使っていなかった技を使わせたんだから、間違いなく腕は上がってきているぞ」
レイの口から出るのは珍しい褒め言葉に、ロドスの口が笑みを浮かべる。
実際、レイを一瞬ではあっても焦らせたのは事実なのだから、その辺は褒められて然るべきだろう。
もっとも、レイとロドスの間にまだ大きな実力の開きがあるというのは、額に大量の汗を浮かべているロドスと全く汗を掻いていないレイを見比べれば明らかだ。
「闘技大会までの残りを考えれば、何とかレイに対して一矢報いてやるからな」
「ああ、楽しみにしてるよ」
確かに現在はまだお互いに大きな差があるが、それでもロドスはさすがにエルクの息子だけあって、日に日にその力を伸ばしている。
レイとしても追い抜かせるつもりは全くないが、それだけに日々成長しているロドスという存在は興味深いものがあった。
(最初は予選を勝ち抜けるのも難しいと思ってたけど、この調子なら決勝トーナメント進出も可能か? ……ただ、予選のバトルロイヤルは余程に実力が離れていない限りは完全に安心は出来ないしな。その辺の駆け引きも観客にしてみれば見所なんだろうが。賭けに関しても、決勝トーナメントより盛り上がることも珍しくないって話だし)
内心で呟きつつ、そろそろ宿の客が起きてきた音がしたのを聞き、近くに用意してあった布をロドスの方へと放り投げる。
「ほら、そろそろ朝の訓練は終わりだ。朝食の準備も出来ているだろ」
「ん? ああ、そろそろそんな時間か」
顔にびっしりと浮かんでいる汗を拭いつつ、ロドスが空を見上げる。
秋晴れ。そう表現するのが正しいのだろう快晴であり、本来であれば秋の初めということもあってまだ気温が高くなるのだろうが、今はまだ朝の為かかなり過ごしやすい気温だ。
そんな天気の良さを実感しつつ、レイとロドスはそれぞれ中庭を後にする。
それを見送っていた者達は、先程のやり取りを思い浮かべつつ自分達の訓練へと没頭していく。
視界からあれ程の動きをしていたレイやロドスの姿が消えたのを半ば残念、半ば安堵の気持ちを抱きつつ。
「じゃ、先に食堂に行っててくれ」
「ああ」
短く言葉を交わし、ロドスと別れるレイ。
何故真っ直ぐに食堂へ向かわないかは、ロドスの姿を見れば一目瞭然だろう。
汗を拭ったとはいっても身体中に掻いた汗はそのままな訳で、一端部屋に戻って身だしなみを整えてから食堂へと向かうのだ。
ここが普通の宿であれば、汗を掻いたまま食堂に向かっても全く問題はない。
だが、この宿はベスティア帝国でも最高級の……即ち、エルジィンの中でも他に類を見ない程の宿だ。泊まっているのも相応以上に地位のある貴族や大商人であり、そんな場所に汗臭いままで向かえばロドスの雇い主であるダスカーが侮られることになるだろう。
それ故にロドスは身だしなみを整える必要があった。
レイは汗一つ掻いていなかった為、ドラゴンローブを軽くはたいて埃を落とすだけで済んだのだが。
こうして、闘技大会までの数日は過ぎていく。
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