第585話
まるで箒で掃いた後のような雲が見え、夏に比べると大分柔らかくなってきた日差し。そんな、少し早い秋晴れの中……
「ぐおおおお!」
振るわれるクレイモアを、まるで猫のようなしなやかな身のこなしで回避し、相手の懐へと入り込む。
2m以上の身長を持ち、身体中が筋肉で出来ているかのような騎士の鎧へと触れる手。
武器を突きつけている訳ではなく、純粋に巨漢の騎士の胸元へと触れ……
「はぁっ!」
そんな声と共に魔力を放つ。
一見すると鎧には何の変化もなく、騎士の男にダメージを与えられるようには見えない、そんな一撃。
だが、次の瞬間には男の口から……否、それどころではない。耳、鼻、目といった顔中から血が流れ出す。
「ごぼ……」
喉からせり上がってきた血の塊が呼吸を困難にしたのだろう。呼吸を半ば無理矢理止められて苦しげに呻いた騎士の男は、そのまま地面へと倒れ伏す。
地面に倒れた男の頭部から周囲に広がっていく血。
その光景を作り出す原因となった人物は、何かを確認するかのように幾度か手を握る。
「悪くないわね」
妖艶な笑みを浮かべるその姿は、何も知らない者が見れば一目で目を奪われるのは間違いない。
それ程の魅力を秘めて笑みを浮かべる人物は、自分に近づいてくる足音を聞きそちらへと視線を向ける。
「そっちは片付いたの?」
「ええ。問題なく。……しかし、ヴィヘラ様。幾ら何でも凄惨すぎませんか?」
握っていた長剣の刀身についていた血を振り払い、鞘に収めつつテオレームは呆れたように告げる。
ちなみに元々使っていた長剣はエルクとの決闘で破壊されており、その後レイから粗悪品の長剣を貰ったのだが、今使っているのはその粗悪品ではない。
ベスティア帝国に戻ってきてから用意した業物の長剣だ。
そんなテオレームの言葉に、ヴィヘラは小さく肩を竦めて笑みを浮かべる。
その際に豊かな双丘がユサリと揺れるのが、薄衣を幾重にも重ねた踊り子の如き衣装の下に見えていた。
だがテオレームはその光景から意識的に視線を逸らし、改めて地面に倒れている相手へと視線を向ける。
確認するまでもなく、既にその命の炎が消えているのは理解出来た。
「そう? 私を襲ってきた以上、命の覚悟をするのは当然でしょ。……それで、この盗賊の振りをした相手はどこの手の者だと思う?」
呆れたように呟くヴィヘラは、自分が倒した相手に視線を向けながら尋ねる。
盗賊の仕業に見せかけようとしたのだろうが、慣れない装備を使うのを嫌がった者もいたのだろう。
ヴィヘラが倒した相手の他にも、見るからに騎士としか思えない装備をしている者の姿がある。
腕に余程の自信があり、戦い慣れた自分達騎士の姿を見られても、襲撃した相手を皆殺しにしてしまえば問題ないと判断したのだろう。
甘いとしか言えないその考えを浮かべて襲い掛かり、ヴィヘラという存在をその目にして思わず迷いを抱いたところに、ヴィヘラやテオレーム、それ以外の者達が怒濤の攻撃を仕掛け……結果的に一方的な蹂躙に近い結果となった。
襲撃を仕掛けてきた方が蹂躙するのならまだしも、襲撃された方が蹂躙するというのはかなり珍しい光景だろう。
中でもヴィヘラと戦った相手は、ここ暫くの修行の成果とばかりに新技の実験台にされたのだから尚更だった。
「それにしても、この短時間でここまで技を昇華させるとは……さすがですね」
称賛の念を抱きつつ告げるテオレームに、ヴィヘラは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「前々から考えてはいたのよ。私の魔力は大きいけど、魔法を使うには向いていない。その結果余っている魔力をどうにか有効活用できないかってね。手甲とかに回すだけだと魔力の消耗は殆どないし」
「その結果がこれ、ですか」
ヴィヘラとテオレームの視線が、地面に倒れて顔中から血を吹き出し絶命している男へと向けられる。
ヴィヘラがやったのは、魔力を用いて相手の体内に直接衝撃を通して内臓そのものを破壊する技。
もしもレイが見れば、日本にいた時のアニメや漫画といったものの知識から浸透勁や裏当てといった言葉を連想するだろう。
原理的にはミレイヌが使っているショック・ウェーブという技に近いものがあるのだが、魔力が足りないミレイヌと違ってヴィヘラの場合は豊富な魔力がある。その差が、今のこの光景を作り出していた。
