第583話
「この急な雨の中、大変だったでしょう。何分小さい村故にそれなりのもてなししか出来ませんが、どうぞ貴族様は儂の家に来て下され。他の方達は、悪いですが半数程は宿の方に回って貰うことになりますが……」
申し訳なさそうに頭を下げてくる60代程の老爺に、ダスカーは問題ないと首を振る。
「こっちこそ急に押しかけてしまって申し訳ない。宿に関しての手配も感謝している。これは世話になる礼だ。受け取ってくれ」
そう告げ、金貨を数枚差し出す。
それを見た老人、この村の村長は小さく目を見開いて金貨を受け取る。
急な来客ではあったが、間違いなく収支的にはプラスになると判断した為だ。
食事や寝床を貸し出すだけでこれ程の収入を得るというのは、村長にしても予想外の幸運だった。
もっとも、宿の方にダスカー一行の半分を任せた以上は折半という形になるのだろうが。
「ありがたく受け取らせていただきます。出来る限りの歓迎はさせて貰いますので、今夜一晩ゆっくりとお休みになっていって下さい。この雨も明日までには止むでしょうし」
「そうだといいんだがな。……さて、早速だが部下達を部屋へ案内してやってくれ。この雨の中を歩き続けてきたから、ゆっくりと休ませてやりたいんでな。エルク、お前の方から何かあるか?」
護衛として自分の近くに待機しているエルクに声を掛けるダスカーだったが、特に何もないと首を振るのを見て、村の中でも広い村長の家で客室へと案内されるのだった。
一方その頃、宿の方に通されたレイや他の騎士達は早速とばかりに用意された布で濡れた身体を拭く。
「……」
雨の降っている音を聞きつつ、微かに物憂げな表情を浮かべるレイ。
それ程大きな村ではなかった為に、当然宿屋もそれ程大きくはなく厩舎もかなり狭い。
一行の使っている軍馬や馬を収容すると既に空きスペースは殆どなく、セトが休める場所は存在しなかった。
他の家にある厩舎を使うという案も出たのだが、厩舎があるということはつまりそこに牛や馬を始めとした動物がいるということだ。
そして、セトは普通の動物には存在の格の違いを察知され、本能的に怖がられる。
あるいはその動物がいなくなって空いている厩舎でもあれば別だったのだろうが、残念ながらそのように都合のいいことはなく……村長とダスカーの話し合いの結果、セトは今夜一晩村の外で過ごすこととなった。
もっとも、セトにしてみればレイの側にいられないというのは残念だったが、無理して狭い場所に押し込められるよりは外の方が気楽だったらしく、申し訳なさそうな表情を浮かべる村長を尻目にさっさと雨の空を飛んでいったのだが。
特に何かがある訳ではない。セトに限って心配するようなこともないとは知りつつ、それでもやはりどこか不安を覚えていた。
「いや、ここで心配しても意味はないって分かってるんだけどな」
思わずといった様子で口を出たレイの呟きに、近くで同じようにして濡れた身体を拭いていた騎士が視線を向けてくる。
それに何でもないと言葉を返し、そのまま宿で少し早めの食事を終えると、既にやるべきことはなくなった。
ダスカーから明日の出発までは骨休めも兼ねてゆっくり休めと言われている為か、それぞれが自由な時間を過ごしている。
「運が良かったんだろうな。村長の家に向かった方は護衛の仕事があるだろうし」
「けど、この小さな村だぜ? 襲撃とかはまずないだろうし、向こうにはエルクもいるのを思えば、特に心配する必要はないと思うけどな」
「……いや、昨夜暴徒の襲撃があったばかりだってのに、なんでそこまでお気楽でいられるんだ?」
「昨日襲撃があったからこそだよ。まさか二日続けて襲撃がある訳じゃあるまいし」
「そのもしもが起きた時の為に、俺達がいるってのを忘れていないか?」
お気楽に呟く騎士に、年長の騎士が窘めるように告げる。
ダスカーの護衛としてついてきている以上、相応に腕が立つのは間違いない。だが、まだ若いが故に楽観的に考えることが多い。
そんな騎士達のやり取りを眺めつつ、レイは雨の中でモンスターや野生動物を狩って腹を満たしているだろうセトを思うのだった。
「グルルゥ!」
