第582話

 レイやロドス達がタナロを出発した頃。タナロのとある屋敷の部屋の中で、ムーラとシストイが前日の襲撃についての話をしていた。


「さすがにミレアーナ王国の中でも辺境にあるギルムの騎士ね。1人ずつの戦力がかなり高いわ。こっちで用意したお人形さん達も、簡単な洗脳だった為か殆ど相手に傷を負わせることは出来なかったみたい」

「深紅がいて、グリフォンがいて、雷神の斧がいて……個人の戦闘力が高いのが集まっているのは分かってたけど、騎士の方も精鋭揃いか。また厄介だな」


 ムーラの説明に、シストイは溜息を吐きながら手に持っていたサンドイッチへと噛みつく。

 手に持ったサンドイッチに苛立ちをぶつけるかのように食い千切ったのだが、それを見ていたムーラが溜息を吐いて窘める。


「折角の美味しいサンドイッチなんだから、もっと味わって食べなさいよ」

「分かってるよ。……けどな」

「ええ。正直予想以上に厄介な相手だったわね。このままだと割に合わない仕事になりそう」


 ムーラは憂鬱そうに呟き、水晶球を通して見た戦闘の数々を思い出しつつ紅茶を口へと運ぶ。

 致命傷に近い傷を受けつつも、向かってくる相手。普通の騎士であれば混乱して戦いが疎かになる者が出る筈だというのに、騎士達は一瞬驚いたものの、見せた反応はそれだけ。

 すぐに攻撃を再開し、次々にムーラの人形や暴徒達を倒していった。

 幸い戦闘不能になった場合は自ら意識を閉じるように調整してあったので、自分達の情報が向こうに伝わることがないのが唯一の救いか。


「それに、やっぱり厄介なのは深紅よ。正確には従魔のグリフォンの方。あれだけ離れた位置にいたのに、どうやって私達のことを嗅ぎつけたのかしら」


 シストイの勘がなければ、恐らく昨夜の時点で自分は捕まっていた。そう思うと、ムーラの背筋を一瞬冷たいものが走る。

 まだ本格的に仕掛けた訳ではなく、相手の戦力を確認する為の様子見程度の襲撃だったのだが、その様子見の襲撃で自分は向こうに捕捉されるところだったのだ。


「それに……あの手の輩は一度こっちの手を見た以上、次からは即座に対処出来るだろうな」

「分かってるわよ。……全く、何だってこんな仕事を受けたのかしら」

「元々はお前が受けてきた仕事だろうに」


 シストイの呆れた視線に一瞬動揺したムーラだったが、すぐに視線を逸らして呟く。


「まぁ、どのみち今回の件の報告はしておきましょう。今回の襲撃がそもそも向こうから言われてやったことなんだから、向こうでも何か対策を考えてくれるでしょ」

「そうだな。次に仕掛ける時は俺も出るつもりだから、今回のようなことにはならない……と、いいんだが」


 言葉に自信がないのは、やはりレイの戦闘をその目で見ているからだろう。

 騎士や若い男の冒険者――ロドス――辺りであれば、多少苦労するかもしないが、どうとでも出来る自信があった。

 だが、ただ一人……いや、一人と一匹。レイとセトにはまともに当たった場合、まるで勝ち目が見えない。


(もっとも、それならそれでやりようは幾らでもある。別に俺達は正面から堂々と戦いを挑む正義感なんて持っていないからな。……それに、深紅の他に雷神の斧もいる。寧ろ単純な戦闘力じゃなくて、経験という要素を含めればあっちの方が余程厄介な存在だろう)


 そんな風に考え、この先に起きるだろう騒動を予想し、思わず溜息を吐くのだった。






「では、ラルクス辺境伯。この度は大変ご迷惑をお掛けしました。この度の沙汰、ありがたく思います」

「何、気にするな。元々狙われているってのは承知の上で街に入ったんだ。それに警備隊や騎士も含めて随分と頑張って貰った。その上で代官が処罰されるというのは、あまり面白くない出来事だからな」