「ええ。確かに私はレイに負けたわ。だからこそ、あの人に対して恋愛感情を持ったし、愛してもいる。けど、だからといって私としても負けたままってのは面白くないのよ。今度戦う機会があったら次こそは私が勝つ為にも、新しい力は必要でしょう?」
喋っている内容は非常に物騒なのだが、その顔に浮かんでいる笑みが恋する乙女にしか見えない辺り、ヴィヘラの特異性が表れている。
(あの技を食らえば、さすがにレイでも致命傷になりそうな気が……)
そうも思ったテオレームだったが、もしそれを口にすれば自分が代わりに実験台にさせられそうな気がして、結局口に出すことはなかった。
(ヴィヘラ殿下程の美女に好意を寄せられているのを思えば、この程度は許容範囲内だろう。……私はごめんだが)
エルクとやり合える程の実力を持つテオレームではあったが、それでもあの内部破壊の技を食らえば致命的なダメージを受けざるを得ないと判断せざるをえない。
実際にそれ程の威力を誇るのは、視線の先の死体を見れば明らかだった。
そんな風に考えているテオレームをそのままに、ヴィヘラは周囲を見回す。
幸い周辺には誰もおらず、この戦闘――と呼ぶには一方的過ぎたが――を見た者はいなかったらしいと知り、安堵の息を吐く。
ここが街道の類ではなく、後ろ暗いところのある者が通る場所だというのも影響しているのだろう。
「それにしても、私を見て一瞬動きが止まったということは、私がテオレームに協力しているということを知らなかったのよね?」
「そうでしょうね。情報を与えられなかったのか、あるいはそもそも入手出来ていなかったのか」
ヴィヘラとテオレームがベスティア帝国に戻ってきて、既に半月程。それなりに活発に動いているのだから、ある程度の目や耳を持っている者はヴィヘラがテオレームに協力しているということを既に知っていてもおかしくはない。
だが、今回襲い掛かって来た者達はそれを知らなかった。
「意図的に情報を与えなかった、という方に一票ですね」
そう告げながら姿を現したのは、テオレームの副官でもあるシアンス。
手に槍を持っており、その穂先も血で汚れている。
「私とテオレーム様だけであればともかく、ヴィヘラ様がいる以上好んで戦闘をしたいと思う者はそう多くないでしょう。それを避ける為に敢えてヴィヘラ様の存在を隠し通したのではないでしょうか」
「だが、それでも実際に対面すればヴィヘラ様の存在を隠し通すのは不可能だ。実際、こいつらもヴィヘラ様の姿を見て動揺し、その隙を突かれてこの結果となったのだから」
「ええ。ですから、それでも構わないと今回の件を企んだ者は踏んだのでしょう。ヴィヘラ様が実際にどの程度の戦闘力なのかを計る為、あるいは消耗戦を狙って……というところかと」
消耗戦。その言葉を聞いてテオレームの眉がピクリと動く。
第3皇子派は自分を含めて精鋭揃いであるという自負はある。
だが人数的にはあくまでも少数であり、それぞれの体力も無限という訳ではない。
シアンスの言葉通り消耗戦を仕掛けられるとなれば、非常に苦しい戦いを強いられることになる。
「人数が少ないという弱点を補う為に、私達が動いているんでしょ。……さ、いつまでもここにいてもしょうがないわ。さっさとブーグル子爵のところに向かいましょ。こちら側に付いてくれる可能性が高いんでしょ?」
「そうですね、向こうもヴィヘラ様がこちらについているというのは既に知っているでしょうし、恐らく待ち侘びているでしょう」
ヴィヘラの言葉に、テオレームが笑みを噛み殺すように呟く。
ブーグル子爵というのはまだ20代であり、ヴィヘラやテオレームと同世代と言ってもいい。
だが数年前に当主だった父親が病気で死んでおり、まだ若い長男が後を継いだのだ。
そして何よりもテオレームにとって重要だったのは、その若き子爵がヴィヘラに心酔していたということだ。
もしもヴィヘラが帝国を出奔しておらず、自らの派閥を作るようなことになっていれば間違いなくその中にはブーグル子爵がいただろう。
それ程にヴィヘラに心酔している人物だった。
(男として美しいヴィヘラ様に……というのなら珍しくないのだが、異性というよりは性格に惚れたといったところだからな)
言うなれば、漢気に惚れたというのと似たようなものだろう。
