第584話

「テオレーム様の部下をしているキューケンと申します。この度は急だったにも関わらず受け入れて頂き、ありがとうございます」


 キューケンと名乗った女は、視線の先にいるダスカーに向かって深々と頭を下げる。

 当然ダスカーと面会をするのだから雨に濡れたローブは既に脱ぎ去っており、動きやすさを重視した格好をしていた。

 傍目から見れば緊張しているようには見えなかったが、キューケンと名乗った女は視線の先にいるダスカー、そして何よりも護衛として側に控えているエルクの底知れぬ強さを本能的に感じ取り、内心では向こうに戻ったらテオレームに対して愚痴の一つや二つは聞いて貰おうと考える。

 そんなキューケンの様子に気が付いた様子もなく、ダスカーは頷きを返して口を開く。


「ああ、この印の付いている短剣を持った人物を連絡員として向かわせるというのは聞いていたからな。……一応返しておくぞ」


 ダスカーが持っていた短剣を近くにいる騎士へと渡すと、その騎士がキューケンへと近づき短剣を渡す。

 その短剣を懐にしまい込んだキューケンは、小さく頭を下げてから口を開く。


「ありがとうございます。それで、早速なのですが……」

「ああ、伝令だったな。どんな話だ?」

「まず一つ。現在テオレーム様は、ヴィヘラ殿下の協力を得て戦力を拡充しつつあります。勿論第3皇子派がそんな真似をしていると他の派閥の者達に知られれば色々と面倒なので、見つからないようにですが」

「その辺の話は聞いている。ヴィヘラ殿の人気は高いんだろ?」

「はい。おかげで戦力も徐々に集まってきてはいます。……もっとも、信頼出来る相手というのが大前提なので、増えている人数は徐々にといったところですが」

「だろうな」


 テオレームの名前が出た時には微かに眉を顰めたエルクだったが、すぐにそれを表情から消してキューケンの言葉に頷く。

 セレムース平原での決闘により、向こうの立場を理解して一応の納得をしたエルクだったが、それでもやはりすぐに全てを水に流すという真似は出来ないらしい。

 妻として……というより長年エルクと共に歩んできた仲間としての勘でそれに気が付いたミンは、そんなエルクを落ち着かせるようにそっと背を撫でる。

 そんなやり取りをしているというのは全く気が付かないキューケンは、続いて口を開く。


「そして次ですが、正直に言えばこの情報を知らせる為に今回私が派遣されたとしても言い過ぎではありません」

「ほう? 仰々しいが……どんな情報だ?」

「ベスティア帝国の中でも暗殺、誘拐、扇動のように後ろ暗いことを引き受ける、鎮魂の鐘という組織があります。勿論この手の組織は他にもあるのですが、この鎮魂の鐘という組織は凄腕の集団として知られています」


 キューケンの言葉に、エルクの眉が再び顰められる。

 基本的には真っ直ぐな性格のエルクにしてみれば、その手の裏の組織というのはあまり好まない。

 勿論ランクAという高ランク冒険者である以上は、必要悪だと知ってはいるのだが。

 そんなエルクの様子を見て口にした訳ではないだろうが、キューケンは鎮魂の鐘に関しての説明を続ける。


「また、鎮魂の鐘は裏組織としての義理も重要視しており、恩には恩を、裏切りには裏切りを返すと言われています。実際、以前裏の仕事を頼んでおきながら口封じをしようとした貴族は、言葉にするのも避けたい程に最悪な最後を迎えたとのこと」

「義理堅い裏の組織か。……義理堅いかどうかは知らないが、それらしいのとは既に接触済みだ」


 ダスカーの口から出た言葉に、キューケンは申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる。


「はい、この村に来る前に立ち寄った街の噂で聞きました。私がもう一日早く来ていれば、もう少し適切に対応出来たのでしょうが……申し訳ありません」

「何、気にするな。こっちの護衛戦力は特にダメージを受けたわけじゃないからな。受けた傷も軽いもので、数日もすれば回復する見通しだ」

「ありがとうございます」


 キューケンが頭を下げたのを見ていたミンが、ふと思いついたように口を開く。


「キューケン、と言ったね。君はその鎮魂の鐘という組織についてはどの程度知っている?」

「残念ながら詳しいことは……元々秘密主義の組織ですので、所属している人員の情報はあまり広まらないので。この世界、ある程度の腕があれば名前が広まるのも早いのが普通なんですが」