セトの存在を感じ取った訳でもないだろうが、本能的に危険を察知して逃げ出した野生のウサギ。そのウサギの逃げ道へと衝撃の魔眼を使い、動きを止めた一瞬で距離を縮めたセトは、前足の一撃で真横へと吹き飛ばして木の幹にぶつけ、仕留める。
本気の一撃を繰り出せば仕留めるどころか肉片にしてしまう為、繰り出された一撃はかなり手加減されたものだった。
それでも攻撃を受けたのが体長30cm程度のウサギであれば、その程度の一撃でも生き延びるのは不可能であり、あっさりと身体中の骨が砕けて命が消える。
そんなウサギをクチバシで咥えあっさりと口の中に収めるセト。
「グルゥ」
ウサギ自体がそれ程大きくないということもあり、腹を満たすというよりはおやつ代わりにしかならない。
そのまま他の獲物を探して周囲を見回し……不意に、この雨の中で村へと近づいていく1人の人影を察知する。
常人であればその気配には気が付かなかっただろう。だが、そこにいたのは人ではなくセトだった。
「グルルルゥ?」
だが、近づいてくる相手を観察してセトは思わず首を傾げる。
年齢的にはまだ20代程だろう。多少は鍛えているようにも見えるが、それでもダスカーを……より正確には、そのダスカーを守っているエルクやレイといった存在をどうにか出来るようには見えなかった。
いや、それどころか護衛の騎士を相手にしても1人倒せるかどうかといった程度の腕。
そうなると、あるいはレイ達と同様に雨宿りの場所を求めて来たのかと判断しそうになり……その女から覚えのある匂いがするのに気が付く。
「グルゥ……グルルルルゥ!」
誰の匂いかを理解したセトは、そのまま数歩の助走の後で翼を羽ばたきながら雨の空へと飛び出す。
身体にぶつかる雨の勢いはそれなりに強いが、セトにとっては不愉快な思いをするだけで、行動の邪魔にはならない。
そんな雨の空を飛びながら、村へと向かっている女へと向かい……
「っ!?」
その女が、自分の方に向かって近づいてくる気配を感知した時には、既にセトは女のすぐ後ろへと着地していた。
「グルルルルルゥ?」
喉を鳴らしながら尋ねるセトだったが、女は突然自分の後ろに姿を現したグリフォンの姿に息を呑むしかない。
そのままお互いに向かい合って数秒。
「グルゥ?」
どうしたの? と小首を傾げるセトに、ようやく我に返った女は慌てて懐から一本の短剣を取り出す。
別にセトに向かって攻撃しようとした訳ではない。
そもそもグリフォンを相手にして短剣だけで攻撃を仕掛けるというのは、勇敢を通り越し無謀、あるいは蛮勇と呼ばれるべき行動なのだから。
女が差し出した短剣へと顔を近づけ、匂いを嗅ぐように数秒。
雨のせいで匂いが薄かったが、嗅覚上昇のスキルを発動させるとすぐにそれが予想通りの人物の匂いであると知り、機嫌良さげに喉を鳴らす。
女もセトと意思疎通が出来る訳ではなかったが、それでも目の前にいるグリフォンが怒っている訳ではないのは理解した。
「その、村に行ってもいいの?」
「グルゥ!」
女の言葉を聞き、自分が案内する! とばかりに女の隣を歩くセト。
その様子に戸惑いつつも、危害を加えられる訳ではないと知り、同時に安堵したことで自らに命令をした人物の言葉を思い出して口を開く。
「あ、貴方がセト、でいいのよね?」
「グルルルゥ!」
そうだよと喉を鳴らすセトに、女は安堵の息を吐いて雨避けの意味で被っていたフードの下で多少引き攣りながらも笑みを浮かべる。
確かに自分の上司から、セトについて聞いてはいた。
だが、それでも……こうして初めてグリフォンを目の前にして緊張するなというのは無理だった。
それなりに腕が立つという自負は持っていても、ランクAモンスターを相手にしろと言われれば一瞬の躊躇いもなく出来ないと言い切る自信があった。
「その、ね。もう分かっていると思うけど、私はヴィヘラ殿下とテオレーム様に言われてここに来たのよ。その、分かるわよね?」
微妙に腰が引けながらの言葉だったが、寧ろその程度で済んでいる辺りさすがにテオレームの部下と言うべきかなのだろう。
「グルゥ」
女の言葉に頷き、こっちだよとローブを軽くクチバシで引っ張りながら村へと向かう。
ローブの裾が咥えられた時は悲鳴を上げそうになった女だったが、それを何とか押し殺すことに成功するとセトに引っ張られながら移動する。