もっとも、それだけにテオレームとしてはヴィヘラとレイの関係を思えば不安な要素もあった。
(ブーグル子爵は軽い性格を装ってはいるが、その実人を見る目は厳しい。それを表に出さないから、他者には分かりにくいが……さて、その厳しい目でヴィヘラ様とレイの関係を知ったブーグル子爵がどう出るか……悪い方に動かなければいいんだがな)
「テオレーム、どうしたの?」
内心で考え込んでいると、それを疑問に思ったのかヴィヘラが声を掛ける。
その声で我に返ったテオレームは軽く首を振り何でもないと示す。
「ヴィヘラ様、テオレーム様。ここで時間を無駄に浪費する必要もないかと」
そんなシアンスの言葉に2人は小さく苦笑を浮かべ、死体をそのままに数名の部下達を引き連れたまま先を急ぐのだった。
「ヴィヘラ殿下!? おお、本当にヴィヘラ殿下ですか!? 門番から話を聞いた時は、何を馬鹿なと思いましたが……まさかこうして再びお目に掛かれるとは……このティユール・ブーグル。嬉しさのあまり感動を歌にしてしまいそうです!」
道中で盗賊の振りをした騎士達との戦闘を終えてから数時間後、ヴィヘラ、テオレーム、シアンス3人の姿はブーグル子爵の屋敷の中にあった。
幸いにも門番がヴィヘラの顔を知っており――ブーグル子爵の部下としては当然だが――すぐに当主であるティユールへと知らされ、こうして面会をしていたのだが……
「ブーグル子爵、相変わらずね。変わってないようで安心したわ」
「そんな、殿下こそ……ああ、いえ。殿下は随分と変わって……その、何と言えばいいのか。幾ら殿下がお美しくても、それを見せびらかすかの如き服装はどうかと。私を含めて目の毒としか……」
そう告げつつも、ティユールの視線には欲望の類は存在しない。
ティユールにとってヴィヘラというのは、尊敬すべき対象ではあっても性欲の対象ではないのだ。
その辺の区別を意識的にやっているところがティユールの非凡な才能でもあった。
自らの容姿が人目を惹き付けるというのを理解しているヴィヘラにしてみれば、その手の視線を向けてこないティユールは非常に付き合いやすい相手であり、それ故に今回こうして手を貸して貰う為にやってきたのだから。
「ああ、ヴィヘラ殿下の美しさを後世に残す為には、この光景を絵画に……いえ、それでは遅い、遅すぎる。それよりもやはりここは吟遊詩人を呼んで……」
真剣な表情で、どうヴィヘラの美しさを後世に残すのかを検討するティユールに、その場にいた者達は思わず苦笑を浮かべる。
これが、これこそがティユールであり、ヴィヘラが出奔した時から何も変わっていないのだと。
「落ち着きなさい。それで、私がここに来た理由だけど……」
「ええ、理解していますよ。テオレーム殿が共にいるという事は、軟禁されているメルクリオ殿下をお助けするのでしょう?」
「……そうね」
あっさりと断言をするティユールに、ヴィヘラが納得したように頷く。
軽い性格に騙されがちではあるが、目の前にいる男が有能なのは間違いがない。
更にティユールは独自の諜報網……とまでは呼べないものの、情報を集めるルートがある。
「帝都の方にも私の芸術家仲間がいますので、多少は情報を手に入れることも出来ますから」
吟遊詩人や歌手、画家、彫刻家といった芸術関連に対して深い造詣を持つと共に、才能はあるもののまだ芽が出ていない者達に対する後援活動を行っている関係上、本人が帝都にいなくてもある程度の情報は入ってくる。
貴族の中には同じように芸術家の類の後援活動を行っている者もいるが、ティユール程に本人がそちらに対して才能を持っていないことも多く、芸術家の卵に対する影響力はそれ程高くはない。
「それに、ヴィヘラ殿下は家族思いですからね。今の状況を知ればきっと何らかの行動を起こすのではないかと思っていました」
「……そうか、では私に協力してくれると思ってもいいのだな?」
「はい。……ですが、私が協力するのはあくまでもヴィヘラ殿下であって、テオレーム殿ではありません。その辺をお間違えの無いよう」
ヴィヘラに向けているのとは全く違う鋭い視線に、テオレームは苦笑をしながら頷くのだった。
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