「そうか。……ちなみに、自分で戦わずに全く見知らぬ他人を使うという手段を取ることが出来る者は知らないかな? それと、その対象に痛覚を麻痺させ、通常よりも遙かに強い力を発揮させるような能力の持ち主なのだが」


 ミンの言葉に数秒考え、何か思い当たる節があったのかキューケンが口を開く。


「その手口からすれば、恐らくは人形遣いと呼ばれている者かと。ただし、詳しい手口に関してはあまり分かっていない状態です。何しろ捕らえた相手は死ぬ訳ではないですが、昏睡状態になるらしいので……そのような手口である以上、どうしても本人が表に出てくることも少なく、いつの間にか人形遣いと呼ばれるようになりました」

「人形遣い、か。確かに何人かそれっぽいのがいたな」


 昨夜の戦いを思い出したのだろう。ロドスが忌々しげに呟く。

 他の騎士と共に階段を守っていたロドスだったが、階段を上がろうとしてきた暴徒達の中に痛みを感じず……更には通常では考えられない程の力を持った相手がいたのを思い出す。

 人数が少なかった為に、騎士と協力して関節を砕いて無力化することには成功したが、こちらもやはりレイやセトが倒した者達と同様に昏睡状態になっていた。


「厄介な相手が狙ってきたものだな。そいつらを雇っているのはこの国の貴族か?」


 うんざりとした表情を浮かべつつ尋ねるダスカーの言葉に、キューケンが頷きを返す。


「はい。ただし貴族とはいっても、それ程重要な役職にある貴族ではありません」

「だろうな。そもそも俺を招待したのはこの国の上層部だ。そんな相手の不興を買ってまで俺に刺客を放つとは思えないな。だが、それなら……」


 一瞬考え込んだダスカーだったが、すぐに納得の表情を浮かべる。

 何を理由に自分が襲われたのかなど、考えるまでもない。

 実際、ロドスやレイ、それに騎士達から報告されていたではないか。


「戦争で家族や知り合いが死んだ連中、か」

「ええ。特に今回の戦争では多くの兵士や騎士、あるいは貴族が死にましたからね。当然その中には跡継ぎだったり、あるいは婚約者だったり、友人といったものが含まれています」

「……そうは言ってもな。戦争だぞ? ベスティア帝国の人間であるお前に言うのもなんだが、そもそも攻めて来たのはベスティア帝国だ。こちらとしては迎撃したに過ぎない」

「取りあえず、私の立場としてはその辺に関して何も言えませんが……ともあれ、ラルクス辺境伯や深紅に対して恨みを持っている相手が雇った者達であるのは間違いありません」


 キューケンにしても、このようなことで手を煩わされるのは面白くないのだろう。

 それも当然だった。本来であれば、テオレームやヴィヘラと共に第3皇子の救出に向けて動かなくてはいけないのだから。

 今回の連絡役にしても、本来であればもっと下の者が定時報告にする筈だった。だが鎮魂の鐘という裏の組織が動いているのを掴んだ以上、そのような真似も出来ずにキューケンが来ることになったのだ。


「ただ、一つ。注意しておいて欲しいことがあります」


 改まった態度で告げてくるキューケンに、その場にいた者達の視線が集まる。

 ラルクス辺境伯のダスカー、ランクAパーティ雷神の斧のエルク、その妻ミン。

 そんな三人を含めた全員の視線を浴びつつ、キューケンは全く臆した様子もなく説明を続ける。

 もしこの場に、セトを見て及び腰になっていたキューケンの姿を見ていた者がいれば、己が目を疑っていただろう程の堂々とした説明。


「ベスティア帝国内でも凄腕として有名な、鎮魂の鐘。それ程の組織である以上、ちょっとやそっとでは接触することが出来ません。つまり、それは依頼も出来ないということです」

「けど、実際に前の街で襲ってきたのは鎮魂の鐘って奴等なんだろ?」


 何を言ってるんだ? そんな意味を込めてロドスの口から出た言葉に、キューケンは頷く。


「はい、話を聞いた限りでは……特に意識不明になっている者のやり口を考えれば、鎮魂の鐘の仕業であるのは間違いないでしょう。つまり……」

「なるほど、本来であれば依頼出来ない者が依頼をしている以上、何か裏がある可能性もある、か」

「ラルクス辺境伯の仰る通りかと。この情報を届けるのが遅れた理由も、その辺りにありますので。鎮魂の鐘が関わっているという情報を得た時、特にそれを雇っている者達の名前を見た時は、テオレーム様も最初はデマか何かだと判断していましたし。ですが情報が具体的過ぎるということで調べを進めた結果、情報の裏が取れて私が派遣されました」