そのまま村の入り口まで到着すると、そこには村の門番のような役割をこなしている村人の姿があった。
「っ!? ……あ、ああ。確かあの貴族の……な、何だ? どうした? お前は村の外で夜を過ごすんだろ?」
何とか自らの震えを隠そうとして告げる村人だったが、それを隠し切れてはいない。
だが、セトに対して虚勢を張りつつも、そのすぐ側に女がいるのに気が付いたのだろう。セトから視線をそらせるのを幸いとばかりに口を開く。
「あんたは一体何だ? あんたもあの貴族の一行か?」
「はい、そうです。その……ダスカー様にこの短剣をお渡し下さい。そうすれば私の身分を保証してくれると思いますので」
そう告げ、懐から出した短剣を村人へと手渡す女。
短剣と聞き、一瞬ビクリと固まる村人。
だが短剣が鞘に収まっているのを知ると、女に知られないように安堵の息を吐く。
まだ若い男としては、それなりに美形でもある女にみっともない姿を見られたくなかったのだろう。
……もっとも、テオレームの下で鍛錬を積んできた女には隠し通せてはいなかったが。
「分かった。ちょっと待っててくれ。すぐに確かめてくる!」
「あ、ちょっと!」
短剣を受け取ると、真っ直ぐに村の中へと走って行く男。
それを見送った女は、小さく溜息を吐く。
「私をここに残したまま行ってどうするのよ。もし私が村の中に侵入しようとしている盗賊だったりしたら、致命的な失点よ?」
どこか呆れた様にそう告げ、セトと距離を取りつつ村人が戻ってくるのを待つのだった。
そしてセトと待つこと数分。やがて戻ってこない村人を待っていると、女としても沈黙が苦痛になってくる。
すぐ近くにセトがいるうえに無言のままでいるのだから、どうしても気になるのは仕方がない。
「グルルゥ?」
そんな女の不自然な様子が気になったのか、セトが小首を傾げつつ喉を鳴らす。
一瞬ビクリと身体を強張らせた女だったが、やがて別に危害を加える訳ではないのだと理解してそっとセトの方へと視線を向ける。
「っ!?」
じっと自分を見つめてくる視線に、思わず数歩後退る女。
だがそのまま黙って目を合わせていると、セトが自分に対して害意を持っていないというのが理解出来たのだろう。一歩、二歩と前に進み出る。
「ヴィヘラ殿下とテオレーム様は全く怖くないって言ってたけど……だ、大丈夫よね? 噛みついたり、ひっかいたりはしないわよね?」
呟きながらそっと手を伸ばす。
本来であれば、つかず離れずの距離を取っているのが一番いいのだろう。
幾ら尊敬しているテオレームや敬愛しているヴィヘラから安全だと言われてはいても、何が起きるか分からないのだから。
だが、円らな瞳を自分に向けているセトを見ていると、どうしても構いたくなってしまう衝動を止めることは出来ない。
伸ばした手が少しずつセトへと近づいていき……
「おーい、許可が出たぞ!」
「ひんっ!」
突然聞こえてきた村からの声、先程短剣を預けた村人の声が聞こえて思わず手を引っ込める。
同時に奇妙な声が女から漏れたが、幸い声を上げた自分とセトのみにしか聞こえなかったらしいと知り安堵の息を吐く。
走ってきた村人が女の前に到着すると、村の中央にある大きな家に視線を向ける。
「あの真ん中にあるのが貴族様の泊まっている村長の家だ。案内はいるか?」
少しでも長く女と喋っていたい。そんな思いから出た言葉だったが、女はそれに首を振る。
「案内も何も、こうして見えているんだから別にいらないでしょ? 大丈夫よ。……それより短剣は?」
「ん? ああ、あの短剣なら向こうに渡してきたから、村長の家に行ったら返して貰ってくれ」
その言葉を聞き、女は村の中へと入っていく。
セトはその姿を見送ると、再び踵を返して村の外へと向かう。
その様子に村人は思わず安堵の息を吐き、ふと気が付けば既に女の姿は存在していない。
「そんなに急がなくてもいいだろうに。……やっぱり雨に濡れるのは嫌だったのか?」
降り注ぐ雨を見上げつつ、村人は溜息と共に呟くのだった。
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