 気楽に告げるダスカーの言葉に、頭の中程までの髪の毛が既に消えている代官は憔悴した表情を何とか隠しながら感謝を込めて頭を下げる。

 代官にとって、目の前にいる貴族は厄災以外の何ものでもなかった。

 本音を言えば、絶対に街には迎え入れたくなかった人物だ。

 だが、既に領主に根回しをされている以上は拒否も出来ず……その結果、夜中の大騒動が起きることとなる。

 元々あまり身体が丈夫ではない代官は、たった一晩の精神的な疲労で10歳、あるいは20歳近くも年を取ったように見えた。

 それでも、最悪の事態――ダスカーの死亡――という結果を見なくても済んだのは、人事を尽くした結果運が味方してくれたおかげであるとも言えるだろう。

 そんな代官やダスカー、あるいは護衛のエルク達から少し離れた場所では、相変わらずドワルーブがセトへと興味深い視線を向けていた。

 その視線はセト愛好家の筆頭でもあるミレイヌと違って、愛でるという類のものではない。純粋に興味深い相手を観察するような、研究者に近い視線だ。

 それでいて物を見るような視線ではなく、純粋にセトという存在を認めた上での視線を向けている辺り、本人はモンスターの研究者に向いていないと言っていたが、謙遜なのだろう。

 少なくてもレイにとっては、モンスターに嫌われていないのだから十分に研究者としてやってけるように思えた。


「グルルルゥ?」


 どうしたの? と自分に視線を向けてくるセトに、ドワルーブは手に持っていた干し肉を数個差し出す。

 まるでカードの類を広げるようにして差し出された干し肉に、セトは喉を鳴らしつつ1つ1つ匂いを嗅いでいく。

 やがて食欲を掻き立てる匂いがしたのか、差し出された中でも一番左の干し肉をクチバシで咥えて口の中へ。

 それを見ていたドワルーブは、グリフォンが好む肉を忘れないように頭の中で記憶していく。

 もっともその肉が本当にグリフォン全体が好むのか、あるいは単純にセトのみが好むのか……その辺に関してはまだまだ研究が必要だろう。

 そして、ランクAモンスターであるグリフォンが人前に姿を見せることが滅多にない以上、その研究が完成するのがいつになるのかは……それこそ神のみぞ知るといったところか。


「グルルルルゥ」


 喉を馴らしつつ干し肉を味わっていたセトだったが、やがてダスカーの方も代官との話が終わったのだろう。せめてもの詫びということで馬車に食料やエールの入った樽が運び込まれる。