 その言葉を聞き、ダスカーは眉を顰める。

 別にキューケンに対して不愉快な思いを抱いたのではなく、裏で何者かが暗躍している状況に不愉快さを感じたのだ。


「厄介だな。……誰が後ろにいるのかも、まだ分からないのか?」

「すいません、テオレーム様も手を尽くしてはいるのですが……何分第3皇子派は人数が少なく……」


 その人数の少なさをどうにかしようと動いているのが、人気の高いヴィヘラだ。

 だが、それでもすぐにどうこう出来る筈もなく、暫くは苦しい暗闘が続くのは明白だった。


「……まぁ、いいんじゃないかね? 元々レイの役目は帝国の目を引きつけるってことだ。それを思えば、今回の件の黒幕が何を企んでいるのかは分からないが、大多数の人目を引きつけるというのには成功してるんだし」


 沈鬱になりそうだった空気を吹き飛ばすかのようにエルクが告げる。


「それに、裏に誰かがいるというのが分かっているのなら、それならそれで何とでもなるだろうし。特にあのレイだぞ? 罠に填められても逆に食い千切って、罠を仕掛けた相手の喉笛を噛み切っている光景しか思い浮かばないけどな」


 その言葉に皆が納得してしまうのは、それぞれレイという存在を十分に知っているからだろう。

 何故かキューケンも同意するように頷いていたが、これはつい先程レイの従魔であるセトを間近で見たからか。


「ヴィヘラ殿下やテオレーム様から聞いてはいますが、そんなに深紅……いえ、レイさんという方は凄いんですか?」

「凄いかどうかで言えば、間違いなく凄いな。……ん? お前、テオレームの部下だってことは戦争にも参加してたんだろ? ならあの炎の竜巻は見たんじゃないのか?」


 不思議そうに尋ねるダスカーに、キューケンは苦笑を浮かべて首を横に振る。


「残念ですけど、私は春の戦争には参加していなかったんですよ。テオレーム様からの命令で、ちょっと部隊から離れていましたので」

「なるほど。まぁ、色々とあるのは分かるから、何をしていたのかとかは聞かない方が良さそうだな」

「ええ、そうして貰えれば助かります。私としては、話に聞く炎の竜巻というのを一度は見てみたいんですけどね。さすがに気軽に見せて貰う訳にもいきませんし」

「それは当然だろう。ただでさえあの件でレイは有名になったんだ。特にこのベスティア帝国では、下手をすればミレアーナ王国よりも名前が知られている。深紅の代名詞となった炎の竜巻と共にな」


 戦場で見た光景を思い出しつつ呟くダスカー。

 ダスカーとしても、オークキングを倒した時からレイが腕の立つ人物だというのは知っていた。

 だが、それでもあそこまでの能力を持っているというのは、完全に予想外だったのだ。

 もっとも、ダスカーにしてみれば良い意味で期待を裏切られたというのが正しいのだが。

 そんなダスカーの言葉を聞き、キューケンは実際に自分の目で見たわけでもないのに炎の竜巻が人々を飲み込み、燃やし、蹂躙していく様を思い浮かべる。

 直接その光景を見ていたダスカーの言葉があったからこそだろう。


「……まぁ、それはそれとしてだ。話がずれたな。鎮魂の鐘とやらについて話を戻すとしよう。この先も俺達が帝都に向かう途中で仕掛けてくると思うか?」

「正直なところ、分かりません。ですが、鎮魂の鐘に依頼した者達の動機が復讐であるとすれば可能性は十分にあります。くれぐれも油断せずに……いえ、雷神の斧や深紅がいるというのに私が言うまでもないですか。失礼しました」

「いや、気にするな。ところでキューケンはこれからどうするんだ? ここで一泊してからテオレームの下に戻るのか?」

「はい。出来ればそのようにしたいと思います。この雨の中をすぐに発つというのは……」

「分かった。村長に言って部屋を用意させよう。宿屋もあるが、お前の素性を考えると俺達と一緒の方がいいからな」


 ダスカーの言葉にキューケンは頭を下げ、結局この日は村長の家に泊まって翌日ダスカー一行と共に村を出て、途中で別れるのだった。

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