 その収容が終わるのを見届けたダスカーは、その場にいる全員に聞こえるように大きく叫ぶ。


「出発するぞ!」


 人を引きつける魅力を存分に発揮し、その場にいた者達全員がすぐに準備を整える。

 レイもまた、干し肉を食べているセトの頭を撫でつつドワルーブに視線を向け、口を開こうとしたところで持っていた干し肉を渡される。


「道中で」


 それだけで何を言いたいのか理解したレイは、小さく笑みを浮かべて礼を言う。


「悪いな、ありがたく貰っておくよ」


 そのままダスカー一行の後を追うようにしてセトへと跨がり、一人と一匹も進み始める。

 そんな一行の後ろでは、姿が見えなくなるまで代官や騎士達が後ろ姿を見送るのだった。

 ただし、見送っている者達の中に街の住民が殆どいない辺り、ダスカー一行がベスティア帝国内でどのように思われているのかを如実に現していたのだが。

 いや、この場合はダスカー一行ではなくレイとセトを、と言うべきだろう。

 脳裏を過ぎった考えを気にしないようにしながら、レイはセトの首筋を撫でる。


「何だかんだ言っても結構いい街だったな。宿の料理も美味かったし」

「グルルルゥ!」


 セトも宿で出された食事に不満はなかったのか、機嫌良さげに喉を鳴らす。

 実際、もっとも格式高い宿ということで、食事を含めて色々ともてなしに関しては文句がなかった。

 惜しむらくは泊まったのが一晩であり、夜中には暴徒の襲撃もあってその宿の快適さを存分に楽しめなかったことか。


「確かにあの宿の料理は美味かったよな」


 レイの隣を進んでいる騎馬に乗った騎士が、しみじみと呟く。

 その言葉が聞こえたのだろう。周囲を歩いている他の騎士達も口々に宿の食事についての感想を口にする。


「ベスティア帝国の料理って言うけど、俺達が食っても普通に美味かったよな」

「そうだな、少し薄味気味だったのが気になるが……」

「そりゃあれだろ。ベスティア帝国は海に面してないから、塩が高価なんだよ」

「ああ、なるほど。……ん? けど岩塩とかあるだろ?」

「岩塩は埋蔵されているだけだから、どうしても海水を使って作られた塩に比べれば高くなるんだよ」

「まあな。だからこそ、ベスティア帝国は海を欲して何度となく戦争を仕掛けてきてるんだし」


 そんな風に会話をしながら歩いていると、不意にセトが空を見上げる。

 釣られるように上を見上げるレイだったが、少し前まで晴れていて雲一つ無い青空だったのが、いつの間にか雨雲が蓋をするように存在していた。


「グルゥ」

「ああ。一雨来そうだな。……まぁ、この気温だし風邪を引くことはないだろ」


 レイとセトのやり取りに、料理から海、そして塩の話に移っていた騎士達も気が付いたのだろう。いつの間にか空を覆っている雨雲に嫌そうな表情を浮かべる。


「うわぁ……街を出てから1時間もしないうちにこれかよ。いっそもう少し早く降ってきてくれれば、ダスカー様も出発を延期……しないか」


 だろうな。

 レイは騎士の呟きに内心でそう同意する。

 暴徒の襲撃があったばかりの街でもう一晩過ごしたいかと言えば、答えは否だろう。

 確かに暴徒達の大半はレイ達、あるいは街の騎士団や警備隊に捕まったが、それで全部というわけではない。寧ろ、頭の切れる者は迂闊に動かずに機を窺っているだろうと。


「ま、ダスカー様も雨の勢いが強くなれば雨宿りする場所を探してくれるだろうさ」


 別の騎士が呟くが、それは逆に言えば小雨程度では休まずに旅を続けるということに他ならない。

 馬車に乗っているダスカーやエルク達雷神の斧、あるいは付き人といった者は濡れる心配はないが、外のレイや護衛達に関して雨具の類はない。


「冬じゃなくて秋になりかけってのはよかったな。風邪を引かないで済む」

「どのみち雨に濡れる以上、下手をすれば熱とかは出かねない……んだろうな、普通なら」

「確かに」


 騎士の言葉に皆が笑みを浮かべる。

 身体を鍛えている騎士が、多少雨に濡れたくらいで風邪を引く筈もない。それだけの自信があるからこその言葉だった。

 事実、騎士にしろ冒険者にしろ、雨が降ったくらいで任務や依頼が出来ませんとは絶対に口に出せない。

 冬の雪の中で行動することもそれ程珍しくないのだから、夏と秋の中間にある今の季節で多少雨に濡れる程度は多少不愉快な思いを抱く程度だ。

 そんな風に言い合っているうちに、やがて雨雲から1滴、2滴と雨の雫が落ちてくる。


「お、降ってきたな。この辺りの農家にとっては恵みの雨だったりするのか?」

「……そういえば、確かにベスティア帝国に入ってから雨が降っているのは見たことがなかった」

「おい、実は水不足ってことはないだろうな?」

「ここまで旅をしてきた感じだと、そういうのは全くなかったけど……どうだろうな」


 話を続けている騎士達だったが、やがて騎士達が護衛として囲んでいる馬車の扉が開いてエルクが顔を出す。


「今はこのまま進むが、雨がもっと強くなったらどこかで雨宿りするかもしれない。それを考えて、どこか丁度いい場所があったら報告してくれ」


 そんなエルクの言葉に皆が頷き、弱い雨に当たりながらダスカー一行は帝都へと向かって街道を進み続ける。

 途中で何人か商人や冒険者と思しき者達とすれ違いはするのだが、弱いとはいっても雨が降っている為にこれまでよりは注目されずに進み続け……


「うわ、強くなってきたな」


 嫌そうに雨雲を見上げつつ呟く騎士。

 先程までは弱い雨だったのが、今ではそれなりに勢いが強くなっており、叩きつける……とまではいかないが、それでも確実に雨足が強くなっていた。


「グルルルゥ」


 セトも降ってくる雨が鬱陶しいのだろう。苛立たしげに空を見上げて喉を鳴らすが、それでどうにか出来る筈もない。

 騎士達も降り始めの時とは違い雨宿り出来る場所を探しながら街道を移動するのだが、残念ながら街道沿いには林の類もなく、雨宿り出来るような場所を見つけることは出来ない。


「ちっ、そろそろ本格的に鬱陶しくなってきたな」


 時間が経つに連れて次第に強くなっていく雨に苛立たしげな表情を浮かべる騎士。

 だが、愚痴を言っても雨が止む訳ではなく、次第に騎士達の口数も少なくなっていく。

 そして1時間程が経過し、既に雨は土砂降りに近い状態になった頃……


「村が見えてきたぞ!」


 一行の先頭を歩いている騎士の男が喜色の滲んだ声でそう叫ぶのだった。

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